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第46話 花の少女


 処置後しばらくはオーブが急な動きをしないよう誰もが気にかけることとなっていた。個室でビルがオーブと繰り広げた追いかけっこを大部屋でさせるわけにはいかないとマックスが言う。傷口が開く危険性があるからだ。


 別に追いかけっこをしたかったわけではないんだが、とビルは不満そうだったけれど私たちは同じ目的を共有し、オーブを見守った。幸いにもオーブは逃げ出そうとはしない。脚が痛いのか、それとも此処しばらく観察して逃げなくても良い場所だと思ってくれたのか、それは判らないけれど。


「あの、ジゼル奥様……」


 ある日、テレーズと庭に出てローズマリーを植えている土が乾いていたから水をやっていたら声をかけられた。私とテレーズは揃って振り向く。イヴォンヌのところで洗濯仕事をしている少女のひとりだ。話したことはないけれど顔は知っている。


「どうしたの?」


 緊張しながら私は返した。使用人と話す機会は増えているけれど緊張しないわけではない。私に用事がある人は限られていた。彼女がどうして話しかけて来たのか、私には皆目見当も付かない。


「その、前に乾燥ポプリを作ってましたよね。仕事仲間が持ってて……良い匂いで気に入ったあたしにその子、くれたんです。でも段々匂いが薄くなってるみたいで……トマに相談したらジゼル奥様に訊いたら良いって言われたので……」


 私以上に緊張した様子の彼女の話に、私は目を丸くした。トマがそんなことを言っていたのを思い出す。彼女が勇気を振り絞っているのが判って、感じたことのない気持ちになった。


 私も誰かと話す時は緊張するし、今も緊張している。彼女と同じように私も見えているのだろうか。不安そうで、怖がって。私を怖がる理由は解る。私はソルシエールの娘で、魔女と実際に呼ばれたことがあって、立場としても一応は伯爵の妻、だから。でも、それなら、私は。


「わぁ! 乾燥ポプリ、テレーズも好き! 枕の下に入れてるから寝る時いっつも良い匂いでぐっすり眠れるし! でもテレーズも匂いが薄くなってきたような気がします……ジゼル奥様、塩のポプリとは違うしあんまり保たないんですか?」


 テレーズが笑顔からしょんぼりした表情と忙しなく変えながら私を向いて尋ねた。それでようやく私は我に返る。


「え、あ、あぁえっと、塩のポプリとは違ってお花を完全に乾燥させて作るものだから香りはそんなに保たないの。使う場所にもよるけど……陽に当たる場所にあると香りが短くなりやすいわ。でもまだ作ってから時間がそんなに経ってないし、もう少し保つ物のはずよ。少し揉んでみたかしら。それで……」


 話している途中で彼女がエプロンのポケットからポプリを取り出したから私は驚いて言葉を途切れさせた。少女の手に収まる大きさだけれどトマから貰った花をふんだんに使っているから、それなりに香る物のはずだ。目の前で彼女がぐにぐに、と布袋を揉んで鼻を近付け、あ、と顔を輝かせる。


「──」


 お日様のような、笑顔だった。


「わぁ、本当だ! そっか、揉んでも良かったんですね。良い匂い。嬉しい」


 良かった、とテレーズが彼女と一緒に喜んで、二人できゃっきゃと笑いながら小さな布袋を楽しんでいる。私はその様子に言葉を見つけられずにいた。


 目の前で、自分も作った物が喜ばれることがあるなんて思いもしなかった。テレーズと一緒に作った物だから、あのポプリはもしかしたらテレーズが口を綴じた物かもしれない。でも、私が綴じた物かもしれないのだ。目の前の彼女は誰が綴じたかなんて気にしている様子はない。ただポプリそのものを喜んでくれているようだった。


 胸がじんわりと温かくなる。この感覚を嬉しいと言うのだと、私は知っている。安堵とは違うものであることも。


「トマの言う通りジゼル奥様に訊いてみて良かったです。ありがとうございます!」


 目の前で弾ける笑顔に、私は面食らいながらもかぶりを振った。喜んでもらえて良かった、と小さな声で答える。はい、と元気で明るい返答が笑顔と共に送られて来て、私は胸が詰まった。


「季節で違うお花が咲くからきっとまた違うポプリも作れますよね。あの、ま、また作ったら頂けますか……?」


 また緊張した様子で尋ねられて、私は頷いていた。ぱぁ、と緊張から明るい顔になって嬉しそうに笑う彼女に私はどんな表情をしているだろう。そんなに喜んでもらえるなんて、という驚きが強くてどんな顔をすれば良いのか判らない。


「トマがお花は季節毎に違うものが咲くから、評判が良かったらまたジゼル奥様、作ってくれるかもしれないぞぅって言ってて! あたし、楽しみにしてます! それじゃすみません、仕事に戻るので! お邪魔しました!」


 ぺこり、と頭を下げて彼女はくるりと背を向けると走り去る。少し離れたところからきゃぁ、と歓声が上がって少女たちが一緒になって洗濯場へ走って行くのが見えた。途中まで友人が付いてきてくれていたのかもしれない。そして彼女が勇気を出してくれた。その結果が彼女にとって芳しいものであったなら、私も嬉しい。


 明るい笑顔と声が此処にいても判る。それを私はいつまでも見送っていた。



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