第42話 協力
「何が正しいか判る者がいれば良かったが」
生憎といない、とビルは言った。え、と私は目を丸くする。ビルはオーブの記録を見るように顔の向きを変えた。
「子どもたちのことを考えてはいる。子どもたちが過ごしやすくなるようにと工夫もする。だがそれが正しいと判じることができる者はどんな人間なのか、俺には判らない」
自嘲気味にビルが笑ったような気がした。表情がほとんど見えないビルの口元、真一文字に引き結ばれていることばかりの其処は相変わらずで笑ったかどうか自信がなかった。
「唯一それが出来るとするなら、子どもたち自身だろう。だが子どもたちにも感情がある。好き嫌いがある。それが正誤ではなく好みだった場合の区別を付けられるとは限らない」
例えばオーブが大部屋に移ったとして、それが正しかったかどうかはオーブにしか判らない。けれど嫌がったからと言ってまたひとりに戻すのが正しいことなのかも判らない。オーブは単に大勢と過ごしたくないだけ、ということも考えられるからだ。
ひとりで生きられるならそれでも良いかもしれない。けれど誰かと関わらざるを得ないから、大部屋で過ごすことにも慣れてもらわなくてはならない。その上で自分がどう生きていくかを選択して欲しい。子どもたちに関わる皆がそういった思いを持っているのは、特別に訊いたことがあるわけではないけれど私も感じていた。
テレーズも、イヴォンヌも、トマも、そうやって選んで来たのだろう。恐らくはマックスやビルも。それはきっと此処でそう願われて、それを受け取って過ごして来たからだ。そうして“育ち直し”て、それが良かったと彼らが思うから。同じように過ごして欲しいと思うのではないかと私は考えていた。此処に来て良かったと、皆言っていたから。私もそうあって欲しいと、オーブに願った。
「だから俺たちは話し合う。自分の考えと、自分以外の考えと。出し合って考えて子どもたちにとって何が良いか結論を出す。その選択に全員が責任を負う。子どもたちの世話をしている、全員でだ」
オーブの記録から私に顔を向き直してビルは言う。
「それには、あなたも含まれる」
「……」
思いもよらない言葉に私は息を呑んだ。
「あなたにとっては不本意かもしれないが、伸ばした手を翻すことは出来ないと言ったはずだ。子どもたちと関わった以上、あなたにもその責任は負ってもらう。あなたはオーブの担当だ」
ビルの言葉に私は頷いた。それから不甲斐なくて俯く私にビルは怪訝そうな声で、何だ、と問う。私はかぶりを振った。
「違うの。ごめんなさい。イヴォンヌに言われたことを思い出してしまって……」
ビルが声を出さずに首を傾げ、私に続きを促した。私は俯いたまま口を開く。
「この地下に来る前に私がお洗濯を手伝ったら、まだオキャクサマみたいな顔でいるって言われたの。私、此処に来ても何もしてなかったから。何か出来ることはないかって探していた私に気にしなくて良いって言ってくれたと思った。でも、違ったのね。私が自分から一歩退いていたんだわ。ビル、あなたの言葉でそれが解った気がする」
そうか、とビルは短く返した。淡々とした声にどんな思いがあるかは判らない。面倒だと思っているだけかもしれないけれど、こうして子どもたちのためと思えば指摘してくれるのは、優しさ、なのだろうと思う。
「私のことも、皆と同じように扱ってくれるのね。半人前どころかまだ見習いでしかない私なのに。ありがとう、ビル」
一瞬だけビルの顔を見て、でもすぐ俯くような私でも此処で過ごしていけば同じようになれるだろうか。皆と同じように。
* * *
オーブを子どもたちがいる大部屋へ移すことが決まった。私はビルと一緒に食事を運んだ時に見ている様子を話したり、名前を呼んだ時にどんな反応をしているかを話したくらいだ。
実はな、とマックスは言う。オーブの脚の二回目の処置を近々予定していると。
それもあってオーブを大部屋に移したいとマックスは説明した。激しい動きができないうちに、其処にいるしかないうちに今の環境との違いに慣れさせた方が良いという話だった。意外にもビルはそれに反対しなかった。そろそろ移しても良い頃だと。
「他の子どもたちの様子を見れば危険はないことを理解するかもしれない」
今過ごしている部屋はひとり用だ。ビルと私が決まった時間に食事を持って入ってくるだけの場所で、安心や安全を理解するのは難しいとビルは言う。勿論、オーブの食べ物が横取りされたり取り上げられたりしないこと、危害を加える人間が周りにはいないこと等はもう理解してもらえているはずだと。次の段階へ進む頃合いに思うのだとビルは静かに説明した。
これまでにもひとりで過ごす子どもはいた。けれどいずれも大部屋へ移動している。大抵は他の同世代の子供がのびのびと振る舞っているのを見て、自分が何処まで許容されるかを試し始め、自由を得て行くのだそうだ。
「まぁ不眠については変わらないどころか悪化するかもしれねぇが、別に昼間チビどもが活動している中でも寝られるならそれで良いし、夜に寝ないと昼間動けねぇことを学習するかもしれん。結局は自分でどうにかするしかないからな。薬に頼るのも考えものだし、あの坊主はオレの出した薬なんか飲まないだろ」
マックスが楽しそうに笑う。それでな嬢ちゃん、とマックスは私を向いた。
「坊主が逃げ出さないように大部屋に連れて行くのはオレたちがやる。嬢ちゃんは中にいてくれ。坊主が入った時、嬢ちゃんがいた方が良い。行って良かったと思わせたい」
責任重大な役目を頼まれて、私は頷く外なかった。
絶賛38度オーバーの発熱中なので元気になったらまた投稿しますね〜!!




