第41話 会議前
ビルに言われた一週間を私はオーブと共に過ごした。と言っても食事を持って行く時にビルと一緒に部屋に入って、名前を呼んで少し話しかけるだけだ。
オーブは相変わらず寝台の上から動かなかった。鋭い目を向けて、私たちを睨むように見る。怯えている、と言われればそう思えなくもなかったけれど、私に出来ることに違いはなかった。
「……夜、眠れてないの?」
私はビルにオーブの記録を読むことを許されるようになった。マックスが見せてくれた時は限られたページだけだったけれど、最初から読めば確かに奴隷商人から逃げ出したところを伯爵が見ていて買ったこと、マックスにはかなりの敵意を向けることが記録されていた。誰に対しても攻撃的な様子を見せるところ、私には睨むだけであることも。
その中には私の反応も記されていた。オーブの反応にはひどく驚いた様子を見せるけれど心配をしていたと。自分の振る舞いを省みて次に活かそうとする姿勢、子どもたちの害にならないようにと気を配る様子がついでのように記録されていて、少し気恥ずかしかった。
私もビルやマックス、テレーズたちに見られているのだと実感した。子どもたちも私を見ている。私が子どもたちを見て、子どもたちに関わる皆を見て学ぼうとするなら、そんな私を彼らが見ていることにも気が付くべきだった。変なことをしていなかったなら良いのだけど、と内心でこっそりと息を吐く。
オーブの記録には夜に眠っていない様子であることが書かれていた。異国の血が入っていることが判る肌色をしているから見慣れない私には顔色や目の下のクマ、そういったものはよく判らない。けれど何かあっても対応出来るようにと付いている使用人やビルがそう言うなら、暗闇の中で彼は眠ることなくシーツに包まって警戒しているのだろう。
「夜もあの子にとっては安全じゃなかったのね……」
眠れていなかったのかという私の問いに頷いたビルを見て、私は目を伏せた。子どもたちは自分がされたように振る舞う。子どもたちと過ごす中で私が学んだことだ。だから私たちが根気強く望まれる振る舞いを続け、親切にすれば子どもたちはそれを見て知って、学んでいく。マックスにはそう聞いていた。
「この後の話し合いでオーブを大部屋に移すかどうかを検討する。あなたもオーブと関わる中で思うことがあれば発言すれば良い」
ビルの言葉に私はかぶりを振った。
「そんな、私はまだ見習いだし、何か言うなんてことは……」
子どもたちが過ごす大部屋から少しだけ離れたこの部屋は、子どもたちの世話をする使用人たちが集まって話し合う場所として使われている。記録を保管しているのも此処で、子どもたちの出入りは厳禁だ。字を学んでいない子どもたちがほとんどだから入っても読めるものではないけれど、聞かせたくない話というものはある。皆の意見交換や情報共有の場所としても使われているからだ。
自然と発生する情報共有以外に検討する内容を決めて皆で意見交換をすることもあった。何度かその席に参加させてもらったことはあるけれど、私が発言したことはない。
それぞれの子どもたちに担当者が数名付いていて、この子のためにあんなことをやりたい、こんなことが必要だ、と提案したり他の担当者からはどう見えるのかの情報提供を求めたりする。子どもが“外”へ出る時の話し合いも此処でされるのだそうだ。そう教えてくれたテレーズが最近“外”へ出た子どもで、その後に続く子どもはいないからそういう回はないけれど。
「……あなたはオーブの担当だ。見習いだろうとオーブには関係がない。あなたも、俺と同じだと見做される」
ビルは淡々と私の考えを訂正した。言われてみればその通りだと思うことも多いから私は頷いているけれど、皆の前で何かを言うのは緊張する。どうしよう、と困ったのが表情に出たのか、ビルが息を吐いた。
「ないならないで良い。賛成か、反対かくらいは答えられるだろう」
「……」
一応は頷いたけれど本当は自信がなかった。だって、判らないのだ。自分がしていることも合っているか判らないのに、その選択が正しいかどうかなんて。
自分だけなら良い。けれど今回は相手のいることだ。その選択の影響を一番に受けるのはオーブだと、思うから。
「……何か心配事が?」
長い沈黙の後、ビルが息を吐きながら私に尋ねるから申し訳なくなった。まさか訊かれるなんて思っていなかったから私は思わずビルを見る。好き勝手な方向に跳ねたビルのくるくるの髪の毛はいつも通りで、目元が見えないのもいつも通りで、真一文字に引き結ばれた唇もいつも通りだった。
「あ、あの、どうやってその選択に自信を持つの……? オーブが大部屋に移るか移らないか、どうやって考えて決めるのかしら。こんなこと訊いてごめんなさい。でも何を根拠に考えて決めれば良いのか判らなくて……」
だってそれが取り返しの付かない失敗だったら、と私は俯いて続ける。ビルの顔は段々と見られなくなって私は今、自分の膝に置いた両手をもじもじさせながらその指先を見つめていた。
「何がオーブにとって良いことなのか判らないの。私がしていることは合っている? 間違えていない? 私ひとりのことなら良いの。でもその選択で一番影響を受けるのはオーブだから……」
自分で言葉を結べず、私は続ける言葉を見つけられないまま口を噤んだ。ビルの顔も怖くて見られない。何を訊いているのかと思われているだろうか。そんなことも判らず、自分で考えることも出来ず、オーブと関わっていたのかと言われたら。
ビルはすぐには答えなかった。何か判らない沈黙が落ちて私は居た堪れなくなる。訊かなければ良かったかもしれない。分かりにくいけれどビルを困らせているのだろうか。やっぱり質問を撤回して自分で考えると言った方が良いかもしれない。
私がそんなことを内心で忙しく考えて言い出そうとするより、ビルが答える方が早かった。




