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第38話 受容


「……あぁ、構わない。あなたが真剣に考えた名前なら」


 少しの沈黙の後、ビルが返した言葉に私は目を丸くした。


「え、ほ、本当?」


 本当だ、とビルは頷く。私は信じられない思いで目を何度か瞬いた。それから両手で両頬を挟む。どうしよう、と胸が一杯になった。


「嬉しい……」


 まだビルに受け入れられただけなのにもう胸が一杯だ。これからマックスに話して、当の本人であるあの子にも伝えるのに。


「あ、で、でも私が考えた名前なんて要らないって言われないかしら」


 ソルシエールの、魔女が考えた名前なんて。


「あの子は何も話さない。最初の言葉が拒否でも話すなら、俺は意味があると思う」


 静かなビルの言葉が私の中に滲み入るかのようだった。じんわりと広がるそれは慰めにも似ていて、それでも良いと言ってくれているように感じる。不安に塗り潰された胸の内をぶっきらぼうながら一瞬で塗り替えてくれるみたいだった。


「それは結局、あなたがあの子の言葉を引き出したということになるからだ」


「……」


 私はビルを穴が開きそうなほど見つめた。何だ、と不機嫌そうに問われてようやく見すぎていたことに気付く。ごめんなさい、と咄嗟に顔を逸らしたけれどビルが何も言わないから私は言葉を探して続ける。


「その、……嬉しくて。ありがとう、ビル」


 顔は見られないまま、視線を逸らして言ったことでもビルは許してくれたようだ。はぁ、と息を吐くから呆れただけかもしれないけれど。


「マックスに伝える。あの子にはこの食事の時間にあなたから教えると良い。俺は扉の傍で見ている。もしあなたを傷付けようとすれば間に入る。心配要らない」


 え、と私はビルに視線を戻した。ビルは私を向いてはいるけれど表情は分からない。ぴょんぴょんと跳ねた黒髪の下で彼はその目にどんな表情を浮かべているのだろう。


 見るということは見られるということだ。私も覗き込まれるのには抵抗がある。だからそれ以上踏み込むことはせずに、ありがとうとだけ伝えた。


 ビルは私が怪我をしないかと気にしているとマックスから聞いていたから、それでそんなことを言ったのだと思った。偽装結婚でも伯爵の妻である私を家令のビルが守ろうとするのは当然かもしれない。そんなことにはならないで欲しいけれど万が一の時、あの子が傷付かなければ良いと思う。


 二人でマックスがいる部屋へ戻れば、おー、とマックスは休憩中なのかトマの作ったミント水を飲んでいた。私はマックスにビルへ話したのと同じ説明をし、あの子にオーブという名前をあげたいと思うことを伝えた。


「あー、良いんじゃね?」


 マックスの返答はあっさりとしていた。


「え、そんな簡単に」


 驚く私にマックスはにっかと笑った。地下でもマックスの笑顔は明るい。だって、とマックスは嬉しそうに笑う。


「嬢ちゃんが案外しっかり考えてくれたからさ。むしろ気を付けなきゃいけねぇのは慣れた頃。今回は最初だからな、デカすぎる期待を背負わせようとしないかと思ったが……思ったより悪くないし、良いと思う。まぁ太陽がデカくないかって言うとデカいけど、金色フラヴィが良いんだから悪くないだろ。願いの方向性は同じだ」


 うん、とマックスは納得したように大きく頷く。


「ビルの話からしっかり学んだな。イヴォンヌが話してくれたのはお手柄か。テレーズとのことも何とかなったみてぇだし……トマが自分から話したのは意外だな。それだけ嬢ちゃんに聞く力が育って来たってことだろ」


「聞く力……?」


 マックスの言葉が慣れなくて首を傾げれば、そ、とマックスは笑った。


「それはな、必要な力だ。此処でチビどもに関わるならな。チビどももいずれ、嬢ちゃんに話すことがある。自分が受けてきた仕打ち、自分が感じてきた気持ち。今度は自分が“する側”になってやり返すことがある。誰かを傷付けるのはなしだが、起きた現象を受け止めるためには必要なことだ。言葉より先に行動で出ることもあるかもな。オレたちに求められるのは、傷付かないようにしながら受け止めることだ」


「む、難しいわ……」


 マックスの説明が難しくて私が困惑すると、マックスは声をあげて笑った。嬢ちゃんはもうやったなぁ、と楽しそうに話すそれに思い当たる節はなくて私は益々困惑する。


「初めて坊主と会った日、木から飛び降りる坊主を嬢ちゃんが受け止めようとするのをオレは見てた」


 マックスが目を細め、思い出すように語る。確かに彼ともマックスとも初めて出会ったあの日、私はあの子を抱き留めた。脚を怪我しているにも関わらず飛び降りたからだ。


「あれはな、嬢ちゃんを緩衝材にして自分は怪我なく降りるためだった。嬢ちゃんのことなんかどうでも良くて、嬢ちゃんが怪我しても構わない降り方だ。当然だよな。あの坊主をそうやって気にかけた奴なんかいなかったんだろ。してもらったことがなければ知らなくて当然だ。自分がされたようにする。それが自分の中の“当たり前”だからな」


 それは何だか胸が締め付けられるような話で私は言葉を返せない。けれどマックスは気にしていないみたいで話し続けた。


「でも嬢ちゃん、避けなかっただろ。むしろ受け止めに行った。飛び掛かられても避けないで助けようとしたんだ。オレが声かけたら守ろうとした。坊主にもそれが判ったんだろ。だから嬢ちゃんから離れなかった」


 本当ならなぁ、とマックスは呆れたように私を見る。仕様がないものでも見るような、それでいて優しい目だった。


「飛び掛かられたら人は逃げるんだよ。向かって行かない。けど嬢ちゃんも慣れてねぇな。だから怪我する。あの時の傷は浅くて済んだが、一歩間違えれば大惨事だ。だから嬢ちゃん、慣れてかなきゃなんねぇ。人との距離感、自分が怪我をしない方法、そういうものにな」


 何を言われているか判らなくて、でも悪いことではないのは解るから私は曖昧に頷いた。マックスはそれさえ見抜いて、ははは、と笑う。


「嬢ちゃんには受け止める力がある。でも受け止めるだけじゃダメだ。嬢ちゃんにはその素質があるんだよ。まずはそうだな、怪我するな。ビルが心配する」


 マックスの言葉に突然引き合いに出されたビルが、俺のことは良い、と不機嫌そうに口を挟むのが聞こえた。



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