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第34話 披瀝──トマ


 毒味係。


 実家にはいなかった。料理を用意してくれる使用人が味を調整する時に、毒味です、と教えてくれたことはあったけれど。毒が入ってるの? と怯えた私に使用人は毒味の意味を教えてくれた。味見のことだけれど、元々は。


 毒が入っていないか、確認する作業のことだと。


「此処の使用人は“地下出身”ばかりですからねぇ。恩はあっても恨みはないので毒なんて入れませんけど、あ、勿論、味見はしてるはずですよぉ」


 トマは私の顔が引き攣っていることには気付いていないのか苦笑して続けた。


「まぁ、自分が作ったものを誰かに出す前に味見したいと思っただけですからなぁ。おれも久しくそんなことはしてなくて──」


 トマは不自然に言葉を切った。ごほん、と咳払いをする。私はそれで知ってしまった気がした。だから少しだけ、踏み込みすぎないように気を付けながら言葉を選ぶ。


「……もう、していないのね?」


 それだけ確認したくて尋ねれば、トマは少し黙った後に頷いた。良かった、と私がホッと胸を撫で下ろせばトマは不思議そうに私を見つめる。何も言わないから私が首を傾げれば、どうして、とトマは問う。


「旦那様もジゼル奥様も、毒味係は要らないと思うんですかねぇ」


 どうしてなんて言われても、と私は困惑したけれど訊かれたからには答えなくては。考えて、でも要らないと思うから、しか自分の中に答えはなくて途方に暮れてしまった。


「必要ないと思うから……としか言えなくてごめんなさい……」


「あぁ、いえいえ、良いんですよぅ。……ジゼル奥様は此処の料理、どう思ってるのか訊いても良いですかねぇ」


 え、と私は目を丸くした。美味しいわ、とそれはすぐに答えられた。それだけだと足りないかと思って、其処からは少し考えて言葉を選んだけれど。


「特にお野菜を使ったものがとっても。結婚式の夜も思ったの。我が家でもお野菜は育てていたんだけど、あんまり上手には育てられなくて。きっと本格的に育てている人から仕入れているんだろうなって思ってるわ。味付けも絶妙だし、毎日感謝してるのよ」


 私が答えるとトマは微笑んだ。嬉しさと痛みを同時に感じているような、複雑な表情だった。


「その野菜、おれが育ててるんですよぉ。流石にそっちはひとりじゃないですけど、ジゼル奥様が気に入ってくれたなら良かったですわぁ」


「え、まさか全部?」


 頷くトマに私は驚いて少し飛び上がった。トマが野菜を育てていることは知っていた。でも樹木やお花のお世話について訊かれることが多かったし彼は庭師だから、野菜は片手間くらいに思っていたのだ。例えば彩りを添えるトマトやラディッシュのピクルス、パセリやセージといったハーブを多少賄っている程度だと思っていたのに。


「凄い! 凄いのね、トマ!」


 私はお花を上手に咲かせることはできたけれど野菜を育てるのは上手くできなかったからトマに賞賛を送り、両手を叩いた。トマは照れた様子ではにかむ。でも素直には喜べないようで、表情は少しだけ暗いように見えた。


「ジゼル奥様は此処の使用人のことを信用してくれるんですなぁ……」


「え?」


 トマがしみじみと言うから、私は手を止めて首を傾げた。トマは逡巡したように口を開いたり閉じたりを何度か繰り返し、ひとつ息を吐くと私を真っ直ぐに見る。おれの話を聞いてくれますかねぇ、と改まって言うから、私も背筋を伸ばして覚悟を決めて頷いた。


 まずは座りますかぁ、とトマが私の頬に緊張が走ったのを見たのか促した。立ったままだった私たちは椅子に腰を下ろし、トマが水差しからミント水を注いだグラスを渡してくれる。それを受け取って、私はトマよりも先に口をつけた。清涼で、美味しかった。


 そんな私を見て、トマは目を細めて笑う。それからその目を伏せて、グラスを見つめながら口を開いた。


「此処へ来る前、おれは大きな農家にいたんですわぁ。野菜を育ててましてねぇ、その時の技術が此処で役立ってるんですわぁ。まさかと思いましたよぉ。恨みに恨んだこの技術が役に立つ日が来るなんてねぇ」


 恨み、と私はトマが口にした単語に体が強張るのを感じた。この温厚なトマから出てくる言葉としては強すぎる気がしたのだ。


「おれは其処の跡取り息子だったんですよぉ。でも、決まりじゃなかった。おれには兄弟がいたんですわぁ。同じ顔した双子の、弟が。二人で毎日野菜を育てて、どっちが上手にできるか親に品評されてましてねぇ」


 トマは小さく笑った。トマは此処にいる。何かがあったことは判っているのに私は緊張してしまって上手く相槌が打てない。けれどトマが気にする様子はなかった。


「実力は弟の方があったんですわぁ、これが。品評はするけど親は別におれたちのことが嫌いなわけじゃないんですよぉ。より良い野菜を作れる方を跡取りにするのは自然なことで、家の存続のためには必要なことですからねぇ。おれにも解ります。でもある日、弟が夕飯の時に吐いたんですわぁ。ジャガイモの芽が少しだけ、弟の皿から出ました。弟はおれが無事だから、使用人に言って食事にジャガイモの芽を入れたんだろうって言うんですよぉ。そして親もそれを、信じた」


 ジャガイモの芽は毒になる。誤って食べないようにと私も聞いて知っている。けれど。


「食べてすぐにそんな症状が出るとは聞いたことがないわ」


 ソルシエールが遺した記録にもジャガイモの芽の毒について触れられていたのを私は思い出す。戦の最中さなか、充分な食糧が手に入らない時にジャガイモは長期保存も効いて重宝したという。けれどひもじさのあまり芽まで食べ、嘔吐した症例が載っていたのだ。けれどそれは摂取後から数時間は経過していた。


 トマも私の指摘に頷く。よくご存知で、と褒められたけれど私も素直には喜べなかった。


「親も知っていたはずなんですけどねぇ。弟の言うことを信じたんですよぉ」


 苦笑するトマの顔を見て私は苦しくなり、目を伏せた。



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