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第33話 先代の庭


「ジゼル奥様にそう言ってもらえると安心しますなぁ」


 朗らかな笑い声と共に向けられたトマの言葉に、私は驚いた。申し訳なく思っていたところにこんな風に言われれば、赦されたような気さえしてしまう。


 トマは少し頬を染めてはにかんでいた。


「ジゼル奥様が育ててるローズマリー、本当に見事ですからねぇ。土からして違う。強くて育てやすいものではありますけど、それにしたってねぇ。元気一杯なのは見れば分かりますからなぁ。そんな世話ができる人に庭を褒められると嬉しいですわぁ」


 嬉しい、と私は口の中で繰り返す。不快にさせていなかったなら良かった、と私の方こそ安心して胸を撫で下ろした。


 この庭は、とトマが言葉を続けるから私は意識をトマへ戻す。


「先代が大切にしていた庭なんですわぁ。子どもたちが地下から出てきて、最初に目にするものだからって。季節感や彩り、見た目の綺麗さから香りまで最初に“外”へ出て感じるものだからって。おれも此処に来てそれを体験したひとりなもんですからなぁ」


「……そう」


 トマ自身もこの庭を大切にしているのは伝わってきて、私は短く返すだけに留めた。トマも“地下出身”だからこそ、事情がある。イヴォンヌやテレーズや、マックスのように。


 知らないことを知るのは楽しい。勿論楽しいばかりではないことも知った。けれど、相手のいることだから。相手の知られたくないところに踏み込んでいるかもしれないことを私は忘れてはいけないのだと思う。


「伯爵もそれを解っているから、おれに庭師をしてみないかって声をかけてくれたんでしょうなぁ。“外”には出られないおれを気遣ってくれたのもあるんでしょうけど、まぁ他にできることもないし、やるだけやってみますわぁって答えたんですよぉ」


「伯爵が……?」


 驚きが素直に出てしまった私にトマは、はいと頷いた。優しい目をしているトマを見て、彼にとって伯爵は悪い印象はない人なのだろうかと思う。あるいはこの穏やかなトマは人を悪く思わない性格なのかもしれない。


「あの人は“外”に行けなくても此処に置いてくれるんですよねぇ。勿論、仕事もくれる。おれはもう此処から追い出されない限りは出ていくつもりもありませんけどねぇ。此処の居心地が良くて、他には何処にも行きたくないんですわぁ。マックスだって色々と“外”には出るけど、診療と称して戻ってくるくらいですからなぁ」


 はっは、とトマは楽しそうに笑う。私は何だか腑に落ちた気がした。此処の使用人は誰も彼も、お日様のように笑う。温かくて、優しい。それがもし、先代の遺したものなら。それを受け取って“地下出身”の皆が明るく朗らかに笑うのだとしたら。


「皆にとって此処がそういう場所ならとっても素敵。きっとこのお庭もそう。少なくとも私にとってはずっといられる場所だなって思ってるわ」


 思っていることを言えば、トマはまたはにかむ。それが嬉しそうに見えた。安心した、とトマは言っていたから、そうであれば良いと思う。この庭が思いやりに溢れているのは見れば判るし歩いても判ることだ。どの植物も手を抜かずに特性に合わせてお世話されていることだって。


「ジゼル奥様にそう思ってもらえるなら、頑張った甲斐もあるってもんですわぁ」


 照れたように言った後、あぁいけない、ミント水でしたねぇ、とトマは思い出した様子で私を改めて向いた。私もすっかり忘れていて、そうだったとハッとした。トマはその場に肥料袋を置くと私を厨房へ連れて行く。


 厨房では使用人たちがいつも忙しそうにしていた。下拵えをし、鍋を洗い、次のメニューを考える。子どもたちの食事の準備も勿論、此処で行っているから朝から晩まで大忙しだ。


 子どもたちのための場所が確保されていて、食材が所狭しと並ぶその片隅にトマが作ったミント水の水差しがいくつも置かれていた。陽の当たらない、ひんやりと涼しい場所だからトマが持ってきた水差しも冷たい。


 厨房で働く皆の邪魔にならないように私たちはそそくさと退散する。トマはグラスも二つ、持って来ていた。


「一晩置いたんで大丈夫とは思いますけど、まずはおれが飲んでみますねぇ」


 中庭のテラスへ出てテーブルセットに水差しやグラスを置いたトマは私にそう言った。ジゼル奥様に下手なもの飲ませられないですからなぁ、とトマは笑う。そんな、と私は慌てて首を振った。


「そんなこと気にしなくて良いのに……っ」


 ミント水の作り方なんて簡単だ。採取したミントを綺麗に洗い、たっぷりの水と一緒に入れて数時間、置くだけ。ミントの清涼な香りが水に移っていつもとは違う水を味わうことができるようになる。リラックスしたり、涼しさを感じたり、ハーブそのものの効果で体にも良い効果があると言われている。入れる物が限られているのに“下手なこと”などあるはずもない。


 慌てて止める私をトマは一瞬、驚いた様子で見た。え、と私も止まる。何か変なことを言っただろうかと急いで振り返るものの、思い当たる節はない。あぁ、とトマは取り繕うように笑った。私が判らずに首を傾げると寂しそうに目を細める。


「いえね、ジゼル奥様は止めるんだなって思ったんですわぁ」


「え、そ、それはその、だってミントとお水だけなのにって思ったから」


 嫌だとかそういうことじゃないのだと弁明すればトマはまた驚いた様子を見せる。少し考えるように私から視線を外し、目を伏せた。


「あぁ、そうか、要らないんでしたねぇ」


 何が要らないのか判らなくて私が首を傾げたらトマは苦笑して教えてくれた。


「毒味係がですよぉ」



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