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第31話 経過観察


「ぶっはははは! テレーズ、お前の“奥様”、やっぱ良いなぁ! これは嬉しいだろ。真っ赤になってるじゃねぇか」


「わ、わ、マックス先生! だってぇ!」


 ランプを持つテレーズが頬を両手で包むから灯りがあちこちに揺れた。マックスは楽しそうに笑っている。その目が私を向いて優しく細められた。説明を途中で止めていた私は首を傾げる。


「そうか、嬢ちゃん、あの坊主に其処まで考えてくれてるわけか。ビルの目は間違ってないな」


 私に、と言うよりもビルに、マックスの想いは向けられているようで私は返答に困った。それを見抜いたようにマックスは私へ向けた言葉に切り替える。


「テレーズの読み聞かせ、良いよな。オレも好きだ。チビどもが夢中になるのも解る。けどあれをあの坊主相手にやるには骨が折れるぞ。テレーズなら反応がなくても最初から最後までやるだろうけどな、あの坊主は多分ずっと反応を見せない。まだ其処まで信用してねぇな。誰のこともだ。嬢ちゃんでさえ」


 え、と私が驚くとマックスは先ほどまで記入していた記録の冊子を私に手渡した。テレーズの持つランプで私は彼の経過を追う。


 ビルがずっと付けている記録だ。私はまだその子を担当している人から許しを得ないと此処の記録を勝手に読むことはできない。先入観を与えたくない、と言うのがマックスの主張だ。フラヴィのように気を付けなければならないことは先に口頭で注意を聞くだけで、どういう理由で奴隷になったのかとか、此処へ来てどういう治療をしているのかとか、そういったことを知ることはできない。


 だからこれは、フラヴィの次に見る記録になる。


 彼だけの記録だから、名前がなくても困ることはないようだ。此処へ来た時の体の様子や怪我の具合、警戒心の強さが最初から記されている。マックスが施した処置、後何度か予定していること、引き摺らずに歩けるようになるかは経過を見てみないと分からないことなどが書かれている。


「あ……」


 ビルの文字だろうか。一緒に他の使用人と入った時の彼の様子が記されていた。私の名前のところに、警戒心の強さに変化があったこと、私がきっかけとなり得ることが書かれていて内心そわそわしてしまった。私が与えられる影響なんて、ほとんどないと思っていたのに。


「些細な違いでしかないかもしれねぇけど、そういうのは案外無視しない方が良い。“いつも通り”の対応にはあの坊主は反応しない。それより右も左も判らないでわたわたしてる嬢ちゃんを一緒にした方が良いんじゃないかっていうのがオレの考えだ。逃げるだけじゃなくて掴みかかってくるんじゃねぇかってビルは心配してるみたいで良い顔されねぇけど」


「え」


 意外なことに私は驚いてしまった。ビルはな、とマックスは私を見て静かに言う。


「ああ見えて嬢ちゃんが怪我とかしないかって心配してる。勿論、嬢ちゃんを傷付ければチビどもも傷付くからそんなことにならないようにオレたちが考えるんだがな。あれでチビを逃がして嬢ちゃんが顔に引っ掻き傷を作ったの、気にしてるんだ」


 言うなよ、とマックスは人差し指を唇の前に立てて悪戯を企む子どものような表情で笑った。ビルの立場で考えれば当然かもしれないけれど、私には意外に思えた。偽装結婚した伯爵の妻が怪我をしたって別に、表面上気にかけるようなことを言うだけで内心では興味がないんじゃないかと思っていたのだ。けれど子どもが傷付くというマックスの説明に、私より子どもの方を心配しているのだと納得する。


 偽装でも伯爵の妻にあたる人物に怪我をさせたとあれば、世間的には重い処罰が下るのが常だろう。此処ではお咎めがなくても、いずれ外に出たら。そうでなくても誰かと関わる時に怪我をさせるような人にはなって欲しくない。誰であっても誰かを傷付けて良いわけではないから。


 散々傷付けられてきた子に教えられることではない気がしたけれど、それをするのが此処で子どもたちの面倒を見る、という意味なのだと思う。悲しい連鎖を生まないためにもきっと。


「その目をいち早く何とかするならそうだな、トマのところに行ったら何とかなるかもしれねぇな。嬢ちゃんにはミントって言った方が伝わるか?」


 は、と私はマックスの顔を見た。マックスは得意気に笑っている。やっぱり知ってたか、と続ける様子は何処か嬉しそうに見えた。


「そろそろトマがミント水を作る時期だ。手っ取り早く熱を取るには打ってつけだろ」


「ありがとう、マックス。行ってみる」


 私が言うや否や部屋を出るのをテレーズが慌てて追いかけて来る。おー、とマックスは笑って手を振っていた。


「あー、チビどもにも持ってきてやってくれ。頼むなー」


 マックスが追加で声をかけてくるのを私は振り返って頷いて受け入れた。マックスはにっこりと笑ってひらひら手を振り、私はまた地上目指して進む。


「ジゼル奥様、ミント水って飲み物じゃないですか。あれを飲んだだけで目が赤くなってるのが引くんですか?」


 テレーズがかける声に、私は口を開いて説明した。


「飲んでも体の調子を整えてくれるものだけど、今回は違うの。テレーズ、お願いを聞いてくれる? コットンを持ってきて欲しいの」


 それを浸して瞼にのせるのだと言えば、そんな使い方を考えたこともなかったらしいテレーズが大きな声で、へー! と感嘆した。



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