第26話 経過
「どうして」
あまりにもはっきりと否定されたものだから、私は思わず言い返すように訊いていた。落ち着けって、とマックスがビルを宥めているのが聞こえる。嬢ちゃんも、とマックスが上を向いて私に話しかけた。
「ビルの話を最後まで聞いてやってくれ。ほらビル、お前も冷静になって黙るな。話し始めたら最後まで言え」
マックスに促され、ビルが少しの沈黙の後にまた口を開く。
「……あなたは、結びついていないだけで既に知っているように、見える」
ビルの言い回しが難しくて私はすぐに答えられなかった。困惑していたらマックスが助け舟を出してくれる。つまりだ、と明るい声を出すマックスはわざと雰囲気を変えようとしているみたいだった。
「嬢ちゃんはもう理解してるってことさ。別に理屈を教えてやる必要もない。少し離れたところにある情報を結びつけてやれば自分で理解する。ビルの話を聞いて、思うところがあったんだろ? 解ったことがあったんだろ? だから他のヤツからも話を訊こうとしてるんだ。其処に込められた話を知りたいと、嬢ちゃんが思うから」
知らないことを知る、を実践してるようで何よりだとマックスは笑った。私は少し恥ずかしくなる。
「テレーズとの違いはな、其処だよ、嬢ちゃん。あいつもあいつで知らないことは知ろうと努力するヤツだけどな、そういう面での子どもとの関わり方はまだ未熟だ。誰かと仲良くなったり好かれたりするのは上手さ。でもそれはあいつが生き残るための、あいつのためだけの技術だ。嫌われても誰かのために何かをする、っていうのはまだ、できない」
──も、もしかして嫌われてるかもとか、お、思っちゃってぇ。
いつかの夜、テレーズが泣きながら零した言葉を思い出す。嫌われるのを怖がった彼女は、もしかしたらずっと前からそうなのだろうか。私に限らず、誰に対しても。だからあんなに上手に、誰かと関わることができるのかもしれない。
物思いに耽る私の耳に、チビどもにとっちゃまだ“お友達”だからな、とマックスの少し寂しそうな声が届いた。悪いことじゃないんだが、と言いながら、でもまだ未熟だと繰り返す。
「テレーズに愛情がないとは思わない。でもまだ、向こう側だ。けど外に出たなら、此処で働くなら子どもたちの世話は条件のひとつだ。いずれはテレーズにもオレたちと同じようになってもらう。……何だよ、ビル。何か言いたそうだな」
別にない、とビルがマックスの向けられた話題から逃げるように答えたけれど、それを許すマックスではない。何だよ、言えよ気になるだろ、とビルに詰め寄っているのが見えるかのようで私は目を瞬いた。
「……お前が言うほど未熟な面は減ってきたと思っただけだ」
観念したのか答えるビルに、へぇ、とマックスは声をあげた。聞かせてくれ、とマックスは益々ビルに詰め寄っているようだ。近い、離れろ、答えるから、とビルが面倒そうに言うのが聞こえる。
「執着が薄いからテレーズは名前も特別なものだという実感が薄い。だがそういう子どもは大抵、自分のもの、という感覚を理解できた後は執着するようになる。彼女の場合はその対象が名前じゃないと思った」
「……なるほど、仕事か」
マックスはピンと来た様子ですぐに答えを導き出せたようだ。そうだ、とビルが肯定する。
「ははーん。嬢ちゃん、此処でもお手柄か」
「え。え?」
マックスの声が上を向いたから私は困惑した。そんなことを言われても何も分からない。はは、と笑い声をあげるマックスがいつものようににっかと笑っているのが目に浮かんだだけだ。
「そうか、仕事か。言われてみれば納得だな。手のかかるチビどもとは違って嬢ちゃんは別にやってやらなくても自分でできる。それはさぞ不安になったことだろうさ。何もしてない、って不安はデカい。元奴隷なら尚更だ」
元奴隷。その言葉に私はまた胸が締め付けられるような思いがした。でも、そうなのだろう。此処で働く人が“地下出身”なら大抵は、元奴隷なのだ。
「嬢ちゃんが来て二ヶ月だったか? チビどもの面倒は見ないで嬢ちゃんにずっと付いてたんだろ? 奥様付きの侍女、なんて凄い仕事だ。“地下出身”のチビには荷が重い。がむしゃらだったろ、テレーズ」
私は私が此処へ来る前のテレーズがどんな様子だったか知ることはできない。だからマックスが問いかけたのはビルになのだろうと思った。ビルがマックスの問いを肯定する。
「んで、オレが来た日が久々の地下訪問だったと。思ったより忘れられてねぇし、嬢ちゃんは来るし、驚いたろうな。自分が与えられた仕事に一生懸命になるあまり、フラヴィの禁句もうっかり口にしたわけだ」
はは、とマックスはまた笑う。未熟も未熟だ、と言いながら。それでもその声は温かい。
「表面上は上手くやれるからな、あの時は焦ったろうよ。でもまぁ、嬢ちゃんのおかげで事なきを得たわけだが」
「私じゃないわ。あなたとビルのおかげよ」
最初に地下施設へ訪れた時のことを言っているのだと思って私はマックスにそう返す。ははは、とマックスは何がおかしいのかまた笑った。そうかー、とマックスは私に答える。
「嬢ちゃん、そう思うのか。ぶっははは、こりゃ、伯爵には勿体ねぇ奥方だなぁ、ビル?」
反応に困るマックスの言葉を、私は気まずい思いをしながら聞いていた。




