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第20話 地下出身


「ありがとう、ビル。色々教えてくれて」


「いや……」


 私は胸に手を当ててビルにお礼を言った。無愛想だけれど、彼も子どもたちのことを真剣に考えていることが分かった。分かりづらいその内側は皆と同じで、マックスはこれを私に教えようとしていたのかとさえ思う。


 苦手だったビルのことを少し、知ることができた。


「あなたの話を聞いて、名前って贈り物なんだと思ったの。あなたの想いがこもった大切な名前なのね。ビルが考えてくれた、ってフラヴィが嬉しそうに言うのも解った気がする」


「……」


 ビルは黙り込んでしまった。でも嫌な沈黙じゃないと思うから私は温かい気持ちのままビルを見る。


「私もあの子にとってそう思ってもらえるような名前を付けてあげられたら、って思ったわ。何か素敵な名前がないか、考えてみるわね」


「……時間はある。あなたが納得して、贈りたいと思う名前が見つかるまで悩んでみると良い」


 ええ、と私は頷く。あなたも悩んだ? と思い切って訊けば、名付けはいつだって悩む、と返された。そうか、と私はほっとする。それなら大いに悩もう。私から贈る、大切なものだから。



* * *



「トマもイヴォンヌも、それにテレーズも。屋敷の皆が“地下出身”だなんて知らなかったわ」


 上へ戻った私が洗濯を手伝いながらイヴォンヌに零せば、あははと笑い飛ばされた。イヴォンヌの明るい太陽みたいにからりとした笑い声は、私のうじうじとした不満も吹き飛ばしていってしまうみたいだ。


 除け者にするつもりはなかったんだよ、と言われて初めて私は自分がそう感じていたことに気付いて赤くなる。


「伯爵がね、わたしらを此処に置いてくれるんですよ。マックスみたいに外へ飛び出せる人ばかりじゃない。此処で自信をつけて、他所へ行きたいとか、行ってみたいとか思うなら挑戦すれば良い。そうじゃないなら此処で屋敷の維持に手を貸してくれると嬉しいってさ」


「あのヴリュメール伯爵が……?」


 私は驚いて目を丸くした。結婚式の夜に見た姿しか知らないから勿論全部を知っているわけじゃないことは重々承知しているけれど、使用人の皆が話してくれる内容と私が持つ印象とは随分とかけ離れているように思うのだ。


 本当は優しくて良い人なのかな、と思う反面、でも偽装結婚するような人なのに、という事実が首をもたげる。それに反論する材料がないから私の中で伯爵はよく分からない人のままだ。一応は夫、なのにも関わらず。


「除け者にするつもりはなかった。でも秘密にはしていたんだから、同じことだね。ごめんなさい」


 イヴォンヌが申し訳なさそうに眉を下げるから私は慌てて良いの、と首を振った。


「気にしてないから。余所者に言えることじゃないのは解ってるし私が行くことで“これまで”が変わってしまうことだって、解るもの。それにヴリュメール伯爵自身が地下に行くことは禁じていたのだし」


 目を伏せて苦笑した私に、イヴォンヌは複雑そうな表情を浮かべた。あ、と私は思う。また失敗したかもしれない。そんな顔をさせたいわけではないのに。


「子どもたちの日常を守りたいとわたしらが思ってるのは事実だけどね、ジゼル奥様」


 テレーズが私をジゼル奥様と呼ぶようになって、イヴォンヌもトマもそう呼んでくれるようになった。その二人を皮切りに、他の使用人も。ビルはまだ、そんな風には呼ばないけど。マックスもずっと私を嬢ちゃんと呼ぶけれど。


 イヴォンヌに真っ直ぐ見つめられ、私は目を瞠る。やっぱり失敗したのだと思った。


「ジゼル奥様のことを余所者だなんて思ってる奴はこの屋敷にはいないよ」


「え」


 思いがけない言葉に私は息を呑んだ。


「旦那様だって子どもたちの世話することを許したんでしょう。それなら胸を張って立った方が良い。子どもたちが見てる」


「!」


 偉そうじゃない奥様像も良いけど、とイヴォンヌは笑った。それとこれとは別だと。


「で、でも、伯爵には直接許可をもらえていないわ。ビルが……」


「ビルが良いって言うなら良いんですよ。ジゼル奥様はビルの目を盗んで逃げ出した子どもを捕まえたらしいじゃないか。お手柄だよ」


 私は目を伏せた。その子どもの名付けをマックスから任されたことを私はイヴォンヌに打ち明ける。そうかい、とイヴォンヌは穏やかな声で返した。


「ビルが教えてくれたの、フラヴィの名前を付けた時のこと。私、とっても素敵だって思った。名前って贈り物なんだって気付いたのよ。私からあの子にどんな名前を贈ってあげられるだろうって考えて、でも何も浮かばなくて……」


「体を動かそうって思ったってわけかい」


 イヴォンヌにはお見通しらしく、言い当てられて私は素直に頷いた。テレーズがまた心配するよ、と笑いながらもイヴォンヌはいつも私が洗濯の手伝いを申し出ると受け入れてくれる。今日もそうだった。


「ジゼル奥様、ビルの話を聞いて『素敵だと思った』んでしょう。自分でも名前が贈り物だと思うから、良い名前を贈ってあげたいんだ」


「……そう、そうなの」


 目を上げた私をイヴォンヌは声と同じ穏やかに目を細めて見ていた。その目と自分の目が合って、私は自分の目を思い出す。思わず伏せればイヴォンヌが、それなら、と息を吐くように言った。


「あの子にどうなって欲しいか、考えてみたら良いんじゃないですか。ジゼル奥様の願いを受けてあの子は生まれ変わる。育ち直す、とマックスは言ってたかな」


 育ち直す、と私は繰り返す。そうさ、とイヴォンヌは頷いた。


「わたしら“地下出身”はみんなそう。手助けを受けながら自分で育って来た。選択肢のない世界から、多少の選択が許されるようになってわたしらは選んだんですよ。自分の育ちたいようにね」


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