表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/66

第19話 ビルが込めたもの


「そうだ」


 ビルのくるくるとした髪の毛の奥で、彼がどんな表情を目に浮かべているのか私が窺い知ることはできない。彼はフラヴィのことを知った時、どう思ったのだろう。何を考えて、何を感じて。


「……何故、フラヴィと名前を?」


 だから訊くしかない。教えてもらうしか私がそれを知ることはできない。


 ビルは私から視線を外した様子で少しだけ俯く。テーブルに置いた腕の先で人差し指が、とん、と叩いた。


「あの子の笑う顔を見た時」


 ぼそり、とビルが口を開く。私は黙って続きを待った。


「なんて眩しい笑顔かと、思った」


 奴隷らしからぬ笑顔を不思議に思ったとビルは言う。マックスのような性格かと思えば違う、と続けながら。指はそのまま、とん、とん、とテーブルをゆっくりとした一定のリズムで叩き続けている。


「腕も満足に上げられない子どもが、まるで大切にされてきた子どものように笑うんだ。それを教え込んだのも、腕を痛めつけたのも、同じ人間なのにだ。笑いながら、その実何処にも心はない。頭を撫でようと少し上げた手に怯えた色を見せる。その相反する矛盾さが、歪に変えられたあの子の人生が、俺は気持ち悪い」


 気持ち悪い、という言葉は強くて棘があって、たじろいでしまうものだった。どうしてビルがそんな言葉を選んだか分からない。嫌悪だろうか。それとも憎悪。それは、誰に対しての。


「あの子がいずれ成長し、自分がされてきたことの意味を理解した時どう感じると思う。自分が取ってきた手段を、どう考えると思う」


 ビルの目が再び私を向いたようだった。彼の目は相変わらず見えないけれど、私は真っ直ぐに問われたその答えを持たない。考えたこともなかった。ビルの指が止まる。


「──気持ち悪い、とあの子も思う日がいつかきっと来る」


「……」


 胸が締め付けられる思いがした。今は解らないことも大人になれば解るようになる。成長して、その意味を知った時。自分がされてきたことがどれほど理不尽で、身勝手で、非道なことだったかを知ったら。


 ──魔女。


 外の人が私を蔑んだあの視線。幼いながらに解った痛み。嫌われているという足が竦む感覚。それの打開策はなかった。でも私には、両親がいた。いつも逃げ帰れば良かった。でも、フラヴィには。此処にいる、子どもたちには。


 行くところもなく、避難する先もなく、ただ其処に留まり続けるしかなくて。それでも生きるために身に付けた方法があの子たちにはあるのだろう。フラヴィには、あの、笑顔が。


 でもそれが本来は与えられなくて良かった痛みだと知ったら。身に付けなくて良かった方法だと気付いたら。自分を大切にしてもらえなかったことを、理解したら。


 自分の人生に意味があるのかと思ってしまう気がした。同時に、そんな自分に否定的な感情を抱くことも、理解できる気がした。守られた私だってそうなのだ。此処へ来てようやく安心で、安全な場所を手に入れたあの子たちは。


「加えて、此処に来れば治療がある。大抵は痛くてつらい治療だ。マックスは確かに有能で天才と呼んでも良い手腕をしているが、それだって負担がないわけじゃない。あの子の腕は治療する必要があった。まだ幼く、体の成長と治癒能力に期待した、外ではとても治療とは呼べない代物だ」


 ビルが続けた言葉に私は目を伏せた。フラヴィの記録は続いていた。マックスが行った処置の数々。歪んだ骨を戻すために強制的に折り、その治癒の際に骨を正常に戻す荒療治だ。フラヴィは何度もその治療に耐えてきた。先日巻いていた包帯はズレを少なくするための処置だ。少し期間を置いてまた行われる予定が記載されている。


「痛い思いをして、体は治ったとして。あの子が進む先は長い。これから進むよりもずっと短い時間であの子は理解する。過去の数年が及ぼす今後の数十年の影響を、どれだけ軽減させてやれる」


 その時、支えになるもの。それが名前だとビルは静かに言った。私は伏せていた目を上げる。ビルは相変わらず唇を真一文字に引き結んでいて表情は分かりづらいけれど、声には、切望が滲んでいる気がした。


「元々の名は判らない。酷い目に遭っていた時の名は捨てて良い。これから先、あの子と共に人生を歩む名前だ。明るいものが良い。輝かしいものが良い。気持ちの悪い時間もあの子の人生だ。それも含めてあの子が、未来を信じて進めるようなものが良い」


 私は目を見開いた。ビルが、そんな風に彼女の名前を考えていたなんて思いもしなかった。表面には分かりづらいけれど、彼も子どもたちのことを真剣に考えている人なのだ。


 知らないことを知るのは楽しい。マックスの言葉が耳の奥で蘇った気がした。子どもたちのことを知るのは楽しいことばかりではないけれど、それでもその子たちのために真剣に取り組んでいる大人がいると知ることができたのは。


「だから、金色フラヴィと呼ぶことにした。いつかあの子が自分自身で自分の人生を輝かしいものだと捉えられるように、生きてくれたら良いと思う」


 温かな想いが胸に広がったように感じた。ビルの願いは彼女に伝わっているだろうか。今はまだ、解らなくても。


 どうか、と私は心の中で願った。


 彼女の歩んできた道を憂い、慈しみ、それでもその先を歩く強さを愛おしんだが故に贈られるその名前と共に、彼女が彼女自身を抱き締められますように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ