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第12話 怯えの払拭


 ごめんなさい、と色を失っていくフラヴィの顔色を見て私は慌てた。大丈夫、と精一杯に優しく微笑むけれどフラヴィは私を見ていない。


「大丈夫、大丈夫よ、フラヴィ。何も心配要らないわ」


 どうして良いか分からず、私は大丈夫と繰り返す。誰も助けてくれる気配はなかった。きっとこれは、私が何とかしないといけないことなのだろう。


「私のこと、そうね、ジゼルお姉さんって呼んでくれたら嬉しいわ。私、兄弟がいないからそんな風に呼んでもらえたことがないの。ね、奥様よりよっぽど素敵だと思うわ。お願い、フラヴィ」


 何処かの夫人から酷い目に遭わされたのだろうか。そう邪推してしまうほどフラヴィは怯えていた。奥方とビルが紹介したのはそういった事情を慮ったのかもしれない。


 私は彼女の会った夫人とは違う。奥様と呼ばれることも未だに慣れないし、魔女とは呼ばれても何かできるわけでもないし、そんなに恐ろしい存在ではない、と思う。騙していることになるのかもしれない。でも、向けてもらった無垢な目を、純真な眼差しを、失いたくなかった。これは私の気持ちだ。私だけの。フラヴィには関係のない、私の傷を埋めるための。


 そう解りながら、私は手を伸ばす。


「ねぇ、呼んでほしいわ。ジゼルお姉さんって」


 もしかしたら、こんな傷の埋め方を教えてはいけないのかもしれない。彼女の傷を違う夫人の姿を見せることで塗り替えようとするなんて。その穴に嵌まらない私の姿を押し込めようとするなんて。


 でも、分からないのだ。私にも、まだ。どうするのが正しいかなんて分からない。できるのはただ、もらったものを見様見真似で返すことだけ。多くの人から蔑んだ目を向けられ俯いた私を、温かく迎え入れてくれた此処の皆のように。


 私も、なれたら。


「い、良いの……?」


 フラヴィの目が不安そうに揺れる。勿論、と私は微笑んで頷いた。フラヴィがそう言ってくれた時のことを意識して。


「ジゼルお姉さん……」


「ええ、フラヴィ。お話の途中だったわね。何を言おうとしていたの? 色んなお仕事を覚えられるように勉強もさせてくれる、の次に」


 見えないながらに伸ばした手をフラヴィが拒まなかったことは分かったから、私は安堵しながら続きを促した。彼女の不安そうな表情はそのままだけれど、萎縮する様子は鳴りを潜めている。話してくれるだろうか、と私も不安に思いながら微笑んで待った。


「ジゼルお姉さんは……字が読める……? 絵本を読んで欲しかったの……」


 窺うように向けられた目は私からちらりと移動する。ちら、ちら、と瞬間的に向けられるその視線の先にいる人物も気まずそうにしていた。お互いに気にしているようであることが感じ取れる。禍根を残したくはない。でもどうすれば良いのか分からない。


「おーおー、そりゃジゼルお姉さんは字が読めるだろうさ」


 私たちの様子を見ていたらしいマックスが話に入ってくる。奥のベッドに処置を終えたばかりの子どもを寝かせて戻ってきたところだ。仕切りがされていて、その奥は覗き込むのも許されないようだ。年長の子どもたちが仕切りの周りを囲むようにして立ち、覗き込もうとする幼い子どもたちを別の遊びに誘って上手に追い返している。さながら優しい門番だった。


「けどジゼルお姉さんは絵本を読んだことがあるか? 兄弟いないんだろ?」


「え、あ、そ、そうね」


 幼い頃に母が読み聞かせをしてくれたことはあるけれど、私が誰かに読み聞かせをしたことは一度もない。マックスの話し振りからただ読むだけではダメなのかと思って私は途方に暮れた。


「なぁビル、この中で一番絵本を読むのが上手いのは誰だ?」


「……テレーズだろうな」


 ビルの答えに全員の目が一斉にテレーズへ向いて、驚いた表情を浮かべたのはテレーズ本人だった。視界の隅でマックスが親指を自分自身の後ろに向けて動かすのが見えて、私はマックスを見た。マックスは私を見ている。部屋の誰も私たちを見ていない。


 何かしろ、ということなのだろうけれど、一体それが何を示しているのか分からなくて私は取り敢えずで口を開いた。


「テレーズ、お願いしても良い?」


 よし、とばかりにマックスが拳を握ったからこの行動で合っていたようだ。テレーズは驚いた表情のまま私を見た。目がまんまるになっている。


「テレーズがですか?」


 本を読んで欲しいと言われたのはテレーズではないのに、とばかりに彼女は表情を曇らせた。何か言わなければと思うのに、相変わらずどうして良いか分からない。まごつく私に助け舟を出してくれたのは意外な人物だった。


「マックスは勝手に話を盛って違う話にする、俺は無愛想、彼女は……」


「ジゼルお姉さん」


 マックスが茶化すでもなく、至極大真面目な様子で訂正するものだから私は違和感を抱くのが一瞬遅れた。


「……“ジゼルお姉さん”は絵本を誰かに読んだことがない。それならテレーズ、適任は君だ」


 ビルがにこりともせずに言い放った。喋っていた口がまた真一文字に結ばれる。静かで、命令ではないのに圧力があって誰かを従わせるに充分な声。若く見えるけれど家令として長くこの家に在るのだろうと感じた。


 テレーズはそれに怯えるでもなく渋々でもなく、受け入れているように見えた。自分で良いのだろうか、と、それだけが気になっているように見えたから、私は勇気を振り絞って口を開く。


「テレーズは私の先生なの。絵本の読み聞かせのことも教えて欲しいわ」


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