ラグーの町
ウィルの馬車に揺られて一時間ほど経って、やっとラグーの町に到着した。
町に入るための入管税は一人頭小銀貨三枚。小銀貨が十枚で大銀貨。大銀貨が十枚で金貨一枚の額になる。この世界の貨幣知識はハンスに教えてもらった。あの橋で足止めを食らって、余計な出費をしたウィル一家の分も三十郎が払った。三十郎の所持金は金貨一枚と大銀貨八枚、小銀貨八枚となった。ウィルから貰った金を少し返そうと金貨を渡そうとしたが、ウィルは頑なに固辞し、結局三十郎が持つ事になった。ウィル一家は乗って来た馬車と馬五頭を売った資金で、この町で雑貨屋をすると言っていた。
町に入ったあたりから人通りが多くなった。ハンスから道中教えてもらった亜人や獣人の姿もチラホラと見かけられる。見た目の顔立ちは人間そっくりなのに、獣の耳と尻尾を持つ亜人。人間の様に二足歩行で会話もしてるが、顔は犬や猫、果てはそのまんまトカゲの頭をした獣人もいる。改めて三十郎は、この世界は日ノ本と違うのだと言うことを思い知る。やがて町の真ん中辺りまで来ると、それぞれに向かう方向が違うので、その場で別れる事にした。
「じゃあ旦那。お達者で。いつか店を訪ねて下せぇ」ウィル親子が別れの手を振る。「あばよ! またな」と言葉を交わし、三十郎は一先ずギルドなる組織の建物を目指す。その建物は町の広場の目立つ所に建っていてすぐに見つかった。
「旅をするのなら冒険者ギルドに登録した方が何かと便利」とハンスから聞いていた三十郎は、この町に着いたら真っ先に登録しようと決めていた。ココタの村で登録出来ていれば、この町に入る税も免除されていたのだから。
観音開きのギルドのドアを開ける三十郎。と、それまで賑わっていたロビー内は急に静かになる。黒髪に黒い目、着物に袴、腰に見慣れない武具を携えた三十郎に一斉に注目が集まり、それまでの談笑が止まってしまったのだ。
そんな事には慣れっこの三十郎、そのままツカツカとカウンターの前に行き、犬っぽい耳をした受付嬢に「冒険者登録をしたい」と申し出る。
「あ…、はいっ…」と受付嬢は面食らった表情で返事をする。「あの…、登録料が小銀貨五枚になりますが……」嬢の態度がよそよそしい。俺は何かおかしな事を言ったのだろうか? と考える三十郎。その思いを遮るように、後ろから数名の、明らかに嘲るような笑い声が聞こえてきた。
「ぎゃははははっ! オッサンが冒険者登録だってよっ!」
「一体幾つなんだよ? あのオッサン。もしかしたら俺の親父の歳とかわんねぇぞ!」
「もう一度ひと花咲かせましょうってか? ぎゃははははっ!!」
この世界をまだよく知らない三十郎。自分の行為が非常識なモノなのかと疑問に思い、受付嬢にそっと聞いてみる。
「お嬢ちゃん、俺ぁそろそろ四十になる歳だが、この歳で冒険者登録するってのはそんなにヘンな事なのかい…?」
「ま…まぁ…、そのお歳で冒険者になろうとする人は……、かなり稀かも…で…」
答え難そうに言いながら書類を渡し、「必要事項を書いて下さい」と事務手続きを続ける受付嬢。
「そうか…」と一言呟き、渡された必要書類に記入する三十郎。女神の恩恵でこの世界の読み書きには不自由しない。
「おいっ! オッサンッ!!」いきなり肩を掴まれ振り向かされる三十郎。酒臭い息を吐く亜人の若い男だった。
「ああ…? 今忙しいんだ。用事なら後にしろぃ」と言って相手にしない。
「オッサン幾つだよ?」無遠慮に聞いてくる若造。書類に必要事項を記入するため背中を向けて「もうすぐ四十だ」とぶっきら棒に答える三十郎。
「四十? マジかよ!? その歳で冒険者になっても明日には死ぬだろ」
あからさまに馬鹿にしたその物言いに対し、三十郎は。
「俺がいつ死ぬかは知らんが、お前ぇみてぇに粋がったガキが調子に乗った挙句、泣きながら死んで行く様は何度も見てきたよ」
書類を書き終え、振り向き様に嘲笑いながら言い放つ。
「ンだとゴラァっ!!!」
三十郎の挑発に殴りかかってきた若い亜人をあっさりとかわし、その腕を取る三十郎。
「ぐうあああぁぁぁっっ!! は…離せぇっ!!」右手を捩じり上げられ、悲鳴を上げる亜人の若造。
「ギルド内での暴力沙汰は止めてくださいっ!」と受付嬢が言うが。
「嬢ちゃんも見てたろ? 俺からは手ぇ出してねぇのを」と返す三十郎。
「てめえっ!!」腕を捩じられてるヤツの連れだろう。もう一人が剣に手を掛けて抜こうとする。それを三十郎は左手で柄を押さえ、抜けないように制する。同時に最初の相手の腕を思いっきり捻り上げて使えなくする。ボギッと骨が鳴る音と共に「ぎゃあああっ」と悲鳴を上げて倒れてのたうつ。そして空いた右手で刀の鞘を握り、剣を抜こうとした小僧の鳩尾に思いっきり刀の柄を叩き込んだ。
「うげええぇぇぇっ!」と叫んで倒れながら嘔吐する小僧。
「きったねぇなっ! ちゃんと後で手前ぇで掃除しろよ?」瞬く間に二人を戦闘不能にした三十郎が顔を上げると、その二人の連れである三人目が剣を構えていた。
「……抜いたのか…。抜いちまったら、後はもう命のやり取りしか残ってねぇな」
「………っ!!」よく見ると構えた剣が震えている。
「俺と斬り合うか? 斬られると痛ぇぞぉ……」三十郎は左手で鯉口を切るが、まだ刀は抜かない。
「何の騒ぎだっ!!」二階からのいかつい男の怒鳴り声が辺りに響く。安十郎はその言葉を合図の様に刀を抜き、相手の剣を根本から斬り飛ばす。そして返す刀で刃を相手の首に突きつけた。「ひいいぃぃっ」と恐怖の悲鳴を上げる小僧。
「…俺がこの腕を薙げば、お前ぇの首は地べたに転がるぞ? さぁ、続けるか?」
ギラリと光る殺意の目で睨む三十郎。怒鳴った男もその光景を見て黙り込む。
「ぐううっ…うっ…うっ……」死に対しての恐怖を感じ、涙目になりながら嗚咽し、更には失禁している。
すっと刀を首から外し、へたり込む若造に「手前ぇで掃除しろよ」と一言告げて刀を仕舞う三十郎。そして受付嬢の所へ戻る。もう誰も野次を飛ばす者は居なく、ギルド内は静まり返っていた。
「で、次は何をすればいいんだ?」と問いかけられた受付嬢は「は…、はひっ…」と答えながら、現実に戻されたかの様に慌てて次の手続きを準備するが……。
「一体何があった?」と、二階から降りてきた男が問いかける。その剣幕に委縮する受付嬢。
「お前さんは?」手続きの手を止め、男に尋ねる三十郎。
「俺はこのギルドの責任者で、ヘンリクセンだっ! お前は何者だ?」
「俺ぁただの流れ者さ。この騒ぎは後ろの小僧共が俺の登録を邪魔した結果だよ」
チラリと受付嬢を見るヘンリクセン。受付嬢は黙って頷く。三十郎は何事もなかったかの様に「次は?」と受付嬢に尋ねる。
「…で、…ではこの書類に…、貴方の血を一滴垂らしてください…。それで冒険者登録は終了です……」
受付嬢はそう言いながら小さな針を震えながら三十郎はに渡す。三十郎は人差し指の先を針で突いて一滴の血を垂らす。書類が変化して、一枚のカードが出来上がった。
「…最終確認をします…」出来上がったカードを卓上の魔道具に掛ける。細かな情報がウィンドウで表示される魔道具である。それを覗き込んでヘンリクセン。目の色を変える。受付嬢は両手で口を隠し息を呑む。信じられないものを見た様な驚きの表情だった。そして「なんだこれは…」と独り言のように呟くヘンリクセン。
「まだ何か問題でもあるのか?」と尋ねる三十郎。ヘンリクセンは「ちょっと部屋まで来てくれ」と言う。「まだ何かあるのか?」と訝りながらヘンリクセンの後に着いていく三十郎。
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「お前さん、一体何者なんだ?」部屋に入って二人きりになるなり、ヘンリクセンが深刻な声でそう訊いてくる。
「只の旅の流れ者さ。いくらりゅーん? だっけか? こっちに着いたのはほんの一週間くらい前だがな。それより、さっきの登録に何か問題があったのか?」
「俺は…、もう十五年ここのギルドマスターをやってるが…、あんな出鱈目なステータスは見た事がねぇ…」震えながら言うヘンリクセン。
「へぇ、そうなのか…」興味なさそうに返す三十郎。
「魔法こそ使えないものの、それを補って余りある強さがある。お前さんは等級こそ最低級のFだが、実力で言えば最高位のすぐ下のSSに匹敵するだろうっ!」
「へぇ、そうかい。けど俺はそんなのには興味ないんでね」
「…なっ……!!」事も無げに言い切る三十郎に絶句するヘンリクセン。
「登録したのは町の出入りに便利だと聞いたからさ。それ以上の理由はねぇんだ。それに、一っ所に縛られるのは性に合わないんでね」
「と…、等級が上がれば報酬も良くなるんだぞ?」
「生憎と金には興味ないんでね。手前ぇ一人の食い扶持を稼げりゃあ十分さ」
「…‥‥…」三十郎を説得する言葉を探すヘンリクセン。だがその材量がみつからない。
「今下で作らせてるぎるどかーとってのがありゃあ、何処の場所でもめんどくせぇ手続きなく、すぐに入れるんだろ? 俺の目的はそれだけで……」
「そいつぁちょいと事情が違う!」突破口を見つけたヘンリクセン。
「他の町や都市に自由に行き来できるのはC級以上だ。最下級のFのお前じゃ、この町以外だと、カードありでも同じ手続きをしなくちゃならん」
「……しー級になる条件ってのは何でぃ?」
「このギルドに寄せられる依頼をこなして実績を積む事だな」ニヤリとしながらヘンリクセン。