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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ガッゴイサン

作者: 竜胆

こちらは、原初の地という作品のスピンオフです。

ご注意ください。


 これは、地球と似ているようで似ていない剣と魔法のファンタジー世界のある男の話である。


 そんな世界のとある街に、ガッゴイと言う大柄な男がいた。

 赤い髪に、鋭く吊り上がった眉、ごつごつとした顔だち。

 彼の見た目は酷く厳つく、子どもが一目見れば、号泣するレベルだった。

 

 彼の母はそんなガッゴイを心配し、ただ誠実に、見た目を覆せるほどに真剣に生きることを教えて来た。 

 だからこそ彼は母の死後、真面目に、そして誠実に生きることを誓ったのだった。


 そうして彼は、見知った人物たちからの信頼を獲得し、なんとかこの生きにくい世界でも生きて来た。


 ガラの悪い連中なんかは、何故か自分のことをアニキと呼んでくるが。まぁ、彼らも見た目が悪いだけで、中身は気持ちのいい奴らだから好きにさせている。


 幸い、探索者ギルドの職員という信用のある職にも就くことが出来た。


 とにかく真面目に、とにかく誠実に。

 自分の見た目で判断されないよう、必死になって働いた。


 それでも、やはり人間は見た目というもの重視するものらしい。


 それは、探索者ギルドでのトラブルの処理を行った後、最近この街へ来た上司への報告へ行った時の事だった。


「以上が、事の顛末です。カーチス達がいかにこのギルドに貢献していようとも度重なる素行の悪さには目をつぶれません。こいつらは降格の処分が妥当かと」

「真逆の報告……か。彼らは君が必要な情報を渡さずワザと依頼を失敗させたと言っているぞ」


 やはりか。

 怒りよりも、呆れが先に来た。


 何が必要な情報を渡さずだ。情報の開示中に「糞ダリー話なんてしてんじゃねーよ」なんて笑いながらコップの水をかけて来たのはお前らだろうに。それに、失敗後の処理の悪さのお陰で、小さな子供が一人死んでるんだ。


 彼らは自身を、ギルドが守らざるを得ないほどの貢献をしていると勘違いしているのだから、出鱈目な証言で逃げ切ろうとすることは想定の範囲内だ。そのために証拠もしっかりと押さえてある。


 男は、証拠となる書類を机の上に提出すると、にやにやと笑うカーチス達を睨みつけた。


 上司が、その書類をパラパラとめくる。


 どうだ、これでお前たちの悪行もこれまでだ。そう心の中で突き付けた。


 だが――


「……ふぅ、分かった。なぁ、ガッゴイ。マグリットの街に行ってみないか? 君ならあそこでもうまくやれるだろ」

「な……!」 


 度々彼らの素行の悪さを指摘して来た自分は、彼らに相当恨まれているのを自覚している。恐らくガッゴイの上司であるこの男にも、あることない事吹き込んだのだろう。


 加えて、自分のことをガラの悪い連中とつるんでいるからと、毎度忠告をして来ていたのがこの上司だ。


 どうやらこの無能な上司は、証拠よりもガッゴイの外見や印象の悪さ、自分の見た事だけを重要視したらしい。


 結局、見た目か。


 どんなに真面目でも、服装を正しても、この目つき顔つきは変えられない。人となりを知ってもらえなければご覧のとおりだ。大人しい顔つきのカーチスの方が、裏で何をやっていたって信用されてしまう。


 カーチス達の、見下すような下卑た笑いが嫌に印象的だった。


 マグリットの街は、此処から遠く離れた辺境の街だ。

 それが左遷だと理解するのに、苦労はしなかった。







 辺境の地、エルスバルド。


 枯れ果てた大地という意味の古代語が付けられたその場所を、一台の幌馬車(ほろばしゃ)がゆっくりと移動していた。

 辺りはその名の通り荒れ果て、岩と砂、そして気持ちばかりの草が斑に生えた光景が続いている。


 馬車のスピードが遅い原因は、一目瞭然。

 舗装もされていない、雨で穴ぼこだらけになった道だ。

 それらは、容赦なく荷車を揺らし中に居た人物を苦しめた。


「すみませんね旦那。ここいらは魔素が薄いせいで馬たちもすぐにへばっちまうし、道の補修もままならないんでさ」

「……かまわん」

 

 フードを被った大柄な男が一人、荷物の間に陣取り御者の声に反応した。

 激しい揺れはすでに何度も吐いたことで慣れてきたが、尻の痛みだけはどうにかならないものかと考え、寝るしかないと諦める。


 そんな旅も、もうすぐ終わりだ。

 目的地に到着するまであと二週間程の行程を我慢すればいいだけのこと。これまでの商隊を乗り継いできた数か月の旅路を思い返せば訳はない。

 これで、やっとアイツ(・・・)とも離れられる。


 そう思った矢先だ。


「ちょっと良いですか?」

「どうした? ……ふむ――」


 警護に付いていた探索者が、御者の男に何か耳打ちした。

 どうやら、何か報告に来たらしい。

 その隙をついて、別の男が荷台に顔を突っ込んできたのだった。


「よぉー、ガッゴイ」


 男の軽薄そうな顔をみて、ガッゴイの顔が歪む。


「こんな客席でいいご身分だなぁオイ。何で俺が警護でお前が客人なんだ? またギルド職員の立場でも利用して金稼いだのかぁ? ぎゃはは」

「こら、カーチス! 客人に勝手に声をかけるな!」


 御者の商人が咎めるが、カーチスは気にした様子もなく喋り続ける。

 一体どの面下げて話しかけてくるのか。おそらく警護の仕事をさぼりたいがだけの考え無しの行動なのだろう。


「カーチス!」

「んだよぉ。同郷のよしみって奴だからいいじゃねぇか。こいつとは仲良かったんだぜ。なぁ?」


 ガッゴイは拳に力が入るのを感じながら、無言を貫き通した。


「おい、カーチス!」

「……んだよ、返事位しろよ。おーい、き・こ・え・て・ま・す・か?」

「……」

「いい加減にしろ!!」

「……ッチ。はいはい、わかりましたよ。じゃぁーな」


 ドンッと不機嫌そうに荷台を蹴飛ばしながら、カーチスは顔をひっこめた。勤務態度は、相変わらずのようだ。


 やっと離れられると思った傍からこれだ。


 何の因果か、いくつもの商隊を渡り歩いた先で警護についていたのが、偶然依頼を受けていたカーチスだった。

 遠く離れたこの地で、こんな嫌な偶然があるもんだろうか。


「はぁ、どうしてもなんて言われたからって雇ったのは失敗だったかね。それで、警戒の方は――」


 御者の声が聞こえ視線をやると、どうやら他の警護に当たっていた探索者から様子がおかしいとの報告を受けたらしい。


 御者の男が薄く寂しくなった頭皮をポリポリと掻きながら「まいったな」と呟いた。


 ここら辺の魔素が薄い場所でのトラブルなら十中八九、ゴブリンなど堕族の襲撃か、野党などの人間による仕業だ。野党ならばそうそう魂口を持っていないためそこまで苦労することは無いだろう。


 そんなことを考え、ガッゴイは邪魔にならないようしっかりと荷物の間に自らの体を固定した。逃走を選び、いつ走り出すともしれないからだ。


「……なんだ?」


 だが、予想は大きく外れることになる。


 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ


 突如として、聞きなれない重低音が周囲に響いた。

 それが地鳴りの音だと気づいたときには、既に馬車は大きく揺れ――


「うわあああああ!?」

「くそっ! 魔割れだ! 落ちるなよ!」

「馬車が嵌ってるぞ!! 戻れ!」

「ダメだ! 間に合わない!!」


 悲鳴と共に、ガッゴイの体は浮遊感に襲われた。

 焦りながらも、荷物が自分と共に宙を舞ったのまでは確認できたが、なすすべもなくそれらに頭をぶつけた男の意識は沈黙したのだった。




「う……」


 彼が目を覚ました時、周囲からは濃い血の匂いが漂っていた。

 一瞬遅れて、自分の脚が荷物に挟まれていることに気付くと、何とか荷物を押しやり痛む足を引きずりながら馬車から這い出す。


「な……これは……」


 そこには、絶望的な光景が広がっていた。

 崩れた岩が辺り一面に転がり、御者と馬は岩に挟まれ死んでいる。周囲は薄暗く、上から差し込む光だけが頼りだった。


 地割れによってできた谷底だろうか。

 切り立った絶壁に囲まれた広場に居るらしい。


 地中にたまった魔素が地面を突き破り、泡のように地表に現れるこの現象を人々は魔割れと呼んでいる。居合わせたのは初めてだが、まさかこんな落ち方をするとはツイてない。


 周囲には、無事だったらしいが一緒に落ちた探索者達5人が辺りを警戒してうろついていた。


「なんだぁガッゴイ。てめー無事だったのか」

「カーチス……。あぁ……。やはり魔割れか?」


 どうやら、こいつも逃げ切れずに巻き込まれたらしい。


「残念ながらスカみたいだけどな。っち。依頼主は死んじまうし、とんだ貧乏くじだぜ」


 彼は唾を吐き不服そうに、抜身の剣を振ると鞘へと仕舞った。


 魔割れは大抵、その濃厚な魔素に見合ったモンスターが住み着き巣を作っている。鉄クラスの彼らならそのモンスターが出てくれた方が実入りがよかったのだろう。


 戦えないガッゴイにしてみれば、それらが居ない魔素のみの穴(スカ)であることを幸運に思う以外には無かったが。


「……ふぅ」


 ガッゴイは何とか無事にやり過ごせそうだと一息つくと、腰にぶら下げていた骨のような物を確認する。


 これは、『魔素計』と呼ばれる周囲の魔素濃度を測る計測器だ。骨の中に透明の管が入っており、まるで温度計のように数字を確認することが出来た。


 ギルドの職員として、一応この魔割れの情報を把握しとかなくてはならない。後でギルドに着いたときに情報を求められるだろう。

 

 これらの魔割れで出来た穴の資源は、一時的とはいえ魔素をふんだんに含み、街を潤してくれるためだ。

 

(とはいえ、何も資源になる物はなさそうだけどな。どれ、魔素濃度は……なんだ? 上昇が止まらない)


 見る見るうちに、魔素計の数字が上がっていくのにガッゴイは焦りを覚えた。


(……6……7!? そんな馬鹿な!! こんな辺境の魔割れで出るような数字じゃないぞ!? まさか、ここは魔割れじゃなく【魔獣の寝床】か?)


 時折、モンスターの中に体内包括魔素が濃すぎて、周囲に魔素をまき散らす個体が存在する。彼らはその魔素で自らの周囲をコーティングし、魔素の薄い場所での活動を可能としていた。


 魔割れに似た症状を起こすこともあり、それらを探索者ギルドでは魔獣の寝床と呼んでいるのだった。


 その脅威度は、まさに災害クラス。

 魔素計を確認したガッゴイが、慌てて叫ぶ。


「おーい、ガッゴイ。そろそろ上へ登るぞ」

「気を付けろ! これは唯の魔割れじゃない!!」

「あん? 何をビビってるんだ? こんな何もない――ギェ」


 確か、ダスターと呼ばれていた男だったはずだ。

 彼の胸に刺さっていたのは、人の腕ほどの太さの長い棒状の物だった。先を辿ると、黒光りするそれは折れ曲がりながら地面から飛び出している。

 隣に居た剣士が、何が起こったのかわからずに呆けていた。

 

「――え? ダ……ダスター……?」


 一瞬の静寂。

 

 そしてそれは起こった。

 真上からの太陽の光に照らされた砂地の地面が、大きく盛り上がり爆発したのだ。


 砂埃に目を細め、そこに現れた存在を確認したガッゴイは、言葉に詰まる。


――ギチュ……。


 砂煙の中から現れたのは、自身の身長をはるかに超える巨大な蜘蛛だった。


「グ……偉大なる地喰母(グランドイーター)だと!?」

「は? え?」

「な、なんだこの化け物は!?」


 全長6メートルはあろうかという巨体。そして女郎蜘蛛のような生理的嫌悪を引き起こす見た目の蜘蛛は、かつてギルドの資料で見た覚えがある。成体になれば大地ですら喰らうと言われる、超危険生物リストに載る一匹だった。


 こんなところに現れていいようなモンスターではない。

 すぐにでも災害認定を行い、上位探索者を呼ぶ必要があるほどの事態だ。


 そいつは地上に現れ、大きさに見合わない素早い動きでカサカサと動き回ると、部屋の隅で落ち着いたらしい。脚に刺さった男を溶かし啜り出した。


「な……なんなんだ一体……」

「どいてやがれ! プロミネンスバースト!!」


 魔法使いの呪文によって突如として発した巨大な炎は、巨大蜘蛛を包み込んだ。

 だが、その爆炎が晴れても蜘蛛は微動だにせず、何事もなかったかのように男を啜っているではないか。


「う……うそだろ……? 俺の最大魔法だぞ……」


 やがて、それの中身を啜り終えた蜘蛛が殺意の籠った赤い16の目でゆっくりとこちらを見たのだった。





「逃げるぞ!!」


 探索者達の判断は、素早かった。

 一斉に、彼らは壁へと張り付き登りだしたのだ。


 だが、ガッゴイはこのモンスターについての知識があった。あの蜘蛛は、動く物に反応する。目に見えないほどの糸を空中にばらまいて感知しているのだ。

 慌てて逃げるのは、最悪手だ。


 慌ててガッゴイは叫び――


「待て! 動くな。奴は――」


 ドンという衝撃が、ガッゴイの背中に走った。


「っ!?」

「わりぃなぁ。ガッゴイ。いつも口うるさく言ってたよな? 人の役に立てってよ。今俺に、お手本を見せてくれよ!」


 すぐそばに駆け寄ってきていたカーチスが、未だ岩山の上に居たガッゴイの背を押したのだ。


「お前ら! 今のうちに逃げるぞ! 逃げ切ったら俺様に感謝して仕事手伝えよ。ギャハハハ!」


 信じられなかった。

 弱きを救い、自らを研鑽し続け、街に命の源である魔素を持ち帰る誇り高き職業が探索者だと信じていたのに。


(貴様……ここまで堕ちたか……!)


 一瞬見えたカーチスの顔は、見たことないほど酷くゆがんでいた。


「ぐはっ。っく!」


 背中から地面に叩きつけられたガッゴイの視線の先には、既に壁を上りだした男たちの姿があった。


「ぐ……まて……!」

「お、おい。あいつ確かギルド職員だろ!? まずいんじゃねぇのか!?」

「うるせぇ! じゃぁてめぇが囮になるか!? どうせあいつはあの見た目で誰からも信用されてねぇんだ。居なくなったって誰も探さねぇよ!」

「どっちにしろもう助からん! 早く崖を登れ!!」


 外は遥か彼方だが、探索者の身体能力があれば確かに上り切れるだろう。


「おのれぇぇぇ! カァァチィィス!!」

「最後までうるせぇ野郎だな! さっさと死んでろ!」


 置いていかれたガッゴイは怒りに震えるが、強く打ち付けた体はいう事を聞かない。すぐそばで、蜘蛛の脚が地面を踏み鳴らす音がした。


 だが――


 偉大なる地喰母(グランドイーター)は、足元のガッゴイになど目もくれず、崖に貼りついた男達へと糸を噴出したではないか。


 奴らは、大気中の糸に触れたのだった。


「ぎゃあ!! なんでこっちに!?」

「くそっ。邪魔だどけっ!」

「てめぇカーチス!! ぐああああ!」


 どこまでも、屑な男だ。

 先頭を進むカーチスは、あろうことか他の人間を蹴落としながら必死に崖を上っていた。


「はぁ、はぁ。こんな所で死んでたまるか。折角うまくアイツを殺せたんだ。これで街に戻ってやり直せばあのギルド長の奴も――うわあああ!」


 だがそれも、最後の一人になれば同じことだった。

 やがてすぐに、飛ばされた糸の塊によって壁に貼りつけられてしまった。


(やはりか……。逃げ出した獲物から先に捉えるなんて、高い知性まで持ってやがる……)


 それは、絶対的強者による瞬く間の蹂躙だった。


 この狭い谷底では、ちっぽけな人間なんてエサ箱に入れられた虫と変わらない。


「ひいぃぃぃ! 嫌だ! 嫌だあああ!」

「来るなぁぁ!」

「ガッゴイ! 助けてくれ! ガッゴイ!! 動けるのはお前しかいないんだ! うわあああああ!」


 探索者達は順番に繭へと包まれ、辺り一面があっという間に蜘蛛の巣だらけの空間へと変貌していった。


(てめぇのお陰で動けないんだ……誰に助け求めてんだ。ざまぁ見やがれ。激しく動くから目を付けられたんだよ。つっても、俺も此処までか……)


 目の前で、蜘蛛が見下ろしていた。

 人間は、呼吸する。特に激痛に襲われているガッゴイの息きは荒い。その微細な動きが糸に反応したんだろう。

 

――シィィィィ


「っぎぃ!!」


 動かないから見逃されるなんて、甘い世界ではない。


 一人だけ奇跡的に助かるなんてドラマチックなことは起こる事無く、ガッゴイも呆気なく糸に包まれ噛みつかれたのだった。







 何かを流し込まれる感覚があるのに、痛みを感じない。

 全身の筋肉が一気に弛緩し、鼻水、よだれ、涙、尿に至るまですべての液体が流れ出していく。


 恐ろしいのは、これだけの状態でありながら意識がはっきりとしている事だった。


 こうやってゆっくりと後で溶かされていくんだろう。

 そこに広がるのは、暗闇と音だけの世界だった。


(どれくらいたった……?)


 気が狂いそうになるほどの時間を、糸に包まれた暗闇の中で過ごした。足音が近づけば、自分の番が来たのだと心臓を掴まれる思いに襲われる。


 だが、神はまだ、彼を連れて行くつもりはなかったらしい。

 その無限かと思われた地獄の終わりは、唐突に訪れることになった。


「フシュッ」


――ギュチィィィィ!!


(なんだ……何の音だ? また何かの獲物が捕らえられたのか?)


 恐怖に疲れ果て、心が死んでいくのを感じる中で突如として巨大な鳴き声が周囲に響き渡った。

 驚くべきは、それに続いて――

 

「うぉぉぉぉ! くらぇぇぇ!」


 突然の人の声が響いたのだ。

 一瞬助けが来たのかと思ったが、それは少年のような甲高い声だった。


(馬鹿な!! こんなところに子どもだと!? 来るな! 死ぬぞ!!)


 ガッゴイは焦り、少年らしき人物の身を案じたが体は動くことなく、ただ鳴り響く音を聞くしか出来ない。


「うわっ! 蟲手器の盾!」


――キシャァァァァ


 何かを切り裂くような音や、叩く音は少年が蹂躙された音なのだろうか。


(だ、ダメだ。出会ってしまった……すまん少年。俺にはどうしようもない)

 

「きゃぁ! もう、糸が顔に……」


 だがそこに、またもや別の声が聞こえて来たではないか。

 ガッゴイは、さらなる犠牲者の登場に心を痛ませ――


「ちょっと、はしゃいで置いてかないでよ。本当にその花粉大丈夫なの?」

「あー、もうちょっと時間かかると思うけどそろそろ意識が飛んでる頃だろ。くそ、結構固いなこいつ」

(……無事?)


 ガッゴイは、混乱した。

 あの化物が居るこの魔獣の寝床で、なんでこいつらはこんなに普通に話しているんだと。

 音と声だけの状況では、全く外の様子が想像がつかない。


(この、ずっと続いてるこの打撃音……一体……何が起こってる? それに、なんだ? これまでずっと覚めてた意識が……)


 たった今までいくら失いたくても失えなかった意識が、猛烈な眠気に襲われていた。おかしい。こんな異常事態で逆に眠くなるなんて普通じゃない。意識を失ったら何が起こるかわからないが、その眠気に抗う事はムリだった。 


「当然でしょ。魔素濃度7はあの平原に近いレベルの魔素濃度よ。まぁ、獄夢(ヘルムメア)を攻略した私達の相手ではないけどね」

「私達……。まぁいいや、これで終わりだ。飯だぞ虫共!」

 

――ギシャアアアアア!


(なんだ? 訳が分からない。獄夢(ヘルムメア)を攻略? 馬鹿な。獄夢(ヘルムメア)なんて厄災……いや。そういえば、まさかこいつら……ダメだ。もう何も……考え……)


 ガッゴイの意識は、そこで途切れたのだった。 

 


 

 目が覚めた時、ガッゴイの目の前には見知らぬの探索者達の姿があった。


「う……一体……?」

「あ、目覚めましたか。大丈夫ですか?」


 落ち着いた、大人の声だった。

 此処はまだ、谷底か。


 ひどく痛む頭を押さえながら、ガッゴイが体を起こすとどうやら蜘蛛の繭を切り裂いたまま寝かされていたらしい。酷い匂いが周囲に充満している。


「……なんだこれは」


 彼は、目を見開き体を震わせた。


 視線の先にあったのは、焼き払われた蜘蛛の巣の中央に鎮座する、巨大な蜘蛛の死骸だった。

 それも、ほとんどの原型を残したまま、膨らんだ腹だけがべっこりと凹みカラカラに干からびてしまっている物だ。


「それが、俺達が来た時にはもう……。偶然この近くを通りかかったんですがね。降りた時にはこの通りで、生きてるのはあなただけだったんですよ」


 指さされた先には、いくつもの繭が切り裂かれ中に何か皮のような物や衣服が散らばっていた。


 どうやら、活きの良い彼らからエサにされていたようだ。抵抗力の高い彼らの方が毒が大量に必要で、その分命は短くなってしまったのだ。


 カーチスの遺品を見て、一瞬ガッゴイの表情が曇った。

 恐らく、もう少し遅ければ自分もああなっていただろう。

 

「そうか……。ありがとう助かった。私はガッゴイという。実は突然、魔割れに飲み込まれ――」


 ガッゴイは、何が起こったのかの全ての説明を彼らにした。鉄クラスの探索者が、なすすべもなく蹂躙されていったところまで話したところで、男が首を傾げる。


「おかしいな、あの蜘蛛がそんなに強いはずないんですがね」

「来た時には死んでいたんだろう? 奴は偉大なる地喰母(グランドイーター)だ。まだ成体になっていないとは言え、鉄クラスが敵う相手じゃない」

「しかし……内包魔素がたったの2しかないんですよ?」

「2……? そんな馬鹿な!」


 通常、魔獣の寝床の主は、巣に満たされた魔素よりも高い魔素を内包しておりそれを下回ることは無い。

 ガッゴイが周辺魔素を図った時は、確実に7の数字が出ておりそこから逆算すれば8以上の魔素濃度を持った化物だったということになるはずだ。


 だが、実際に改めて魔素濃度を測ってみれば確かにその死骸に残っている魔素は2しかなかった。


 魔物の強さは、その死骸の内包魔素濃度によって測定される。これはギルドの報酬査定にも使われるほど正確な計測であり、同じ名前の魔物でも個体差のある魔物の正確な危険度を図る指針とされてきた。


 それに素材の内包魔素濃度は、ギルドにある特殊な技術で抽出しない限りそこまで急激に劣化することは無いはずだ。


(どういうことだ? 訳が分からない)


「うーん、子どもの声がしたって言ってましたが、魔素濃度2の相手なら確かに探索者になりたてでも相手にならないことは無いですかね……」


 全く納得の行かない、あり得ない推測だったが、それを覆す証拠も見つからなかった。


「そんな馬鹿な……」


 結局、ガッゴイ達は特別濃度の高い魔割れに飲み込まれ、そこに居座っていた生まれたばかりで図体だけの蜘蛛に襲われたという事になった。


 亡くなった探索者の面々は、その油断から依頼者を守ることもできず、鉄クラスという中堅でありながら魔素濃度2のモンスターにやられたという事にされてしまっている。恐らく、遺族への見舞金すら出ることは無いだろう。


(分からないことだらけだ。あの蜘蛛は間違いなく化け物だった。魔素を抽出した……? そんな事個人で出来る奴なんて居ないか。それにあの声……獄夢(ヘルムメア)を攻略したのなんて青の聖痕(ブルースティグマ)だけのはずだ。彼らの中に子どもなんて居なかったはず……)


 いくら考えても、答えは出ることは無かった。






 蜘蛛の死骸が、上から吊るされたロープで引き上げられていく。


 ガッゴイがその様子を見ながらフードを脱ぐと、地面に赤いものが大量に落ちた。


「ガッゴイさん、その頭……!」

「……ん?」 


 触れると、ガッゴイの頭には一本の頭髪も残っていない。どうやらあの筋弛緩毒による副作用らしかった。

 触れれば、ペチペチと言う地肌の音が間抜けに響く。


「……はははは。ハハハハハハ!」

「ガッゴイさん……?」


 借りた剣に映った自分の姿を見て、ガッゴイは笑っていた。


(なんてひどい見た目だ。自分でも呆れるくらい凶悪な顔だよ)


 こんな凶悪な顔は、街の牢屋でも見たことが無い。

 この顔ならなおさら、人に信用してもらえることはなさそうだ。


(はぁ。真面目にやったくらいじゃ、この見た目を覆すことなんて出来そうにないな。マグリットの街では更に真剣に……いや)


 思い出すのは、岩の上からまるで悪魔のように顔の歪んだカーチスの表情だ。


(あれは、憎しみ……。そうか、人の顔ってのは作りだけじゃないんだな。表情……か)


 真面目に、誠実に。その思いにとらわれ過ぎて、ガッゴイは今以外に自分が笑った顔を見せたのがいつだったのかすら思い出せなくなっていた。


 彼は、再び剣に映った自分の顔を見ると、もう一度一人笑って見せた。


 剣を貸してくれた探索者の男がビクっとしたのを見逃さない。


「クックック……」


 相変わらず、人でも殺してそうな恐ろしい顔だ。

 だけど、悪くない。


(内面……か)


 ガッゴイの目には自分の顔が、あの時見たカーチスの顔よりは何倍もマシに見えたのだった。


  




 一組の男女が、荒野を歩く。

 フードを被った男の方が、まるで空腹で今にも倒れそうだとよろけた。


「魔素……魔素が恋しい……。やっぱ俺、あの穴に定住する!」

「もう無理よ。通報したから、あの穴はもう埋める作業に入ってるはずだし」


 そんな少女の言葉に、黒髪の少年は絶望的な表情を浮かべた。

 

「しょうがないでしょ! 探索者でもない人間は魔素濃度2以上の場所に立ち入ったのがばれたら、その後探索者登録できなくなっちゃう事だってあるんだから」

「はぁ……。まぁ、魔素が濃い所ならあれだけ動けることとスキルが使える事が分かっただけでも十分か……。とげぞう、蜘蛛おいしい?」

「っきゅ!」


 人知れず道を歩く少年たちが向かう先は、目的地マグリットの街とは見当違いの方向だ。


 どうやら、少女が道を間違えていることに気づいていないらしい。このままだといくつか他の村をめぐることになるだろう。


 彼らの名前は、ゲンとルル。

 世界で唯一、獄夢(ヘルムメア)と呼ばれる厄災のダンジョンを退けたメンバーの生き残りだ。

 彼らは今、ある目的のために旅立ったばかりである。


 そんな彼らとガッゴイの運命が混じり合うのは、もう少しだけ先の話になりそうだ。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

原初の地からお越しいただいた方は、これからもよろしくお願いします。

初見の方は、ぜひ原初の地も読んでみてください。

ゲンとルル、とげぞうが活躍します。

https://ncode.syosetu.com/n2843cg/


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