第8話 「3匹のトカゲ」
ティール・フリーゼィカは東奔西走した。
だが、昔からの親友の姿はどこにも見られない。殺し屋仲間に訊いても、それどころではないと一蹴されてしまった。
彼が診療所を発った後、二度とティールの前に姿を現さなかった。いつでも連絡の取れた彼がだ。聞くに、龍を看取ったところまではそこにいたようだが.........
親友だけではない。彼に仕えていた者、さらには唯一の肉親でさえ行方が知れないのだ。
「ご主人様、申し訳ございません! 私の失態にございます」
ご主人様と呼ばれた紫髪の女性は、背を向けたまま陳謝に対して答える。
「やめてくれ、それでは私が責めているようではないか。今はどんな言葉も無力だ。その言葉の代わりに、行動に起こさねばなるまい」
窓から眺望出来る美しい庭と、すすり泣くキャリィの姿が重なっている。
一連の騒動を耳にしたザイア・ニュートはカレンの地から、王国へトンボ帰りをしたのだ。
祝龍が崩御なされたことよりも、ツヅェルの起こした騒動、その中で忽然と姿を消した弟の心配の方が大きい。
「あのいけ好かない根暗の成り上がりめ......弟をどこへ隠したというのだ」
どんよりとした曇り模様の空がどこまでも続いている。
——王国は総力を上げて、雲隠れしたツヅェルの捜索に当たっている。
だが、彼が王国領の外に構えた屋敷はもぬけの殻。手がかりすら掴めない状況のままだ。
そんな中、主人を襲ったローブを追う赤黄緑の3匹のトカゲは、ただならぬ魔力を感じ、その力の感じる方に向かっていた。
「ホントウニ ダイジョウブ ナノカ? イマスグニ デモ、ホウコクヲ シタホウガ イイ」
「アト モウスコシダ。サキニ、ヤツノ スガタヲ カクニン セネバ」
「イヌキノ イウトオリダ。ススムゾ」
リーダー格の緑色がキジン、うっかりな黄色がサルデ、血の気の多い赤色がイヌキ。3匹とも逹竜の使いである。
今彼らがいる山から見下ろして、眼前に広がるのは大きなクレーター。元々、双子の龍が暮らしていた土地である。
見渡す限り何も無い。
「ドウシテ、コンナトコロカラ、コレホドマデノ チカラガ......」
いつも考えがちなキジンがまたもや思考を始めた。
「不思議ですよね。辺鄙なとこで馬鹿みたいな量の力が眠ってるんですから」
「ッ!! ダレダ!!」
いつの間にかサルデの横で歩みを合わせていた男に気付いた。
「まあ、言うなれば『捜索対象』でしょうか。全世界のね」
「サルデ、キヲツケロ! ソイツガチカラノ ショウタイダ!!」
「って、よく見たら逹竜さんのお供達じゃないですか。身長伸びたんじゃないですか?」
「フザケルナ! キサマダッタノカ、『ネクロマンサー』!!」
イヌキが飛びかかろうとするが、落ち着いているキジンがそれを制した。
「その名で呼ばれたのも数世紀ぶりですね。今はロブ・ツヅェルと名乗っていますが。どうです? 昔のよしみでお茶でもしませんか?」
「イヤ、ヤメテオコウ。ゴシュジンサマニ ホウコク セネバナ」
サルデは何も躊躇うことなく喋りだした。
——ヤバい!! そう思った時には遅い。
「あれ? 逹竜さんはご存命なのですか? 良かったあ、心配してたんですよね」
彼は聞き逃さなかったのだ。
——逹竜の生存。それは3匹の使いにとっても思いがけない報せだったのだ。
彼ら竜は、この世界の端っこ同士にいたとしても識別できる。
その竜の力を感じない彼らは、主人は既に『この世』にいないということが分かっていた。
——実際、その通りであったが。
「いや、本当に予想外です。生きていらっしゃるんですね? そんなことあるんですか」
ツヅェルは頭に手をあてて俯く。傍から見ると、心の底から安心している様でもあった。
3匹はその光景に目が釘付けになる。
「オマエ、イガイト イイヤツ ナノカ?」
「ええ。ですからお尋ねしたいのですが、逹竜さんは生きているのですね?」
「イカニ——フグゥ!!」
うっかりサルデがペラペラと話す前にキジンが腹を殴った。
「おやおや、喧嘩は良くないですよ。逹竜さんにも教わりませんでしたか? あの方はそういうのに厳しそうでしたが......」
心配する素振りを見せるツヅェルは言いかけながら、何かを考え始める。
その隙に、3匹は小声で耳打ちをした。
「イマノウチニ タイサンダ」
「「ラジャー」」
気が付かぬよう、ゆっくりと後ずさりで距離をとる。
だが、それを刺すようにツヅェルが言葉をかける。
「おっと、臭いますかね? ちょっと死体を弄ってたもので、染み付いちゃったかもですねえ」
せっかくとった距離を縮められてしまう。構えることも無いツヅェルはにこやかな表情で着実に間合いを詰める。
——このままでは......!!
「......フタリハ ニゲロ!!」
イヌキが一歩前に出て、後方の2匹に呼びかけた。
キジンはイヌキの言うように、駆け出す。だが、サルデはたじろいだままだ。
「ダガ......」
ツヅェルの方を向くイヌキの背中を見つめる。
「ニゲルンダ。ゴシュジンサマガ キット タスケテクレル」
「......ワカッタ。スマナイ、イヌキ!」
キジンの後を追ってその場から逃げ出す。
ツヅェルは手を眉間にあてて遠くを眺める仕草をする。彼らの後ろ姿を見送った。
「いやはや、立派になりましたね。あの姿を見たら、逹竜さんも喜びますよ」
「グラックオン!! ウィルヘルファイア!!!!」
イヌキは豪炎を纏う。炎は身を守る鎧となり、敵を刺す槍にもなる。攻守ともに優れた魔法である。
対するツヅェルは指先をちょちょいと動かしたのみだ。
「デンド、続いてカーロウス」
彼の背後から無数の影が伸びる。それは真っ黒な手であった。
蜘蛛のようなツヅェルの姿を見て竦むイヌキ。容赦なく、黒い手がイヌキを襲う。
数えきれない手は炎さえ厭わず、直進してイヌキを掴み、包み込んだ。
イヌキは彼が攻撃を仕掛けた訳では無いことを悟る。
「逹竜さんのところに連れて行って貰えませんか?」
「ダメダ! オマエハゴシュジンサマヲコロスツモリダロウ!!」
「人聞きの悪い。私はご挨拶に向かいたいだけなのに。仕方ない、積もる話もあることですし、一先ずは私の隠れ家へ行きましょう」
ツヅェルの言葉には耳を貸さず、必死に抵抗をする。だが、動こうとすればさらに強い力でねじ伏せられてしまう。頭は出して、身体のほう完全に封じられた。
イヌキは黒い手に抑えられたまま、クレーターの中心の方へ連れていかれてしまった。何度か力を溜めて魔法を発動するが、一向に状況は変わらない。
抵抗する都度、ツヅェルはたしなめるだけで済ます。
「今の私は凄いんですよ? 慎重な計画立てから、大胆な立ち回りまでなんでも出来ちゃいます。今は結構、大胆」
窪みの真ん中、一番沈んだそこには、人一人入れる程の穴が掘られていた。
黒い手を伸ばして、イヌキを先に穴の中に入れ、後から覆いかぶさるようにしてツヅェルも中へと進む。
黒いローブを常に羽織っているが、その収縮色ゆえか、実は意外にも大柄な体格で、歩けるスペースにギリギリ入り切っていると言ったところだ。
数十秒、暗い洞穴の道を行くと薄っすらとした明かりに照らされた扉が見えた。
「ほらイヌキさん、着きましたよ」
ツヅェルはそう言って、イヌキを解放する。
「ドウスルツモリダ!」
イヌキの怒鳴り声は来た道に響き渡る。
「言ったじゃないですか。『お茶しましょ』って」
ツヅェルは黒い手で扉を開け、もう片手でほらほら、とイヌキの背中を押した。
入ってすぐ、左を向くと長机があった。それもとても大きく、目測8メートル程だろうか。
ツヅェルは上座を一つ空けて座った。もはや抵抗する気力さえ残っていないイヌキがその向かい側の椅子の上に這い上がる。
「あ、人間態になれますかね。そのままだと何かと不便なので」
物腰柔らかな口調に従ってイヌキは右手に力を込める。
——変身をする。それだけの事を仰々しくやって見せた。
赤色のトカゲは、髪にその色を残して裸の少年になる。
「ありがとうございます。私が竜にでもなれたら良かったんですけど。はいこれ、使ってください」
ツヅェルは空の両手をイヌキの前に持っていく。
瞬間、多少の煙とともに服が出現した。
「シャドウクラフト、温度調節にもってこいな魔法製の衣服です」
イヌキは黙って首を横に振る。
「......むむ。ではこれはどうです?」
服をそばに畳んで、もう1回『シャドウクラフト』を使う。
次に、掌に現れたのはポンチョである。
これにはイヌキも頷いた。
ポンチョを受け取り、身体を包んだ。
「ふう。色々考えましたが、これが一番良さげですね」
コホン、と咳払いを一つ。
いつの間にかティーカップがそれぞれの目の前に置いてあった。
「どこから話しましょうかね。あなた方が知ってることも知らないこともありそうですが......」
イヌキは力の入った両手を膝の上に乗せて耳を傾ける。
「まずは、逹竜さんをどうしたか、ですね」
両肘をテーブルに乗せ、指を組んで話を続ける。
——その目は笑っていた。