第5話 「龍が失すとき」
——両脇には細部まで手入れをされた垣根。遠くからは噴水の音まで聞こえる。
バルコニーから望む庭の景色は、王国でも随一だ。
豪勢な庭を通り抜けて、2人の番がいる玄関に着いた。
「ほら、コレ。ミハルだ。ご苦労様」
竜が刻印されたペンダントを示す。
「はっ、お帰りなさいませ弟様。ただいま鍵を開けますので」
番は壁のとある部分をこんこんと叩く。するとガチャリという大きい音とともに解錠される。
壁の向こう側に鍵番がいるというわけだ。
小さな鍵を失ってしまったらしいずっと前からこの形式をとっているらしい。
扉が開くと、大きなホールが広がる。
外の庭とはまた雰囲気が違い、装飾が少なく質素な印象を受ける。
ミハルが自室のある2階へ向かうため階段を上ろうとすると、あるメイドがミハルの存在に気づいて声をかけた。
「あら、弟様。お帰りになっていたんですね。後ほど、新しいお召し物を持っていきます」
その背丈を活かして、壁にかかった照明を掃除していたようだ。ミハルの汚れた姿を見てそう言った。
「ああ、ありがとう。ちょっと聞きたいんだけど、ザイア姉いる?」
「いいえ。ご主人様はカレナの救助遠征に向かわれましたが」
「なーるほど。カレナも今大変らしいしな」
「ええ。私もカレナに友人が......っていけない! つい身の上話を」
「いいさ。ここは堅苦しいだけだからな」
カレナは王国からは遠方の地方都市だ。
なんでも、今回は疫病が流行したのだとか。
厄災から民衆を守るのは竜の役目だが、その竜に何かあったのではないかと考えられる。
ザイア姉が遠征に向かった理由の一つは、これが竜がらみのことだからだろう。
階段を上ってすぐの自室に入る。
かれこれ約3か月ぶりの実家の空気だ。とりわけ、自室の空気はよく馴染む。
この豪邸で安心できるのはこの部屋と、子猫のぬいぐるみがあった倉庫だけだろう。
「んー、遠征となると、最低限の傭兵、1人か2人しか残ってないだろうな。護衛の事はじいやに聞こうか」
橋の修繕に必要な工具を袋に詰める。橋に一通り目を通したため取り捨てが分かり、最初の半分にも満たない量で支度は済んだ。
さて、後は用心棒を引っ連れて戻るだけだが。
——そんな時に、部屋をノックする音が聞こえた。さっきのメイドが着替えを持ってきたのだろうか。
「弟様。じいやでございます。」
やはり気の利き方はニュート家の使用人なだけある。
どうぞ、と返事をすると、白い髭を上品に生やしたじいやがいかにもへりくだった様子で入室する。
「じいや。急で悪いんだけど護衛が必要なんだ」
「弟様、申し訳ございません。僭越ながら、少しばかり報告が」
コホンと向こうをむいて咳払いを1つ。
「先ほど、祝龍様が倒れられたとのことで、ニュート家の者も集えと龍使殿からの伝達がありました」
「な、なんだって......!?」
龍の体調が優れないということは小耳に挟んだことがある。
とうとう来てしまったかという感じではある。
「ザイア姉が遠征に行ったってことは......」
じいやは静かに頷いた。
「任務のことは伺っております。『ニュート』の者として、ご決断なさいますよう」
頭を下げるじいやを手で制す。
分かっている、ニュートだとか任務だとかは関係ない。この世界で明け暮らす人間として、祝龍様に立ち会っておきたいという思いが先行する。
「じいや、着替えを頼む。今すぐにだ」
——日が傾き、自室の窓から夕日が覗く。
「そう言えば、こんな格好も久々だ」
昔から姉に、ひいてはどの同世代にも劣っていたミハルは厳粛な式典に出ることはほぼなかった。
最後に出席したのは、元当代、つまり母の葬式だろうか......それも数年前。
「——失う物は最初からない。得る物しかない、か......」
親の言葉は辞書より重いなんて言ったものだ。
夕日がミハルの顔を照らし出す。今までの半生で、後悔しなかったことなど無い。常に後悔とともに生きている。
コンコンと軽く戸が叩かれる。声がするまでもなく、先程のメイドだと悟る。
「弟様。支度はお済みになりましたか」
部屋の外に出ると、そのメイドも礼装になっていた。
「私がご一緒させていただきます」
つまるところボディーガードだ。実際、この頃は貴族間のいざこざが目立つ。
祝龍様のおひざ元で、みっともない。
「そうか、頼んだぞ。ザイア姉の100倍は迷惑かけるかもだけど」
「0には何を掛けても0でございます」
難なくミハルの自虐を無に返したメイドの名前はキャリィ。
使用人ゆえにファミリーネームがないのがこの国の慣習だ。それでも、親子三代でニュート家に仕えている家の者だ。
広場まで出てくる頃になると、月が目立ち始める。
いつものこの時間ではありえないほどの人でごった返していた。みな、ミハルと同じように祝龍の心配をしている様子である。
ざわついている広場を先へ進むと、城へと続く通路の前で近衛兵が待機している。
キャリィがスっと1枚の紙を差し出す。
「こちらが招請状です」
そのまま、案内とともに中へ通される。
外とは対照的に、荘厳な雰囲気の城内。案内係について行くと、大きな吹き抜けに着く。
中央に伏しているのは、目を瞑り眠っている祝龍で、その周りをぐるっと名家の代表たちが囲んでいる。見ると、護衛を付けているのはミハルだけだった。
「いよいよニュート家も揃いましたね♪」
黒いローブに身を包んだ男が、妙にうきうきした様子で言う。
なんとなく居づらい、が、これは務めだ。我慢我慢。
すると、ゼルハートという龍使を務める高官が説明を始めた。
ミハルとは顔見知りである。
「ご覧の通り、今では平静にお休みになっています。ですが、先程の様子を見る限り、一刻を争う状況におられるかと考えられます」
なるほど。今は大丈夫そうだが、その時に備えて集めたということか。
数分間、ミハルは緊張しながらその場で待っていた。キャリィは流石に、こういう雰囲気に慣れているという感じである。
その時、龍の瞼が開かれた。
「......ああ、吾は眠っておったか。ゼルハートよ、どのくらい経った?」
「小一時間ほどでございます」
そうか、と純白の龍はゆっくり起き上がる。
横になっている時には想像もつかない巨体だ。その姿を見て、ミハルはだんだんと幼い頃の謁見を思い出した。
「ぐ......盟友はみな揃ったのだな」
ずらりと並んだ龍使ゼルハートをはじめとする貴族らが、構えを正して龍の言葉に耳を傾ける。
「——今やこの王国を実質的に治めているのは吾ではない、ここにいる盟友だ」
祝龍はその盟友たちの顔を見渡して続けた。
「あらかじめ今ここで、新たな体制を戒めておこう。『上に人を立てるな』」
仰せのままに、とみなそれぞれ頭を下げるが、あの、黒装束だけは浮かない顔をしていたことにミハルは気が付いた。
その時、祝龍はふらつく。無理をせず、体勢を崩した。
ここにいる全員にわかるほどに龍の呼吸が乱れている。
「祝龍様......!」
「吾はいよいよ滅する。ニュートの家の者は居らぬか」
龍はまともに入らない最期の力を振り絞って起き上がった。
「はっ。不肖、ミハル・ニュートがここに居ります」
金髪の少年が群衆を掻き分けて前に出た。
「......ニュートの血は誇り高き、『人間と竜の絆』である。だが、もはやこの世界に竜はいらない。吾が弟も同じように消えてしまう。故に竜は人間の障害になる」
人々は黙って次の一言を待った。
「——『竜を征せ』」
辺りは騒然とした。
「ミハルよ、近うよれ」
言われるがままに、多少ギクシャクしつつ龍の傍まで歩み寄る。
龍は右の前足をミハルの胸にあてた。
「龍は生き続ける。どんな形でも......」
ミハルは声もなく頷く。
「六竜を討ち、人の世を築くのだ.........」
——そう言った、言い遺したのだ。
「祝龍様......?」
龍の瞼は閉じられている。ゼルハートはすでに気付いていた。
膝から崩れ落ちる者、泣き叫ぶ者、静かに掌を合わせる者。そして、笑う者。
ミハルはしっかりと知覚する。
この場に1人反逆者がいることを。
「ツヅェル殿...? 急にどうしましたかな?」
ゼルハートが声をかけたのは、高笑いを響かせる、あの黒装束の男だ。
「いやなに、滑稽でしてね.........」
ゼルハートの眉間にしわが寄る。
「何ですと......? 一旦落ち着かれてはどうかな?」
あまりの出来事に気をおかしくしてしまったのだろうか。
「落ち着いていますよ。あなた方のほうが取り乱しているように思いますが」
「なんだと......ッ!」
知らず知らず、ミハルはその拳を握りしめる。
この感情は怒りだとか憎しみとかだろうか......そんなことはどうでもいい、大事なことじゃない。やつは祝龍様をバカにしたのだ。
ミハルはあのツヅェルだとかいう不届き者に制裁を加えてやらねばならないと思った。
すでに歩き始めていたミハルを止めようとしたのはゼルハートだ。
「ミハルくん! よしなさい、祝龍様の御許だぞ!!」
「弟様!!」
キャリィも止めにはいるが、ミハルは歩み続ける。
あっという間にツヅェルの目の前までやってきた。
間合いに入っているのに、ツヅェルは悠々としたままで、あまりにも無防備である。
「おっと、どうするつもりだい? ニュートの落ちこぼれさん♪」
もはやミハルに周りは見えていない。不敵な笑みを浮かべるツヅェルを睨み付ける。
——背後から、覚えのある叫び声と共に鋭い金属音がする。
「ぐぎゃぎゃあ!!」
見るとキャリィが黒騎士の一太刀からミハルを守っていた。
「弟様! どこかに隠れてください!! ヴィルガムアップ! バーナードセイバー!!」
ゼルハートが他の人々を避難させながら、手招きをしている。だが――
――ミハルはツヅェルに殴りかかった。
ツヅェルはお見通しといわんばかりにそれを受け止めようとしたが、あまりの威力に吹き飛ばされる。
「へ?」
その場にいる全員が呆気にとられている。
ゼルハートが真っ先に理解する。
「もしかすると、龍の力を受け継いだのか......?」
ツヅェルは笑いながら起き上がった。
「なるほど、都合がいいですね。この場を設けてくれた龍使さんと、ミハルくんに力を分け与えた祝龍に感謝ですよ」
どこまでもバカにしたような口ぶりだ。
「お前は祝龍様をなんだと思っているんだ?」
「最初からなかったもの、ですよね? それで、ミハルくんの龍の力は得るものです」
母の言葉を踏襲したような言い方が、さらにミハルの神経を逆撫でする。
騒ぎを聞きつけた近衛兵たちがぞろぞろとやって来た。
「ああ、来るのが早いなぁ。有能なんだか、無能なんだか。はい、やっちゃってください」
ミハルを指さすツヅェルが脱ぎ捨てたローブを纏った新手が出てくる。
「ヴィルガムアップ! セーレーンランス!!」
ミハルの後方から蒼白い光を放つ槍が飛来する。
これはキャリィの魔法だ。黒騎士とやり合いながらもミハルの身を守ることを優先している。
それがローブの動きを止めて、隙を作った。
そのチャンスを逃さずにミハルが拳で追撃する。
「くらえッ!!」
ローブはひらひらと風に乗りながら避ける。が、それすらも捉えた。
今度は右手で短剣を生成し、ローブに向かって斬撃を繰り出す。
「フッ――ハァ!!」
やはり躱されてしまう。今度はローブが高く舞い上がって、風になびく。
そこでやっとミハルは気付いた。あれに『実体』はない。
「はは、やるじゃないですかミハルくん。落ちこぼれでも龍の力があれば、詠唱なしで魔法が使えるんですね。でもまあこのくらいで十分でしょう。では、ごきげんよう♪」
ツヅェルは指先を下げる。
「——ッ!!」
ローブが急降下し、ミハルに抱きかかった。
キャリィの声が聞こえた。
「おとうとさ———」
————転げ落ちる感覚。
そして、次に目に入った光景は、揺れ動く振り子のようなもの、象を模したオブジェ、そして道行く2つの人影だった。