第4話 「黒騎士」
※お探しの小説で間違いありません。きっと。
——その世界は、中世ヨーロッパに喩えるのが最も正確かつ明瞭だ。
現実の世界との決定的な違いは、双子の龍、6頭の竜がいること、そして魔法があること。
そして付け加えるならば、日本語が飛び交うこともある。
——王国から外れた森の中、ろくに整備もされていない道。2人の青年が獣に囲まれていた。
背中合わせの2人は腰から剣を抜く。1人は扱いやすい短剣、かたや重そうな大剣だ。
「ミハル! そっちは頼んだぞ!」
身軽な動きで、獣たちに暗器を向ける。短剣と言えど、何回も切り付けると、その刃は重厚な毛皮を通す。
「ああ! 任された! やってやるさ」
背後の声に答えた。金髪の青年は、目の前の獣にむかって一刀を振りかざす。
ミハルにとって渾身の一撃だった。しかし、刃は厚い毛皮に防がれ、鈍い音がしただけでしかなかった。
「な......ッ!!」
本能的に後方へ転がる。獣の爪が空を切った。
ミハルは間一髪で獣の攻撃を避けたのだった。だが、背負っていた道具袋から工具が辺りにばらけてしまう。
既にもう片側の戦いは終わっており、彼はミハルの戦いを観ている。
「想像以上の出来損ないっぷりだな」
返答はおろか、ハァハァと息が漏れるばかりで、やっと立ち上がったミハルを見兼ねて助太刀をする。
——いや、正確には『助魔法』だ。
「ヴィルガムアップ!! フリーズスピア!!!!」
ヴィルガムアップ——魔法の祝詞を唱えると、突き出した右手の先から魔法陣が現れる。
魔法陣の中心から冷気を纏った槍頭が、獣の頭を目がけて放たれる。
氷の槍は獣の右目を穿ち、それが帯びる冷気によって出血もしない。
「ヴァルガンダウン」
ぼーっとしていたミハルの脇を駆け抜け、刺さったままの槍に蹴りを食らわし――トドメだ。
「――俺を用心棒に雇って正解だったな」
「ああ、頼りにしてるぜ。ティール」
2人は静かな森を行く。
――――魔法がある世界、その名はテッセラクト。この世界の中心には同じ名を冠する王国がある。
王国とは名ばかりで、実際に頂点に君臨するのは、人ではなく祝龍シュートラジェディだ。
その王国の命を受け、この道の先にある橋の修繕に来たのが、金髪頭のミハル・ニュート。その友人で、無償の護衛をしているのがティール・フリーゼィカ。
「よし、この橋だな」
谷に架かる木造の橋に着く。ところどころ腐食によって穴が空いたりしている。
素人目に見ても明らかに危ない。修繕をするよりも作り直した方が手っ取り早く済む気さえする。
「しっかし危ないな。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ?」
ティールは素朴な疑問をぶつける。
「はは。ここに来たのは初めてだろ? 殺し屋稼業をしていても訪れないって言うのは、つまり人がいないってことさ」
「それがどうして、今になって国の方から修繕の命令があったんだ?」
それは他でもない——
「——呪龍がいるからだ」
この谷を越えた先には、双子の龍の弟、呪龍が巣食う。
双子の龍は今となってはすっかり耄碌してしまい、その命が果てるのも時間の問題だと言うのだ。
「使節団を送るらしい。うちの姉さんにも声がかかった」
「へへ、そりゃあ一仕事ありそうだな。権力争いとかがな」
鼻の下を擦って、もう片手の指を折っている。きっと取らぬ狸の皮算用でもしているのだろう。
ミハルは袋から幾つか必要な道具を取り出し、ロープを腰に繋いで橋桁の修理に取り掛かる。
その間、ティールは橋の前で、先程のような獣が襲ってこないかの見張りをする。
カツーン、カツーン、と音が響く。
いつの間にか、辺りには霧が立ち込めていた。心做しか寒気がする。
コツーン、コツーン、と音を響かせながら釘を打ち込む。集中に集中を重ね寸分をも違えない。
しかし、それが故に上方からする音が聞こえなかった。
釘を打ち込もうとするが、何故か橋桁が揺れたりして中々固定できない。
上の方から軋む音がすることに気が付いた。
「——ル! おいっミハル!!」
「どうした? ティール。害獣が来たのか?」
「ちげぇ!! とにかく上がってこい!!」
ロープを手繰って上昇していく。少しずつ上昇するが、それでも大きく揺れたりして危ない。
細心の注意を払いつつ、なんとか上がりきった。
ミハルは腰に巻いていたロープをほどきティールを見ると、右腕を怪我しているようだった。
「ぐぎゃぎゃあ!!」
左側にいるティールの反対側。右側から声がした。
......なんだコイツ? 黒い騎士?
「ヴィルガムアップ! レイブハンマー!! 気を付けろ、そいつが襲ってきたんだ!!」
ティールは巨大な槌を握りしめようとするが、右腕の傷が痛んでなかなか振りかぶれないでいる。
とうとう手を離してしまう。すると、レイブハンマーは熱した氷のようにみるみるうちに溶けていった。
ティールが対峙するのは、漆黒の甲冑。そのデザインからして恐らく王国の者だろうが、何かがおかしい。
「何突っ立ってんだ!! 逃げるぞ!!!!」
ロープを外して、ティールに駆け寄った。
黒い騎士はその場にじっと佇んだままだ。
「俺の短剣が通らねえ。お前の大剣なんか尚更だ」
つまり、彼が言いたいのは逃げるが最善だということだろう。
「ぎゃあぎぎぎい!!」
人ともしれない大声をあげながら黒騎士がドスドスと音を立てながら向かってきた。いつの間にか、その手には2本の大剣が握られている。
橋全体から発せられる音から、あの鎧が相当の質量を持っていると分かった。
「下がれ! ヴィルガムアップ!! アイジアプレート!!」
ティールはミハルを守るように、左手で氷製の盾を構える。
すぐそこまで迫った黒騎士が2本の大剣を振りかぶる。
ガンッと重い音がすると、一発で盾が砕け散った。直接的な斬撃は防がれたが、2人は吹き飛ばされる。
その拍子に、ティールは右腕を岩ににぶつけてしまった。
「――ッてぇな! ヴァルガンダウン! 逃げるぞ!!」
ティールは、怪我に打撲を重ねた右腕を抑えながら走り出す。ミハルも黒騎士に背を向け、その後を追いかけた。
——2人が本気で走り続けること正味1時間。王国郊外の町に着いた。
ぽつぽつと民家が見え始める。のどかな風景で、競争などとは無縁そうだ。
取り敢えず、ティールの治療のためにこじんまりとした診療所へ立ち寄った。彼らは中に入るが、他に患者はいなかった。
最低限の小綺麗さは兼ね備えているものの、雑多さが見受けられる受付の方から声がする。
「あら、ティールじゃない。失敗したの?」
白衣に身を包んだ女性が、艶やかな声で尋ねる。
「まあそんなところだ」
この診療所はティールのかかりつけだそうだ。ティールだけではない。血生臭い仕事をしている裏の人間こそがこの診療所を贔屓にしているらしい。そのため一般人はここを利用しないそう、
看護婦に簡単な包帯を巻かれながら、ティールが口を開いた。
「なぁミハル。任務の期限は何時までなんだ?」
「............明日の、昼だ」
しばらく黙ったが、重々しく答えた。
ティールもすぐには返事をしなかった。
「......そうか、じゃあ代わりの護衛をつけてもらうんだな............すまなかった」
「いや、いいさ。あの黒騎士が悪いんだから」
『黒騎士』という単語に看護婦の体が揺れた。
「あなたたち、『黒騎士』に遭ったの?」
「・・・・・・? ああ、そんなやつに襲われたんだ」
「黒い甲冑、長い長い大剣、そして意味不明な雄叫び。こんな感じだったでしょ?」
特徴を一つずつ、指で数を数えながら挙げた。
「ついでにいえば、魔法が通じなかったな。アイジアプレートが砕けた」
と、ティールは付け足した。
看護婦はおかしいわね、と言葉を漏らす。頬に指をあてて話し始める。
「『黒騎士』は噂によると、むやみやたらに人は襲わずに、貴族だけを狙うらしいのだけど」
「そらまた迷惑なこったな。貴族を殺られちゃ、俺の仕事が減っちまうぜ」
「その噂の『黒騎士』は、俺達が会った『黒騎士』とは別物なのかもしれないですね......」
黒騎士の謎とティールを残して、診療所を発った。
向かう先は王国の中心地、そこでなら護衛の1人や2人は雇えるだろうと考えたからだ。
だが、無一文のミハルに雇われるほど暇な人というのは、中心に向かっていくほど少なくなる。ただでさえ彼のコネがあったとしてもボランティアになるような親切な人なんてそうそういないのに。
彼はそんなことは考えつきもしなかった。
「仕方ない。『ニュート』の血筋に頼っちゃいますか」
そう言って、ミハルは胸から竜の意匠が施されたペンダントを取り出した。