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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
最終章 鼎、倒れる時

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第九話 二六三年 序話より

「隠平道? そんな道があるんですか?」


 幕舎に戻ってきた後、事の顛末を報告した時に杜預が最初に尋ねたのはその事だった。


「あるんですよ。一応、地図にも載ってます」


 鄧艾は広げた地図を指差して答える。


「……あ、本当だ。でも、これって通ってる道なんですか?」


「通ってないよ。元凱、そんな事も知らないの?」


「あぁ? 何だ、忠。お前、知ってるのか?」


 杜預の言葉に、鄧忠はふふんと鼻で笑う。


「元凱は意外と現場の事を……」


 勝ち誇っていた鄧忠の両頬を、杜預は掴む。


「お前はまず口の利き方からやり直しだな」


「ふいまへん」


「とは言え、さすがに裏手とはいえそう簡単ではないのでは?」


「簡単どころか、ほぼ無理だよ」


 杜預から手を離された鄧忠が、首を傾げる杜預に答える。


「何で忠が知ってるんだ?」


「党均から聞いた事があるから」


 意外な同年代の名前が出てきて、杜預も納得する。


 商人である党均であれば、本来の主要街道であっても通る事も出来る。


 しかし、隠平道と言うのは地図にこそ残っているものの、実際には道と言える様なモノは獣道ですら無く、地元の足腰の強い者が何も持っていない状態であれば何とか超えられるかもしれないと言うモノであり、とても兵が進める道ではないとの事だった。


 もちろん党均も知識として知っているだけで、実際に隠平道超えを試した事は無いらしい。


 しかも蜀からはともかく魏からその道を目指すには、まず深い山林を越えて行かねばならず、その道の整備だけで大規模な土木作業であり、少なくとも蜀軍がそれを黙って見ているはずもない。


「何か策があるんですか?」


「まぁ、あるにはあるんです。とは言え、色々と下準備があるんで、その事で鍾会将軍に増員をお願いしているところではあるんですよ」


 鄧艾は地図を見ながら答える。


 翌日には、鍾会が手配した増員と辞令を持って句安が鄧艾の幕舎へやって来た。


「鄧艾将軍、増員を率いてやって来たのですが、隠平道を抜こうとしていると言うのは本当ですか?」


「辞令より先にそれの確認ですか」


 鄧艾は苦笑いしながら、句安の持ってきた書状に目を通す。


 そこには兵員の移動の指示がなされていた。


 鄧艾には三万の兵が与えられ、その三万は句安が率いてきた増員と思われていた兵が全てであった。


 一方、これまで率いてきた雍州の精鋭達は全て鍾会の軍に移動と言う事になっていた。


「はぁ? 士季の野郎、何を考えてやがる」


 杜預はその書状を見ながら眉を寄せる。


「俺も中央の武将達を案内しましたが、ヤツらは腐ってますよ。その上で将軍達を見下しているのだから、魏と言う国もさほど安泰と言う訳では無さそうでした」


 句安も杜預と同じく、苦り切った表情で言う。


「だからこそ、鄧艾将軍には大きな手柄を立てて欲しいと思っているのですが、隠平道を行くのは無謀の極み。鍾会も姜維も、それをこそ望んでいるほどの罠であり、将軍にとって破滅の道です」


「そうか、句安将軍は蜀の出身でしたね。隠平道と言うのはそこまで過酷な道なのですか?」


 鄧艾が確認すると、句安は大きく頷く。


「ただでさえ高山難所の道であり、とても兵が進軍する事は出来ません。その上で退路を断たれてはいかに将軍が名将であったとしても全滅は免れません」


「父上、やはり無謀が過ぎるのでは?」


 鄧忠も心配して尋ねる。


「姜維や鍾会将軍が私にその道を行く事を期待していると言うのであれば、おそらく姜維は退路を断つ様な事はしないでしょう。姜維は胆の太い武将で、難所に大軍を向かわせたと知れば、そこで退路を断つ動きを見せて引き返させるより、そこに無駄な兵力を投入して無力化させる事を選ぶはず。鍾会将軍にしても、下手に戦列に戻らせるより隠平道で無駄足を踏んでもらう事を選ぶでしょう。少々不本意ではありますが、姜維の大胆さと鍾会将軍の侮りが私の行動の自由を約束してくれていると言うわけです」


 鄧艾の言葉に、全員が不思議そうな表情をする。


「そういう考え方も出来るには出来ますけど」


 杜預は言葉を選びながら言う。


「さて、私の予測が正しければ句安将軍が率いて連れてきてくれた兵こそが重要になるんですが、句安将軍。兵はちょっとクセのある兵を連れてきたのでは?」


「その通りです」


 句安は頷く。


 鍾会は魏の兵士を連れて行けと言って句安に連れて行かせた兵だが、三万の兵の内の一万近くは蜀の捕虜または蜀からの投降者であり、残る二万も年少者やかなり高齢の兵士、または体の弱い者などが選ばれて送り込まれてきたのである。


「……露骨過ぎないですかね、コレ」


 その説明を聞くと、鍾会の事をよく知っているはずの杜預ですら呆れて言葉も出なくなる。


「鍾会将軍だけではありませんよ。どうやら田続の方も鄧艾将軍に思うところがあるらしく、この兵の編成は主に田続の方が力を入れていたみたいです」


「……あの人か。歪んでるもんなぁ」


「父上、何か嫌われる事しました?」


「田続殿とはほとんど接点が無いので、好かれるにも嫌われるにも心当たりが無いのですが」


 鄧艾は首を傾げている。


「鄧艾将軍の心当たりは無いでしょうが、名門の生まれの方々にとって鄧艾将軍は驚異以外の何者でも無いのですよ。将軍は最初の後ろ盾こそ仲達様と言う圧倒的な後ろ盾があったにも関わらず、いきなりその仲達様に逆らって淮南へ異動になった。本来なら一農夫で終わるはずだったのに、将軍は他に類を見ないほどに出世されています。しかも仲達様や子元様の他にも、郭淮将軍や陳泰将軍すらもその実力を高く評価されていた。生まれしか取り柄の無い者達にとって、それが通用しないと言う事を自ら体現されている鄧艾将軍は、おそらく敵より憎らしいのでしょう」


 これは句安の思い込みなどではなく、実際に見てきたからこその言葉である。


 それに鄧艾は忘れているが、かつて鄧艾が淮南で運河を造っていた時に田続の縁者だった地元の豪族を追放した過去がある。


 ただの一地方官でしか無く、しかもこの時の鄧艾には司馬懿の後ろ盾も無いと思われていた頃の事であり、実はこの頃から田続から一方的に復讐の機会を狙われていたのだったが、さすがにそれは鄧艾だけでなく他の誰も知る由のない事だった。


「司馬昭大将軍に抗議しましょう、父上。これはあまりにも味方を害して敵を利する行為。無視出来ません」


 鄧忠はムキになっているが、鄧艾は首を振る。


「とんでもない。これこそ私の望んでいた援軍です」


 その鄧艾の言葉は、その場の者達をさらに混乱させる。


「まぁ、策については順次説明していきますが、今この場で全てを明かす事は出来ないんです。まずは、全員を集めて今後の行動について説明します」


 この場にいない師纂や書記官として同行している段灼、増援としてやって来た兵士達も集められて、これより隠平道の開通を目指す事を告げた。


 しかし、すぐにそれは頓挫する事になる。


 通常の主要街道に対する脇道どころではない隠平道は、それをそもそも道として認められない様な状況であり、見た瞬間にこれはそう簡単な事ではないと誰もが分かるほどだった。


 一週間もすれば、それははっきりとした形となって、目に見える問題となった。


 何しろ、当初の予定よりまったく進んでいないだけでなく、一週間にしてさっそく逃亡者まで出てきたのである。


「将軍、いかがしますか?」


 夜になって、杜預が鄧艾に尋ねる。


「このまま逃亡者を出す訳には行きません。逃亡を止める為にも、何人か切るしか無いのでは?」


 そう言ったのは師纂だった。


 確かに手法の一つとして、そういう方法もある。


 しかし、あまり効果的とは言えない方法でもあった。


 逃亡を謀る兵士を引き止める効果的な方法と言うのは、意外なほどに少ない。

「いえ、今はこのままで構いません。これは第一段階です」




 鄧艾が隠平道から蜀に攻め込もうとしていると言う情報は、魏軍に潜り込んでいる間者によって剣閣の姜維の元に届けられた。


「なるほど、鄧艾の方が動いたか」


 その報告を受けた姜維は、まるで安心した様に一息つく。


「大将軍、もし隠平道を抜かれた場合にはいかがいたしますか? 万が一を考えるのであれば、退路を断って鄧艾の軍を全滅させるべきでは?」


 そう提案したのは、参謀役として都から廖化が戻る時に同行してきた董厥だった。


 この人物がいたから、近隣の関所や砦から剣閣へ物資を運ぶのも順調であり、当初予定していたより物資が集まっている。


 それもあって、この剣閣の守りは万全と言えるほどであった。


「いや、鄧艾は名将だ。今は隠平道より奇襲出来ると言う幻想を抱いているから、自ら兵力を持って戦力外になろうとしている。こちらから下手に動いて戦線に復帰させたくない。それに隠平道の開通も数万の兵をもってしても何年もかかる。鄧艾がいかに農政官として優秀であっても、その期間をそこまで縮める事はそう簡単じゃ無い。当分の間、鄧艾には戦力外になっていてもらおう」


 姜維は鄧艾の事を認めている。


 だからこそ、その鄧艾が自ら戦線から外れてくれると言うのであれば、それは手を叩いて歓迎出来る状況である。


「では、念の為に都へ一報入れておきますか。万が一に備えておく様に、と」


 張翼の言葉に、姜維は眉を寄せる。


「大将軍? どうしました?」


「……そうか、鄧艾の真の狙いはそれか」


「真の狙い?」


 姜維の表情がただ事ではないと感じ、張翼が尋ねる。


「あれほどの名将が、勝算も無く隠平道の開通に尽力と言うのも妙な話。おそらく、鄧艾は本当に隠平道を抜こうとしていない。おそらく真の狙いは、奇襲の可能性を都に知らせる事を狙ってのことだ」


「……大将軍、どう言うことですか?」


 尋ねたのは張翼だったのだが、姜維の真意が読み取れた者はその場にはいなかったので、全員が不思議そうに姜維を見ている。


「これまでも鄧艾は離間の計を使ってきた。もし都に奇襲の可能性を伝えたら、おそらくこの剣閣も放棄して全軍撤退の命令が下るでしょう。成都の防備に全力を尽くせと命令され、結果として蜀は北半分以上を奪われます。そうなったら、今後蜀は魏と戦う事は出来なくなります。鄧艾の狙いは、隠平道から攻めると見せてこの剣閣の兵を揺さぶり、兵の損害無く蜀の半分を奪う事が出来る。これが鄧艾が本当に狙っている事でしょう」


 姜維は、鄧艾の無謀な行動をそう言う策である、と解釈していた。


 蜀の武将達はそれに納得し、本国への連絡を避ける事に賛成した。




 が、鄧艾の真の狙いは、姜維の予想よりさらに無謀であり、しかも鄧艾の狙いは蜀の半分どころでは無かった事を姜維は看破する事は出来なかった。


独自解釈です。


隠平道を鄧艾が選んだ事を知った姜維は、正史でも演義でも

「無理だからほっといて良いよ」

で済ませています。

それくらい無謀極まりない行動だったせいで姜維はそう判断したのでしょうが、この物語ではちょっと別解釈を入れてます。

もちろん、こんなやり取りは正史にも演義にもありません。


でも、たぶん有り得たのではないでしょうか。

演義での姜維は鄧艾の奇襲を知っていながら、本国に知らせてはいなかったみたいですが、こう言う不安があったからではないかと思います。

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