第八話 二六三年 序話へと
「諸葛緒! 貴様は持ち場であった隠平橋を放棄した! その為に包囲網が崩れ、姜維に行動の自由を与えたのだ! その罪、弁解の余地無し! 即刻首を刎ねよ!」
鍾会は剣閣を前に、まずは諸葛緒の軍と合流していた。
その上で、鍾会は諸葛緒を糾弾していた。
「鍾会将軍、さすがにそれはいけません。諸葛緒将軍は、鄧艾将軍の旗下にある武将。確かに諸葛緒将軍に落ち度はあったとは言え、鍾会将軍が独断で裁いてはいけません」
そう言って止めたのは衛瓘だったが、鍾会自身もその事は分かっている。
「では、大将軍に裁いて頂く事とする。諸葛緒、今すぐこの場を離れ、裁きを受けよ! これは先鋒軍の指揮をとる僕の権限の元でも執行出来る事だ」
鍾会はまさに問答無用で、諸葛緒を断罪してこの戦から外す事になった。
鍾会がここまで強引に諸葛緒を外したのは、当然意味がある。
こうでもしなければ、鄧艾の立てた蜀侵攻の主導権を奪う事が出来ないのだ。
だが、諸葛緒が姜維を包囲網から逃した事もあり、特大の武勲を奪う好機が転がり込んできた。
諸葛緒は目立った武勲に恵まれている訳ではないが、極めて隙が小さくまた鄧艾の右腕が杜預であれば、諸葛緒は左腕の役割を担う重要な人物である事は鍾会も知っていた。
それだけに、鄧艾を弱める為と言う一点からも諸葛緒を遠ざける事は、鍾会にとって必要な事でもある。
多少強引だったとしても、武功第一功を奪い取らなければ鍾会は今後も下賤の生まれである鄧艾の背中を見送る事になる。
それを避ける為でもあった。
諸葛緒には諸葛緒の言い分があったのだが、鍾会は敢えてそれを排除した。
もちろん鍾会は合流するにあたって、最低限の報告は受けている。
姜維の行動に対する諸葛緒の対応は、決して間違っていない。
それどころか、かなり適切であった事は鍾会も分かっている。
が、それを評価してしまえば諸葛緒を認める事になり、結果として雍州軍を、ひいては鄧艾を強化する事になるのだ。
諸葛緒を排除する事に成功した鍾会だが、それは必ずしも喜ばしい事ではない。
まず諸葛緒自身が優秀な武将であり、その武将を外す事による戦力低下が否めない事。
もう一つは最強の難敵、姜維が行動の自由を得た事である。
そして選んだ場所が……。
「剣閣? 何故そんなところに? 何もない山だろう?」
「はい、山です」
報告しているのは田続である。
「ですが、鄧艾が姜維を追撃して山を攻めたのですが、撃退されて今は山の麓で軍の再編を行っているとの事」
「ほう、鄧艾将軍は野戦では無類の強さを見せるが攻城戦となると違うらしいね。まぁ、攻城戦となると多少の知識が必要になる事もあるし、百姓将軍には荷が重かったのかなぁ」
鍾会が言うと、軍議の場に笑い声が広がる。
鍾会が率いる武将達は都の武将であり、この場に雍州からの武将は案内役も兼ねた句安が参加していた。
都の武将達は、鄧艾の事を百姓将軍と蔑んでいるのだが、その分焦ってもいる。
何しろ司馬懿、司馬師直属であり、今も司馬望の副将である。
しかも自身の副将には同じく司馬一族の娘婿である杜預が控え、その上武功も並外れている。
どうにかこの人物を引き摺り下ろしたいと考えている者は多い。
その筆頭が鍾会である。
「さて、それじゃ裸山の攻略といきますか」
鍾会はそう言って軍議に入る。
しかし、報告と言っても情報は少なく、鄧艾の軍が撤退した姜維の軍を追って剣閣の山に入ったが、連弩によって被害を受けた事もあってそれが拡大する前に一度態勢を立て直す事を優先して山を降りたという。
「連弩? ああ、確か蜀の兵器だったね。あの郭淮将軍もそれにやられたとか。誰か連弩について知っている者は?」
鍾会は意見を求めたが、都にいた武将が蜀の秘密兵器である連弩の事など知るはずもない。
「句安将軍、君は雍州方面軍の武将であり蜀からの投降者。連弩の事も知っているのでは?」
鍾会から尋ねられ、末席の句安は頷く。
「知っています。今の俺は魏の武将であり、郭淮将軍や司馬望将軍からは厚遇していただきました。俺の知る限りの連弩の情報をお伝えしましょう」
「話が早くて助かるよ。よろしく頼む」
鍾会は笑顔で頷く。
「では、魏の弩などまったく話にもならない差があります。魏の弩が一〇〇の強さであったとするならば、連弩は二倍の飛距離と二倍の貫通力、さらに三倍の連射が可能。強さで言うのなら一二〇〇ほどの力を持っています。相応の数が用意されているのであれば、裸山であっても堅固な要塞と化します。山を降りて再編成した鄧艾将軍は、正に名将。その判断こそ正しいと言えるでしょう」
「……耳障りな情報ばかりを垂れ流すな。まだ蜀に未練があるのか?」
田続が不愉快そうに言うと、句安は首を傾げる。
「事実を申し上げているのですが? 自分に都合の悪い事実は受け入れられないとでも?」
「よせ」
鍾会が冷たく言い放つ。
「先ほど句安の申したよく分からない理論は、そのまま受け入れるわけにはいかない。だが、連弩と言うのが強力な弩である事は理解した。大楯を並べて前進する。今の姜維にはそれほどの兵力は無いのだから、力で圧し潰す。どれほどの名将と言っても、出来ない事は出来ないのだからね」
鍾会はそういうと、すぐに剣閣攻略に移った。
この時に不況を買った句安は、その部隊から外された。
大楯を連ねた大部隊を山道に進めると言う単純明快な戦術だが、数に大差がある場合にはそれだけで十分なのである。
大軍に確たる用兵は必要無い、と言う事を鍾会は体現しようとしていた。
剣閣はそれなりの標高のある山であり、孤立した山と言う訳でもないので山を包囲していればその兵を干上がらせる事が出来ると言う事も無い。
相手に備えられる前に圧し潰すというのも、決して悪い事ではない。
その大楯部隊を指揮するのは衛瓘であり、後続として鍾会がつく事になった。
念の為に田続には、別動隊を率いている胡烈に合流する様にとの伝令を出させる事にする。
胡烈自身は特に気にしていない様子に見えるが、それでも鄧艾の出世については面白く無いだろうと鍾会は考えていた。
あの武勇一辺倒の胡烈が、百姓将軍と言われる鄧艾の事を認めているとは思えなかったと、鍾会は思っていたのである。
もっとも、ここで姜維を討ち取る事が出来ればそれも無駄になる可能性の方が高いのだが。
魏の装備が蜀の装備より優れている事は疑いの無い事実であり、大楯の質も雍州の様な辺境地域と比べて都で作られているモノの方が高品質である事もまた事実である。
鄧艾が連弩に押し負けた原因も、辺境の貧相な装備と野戦で武功を挙げた百姓が調子に乗った結果だと、鍾会は信じきっていた。
句安の報告もかつての祖国の事を考え、また都の者達に対する妬みから大袈裟に言ったのだろうと思っていた。
この時の鍾会の失敗は、戦力分析を怠った事である。
とは言え、この時点での鍾会は連弩の存在を知識で多少知っている程度であり、実際の威力をまだ知らなかった。
衛瓘の率いる大楯部隊は剣閣の山に入る。
衛瓘自身は陣頭に立って指揮する様な猛将ではなく、後方で的確に戦況を読んで指示を出す武将である。
その事が幸運だったと言えるだろう。
山林を抜けて視界が開けたところに、姜維の連弩隊が展開していた。
「放て」
姜維の一言と共に、文字通り矢が雨の様に襲いかかってきた。
長距離を狙う弓矢であれば通常山なりに飛ぶ事もあり、矢が雨のように降り注ぐと言われる風景になる。
が、連弩は違う。
まっすぐに矢が飛びかかってくる。
しかも弩の弱点である二射目に時間がかかると言うモノも、連弩は克服している。
文字通り、矢の雨が降り注いでくるのではなく、正面から大量に飛びかかってくるのだ。
それでも鍾会は、連射の出来る弩である事は知っていたので、そこまで慌てなかった。
と、自分では思っていた。
衛瓘も同じく、すぐに前進を停めて大楯部隊に防御を固めさせる。
連射が出来るとは言え、矢が無限にある訳ではない。
連射が効くと言う事は、それだけ矢が尽きるのも早いと言う事だ。
などと悠長に考えていたのだが、その考えはすぐに霧散する事になった。
丈夫さを誇る大楯さえも、連弩の矢は貫いてきた。
しかも貫いたのは大楯だけではなく、それを支える兵士やさらに二列目までの兵士をも貫いたのである。
しかもそれが連射されている。
「ひ、退け! 退却だ!」
三列目にまで被害が出た事もあり、衛瓘は慌てて指示を出す。
その指示は魏側だったのだが、それに呼応する様に動いたのは蜀軍の方だった。
正面に陣取った姜維と連弩隊があまりにも強烈だった事もあり、視線が前方にのみ集中させられていた事に、衛瓘も鍾会も気付かなかった。
退却命令を受けた衛瓘の先鋒隊が退却しようとした時、側面に隠れていた廖化と張翼の部隊が追い打ちをかけて来たのである。
結局鍾会は何ら戦果を上げる事も出来ずに、山の麓に敷いた本陣に戻る事になった。
ごく僅かな交戦だったのだが、それで衛瓘の部隊は壊滅的打撃を受けている。
また、穴だらけにされたとは言え、敵軍に大量の大楯を提供してしまった。
「……鄧艾将軍を呼べ」
鍾会は腕を組んで呟く。
「は?」
「山の麓に鄧艾将軍も陣を敷いているはずだ。何かしら手を打たなければ、このままではこの戦、敗れるやもしれん」
鍾会は血を吐く様な口調だったが、それでも事態の深刻さからそれを田続に伝えた。
一方、鄧艾の陣でも同じ様な問題で手詰まりになっていた。
先に姜維を追いかけていた鄧艾だったが、剣閣に追撃で入り込んだ時に鍾会と同じ手で撃退されていた。
が、連弩の存在を知っていた鄧艾は、鍾会や衛瓘より被害は小さかったのだが先に進めなくなったと言う点では同じだった。
鄧艾は地図を見ながら考え込んでいたが、そこに杜預が駆け込んでくる。
「鄧艾将軍、士季の野郎が諸葛緒将軍を勝手に処罰しました!」
「……切られたのか?」
「いえ、切られてはいなかったみたいですが、都に送られたみたいです」
鄧艾は大きくため息をつく。
「勝手な事を、と怒鳴りたくもなりますが、事を荒立てても良い事はありませんね。それより、その報せが届いたと言う事は鍾会将軍はすぐ近くまで来ていると言う事ですね」
「士季の野郎は腰が重いですから」
「口の利き方には気をつけた方が良いですよ。鍾会将軍は先鋒隊の指揮官を任されていますから、下手な事を言えば諸葛緒と同じ目に合いますよ」
鄧艾は険しい表情で、地図を見ながら言う。
「ましてや、そろそろ向こうからの使いも来るでしょうからね」
「使いが? 士季ですよ?」
鄧艾と杜預が話している幕舎に、伝令の兵士が入ってくる。
「将軍、鍾会将軍の使いと言う者が来ているのですが」
「使い? 伝令ではなく?」
杜預が尋ねると、伝令の兵士は頷く。
「鄧艾将軍と策について話したいので、是非鍾会将軍の幕舎にまで来てほしいとの事でした」
「はぁ? そっちから来いってんだ」
「いやいや、向こうの方が上なんですから。こちらから行く事にしましょう」
「お供します」
「杜預はどうも鍾会将軍に無礼を働きそうなので、忠を連れて行きます。話の内容はちゃんと伝えますから、ここでお留守番していて下さい」
ゆで理論
連弩のオーパーツ具合を説明したくて、ゆで理論を用いました。
実際に連弩が二刀流ウォーズマン並の強さだったのかは不明ですが、この物語の中では1200万パワーだと思って下さい。
いつかどこかで入れたいと思っていた『ゆで理論』を入れれた事で、ちょっと満足してます。
まぁ、鍾会が受け入れられなかったのも当然と言えば当然でしょうね。




