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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
最終章 鼎、倒れる時

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第三話 二六二年 終わりの始まりの前に

「士載殿」


 書庫へ向かうところだった鄧艾と杜預だったが、その途中に呼び止める者がいた。


「胡奮将軍。お久しぶりです」


「いやいや、士載殿。士載殿の方が上位なのだから、もっと偉そうにしてもらっても良いのですよ?」


 胡奮は豪快に笑いながら言う。


 戦場に出れば並外れた猛将なのだが、普段の胡奮はにこやかで柔らかな人物であり、中々戦場での人物と同一人物とは思えないところもある。


 鄧艾も外見からは想像出来ないとはよく言われるが、胡奮も同等だろう。


「あいにくと偉そうにしているのが似合うクチではありませんので」


「……まぁ、元凱はともかく、士載殿は確かになぁ」


 人の事は言えないはずだが、胡奮は妙に納得している。


「ところで士載殿はこれから何か?」


「ええ、実は羌族対策として砦を建設しようと言う課題がありまして。雍州に戻る前に一通り形にしておかないといけなくて」


「ほう、それは忙しそうだ。せっかくだから一杯と思ったのだが」


「胡奮将軍の一杯は盃じゃなくて樽ごとですからね。都では付き合えないでしょう」


「元凱も言うようになったなぁ。昔は可愛かったのになぁ」


「鍛えられましたからね、特に奥方様に」


「媛殿か。そう言えば、士載殿と媛殿は仲達様のなかだちだったとかのでしょう。なんでも仲達様は媛殿の才覚を買っていたとか」


「買っていたと言うより、飲み仲間みたいなモノでしたから。ほら、仲達様は身分を隠して遊び回っていた事もあったでしょう? その時に意気投合したらしいです」


「気が合いそうですよね、確かに」


 当時を知らない胡奮ですら、そう思ったらしい。


「胡奮将軍は何か仕事が?」


「船大工ですよ」


「船大工?」


「何でも呉を攻めるらしくて、急遽船を作ると言い出して」


 胡奮は頭を掻きながら言う。


「呉を攻める?」


 杜預が首を傾げると、鄧艾が小さく杜預を制する。


 が、ふくよかで大らかに見える胡奮だが、大雑把と言う訳ではない事もありそんな小さな仕草でも見逃さなかった。


「士載殿、何か隠し事ですかな?」


「ええ、まぁ。他言出来ない事も色々とありまして」


「物凄く気になりますが、俺も命は惜しいのであまり追求しない事にしましょうか」


「そうしてもらえると、こちらも助かります」


 鄧艾は安心した様子を隠そうともせずに、胡奮に言う。


 今回の蜀侵攻作戦は、今のところ極秘扱いである。


 もし蜀側に情報が漏れた場合には、姜維から守りを固められるだけでなく、呉とも連合して守り、或いは逆に攻めてこられる様な事にもなりかねない。


 呉を攻めると言う情報が流れた事も、おそらくは蜀を攻める事の情報を隠す為だろう。


 とは言え、蜀攻略が成功すれば次は呉であり、船が必要になるのは事実である。


「父上? こんなところで立ち話とは、余裕ですね」


 胡奮の後ろから、声をかけてくる少女がいた。


 歳の頃は十歳に満たない様に見えるが、美しいと言うより愛らしさの方が目立つ少女であり、ふっくらとした輪郭も独特の愛らしさを演出している。


「……父上?」


 杜預が胡奮と少女を見比べる。


 確かに似ている。


 親子なのだから当然かもしれないが、胡奮から愛らしさを抽出して少女の姿に固めた様な女の子だった。


「へえ、胡奮将軍、どこからさらって来たんですか?」


「元凱、言うねぇ」


 胡奮は笑いながら、杜預の頭を掴んでぐりぐりと撫で回している。


 ……頭、取れたりしないかな?


 胡奮の腕力を考えると有り得ない事ではないので、ちょっと心配になる。


「え? 元凱って、杜預将軍?」


「いや、俺は将軍じゃないよ?」


「いやいや、立派な将軍位じゃないですか」


 鄧艾が言うと、杜預は複雑な表情を浮かべる。


 相変わらず文官として認められず、将軍としての名声や武名ばかりが広まっていく事に、杜預としてはイマイチ納得していない。


「そ、それじゃ、こちらの将軍が鄧艾将軍ですか?」


 少女は大きな目をさらに大きく見開いて、驚いている。


 そこまで驚かれる事ではないのでは、と鄧艾は思う。


 こう言うとなんだが、鄧艾自身はそこまで見栄えがすると言う訳ではない。


 これが姜維の様な見栄えのする武将であれば、少女としても驚きと羨望の眼差しを向けようものだろうが、残念ながら鄧艾の見た目は二段階ほど地味であると自覚している。


「本当に父上とお知り合いだったんですね」


「……ん? どう言う事だ?」


「いえ、てっきり父上が盛って話しているのだと思って」


 胡奮の娘は驚きの表情のまま、実にあっさりと父の自慢話を信じていない事を白状する。


ほう、正直で飾らないのは良い事だが、もう少し言葉を選んだ方が良いなぁ」


「これも父上の教育の賜物ですね」



 満面の笑みを浮かべて、胡奮の娘である胡芳ははっきりと答える。


「……士載殿、何とか言ってやってもらえませんかね?」


「いや、利発なお嬢さんで。私に娘はいませんが、妻がお嬢さんくらいの歳の頃から私は頭が上がりませんでしたよ」


 鄧艾は笑いながら答える。


「奥方様かぁ、確かにあの方は歳を取らない印象だし、子供の頃からああだったと言われてもすんなり受け入れられるなぁ」


「確かに。あの人、ずっと変わらないですからね」


 鄧艾に言われて照れている胡芳を横目に、胡奮と杜預は腕を組んで何度も頷いている。


「もう少し早く芳が生まれていたら、忠の嫁にとも思ったのですがねぇ」


「ち、父上!」


「はっはっは、胡奮将軍と私達では家柄が違いすぎますよ。もう少し早くお嬢さんが生まれていたら、きっともっと良いところへ嫁がれていますよ」


「ん? 俺はそれくらいの歳の頃には結婚してましたよ?」


 杜預は首を傾げる。


「いや、まぁ、元凱のところはまたちょっと事情が違うからなぁ。どうですか、士載殿。忠は嫁をもらったらしいですが、その弟達がいるでしょう? 一人この芳をもらってはいただけませんか?」


「ちょっ! 父上、何言っちゃってくれてるんですか!」


 胡芳は父親である胡奮の足に、蹴りを入れている。


 良い蹴りだ。胡奮、胡烈と言う猛将を生んだ家系でもあるのだから、身体能力で言えば相当なのではないか?


 媛と同じく、この胡芳も男に生まれていれば将来有望な将軍候補になっただろう。


 年頃の娘らしい飾り気をまったく気にしていない辺りも、胡芳は媛と同類かもしれない。


「それは当人同士で話し合ってもらわないと。それに私は近々雍州へ行く訳ですから、そう言う事は妻と話してもらえますか?」


「奥方様かぁ。あの人、苦手なんだよなぁ。頭がキレ過ぎて。仲達様や子元様と話しているみたいな気になるし」


「大丈夫ですよ、胡奮将軍。今なら俺の妻もいますから」


「もっとキツいだろ、それ」


 杜預は援護のつもりだったのだが、胡奮にはまったく逆効果だったらしい。


 何しろ杜預の妻は司馬懿の末娘で、司馬家直系の血筋である。


 司馬昭直轄の武将の中でも対外的に動く事の多い胡奮は、案外司馬家の人達が苦手なのかもしれない。


「もうっ、父上! 余計な事言わないで下さい!」


 胡芳は何度も胡奮に蹴りを入れている。


 わりと効きそうな蹴りだが、さすが猛将胡奮。ビクともしない。


「そう焦る事もないでしょう。これほどのお嬢さんなら、何年か後には良家からの縁組の話もあるでしょう。私の家など、それら良家の縁組の話の後でも十二分に売れ残っていますから」


 鄧艾は笑いながら、娘に蹴られ続ける胡奮に言う。


「父上! いつまでも与太話に鄧艾将軍を付き合わせてはいけません! 父上と違ってご多忙なのですから!」


「ちょっと待って。父上も案外多忙なのよ?」


「だったら余計に与太話している場合じゃないでしょう!」


 胡芳の蹴りが強くなる。


「おいおい、そろそろお父さんも痛くなってきたぞ?」


「だったら仕事しなさい!」


 歳の割にはしっかりした娘さんだ。


 鄧艾は胡芳を見ながらそう思う。


「では士載殿、これ以上は父親の威厳にも関わりそうなのでこの辺りで。いずれお互いに暇になってから会いたいものですな」


「ええ。余暇が出来れば、今日出来なかった宴会でも催しましょう」


 鄧艾と胡奮は、そう言うと笑顔で別れた。


 蜀への侵攻は隠してきたが、実は羌族に対する砦作りの件は本当に雍州が抱えた問題であった。


 もし羌族の主が迷当大王であれば贈り物である程度の親交を保つ事が出来ただろうが、暗殺されてしまい今でも主の座を羌族では争っていると言う。


 今の羌族の争いも、原因をたどれば魏が発端であるとも言える上に、大王を暗殺した後に羌族をまとめようとした治無戴は姜維と意気投合した親蜀派であった。


 この後、どの様な主を抱いたとしても魏に侵攻して来る可能性は高い。


 その侵攻を食い止めると言っても、以前より収穫量が増えたとは言え雍州に守備軍として大軍を配する事は難しい。


 その為にも、砦を作って羌族侵攻の足を止める間に、援軍が来るのを待たねばならない。


 その砦作りを、鄧艾は提案し司馬望は許可したのである。


 が、構想はあっても具体的な砦の案がまだ出来ていない事もあり、鄧艾は都に戻った時に書庫で砦の事を調べる事にしたのだった。


「祁山の砦ではダメなんですか?」


「アレは祁山の地形ありきの砦ですからね。地の利と言うのは大兵団に劣らない戦力になるのですから、羌族から守る砦もその地形にあったモノを作る必要があります」


「でも、地形って……。あ、そうか」


 杜預は少し遅れて気付く。


 周りからは奇妙な目を向けられるが、鄧艾には知らない地に来た時には測量してその近辺を地図に起こすと言う行動を取る。


 それはもう趣味と言うか、鄧艾の軍事行動の一環とも言える。


 そうして書きおこした地図は極めて正確なものであり、今回の砦作りの為にもその地図を持ってきていた。


「まずは実現出来るかどうかと言うのは考えず、思いつく限りの案を出してみましょう。それから出来る事、取り入れる事を選び、そこから予算を試算してみるとしましょうか」


「分かりました。やはり必要なのは、馬の世話をする厩舎ですね。雍州や西涼での戦に馬は不可欠です。それをわざわざ援軍と共に運んでくると言うのは、戦の前に疲れさせる様なモノ。現地で馬の世話が出来れば良し、また援軍で運んできた馬であっても十分に休養させる事が出来れば働く事も出来るでしょうから」


「なるほど、それは高い城壁にも劣らないですね」


 鄧艾と杜預は、数日をかけて砦の案を出しては削り、最終的な形にして雍州へ持って行く事になった。




 そして二六三年、魏による蜀侵攻が開始される。


 それは、一つの時代の終焉の始まりでもあった。


胡奮の娘さん


創作ではなく、この御方は後に司馬炎の妻になる美女です。

ま、十年くらい後の話なのですが。

色々と面白い逸話のある女性で、司馬炎から見初められた時に大声で泣いて嘆いたと言われています。

胡芳は司馬炎の側室になったのですがその飾らない実直な性格は、嫉妬深い正妻からもちゃんと嫉妬されるくらいに魅力的な女性だったようです。


ちなみに胡芳が皇帝の側室になった事によって親族の中には調子に乗りまくった者もいたみたいですが、父親である胡奮は娘と同じように嘆いたと言われています。

胡芳の実直さは父親譲りだったのでしょう。


あと本編で父娘が仲良くじゃれ合うところを書いてますが、ガチな感じで時代考証すると絶対に有り得ない事をやってます。

この時代にいくら仲が良いからと言って、娘が父を足蹴にする事など許されません。

場合によってはその場で切り捨てられてもおかしくない行動です。

が、この物語は新説でフィクションなので、まったく気にせずこの父娘は物凄く仲が良いとだけ認識して下さい。


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