第八話 二三八年 荒れる戦後処理
公孫淵の乱の後始末は、かなり荒れる事になった。
衛演をはじめとする公孫淵の高官達は切り捨てられる事となったが、これについて異論をはさむ者はいなかった。
それについてはやむを得ないという見方が強かった、という事もある。
これによって魏による遼東の併呑は済んだと鄧艾は思っていたのだが、司馬懿の遼東に対する処遇はまだ済んでいなかった。
「この遼東に住む十五歳以上の男子には反逆の意図有りとみなし、皆捕らえたのち斬首とする」
司馬懿のこの言葉に、魏軍の意見は割れる事になった。
「大将軍、お待ち下さい! その処遇は、あまりにも酷というもの」
司馬懿にそう諫言したのは毌丘倹だった。
「遼東は中原の戦を避けた難民が多く、魏に対する反乱の意志を持つ者も多い。その芽を摘むという大将軍の意図、将軍であれば分からないはずはないでしょう」
鍾会は毌丘倹に向かって言う。
もし真っ向から反対する者がいれば牛金だったはずなのだが、呉からの援軍が来たという報告があり、牛金はそれに対する防衛のためにこの場を離れていた。
「大将軍の意図するところはわかりますが、それは返って魏への反感となりましょう。どうか、ご再考のほどを」
毌丘倹は食い下がる。
「ふむ、将軍の言、確かに聞いた。この場で将軍と同じ意見の者はおるか」
司馬懿は周囲を見る。
魏に限らず、この時代では上官の命令は絶対であり、ましてそれが大将軍であれば異を唱える事自体が命を落とす事になりかねない。
また、それが正しい事であったとしても、その人物は今後の出世とは無縁となる。
司馬懿がその程度の器という事は無いのだが、司馬懿は先に戦の後での降伏などは認めないと宣言している。
その言を覆してくれと言っているのと同じである以上、この場での反対意見は遼東の民と同じ命運をたどる事になる恐れもあった。
「……私は毌丘倹将軍に賛成です。大将軍、この様な苛烈な処遇は必要とは思えません」
そんな中、鄧艾は司馬懿に対してそう言った。
この戦が始まってからすぐに遼東では民の流出が始まり、劣勢となってからはそこに歯止めが利かなくなっていたとはいえ、それでもまだ遼東に住む十五歳以上の男子は数千人を下る事は無い。
それらの者を切るとなっては、魏に対する恐怖と恨みはそれこそ反乱の意志を芽生えさせる事になる。
「ほう、鄧艾か。そなた、この私が目をかけて引き立ててやってこの場にいるという事を理解しているのか」
「もちろん、その御恩、忘れたことも忘れる事もありません」
「その上で、罰則も恐れずこの私ではなく毌丘倹に賛同するという事だな?」
「大恩ある大将軍であるからこそ、その御手を血に汚す必要などありません」
「ふむ。他、誰もおらぬか?」
司馬懿は周りを見ると、毌丘倹の意見に賛同した者は鄧艾の他、陳泰と杜預も虐殺には反対と意見した。
司馬懿は再三にわたっていかなる罰則も甘んじるかと念を押したが、鄧艾達は自らの意見を曲げる事はしなかった。
「見事な忠臣である。そなたらの意見は分かった。おって処遇を伝える故、この城で謹慎しているがいい」
司馬懿は特に罰則などを与える事はせず、それぞれを謹慎処分としたうえで他の者達を連れて遼東併呑の後始末にかかった。
「若手の参謀衆の中に、これほど要領の悪い連中がいるとは思わなかったよ」
謹慎処分を受けた四人は一部屋に集められていた。
その中で、毌丘倹が笑いながら言う。
「笑っている場合ですか」
「ここに至ってじたばたしても仕方が無い。それとも、いまさらになって後悔しているのか?」
不安そうな陳泰に、毌丘倹初めて堂々と答える。
「ちょっと流されたかな、とは思いますが、後悔というほどではありません」
「面白い事を言うな。だが、こう言うと何だが鄧艾君は良かったのか?」
「何がです?」
「陳泰にしろ杜預にしろ、魏建国の重臣の家柄でいかに大将軍と言っても今回の事で厳罰に処すと言う訳にはいかないだろう。でも、君はそう言う後ろ盾が無い。下手すると大将軍は私たちの分まで、鄧艾君には見せしめも兼ねて厳しくしてくるかもしれない。だから石苞はここにはいない訳だし」
「……そこまでは考えてませんでしたね」
毌丘倹からの言葉に、鄧艾は本心からそう思っていた。
あの時は司馬懿の行動はあまりにも極端に過ぎて、大恩ある身としては諫めなければと思って行動した。
そこには毌丘倹に乗っかろうとか、陳泰達も賛同しているから、と言う様な打算の部分はまったく無かった。
しかし、保身と言う点で考えるのであれば、毌丘倹の言う様な事は十分考えられる。
司馬懿がその程度とも思えないが、それでも大将軍には面子と言うものがある。
遼東の仕置が済み次第、この謹慎組には何らかの処分が下されるはずだが、毌丘倹は将軍位にあり明帝とも近しい間柄であり、陳泰と杜預は魏の名門の出自で将来有望の若手である事から、鄧艾のみ厳しい処分と言う事は十分考えられた。
「まぁ、いきなり切られる事は無いと思うので、それでよしとします」
「ああ、やはり知らなかったか」
鄧艾の言葉に、毌丘倹は首を振る。
「一応事無きを得たのだが、諸葛亮との戦いの時、曹真大将軍から任を引き継いで前線に出た司馬懿殿が最初にやろうとした事は、連敗して士気が落ちていた事もあって副将だった郭淮将軍に全責任を取らせると言う事で死罪にしようとした事もあるくらいだ。今回の事は、魏に対する反乱の芽を摘むと言う目的で行われる以上、内側からそれに反対する者に対しては同じくらい厳しい処遇も有り得る」
「まぁ、無くはないでしょうね」
「……意外と落ち着いてますね」
鄧艾の反応の薄さに、陳泰は驚いていた。
「いや、改めて言われると、と言う感じですが。ただ、私は一農政官だったのを大将軍の一声でこうやって参謀見習いに引き上げていただきました。なのに、大将軍の意に逆らう事をしたわけですから、もしそう言う処罰でも受け入れるしか無いでしょう。その際には、私の身近な人たちの事をお願いします」
「……それで良いのか?」
諦めが良すぎる鄧艾に、毌丘倹はさすがに眉を寄せた。
「将軍達にはわかりにくいかもしれませんが、私達の様な一介の農民にとって、上官に逆らう事はもちろん、何となく気に入られなかったと言うだけで冷遇されたり、処断されたりする事は日常茶飯事です。まして後ろ盾も無い者であれば、ただそれだけで切られる理由にすらなり得ると言う事を、私は何度も目にしてきました。それなのに自分だけは例外であると思えるほど、私は優秀でも傲慢でも無いですよ」
「中央と違って、地方にはまだまだ目を向ける事は出来ていなかったが、それほど古い慣習がまだ残っているのか。いや、今回の公孫淵の無謀も、言ってしまえば地方を蔑ろにしてきた報いなのかもしれない。大将軍もそれをわかっていながら、この様な蛮行に及ばれたのだろうな」
鄧艾の言葉に毌丘倹は頷く。
魏の太祖となった曹操は、その様な文化や慣習を良しとせず、家柄や血筋、後ろ盾などに関係無く能力の高い者を人材として求めた。
その時に出来たのが『求賢令』と言う、漢の時代には無かった人材の採用法だったのだが、それが大きな反発を呼んだ。
そのせいか、文帝や明帝の時代になってからはやはり推薦による人材発掘が主流となっている。
故に鄧艾や石苞と言った、優秀であっても後ろ盾の無い者は埋もれていくばかりであった。
かつて曹操の元に仕え、初代皇帝となった曹丕とも深い親交があった司馬懿だからこそ、何ら後ろ盾や推薦の無い鄧艾の優秀さを認めて引き上げる事が出来たと言える。
そうでなければ、鄧艾がこの様な軍に参謀候補として参加する事は有り得ない。
良くて一兵卒といったところである。
一応とはいえ役職付きだったと言っても、鄧艾の出自では一兵卒にすらなれない可能性も無い訳ではないくらいだった。
「魏は大国であるが、それは多くの生産者に支えられての事。それを広く伝え、上の者がそれを示していかないと魏といえど揺らぐ事は有りうる。それこそ漢を見れば分かる。権力を弄ぶ者が上に立てば、国は滅ぶ。まして今は蜀、呉と二人の偽帝を抱えた不安定な状態だ。国が揺らいでは一気に飲み込まれる事になる」
「大将軍がそれを考えずに行動しているとは思えませんから、何らかの考えあっての事でしょう」
毌丘倹は本気で魏の行く末を憂いている様に見える。
現状ではさほど大きな問題を抱えているとも思えないのだが、細かいところで言えば無い訳ではない。
まず代表的なところが明帝の推進している、大規模な土木工事である。
魏の国力を傾けるほど、と言う訳ではないが、今は豪華な先祖の廟を立てるより度重なる連戦によって疲弊した国を癒す事が重要である、と毌丘倹は常に言っていた。
その事で明帝に直接諫言した事もあるくらいである。
司馬懿が言うには一見ただの浪費に見えるこの行動にも意味があるらしいのだが、それは今のところ明帝と司馬懿くらいしか知らない事でもあった。
全てが終えた時、皇帝の功績であると発表する事を狙っているのだろう。
「鄧艾、大将軍がお呼びだ」
謹慎組のところに官吏の一人がやって来る。
「鄧艾だけか?」
「はっ。鄧艾一人を呼んで来いと、大将軍より直々に伝えてくる様に言われています」
官吏もほぼ無位無冠の鄧艾には強気に出る事ができても、将軍位の毌丘倹に同じ態度は取れないらしい。
「では、大将軍を待たせる訳にはいきませんので、行ってきます」
鄧艾は官吏に連れられ、司馬懿の元へ向かう。
本来であれば大将軍の立場である司馬懿の周りには、当然多くの人達が付き従うものなのだが、司馬懿は奇妙なほど一人である事を好む傾向がある。
時には軍務の最中に姿を消す事もあるほどだ。
通常では考えられない行動なのだが、そんな司馬懿の奇行を咎める事が出来るのは、現状では明帝しかいない。
鄧艾が司馬懿の元を訪れた時も、多く連れていた参謀や将軍達はその場にはおらず一人で書簡に目を通しているところだった。
「大将軍、呼んでまいりました」
「うむ、ご苦労。下がって良いぞ」
そんなところもあり、司馬懿は非常に気難しい人物であると思われている。
「何故呼ばれたかは、分かっているな?」
「私に対する処遇が決まったと言う事ですか」
「処遇? 処罰の間違いではないか?」
司馬懿は書簡から顔をあげ、鄧艾に向かっていう。
「おそらくは、処罰ではなく、処遇で合っているかと思われます」
「ほう、理由を聞こうか。お前は参謀見習い程度の立場であるにも関わらず、この大将軍の命令に逆らったのだぞ? それを処罰しないとあっては、この大将軍も侮られよう」
「その様な事で大将軍を侮る者などおりません。むしろ敵に対して厳しい処断を下した後、諫言した味方にまでその様な事をしては大将軍に対する萎縮と不信を芽生えさせます。今尚蜀と呉と言う強敵を抱えた魏が、これ以上内乱の芽を出す訳にはいかない事から、ここで過酷な処罰は無意味ではありませんか?」
鄧艾の言葉に、司馬懿は笑顔で何度も頷く。
「うむ。とっさの命乞いにしては上出来だ。その才をここで潰してしまうのは惜しい。そこで士載には特別に任を与えよう」
「任、ですか?」
「まぁ、本来の仕事とも言えるな」
司馬懿はそう言うと鄧艾に書簡を渡す。
「これは?」
「鄧艾士載、今この場で淮南治水工事の総責任者の任を、この大将軍司馬懿が言い渡す。即刻任地に赴き、その手腕を活かせ」
大将軍の口調で司馬懿が言うと、鄧艾は慌てて跪く。
「はっ! 確かに承りました」
「と、言うのも、そもそも士載の『済河論』によって始めた事だ。明帝は箔をつけると言う事もあって叔子に当たらせたのだが、さすがに若過ぎるが故に手に余るようだ。行って助けてやってくれ」
「御意に」
「建前としては処罰になるのだから、皆に挨拶などをさせる余裕は無い。今すぐに向かってくれ。そのための物資、人員は手配しよう」
「当地に人員はいるのでしょうから、ここでの人員補充は必要ありません。すぐにここを立ちます」
鄧艾は部隊を率いている訳でもなく、参謀見習いの一人でしかない。
そういう意味では非常に身軽で、何らのしがらみもなく移動する事が出来る。
「家族はおって任地に向かわせよう。罪人の家族などと扱われぬよう、丁重にな」
「恐れ入ります」
こうして鄧艾は、この公孫淵の乱では何ら武功を立てる事も無く、またこの時より中央を離れ、その名はしばらくの間表舞台に出る事は無くなった。
『求賢令』とはなんぞや?
曹操が人材を求める際に発したモノで、極端に要約すると
「前科者でも現役犯罪者でもどんな才能でも、優秀なら採用するから面接に来い」
と言う感じです。
この時代に役職に就くには、まず有力者から推薦が無ければそもそも面接も受けられません。
人材マニアの曹操は、それでは才能が集まらないと感じたらしく、コネ社会に風穴を開ける様な感じで
『求賢令』を発します。
今の時代感ならごく普通と思えなくもないのですが、当時では考えられない事だったらしく、かなり多方面からの反発があり、粛清の嵐が吹く事にもなりました。
ちなみに司馬懿は曹操の時代には父や兄が仕官しているのですが、その面々のコネを利用せずに曹操から採用されています。
これは極めて異例な事で、曹丕や曹叡から重用されながらも他の家臣から信用されなかった原因の一つでしょう。
優秀な中途採用社員が信用を得られないのは、今も昔もわりと同じなのかもしれません。
ちなみに司馬懿の虐殺を諌める面々がいましたが、この物語の創作です。
本編中でも触れてますが、大将軍に逆らえる人はいなかったでしょう。