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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 泥塗れの龍と手負いの麒麟は

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第二十八話 二六〇年 悪い噂

 それから蜀の都である成都では、ある噂が広まっていった。


 曰く、姜維が蜀の精鋭を連れたまま魏に降ろうとしている、と言う噂である。


「伯約が? 今更魏に降ろうとしているとは思えないがなぁ?」


「市井の噂と言うモノは、根も葉もない噂と言う事はなく、どこからか出処と言うのがあるモノです。そんな噂が広まると言う事は、大将軍に思うところがあるのかも知れません。陛下にどの様な不満を持っているかはわかりませんが、大将軍と言う国家の重責を担う重職をその様な疑いのある者には任せておけません。後任には閻宇が適任でしょう」


「お待ち下さい。陛下が言っていた通り、今、姜維大将軍が魏に降ると言う理由が分かりません」


 劉禅はその噂に対する協議として、文武百官を集めていた。


 黄皓はそこで劉禅に姜維を罷免する様に説いていたが、それに疑問を呈したのは諸葛瞻だった。


「思遠も大将軍の北伐には反対だったではないか?」


閻宇が尋ねると、諸葛瞻は首を振る。


「それとコレとは別問題。北伐が頓挫していると言うのならば、大将軍としての責任を問われるのを回避する為に魏に降ると言うのも、まだ分かります。ですが大将軍は以前自ら降格してでも北伐を続けています。優勢である今、わざわざ蜀を捨てて魏に降る必要性を感じられないので。これは魏の離間の計なのでは?」


 諸葛瞻としても、姜維に対して思うところはある。


 確かに姜維は魏に対して勝利を重ねているが、しかしそれが成果に繋がっていない。


 父である諸葛亮と同じく、勝利はしても魏との距離を縮められていないのである。


 確かに父の、そして蜀の悲願である事は理解しているが、それによる国庫の負担は無視出来ない。


 むしろすでに限界を超えていると、諸葛瞻は危ぶんでいた。


 その為、姜維の北伐を止めさせると言うのであればそれには賛成するのだが、しかしだからと言って姜維が魏に寝返ろうとしている噂は信憑性に欠けると言うのが諸葛瞻の感想だった。


 諸葛瞻はその出自もあって、実際の位より発言力が強く影響力もある。


 その諸葛瞻がそう言うのであれば、そう言う事なのだろう。


普段ならそう言う空気が流れるところだったが、今回は違った。


「これはあくまでも噂の域の話なのですが」


そう切り出したのは董厥だった。


「姜維大将軍が蜀に降るきっかけとなったのは、当時の上役である夏侯楙に問題があり、今回の戦で同じ夏侯一族である夏侯覇を亡き者にしています。今の魏では夏侯一族は以前ほど力を持っている訳でもなく、恨みを晴らした事で魏に降ろうとしているとか」


 夏侯覇は夏侯淵の息子で、夏侯楙は夏侯惇の息子なのだが、同じ夏侯一族であると言う括りで言うのであれば間違いない。


「それだけではありませんよ」


 いつもなら下手な口出しをしない黄皓が言う。


「姜維大将軍が軍事の天才である事は、我々蜀の民だけでなく、幾度も苦杯を舐めさせられた魏軍にも知れ渡っている事です。その大将軍が降ると言うのであれば、当然魏でも優遇される事でしょう。さらに大将軍が勝ち目の薄い北伐を繰り返しているのも、蜀の国力を低下させる事が目的であるとか。蜀の国内の状況に詳しく、精鋭を率いて、しかも戦の天才。それだけでなく敵国に亡命した夏侯覇さえも討たせた事までも手伝っているのであれば、今より魏で優遇される好機は無いでしょう」

 黄皓はそう言うと、一度言葉を区切る。


「おそらく市井の噂も、そう言うところを嗅ぎ取っての事でしょう」


 魏に降る理由として考えるなら諸葛瞻としては少し弱く感じたが、自分の売り込み時期で考えるのであれば黄皓が言う様に、今ほど高く売れる時期は無いだろう。


「どこまでも噂なのだろう? 伯約らしくないのではないか?」


 劉禅は首を傾げている。


「一平民であれば、あるいは末端の武将であれば陛下の言われる通りです。ですが、事は大将軍と言う国の柱の話。疑念のみであっても、それは一大事。ここは知勇兼備の閻宇が適任でしょう」


「ふーむ、どうしたものか」


 黄皓は押してくるが、劉禅としてはそれをどれほど深刻に受け止めているか分からない様な、呑気な表情と口調で首を傾げている。


 この場に集められた者の中には、これが黄皓の企みであると察した者もいたのだが、ここで黄皓に敵対する様な事を口にする事が出来なかった。


「もし陛下がお疑いであるとするのであれば、一度大将軍をお手元に呼ばれてみては?」


 誰も提案しない中、末席から郤正が言う。


「郤正、口を慎みなさい」


「疑いのある者を陛下の前になど出せぬ」


 黄皓と閻宇が注意する。


「いや、よい。遠慮はいらぬ。郤正の言、もう少し聞きたいな」


 そんな中、劉禅だけが郤正の提案を聞きたそうにしていた。


「黄皓様のおっしゃる通り、国家の柱である大将軍にその様な噂があるのは聞き逃す訳には行きません。ですが、市井の噂だけで大将軍を罷免したとなると、それはより大事になりそうではないかと小心者の私などは思ってしまいまして」


「確かに。郤正の言には一理ある。ただの噂で大将軍を罷免など、前例を作る訳には行きません。まずは大将軍の話を聞いてみない事には」


 諸葛瞻が大きく頷いた事で、場の空気が変わる。


「ですが、陛下の身を危険にさらすのでは?」


「いや、さすがに姜維大将軍であったとしても、この百官すべてを敵して勝てるとは思わないだろう」


 閻宇は反対だったが、樊建も郤正の提案に賛成する。


「軍丸ごと魏に降ろうとしているとの噂。陛下が召還されては、姜維がその様に行動するのでは?」


 黄皓が尋ねると、劉禅はやはり首を傾げる。


「もしそのつもりであれば、何をどうしたところで手遅れだろうが、今はまだ噂なのだろう? それに伯約は高く売り込めるかも知れぬが、張翼や傅僉は同意しての事なのか? 伯約は元を正せば魏の者かもしれぬが、他の者は蜀の者達だぞ?」


「陛下、やはりお疑いとあらば一度大将軍に直接確かめられる方がよろしいかと。それにこの噂、黄皓様達が心配される通り、国家の柱たる者であれば無視出来ぬモノと言うのも事実なのですから」


 郤正はあくまでも中立の立場から意見する。


 自分が末席である事を、郤正は誰よりも自覚している。


 なので無理に自分の意見を押し通そうとはしなかったし、目上である黄皓の事も立てていた。


 その処世術もあってか、彼は目立った出世こそしていないものの、黄皓の屋敷に住まいながらも大きな揉め事からも無縁であった。


 常であればこの様な場で発言する事も無いのだが、黄皓の企みに気付いた者として黙ってはいられなかった。


 姜維の北伐に関して言うのであれば、蜀国内でも批判の声が多いのは事実である。


 しかし、姜維が魏に勝利しているからこそ、魏から蜀への侵攻が少なく防戦のみに手を焼いている事もまた事実である。


 姜維が北伐を繰り返さなければ蜀は豊かであったと言うのが北伐反対派の意見だが、その時には姜維によって受けた損害の無い、万全の魏軍が蜀に攻め込んでくる事だってありえたのだ。


 歴代の魏軍の名将、郭淮や陳泰、今戦っている鄧艾や司馬望などを相手に国境を守り続ける事こそ困難であり、そうなった場合の国内の不安と混乱は今の比では無いだろう。


 北伐反対派はその可能性に目を向けていない。


 どこまでも『噂』と言う域を出ないが、それでも大将軍が敵国に寝返る恐れがあると言うのは無視する訳にはいかず、姜維を召還する為に劉禅は書状を書いた。


 それも一通では届かなかったとシラを切られる恐れもあると言う事で、三通もの念押しをされたのだった。




 事の成り行きを知らない姜維は、劉禅からの突然の書状を戦場で受ける事になった。


「……離間の計、か」


 姜維は三通の書状に目を通しながら、大きく溜息をつく。


 それが分かったところで、皇帝からの勅書を無視する事は例え大将軍であっても許される事では無い。


「将たる者、戦場にありては君命も受けざるところなり! 今撤退など、ありえません!」


 劉禅からの勅書に対する答えを独断で下すわけにもいかず、姜維は祁山の包囲の指揮を取っている張翼と、洮陽を包囲する傅僉と言う最低限の武将だけを呼んでいた。


 傅僉は激怒してそう言うが、姜維と張翼はすでに撤退の意思を固めていた。


「大将軍、ここは一度地ならしが必要なのではありませんか?」


「……かもしれませんが、魏を打倒するには国内の事はそこに残る武将で解決させてもらわないと、先に進む事が出来ません」


「ですが、ここまで不安定では先どころの話では無いでしょう。まず何よりも陛下に確固たる態度で示していただかなくては、この先北伐どころでは無くなります」


「……将軍の言う事、まさに正道なり。まず何よりも陛下、か」


「ここまで押し込んでおきながら、撤退とは口惜しい限り!」


 傅僉だけは感情を押し殺す事なく憤っている。


「分からないでは無いが、そう言うな、傅僉。それに、夏侯覇将軍の国葬も出さねばならない。将軍は私の身代わりになってくださったのだから、私はせめてそれくらいには報いてあげたいのです」


 姜維はそう言うと、夜の闇に紛れて全軍を漢中に撤退させる事を決めた。


「魏の追撃があるのでは?」


 傅僉はむしろそれを期待している様な口調だったが、姜維は首を振る。


「鄧艾と言う武将は一見奇策を好む様に見えますが、その実は堅実で慎重な男。劣勢の中で包囲されてきたのだから、兵の疲労は相当なモノのはず。今無理に追撃するだけの体力はなく、それを決行しても期待する戦果を得られない事は知っているでしょう」


 かと言って無防備に撤退する訳にはいかないので当然追撃に対する備えはしていたのだが、姜維の予想通り魏軍からの追撃は無かった。


 姜維は漢中に戻ると兵や武将達は漢中に留めおいて、単身で成都へ向かう。


「さすがに単身と言うのは危険では? 副将の随行は決して不可解では無いはずですが」


 漢中で留守役をしていた廖化が、姜維に申し出る。


「離間の計に嵌められたとは言え、特に理由も無く私を害すると言う事は無いでしょう。こちらに叛意が無い事を陛下に知ってもらう為にも、ここは兵を連れて行く訳にはいかないのです」


 姜維はそう言うと、そのまま成都に向かい劉禅に会おうとした。


 しかし、姜維が単身で成都に来たと言う報告を受けた劉禅は、姜維に叛意が無い事の表れであるとして上機嫌になり、わざわざ会うには及ばずと言って朝廷にすら顔を出さなくなっていた。


 それでも姜維は劉禅に会おうとして毎日参内したのだが、劉禅に会う事は出来なかったが、その代わりと言うわけでもないが郤正を見つけた。


「確か、郤正と言ったな? 陛下が私を召し返したと言うのにお会い下さらないのだが、私はどういった理由で呼ばれたのだ?」


「……大将軍にも、多少の予測はあるのでは?」


「無い訳ではないが、あくまでもそれは予想と憶測であり事実では無い。どう言う理由なのか、教えてもらえないか?」


「将軍が魏に寝返ると言う噂が広まったのです。十中八九、いえ、おそらくはまず間違いなく確実に魏の離間の計でしょうが、大将軍の重責にある者にその様な噂が立つのは無視出来ないと黄皓様が……」


「なるほど、やはり黄皓であったか」

毒として扱っているので


黄皓様は、正史では露骨な権力者だったみたいです。

始皇帝亡き後の趙高の様な存在だと思われます。

なのでこの頃にはすでに閻宇だけでなく、諸葛瞻も董厥も黄皓派と言えるくらいになびいていました。

強いて言うなら樊建は一定の距離を保っていたみたいですが、とても黄皓様と戦えるほどでは無かったみたいです。


なので、この物語の黄皓様は史実と比べて数段影響力が劣ると言う事になりますが、それはゆっくり回る毒として扱っているからです。

この時代の絶対権力者は、今の時代では考えられないくらいの権限を持っていますので、それはもうやりたい放題だったでしょう。

書いてはいませんが、この物語でも黄皓様はやりたい放題にやってます。


何故劉禅に重用されたのかは分かりませんが、どうしようもないヤツです。

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