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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 泥塗れの龍と手負いの麒麟は

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第十七話 二六〇年 崩壊の足音

「子尚めが! これ以上は、もはや許す事など出来ぬ!」


 曹髦は卓を叩いて怒鳴る。


 司馬昭と曹髦の関係は日を追う事に悪化の一途を辿っていた。


 基本的には若年である曹髦の方が皇帝であるにも関わらず司馬昭を立てて折れているのだが、曹髦はそのまま傀儡になるのをよしとせず、司馬昭と意見を戦わせる事もあった。


 そうなった場合、司馬昭は人の目を気にして一旦は引き下がるものの、後日賈充を使って圧力をかけてくるのである。


 それは曹髦が折れるまで続き、また側仕えである王沈や王業もそれに加担して曹髦に折れる様に進言してくる。


 うんざりして曹髦が折れると、司馬昭は皇帝のお墨付きであると言いふらし、また賈充は折れるのであれば最初から反対しなければ話は早いと嫌味まで言ってきた。


 それでも曹髦は耐えた。


 これらの理不尽は司馬昭が曹髦を恐れるからであり、この理不尽な行動は司馬昭自身の首を絞める危険がある事を見抜いていたからでもある。


 司馬昭が大将軍となって権力を牛耳っているとはいえ、全てを掌握している訳ではない。


 もしそうであれば、ここまで理不尽な行動を取らなくても問題を起こされるはずがないからである。


 確かに司馬昭の権力は強大ではあるが、それは一枚岩と言えるほど強固なものでは無い。


 曹髦は恥辱に耐えながら、司馬昭陣営の隙を伺っていた。


 ある意味では、先に痺れを切らしたのは司馬昭陣営だったのかもしれない。


 その日、司馬昭は賈充の他、主だった自身の配下を連れて曹髦の元に乗り込んできた。


 用向きは、司馬昭を晋公の位に就けるようにと言うものだった。


「大将軍のご功績とご人徳、まこと絶大です。それに相応しい位、晋公に封ぜられるよう、陛下にお願いに参りました」


 そう言ってきたのは賈充だった。


 その言い分にも驚かされたが、曹髦がもっとも驚かされたのは司馬昭が引き連れてきた面々である。


 賈充は言うに及ばずだが、石苞や鍾会、魏の重臣の中の重臣である荀彧の息子である荀顗じゅんぎなど、曹髦に極めて近しい者達も司馬昭と共に参内してきたのだった。


「ほう、朕の知らないところで大将軍はその様な功績を挙げていたか。して、諸葛誕との戦の他にどの様な功績を挙げているというのだ? 朕には報告が無いもので、まったく伝わっておらぬのだが?」


 この時には両陣営共に相手の出方を見るほどの様子が無く、曹髦の分かりやすい挑発に対して司馬昭側も有効な手立てが無かった。


「陛下が皇帝であらせられるのは、全て大将軍によるところですぞ。それを功績と言わずして何と言われるおつもりか?」


 賈充はすぐに感情的になって、曹髦に詰め寄る。


「ほう、朕は大将軍のおかげで皇帝になったと言うか。確か朕の記憶では、皇帝にと勧めたのは大将軍の兄では無かったか? それに功績と言うが、それであれば今なお西蜀の侵攻を食い止めておる司馬子初、鄧士載の両将軍の方が直接的に功績と言えるだろう。大将軍もそれほど有能な人物を多数引き連れておるのだ。一度子初と変わってはどうだ? それでこそ大将軍の功績と人望を示せるであろうに」


 正に、売り言葉に買い言葉であり、曹髦としても最初はここまで言うつもりは無かったのだが、賈充のあまりにも無礼な態度に据えかねていたのである。


「陛下、我が一族は父子三代に渡って陛下にお仕えしてきました。それでは不足と申しますか?」


 司馬昭も表情を険しくして、曹髦に向かって言う。


「朕は先年、諸葛誕の乱を鎮圧した折に大将軍には九錫と晋公の位を授けると提案したはずだが、大将軍の方がそれを拒んだと記憶しておる。それを今になって惜しくなったか?」


 曹髦が司馬昭を睨みつけると、司馬昭は無意識のうちに腰に下げている剣に手を伸ばしていた。


 司馬昭は帯剣を許されているので、今この場で武器を所持しているのでは司馬昭のみである。


「大将軍、陛下はご気分が優れない様子。ここは日を改めては?」


 一触即発の空気を察知した鍾会が、司馬昭に進言する。


「……その様だな。陛下、以前龍の話をした後で『潜龍』と言う詩をお読みでしたな。自らを井戸に落ちた龍に例え、周りの青蛙やどじょうにまで侮蔑されると。我ら重臣をどじょうに例えるなど、それが重臣に対する事でございましょうか」


「自覚があるのであれば、それを直すのは朕ではなくどじょうの側ではないのか?」


「陛下」


 見かねた王経が、曹髦を窘める。


 また冷ややかにだが怒り心頭の司馬昭も、鍾会に止められている。


「では陛下、近々御心変わりもあると思いますので、その時にまた改めてまいります」


 司馬昭はそう言うと、引き連れてきた文武官達と共に曹髦の前から引き上げた。


 その一連の事に対して、曹髦は怒りを露わにしたのである。


「陛下、なにとぞお怒りをお静めに」


「この怒りを静められようか! アレを見たであろう! 子尚め、ついに野心を隠そうともせぬではないか! 司馬昭の心、道行く者にも分かろうぞ! 朕はこのまま廃位の恥辱を甘んじる事など出来ぬ!」


 曹髦はこれまでもせっかちで感情を隠さないところはあったが、これほど露骨に怒りを見せる事など無かった。


 彼は若くとも覇王であり、自身の怒りが戦略を狭める事を本能的に知っていた。


 しかし、この時は側仕えの王経達が見た事も無いほどに激怒していた。


「仲達、子元の功績が大である事は朕も重々承知しておる。晋公の位など惜しむべき何物も無い。だが子尚はどうだ。あの者は魏に対する忠義功績などではなく、自身の権勢の為に朕を貶めようとしておるではないか! もはやあの者は魏において害でしかない!」


「お待ち下さい、陛下。大将軍は兵権を一手に握っておいでです。争うとなった場合、大将軍の号令一つで魏の兵は動きます。それに対し陛下は、ご自身の親衛隊ですら事欠く様な状態。今兵を起こしても、万に一つも成功の見込みはございません!」


 側仕えの内、王経だけが膝をついて曹髦に諫言する。


「ほう、言うではないか王経よ。朕は皇帝であるぞ? その朕に逆らうという事、そなた、十分に承知しての事であろうな?」


 曹髦は恐ろしく冷たい目で、跪く王経を見下ろす。


 皇帝に対する直言など、世が世ならそれだけで切られてもおかしくない。


 それどころか三族皆殺しもあり得るほどの時代もあった。


 曹髦はそれほどの暴君ではないにしても、今の怒り狂った状態であれば脅し文句を実行する事は十分に考えられる事である。


「無礼非礼は承知しております。もしこの王経の首を切る事でお考えを改めて下さるのであれば、どうぞお切り下さい。ですが、此度の短慮だけはお静め下さい! 今のままでは」


「もう良い。下がれ」


 そう言った曹髦は、表情も口調も先ほどまでの怒り狂った状態ではなく、どこか穏やかなところがあった。


「ですが陛下」


「案ずるな。この程度の事で罪に問う様な狭量ではない。焦伯しょうはくを呼んでまいれ」


 曹髦は手で払う様な仕草で、三人を退出させる。


 変わりに呼べと言われた焦伯と言うのは近衛隊の隊長であり、曹髦は兵を集めるつもりを変えようとしていない事を示していた。


「王経よ」


 退出しようとする王経を、曹髦が呼び止める。


「そなた、良き者であるな。そなたは万に一つも成功せぬと申したが、もし百万に一つの奇跡が起きた時には、そなたの事を重用しようぞ」


「陛下……」


「朕からは以上だ。焦伯を呼んでまいれ」


「御意」


 曹髦の決意は固く、もはや説得する事が出来ないと知った王経は、焦伯を呼ぶと自身は王業や王沈と共に別室に向かう。




「これは由々しき事態。さっそく大将軍にお伝えせねば」


 慌てる王業の胸倉を、王経は掴む。


「今、何と言った? 大将軍にお伝えだと? 本気で言っているのか?」


「何を言う、王経。変事の兆しあれば大将軍に報告する事は当然であろう」


 王業だけでなく、王沈までもそんな事を言う。


「お前達、気は確かか? 陛下ではなく、大将軍に肩入れするつもりなのか? それでも魏の臣下か! 恥を知れ!」


 王経は、二人を怒鳴りつける。


「ではお前に何が出来るというのだ? 先ほど陛下の説得に失敗したではないか。それとも内乱を期待しているのか? だとすれば、貴様こそ奸臣」


 王沈は迫力に押されながらも、王経に尋ねる。


「今の陛下はたかぶられておられる。だが、いかに近衛隊長の焦伯といえど兵を集めて行動するとなっては、今日の内にとはいくまい。明日の早朝に焦伯も交えて、今一度陛下の説得に当たる。陛下は聡明な御方。きっと分かって下さる」


「そうであれば良いがな」


 そう言って、三人はそれぞれの帰るべきところへ帰っていった。


 王経はそう思っていたのだが、王業と王沈はその足で司馬昭の元へ向かっていた。




「なるほど、その様な大それた事を考えておられたか」


 司馬昭は冷静に言う。


 司馬昭の元には腹心の賈充の他、鍾会や荀顗と言った参謀たちが集まっていた。


 その中には石苞や胡奮、胡烈の兄弟と言った武将達の姿は無い。


「はい。それに王経のヤツはこの事を大将軍に伝える事を阻止しようとまでいたしまして、あやつこそ忠臣の衣を着た奸賊。なにとぞ、大将軍もお気をつけ下さい」


 王業が身振りをつけて、司馬昭に説明する。


「ほう、王経がな。知っておるか? あやつ、若くして荊州の刺史であり、父の政敵であった曹爽から自陣営に加わる様に賄賂を贈られた事があるという。それを曹爽に突き返し、それどころか職を辞して関係を断ったそうだ。復職してもその事があって出世が遅れ、雍州でも独断が過ぎて姜維にしてやられたそうだ」


 司馬昭は苦笑い気味に言う。


「まこと、そなたらの言う通り忠臣の衣、いや皮を被った奸賊よ」


 司馬昭の言葉に、王業と王沈は安心する。


「……あるいは、まことの忠臣、ですか?」


 鍾会が小声で司馬昭に囁く。


「陛下にも困ったものだ。皇帝自らが内乱を起こそうなど、国が乱れるどころの話ではない。太祖に近しいと評判であったが、血気に逸っただけの凡俗であったとは嘆かわしい。大国魏の皇帝の器で無かったばかりか、皇帝が国の災いとなるとはな」


 司馬昭は鍾会の言葉に答えず、独り言の様に呟いて溜息をつく。


「王業、王沈、此度の件は承った。この功績には、見合った恩賞を約束しよう」


「ありがとうございます! して、大将軍。王経めはいかがいたしますか?」


 王沈が司馬昭に尋ねる。


「うむ、その様な奸賊を放置する訳にもいくまい。確か都にヤツの母も住んでおったな。内乱を起こす不届き者の一族、生かしておく訳にはいかんだろう」

曹髦と司馬昭のやり合い


少なくとも、正史でも演義でも曹髦はここまで強気じゃありません。

と言うより、曹髦と司馬昭の間にはこんな挑発が許されないくらいの差があり、残念ながら曹髦に出来る事は頷く事くらいでした。

で、憂さ晴らしに『潜龍』の詩を作ったのですが、これが賈充にチクられて立場をさらに悪くする事になりました。

ちなみに『潜龍』の詩の内容は演義での創作の様ですが、『潜龍』と言う詩を曹髦が詠んだのは正史にもある話みたいです。


権力争いに年の差は関係ないのですが、さすがにちょっと司馬昭の陰険で陰湿なやり方はいただけません。

が、これに口出し出来る様な人がいないほど、この頃の司馬昭は絶対の存在でした。

むしろそんな司馬昭に逆らった王経は、本当に凄い人だと思います。


あと、この物語では司馬師を立派に、司馬昭を嫌らしく書いてますが、正史では専横がひどかったのは司馬師の時代からで司馬昭が特別悪かったと言う事はありません。

ほどほどに悪かったくらいです。

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