第十四話 二五九年 潜龍
辛うじて姜維を撃退した翌年から、魏国内で奇妙な事が起きた。
魏の国内で、井戸の中で龍を見たと言う者が出てきたのである。
「……龍?」
曹髦は退屈そうに言う。
諸葛誕との戦い以降、司馬昭の曹髦に対する締めつけは露骨に厳しくなっていた。
それは曹髦が皇帝になる以前から傍にいた司馬望が遠ざけられただけでなく、曹髦を皇帝に推した石苞や鍾会ですら、曹髦に近付く事は許されなかった。
側近として近付く事が許された者はほぼ一新され、以前からの付き合いがあるのは曹髦が文籍先生と慕う王沈くらいである。
また、同じ王姓である王業と、王経も曹髦の側仕えとして新たな任についていた。
そんな中で、新任と言う事もあってか皇帝に対して緊張しながらも何かしら話をと思った王業が、市井の話をしたのである。
「はい。それも一箇所ではなく、色々なところでそんな話を聞きます」
「龍か。その様なモノが実在しているのであれば、朕も見てみたいものだな」
王業は興奮気味なのだが、曹髦はさほど興味を示していない。
「陛下は龍の存在を信じないのですか?」
王沈が尋ねると、曹髦は少し考えて首を振る。
「正直に言うのであれば信じる気にもならないのだが、何より朕は見た事が無いのでな。文籍先生は龍を信じているのか?」
「私も見た事はありませんが、龍の存在は信じています」
「ほう、文籍先生が信じているのであれば朕もそれに倣うとしようか」
「各地で龍が見られると言うのは、吉兆の証。陛下の事を讃えているのでしょう」
王沈はそう言うが、それを聴いて曹髦は眉を寄せる。
「そうであれば、市井の民を驚かせるのではなく、蜀なり呉なりに雷を落としてこの乱世を収めて欲しいものだ」
「龍とは人の世に斟酌しないので」
「であれば、それが吉兆という事も断ずる事は出来ないと言う事ではないか、文籍先生」
「これは手厳しいですな」
「いや、これは八つ当たりであった。文籍先生、申し訳ない」
曹髦はすんなりと頭を下げる。
本来であれば皇帝が側仕えの者に頭を下げる事など有り得ないのだが、若い覇王の気質ばかりが目立つ曹髦には、そう言う柔軟なところもあった。
それ故に全端なども曹髦に賭ける気になったのだろうが、司馬昭からも警戒される事になったと言える。
特に王沈が側仕えを解任されなかったのは、彼が文官であり兵権を持つ事が無い為でもある。
司馬望や石苞、鍾会らが外されたのも彼らには率いる兵があり、曹髦の影響力をもってすればそれは司馬昭にとって脅威になりかねない。
王経は武官であり将軍位にもあるのだが、陳泰と違って彼は兵を与えられずに曹髦の側仕えになっていた。
陳泰は充分な武勲を立てて都に帰って来たのだが、王経はある意味では懲罰人事として都に呼ばれたので、将軍位にあっても率いる兵が無い。
それもあって、司馬昭は新たな側仕えとして王経を選んだのだろう。
形だけで言えば大抜擢と言えなくもないのだが、実際の事情はそう言う事なのは王経にもわかっていた。
それもあって、王経は敢えて曹髦とは距離を取っていた。
「ところで、王経よ」
「はっ」
突然話を振られて、王経は驚いて返事をする。
「そなたは将軍位にあり、実戦にも出ていたのであろう? 任地はどこであった」
「雍州にございます」
「ほう、ならば相手は蜀か。朕としては実利も実害も無い龍より、実利も実害もある雍州戦線の話を聞きたいな」
曹髦の言葉に、王経は一瞬戸惑った。
もちろん話す分には問題無いはずなのだが、この場にいる王沈と王業の緊張感が増した様に感じたせいである。
「それであれば、現在の都には適任者がいます。陳泰将軍です。あの方であれば任期、実績において比類なき武将であり、私如きの十倍は優れたお方。陛下の話し相手とするのであれば、これ以上適任な御方もおられないでしょう」
「ほう、陳泰か。さっそく手配するようにするが、果たしてその名将は朕の元まで来る事が出来ると思うか?」
曹髦の鋭い問いに、王経はもちろん、文籍先生と呼ばれ慕われている王沈も答える事は出来なかった。
この新たな側仕えの面子を見ても、司馬昭が曹髦を警戒しているのは知っている。
しかも、周りが思っている以上にこの若き皇帝の事に強い警戒心を抱いている。
それは長らく仕えて来た司馬望や石苞、鍾会と言った兵を率いる立場の人間をまとめて外した事からも分かる。
ただ話が聞きたいと言う理由だけで、一軍を率いる将である陳泰が曹髦と謁見する事はまず不可能だろう。
とは言え、一応の手配はしてみる事になった。
王業がその旨を賈充に伝えたのだが、数日後の返事は予想通り否であった。
「陛下が最前線に出る様な事態はありえません。また、兵の道とは覇道であり王道に求められるものではありませんし、陳泰将軍もご多忙の身。もしどうしても雍州の話を聞きたいというのであれば、側仕えの王経にお尋ね下さい。王経も充分に雍州の戦いにて実績がありますので」
賈充からはこう言う返答が戻ってきた。
「と、言う訳だ。王経よ、少し朕の話に付き合ってもらうぞ」
曹髦は少し楽しげに言う。
この時の曹髦は十九歳。
若き皇帝としては、戦場の話に興味があったのだろう。
しかし、王経はそれほど長く雍州に赴任していた訳ではなく、しかもまともに戦ったのは結果として鄧艾や陳泰の活躍によって勝利した段谷の戦いの序盤、姜維の軍にいいようにやられて籠城したくらいである。
「そう、その話を聞きたいのだ」
だが、奇妙な事に曹髦は英雄達が活躍した勝ち戦より、苦戦を強いられた王経の話を聞きたがっていた。
最初はただの嫌がらせを疑いもしたが、さすがに皇帝はそこまでヒマではないし、何より曹髦にはそこまで陰険なところは見られない。
「勝ち戦や武勲の話は嫌でも耳に入るものだ。実際に戦った訳でも無い者共が、まるで自分の手柄とでも言う様に声高に話しているからな。だが、戦の本質はそこにはない。自分たちがいかにして勝ったのかより、敗れた、苦戦した原因は何なのか。本当に戦を無くしたいと言うのであれば、苦戦を強いられた原因を探る事が勝利の為であり、ひいては治世の世への道標があると言うのが、朕の考えだ」
若く勢い任せなところも目立つ曹髦だが、面白い考え方だと王経は思う。
考えてみれば、太祖曹操にしても、かつての大将軍であった司馬懿も幾度となく戦に敗れてきた。
特に曹操は弱小勢力からのし上がってきた事もあり『戦の天才』と呼ぶに相応しい実績を上げているが、大小様々な負け戦を経験している。
司馬懿にしても天敵諸葛亮を相手に何度も苦杯を舐めさせられてきたが、それでも魏を守り、また諸葛亮亡き後には敗れる事無く難敵政敵を滅ぼしている。
両者共にその敗戦を無駄にしていないと言う事だ。
が、敗戦を重ねると言っても、それ自体が実はかなり難しい事である。
例えば後漢において最大最強の名門であった袁紹は、官渡の戦いの一戦でそのほとんどを失う事になり、その後立て直す事は出来なかった。
同じように袁術も自ら皇帝を名乗った後、曹操、劉備、呂布、孫策と言うその頃には小さな勢力の連合軍に敗れ、それからまもなく滅ぶ事になった。
天下無双として名声を挙げた呂布、後に蜀に降る事になる馬超なども戦場での強さは類を見ないほどであったにも関わらず、僅かな敗戦で消える事になっている。
曹髦と話していると、どうしても不安になってくる。
曹髦は曹操や司馬懿の様に、敗戦から様々な経験を得て大きくなっていくのか、それとも袁紹や呂布の様に才能はあっても消えてしまうのか。
「どうした、王経よ。朕では相手として不足か?」
「あ、いえ、とんでもない。少し考えてしまっておりました」
「ほう、何を考えていた? 朕に聞かせてみよ」
と曹髦は言ってくるが、さすがにそのまま伝えるのははばかられる。
「先日、陛下は龍を信じていない様な事を仰っておられましたが、民が見たと言う話が多数聞かれる事を考えると、やはり龍はいるのでは? と今更ながらに考えておりました」
「ほう、面白い意見だな」
あからさまに話題を変えたのだが、この話題にも曹髦は食いついて来た。
「では何故朕の前には姿を現さんのだ? まさか龍が朕に憚っていると言う事もあるまいに」
「おそらく龍とは権威なのでしょう。故に市井の民にはよく見え、人として最上位である皇帝にその姿を見る事は叶わないのかもしれません。ですが、それはまさしく吉兆。もし市井の民の様に陛下が龍を見る事が出来たのであれば、それは権威の象徴が飛び去る証なのかもしれませんから」
「文籍先生のご意見、まこと聞くところがある」
そう言って会話の輪の中に入ってきたのは、司馬昭だった。
「これは珍しい客ではないか。大将軍よ、そなたも龍に興味があるか?」
「多少は」
司馬昭の答えに、曹髦は笑う。
「なるほどなるほど。しかし、朕に見る事の出来ない龍であれば、大将軍はさらに見る事は叶わぬであろうな。何せ今の大将軍は、皇帝を遥かに凌ぐ権威をお持ちだ。まさに龍の如しではないか」
「ご冗談を」
「冗談? 朕は人に会うにも一々そなたにお伺いを立てねばならぬ。皇帝である朕がであるぞ? なればどちらに権威があろうか、考えるまでもなくわかろうものだ」
「陛下、それは誤解です。陛下は魏において二人といない貴重な御方。もし万が一の事態など起ころうものなら、それこそ魏にとって取り返しのつかない事になりかねません。私の差配に不満もありましょうが、それらの窮屈さも全てはこの司馬昭の忠誠心の現れでございます」
「うむ、よい弁舌だ。なるほどと思えなくもない」
そうは言うが、曹髦の表情に先ほどの様な楽しんでいる気配はない。
「陛下我々は……」
王沈が退席しようかとしたのだが、曹髦はそれを制する。
「構わぬ。そこで朕と大将軍の話を聞いておれ。構わぬよな、大将軍よ」
「陛下の御意のままに。私も多少時間が空きましたので、陛下が側仕えとどの様な話をされていたのか興味がありました」
司馬昭は表情を変える事無く、淡々と言う。
つまりは様子見と言う事だ。
王沈、王業、王経はそれぞれ率いる兵を持っている訳ではない。
しかしそれでも王沈は三公である司空にまで上り詰めた王昶の甥であり、私兵を集めようと思えば集められる家柄であり、王経は家柄はともかく現役の将軍位にある人物である。
もし兵を集める事が出来れば、それを率いる事が出来るのだ。
賈充から最近曹髦が側仕えの者達と話し合う事が多いと報告を受けた以上、司馬昭としても様子を見に来る必要があった。
「では大将軍も龍の事も吉兆と捉えておるのか?」
「無論。龍が国民に難を与えるのではなく姿を見せるのは、文籍先生の言う様に権威を示している証であると、私も思っておりますので」
「たわけ! その程度の認識で、国家の重責が務まるのか!」
司馬昭の答えに、曹髦は一喝する。
「龍が権威を示すと言うのであれば、何故井戸の中で見つかるのだ! 本来であれば空を翔けておるはずだ。もし地にいたとしても、それは田畑においてその地を豊かにしておるのが本来の権威を示す姿であろう! 閉じられた井戸の中にいて、何が権威を示す事になる! これを吉兆などと、楽観が過ぎよう!」
曹髦に言われ、司馬昭は返す言葉も無かった。
とても十九歳の若者の見識とは思えない言葉であり、またその声にも充分過ぎるほどの覇気があった。
これが覇者の血か。
それは司馬昭だけでなく、この場にいた全員がそう思った事である。
「何だったら『潜龍』と言う詩文を書いて、大将軍に贈ろうか?」
「……いえ、それは不要です。陛下の見識、まことに恐れ入りました」
そう言って司馬昭は退出する。
この一件が、二人の行く末を決定付けたと言えるだろう。
龍を見た
この年にはそう言う目撃情報が多かったらしいのですが、「ミスト」や「クローバーフィールド」みたいな事にはなってません。
本編で書いた通り、周囲は吉兆と捉えたみたいですが曹髦はその考えを退け、潜龍と言う詩を詠んだそうです。
残念ながら潜龍と言う詩は現存していないのでどの様な内容なのかは分かりませんが、演義では司馬昭並びに司馬一族を愚弄する内容として書かれています。
が、曹植の七歩の詩と同じく創作である可能性が高いとか。
曹髦は曹操に似ていると評されるくらいなので、詩文の才能もあったのでしょう。
ちなみに本編では龍を信じていないはずの曹髦が司馬昭に龍について色々言ってますが、文籍先生が信じていたのでそれに倣って勉強したんです。
 




