第六話 二五八年 堅城も内側より
何もかも想定外な事が続く諸葛誕軍だったのだが、まさか自軍から脱落者が出るとは思っていなかった事もあり、士気の低下は深刻な状態だった。
また呉軍との信頼関係は失われたままであり、本来であればその橋渡し役であったはずの全端が最初にいなくなってしまった事は、周りが思っている以上に大きな問題となったのである。
于詮にしても最初は諸葛誕の信頼を取り戻そうとしたのだが、諸葛誕の態度に辟易してしまって、逆に距離を取る様になってしまった。
司馬昭の大軍には協力して当たらなければ勝ち目はないのだが、むしろ敵襲がある時の方がマシに思えるくらいに寿春城内での諸葛誕軍と呉軍の亀裂は深刻だった。
そこへ追い打ちを掛ける様な、想定外の事が重ねて起きた。
雨季を迎えたにも関わらず、川が増水せずに氾濫する気配すら見せないのである。
淮南の地と言えば広大な荒地と言うのが魏の者の共通認識だったかもしれないが、鄧艾が運河を作ってからと言うのも急速に生産拠点へと成長した土地だと言う事を、諸葛誕は正確に把握していなかった。
ましてこの地には実務に強い張特や、今は亡き名将毌丘倹が赴任していた事もある。
記録的な豪雨でも無い限り、今の淮南では川の氾濫など起きないと言う事を諸葛誕は失念していた。
これによって諸葛誕の戦略は完全に破綻したのだが、事態はそれだけでは済まなかった。
川が氾濫しなかった事によって、魏軍の大軍はその物資の輸送も難なく行える為に大軍を維持する事も出来ていたが、寿春では諸葛誕の軍と呉の援軍を維持するだけの兵糧がなくなったのである。
本来であれば呉軍の兵糧などは前線基地である安豊から届けられるはずだったのだが、連絡を完全に分断されている為に物資を運び入れる事も出来ない。
諸葛誕の持久策に乗る様な形で魏軍も本腰を入れて寿春城を攻めていなかった事もあり、城内の兵も大軍であるまま変わらなかった事もあって、当初の想定より恐ろしく早く兵糧が尽きてしまったのも、諸葛誕にとって致命的な想定外だった。
元々諸葛誕軍の将軍だった者ですら敵に寝返ったのである。
食べ物も無いとなると、それに倣う兵が出るのは止むを得ない。
歯止めが掛からない逃亡者に対し諸葛誕は見せしめとして数名の脱走兵を切り捨てたが、それもさほど大きな効果は得られなかった。
「諸葛誕! 呉軍への配給を止めるとはどう言う事だ!」
そんな中、兵糧の尽きた寿春城で大きな問題が発生した。
呉の援軍への配給を停止すると、諸葛誕が宣言したのである。
「共に戦う我らに飢えて死ねと言うか!」
それに噛み付いてきたのは、文欽だった。
「共に戦うだと? 戦っては敗れ、城に入れてやっては無駄に飯だけ食らう役立たずどもめ。飢えているのは貴様らだけではない! むしろこれまで兵糧を供給していた事に感謝されるべきところだ!」
諸葛誕は文欽に向かって怒鳴る。
お互いに感情的になったところで、良い事など無い事くらい双方共に分かっている事だったのだが、それでも感情を抑えられるほどの余裕は無かった。
「ならば、魏の兵を城から出してやれば良いではないか! この城において逃亡者は呉より遥かに魏の兵の方が多いのだ! 逃げたいヤツげ減ればそれだけ兵糧にも余裕が出よう!」
「貴様、そうやって兵を減らしてこの城を奪うつもりだな! 考えてみれば、貴様が援軍と言うのもおかしな話だったのだ! 呉の者共め、最初からそのつもりだったか!」
「何を馬鹿げた事を! 貴様の事などどうでも良い! だが、司馬一族の専横を許すつもりは無いからこそ、貴様であっても援軍に来てやったと言うのだ! その貴様がその体たらくでは話にもならん! 今ここにいるのが貴様ではなく毌丘倹将軍であれば、司馬昭の首などとうに取っていた事だろう!」
「誰か! この不届き者を切れ! こやつは内乱を企む謀反人である!」
「誰が謀反人か!」
この場に于詮、あるいは息子である文鴦がいれば事態は変わっていたかもしれない。
だが、この場に文欽を止める者がおらず、文欽は感情に任せて剣を抜き放った。
それは本気では無かったとしても、謀反を企てた者と見られてもおかしくない行動であり、衛兵達が諸葛誕を守ろうとするのも当然の行動だったと言える。
が、それは無数の槍が文欽を貫くと言う結果を招いた。
「……この謀反人には息子がいたな」
諸葛誕は絶命した文欽を見下ろしながら、周囲に尋ねる。
「文鴦と文虎と言う兄弟がいましたが」
「その者らも同罪である。兵を率いてその者らも切って捨てよ」
正直なところで言えば、諸葛誕としては文鴦らまで罰するつもりは無かったのだが、父を殺されてそれでもこちらに従うとは思えなかった。
しかし、こうなっては仕方がないのである。
諸葛誕は毌丘倹の乱の時に、遠目にではあっても文鴦が司馬師の本陣を急襲するのを見ているので、その勇猛さも多少は知っていた。
そこで諸葛誕は五十人の兵を送り込み、文鴦と文虎の首を取る様に命じた。
もちろん、文鴦と文虎もされるがままになっている訳ではない。
「父上を行かせるべきではなかったかもな」
文鴦は誰に言うでも無く呟いていた。
元々父の文欽と諸葛誕は不仲であり、これまで様々な人物が間に立って仲裁していたくらいである。
兵糧の件も文欽ではなく于詮に任せるべきだったのではないか。
そうは思ったのだが、当の于詮が難色を示した事もあって文欽が向かったのである。
全端さえいれば少しはマシだったのだろうが、それも今言ったところでどうにもならない。
「兄上」
文虎が剣を手に、文鴦に声を掛ける。
それですぐに察した。
隠していても分かる一人や二人ではない足音や、甲冑の僅かな擦過音などが聞こえてきたのである。
伝令であれば、そもそも足音を隠そうとする必要も無い。
文鴦と文虎は部屋の物陰に隠れて様子を見ていると、槍や剣を持った兵士達が雪崩込んで来た。
もはや話し合いの通じる雰囲気ではない事は、見ただけでわかる。
文鴦は素早く物陰から槍を持つ兵士に切りかかると、一太刀の元に兵士を切り伏せて槍を奪うと、すぐにその槍を後続の兵に向かって投げる。
その槍が兵の腹を貫くのを見ると、文鴦は同じように槍を持つ兵士を切り捨ててはその槍を奪って兵に投げる。
一瞬のうちに数名を切り捨てた文鴦だったが、さすがにそれで全ての兵を撃退する事など不可能である。
文鴦の人並み外れた武勇は諸葛誕の部下であれば多少は見聞きしている事もあり、槍を持つ兵士は文鴦の剣の間合いから離れて攻撃しようとする。
が、それは文鴦による誘導であり、距離を取って攻撃しようとした兵士の後ろから文虎が斬りかかった。
兄ほどではないにしても、文虎もまだ幼さを残した少年にも関わらずその武勇は充分過ぎるほどであり、すぐに兵士を切り捨てて槍を一本文鴦に投げ渡すと、自身も槍を奪って手近な兵を突き倒す。
瞬く間に十数人の兵を切り倒した文鴦と文虎だったが、たった二人で数万の寿春の軍を全滅させる事など不可能である事は分かっている。
二人は兵を斬り伏せながら城内を逃げ、城壁から飛び降りると魏に投降する事にした。
「文鴦だと? ヤツこそ兄上の仇ではないか! 投降など誰が許すものか! 切り捨てよ!」
いつも冷静沈着な司馬昭だったが、文鴦と文虎が投降を申し出たと言う報告を受けて激怒してそう怒鳴っていた。
「お待ちくだ……」
「待て、子尚。それは大将軍としての判断か?」
鍾会が諌めようとしたのだが、それより先に曹髦が司馬昭に尋ねた。
「何を……」
「子元は朕にとっても師父であった。子尚の様な、実の兄弟の絆には及ばぬかも知れぬが、朕とて師父を奪われたと言う意味では文鴦には思うところはある。しかし、投降を求めてきた者を過去の私怨によって切り捨てたとあっては、今後呉からの、まして同じ魏の者である諸葛誕の兵達を追い詰める事になるのではないか? あれは文欽の責任であり、また毌丘倹の咎であり、文鴦は得難い豪傑ではないか」
「まさに、陛下の言われる通りと僕も思います」
曹髦の言葉に、鍾会も頷く。
「それに、文鴦と陛下や大将軍の因縁は誰もが知っていましょう。その文鴦が許されたと言うのであれば、皆もそれに追従しやすいでしょう。大将軍、何卒文鴦の投降を受け入れ、先の全端らと同じ様に厚遇を約束して下さい。その上で文鴦に寿春城に投降を呼びかけさせましょう。さすれば敵の士気も地に落ちます」
「……確かに。陛下の見識、この愚臣でははるかに及びませんでした」
「では、その様に致せ」
「御意」
司馬昭は文鴦と文虎の兄弟を迎え入れる。
「文鴦よ。そなたの武勇、天下広しといえど我ら司馬一族こそが最も知るところであろう。その意味はわかっておるな?」
司馬昭がそう切り出した時、誰もがやはり司馬昭は文鴦を許すつもりは無いと思った。
文鴦にしても覚悟の上だった。
「はい。ですが、それは俺だけの罪。弟には何の責もありません。閣下には何卒寛大な処置を賜りたく」
「何を言っておる? そなたの罪? その武勇を誰よりも知り、評価しているのが我ら司馬一族であるのだ。その様な一騎当千の猛将を迎えるに、過去の遺恨など些細な事。仮にこの場に兄、司馬師がいても同じ事を言うであろう。それに元はと言えばそなたも魏の者。帰るべきところに帰ったと言う事である。文鴦、そなたに偏将軍の地位を与える。この無意味な戦を終わらせる為、尽力してくれ」
予想を超えた厚遇ぶりに、文鴦は目を丸くして驚く。
「どうした? 万を超える軍勢にすら恐れを見せぬ猛将が、腰を抜かした様な顔をしているぞ?」
「い、いえ、万死に値するところ、過分過大な評価。必ずやお役に立ちます!」
「では、寿春の城内に呼び掛けてやってくれ。この戦は無意味である、と。無駄に命を捨てる事は無い、とな」
司馬昭に言われた通り、翌日には文鴦は寿春の城に向かって投降を呼びかける。
この文鴦の呼び掛けは、この戦の決め手となる行動だった。
あの文鴦ですら許されたと言うのは、諸葛誕の乱に参加した程度の者達であれば必ず許してもらえると考えるのも、むしろ自然な事だったのである。
「……次の敵は、分かっているな」
「無論です。早く手を打たなければならない様ですね」
司馬昭と鍾会は、二人だけでそう話していた。
本当なら鍾会のセリフなのですが
文鴦が投降して来た時に司馬昭を説得するのは鍾会の役割だったのですが、曹髦に言ってもらってます。
史実ではこの戦の曹髦は、完全に司馬昭に隔離されて臣下は誰も近付くどころか見る事も出来なかったとされています。
この異常な行動は司馬昭の権威の現れかもしれませんが、ひょっとすると司馬昭はそれくらい曹髦を警戒していたのかもしれません。
文鴦、もうちょっとカッコ良く書きたかったなぁ。




