第五話 二三八年 司馬懿の狙い
「いやー、こんなに早く初陣の機会をもらえるとは思いませんでした」
今回の公孫淵鎮圧に参加した若年層の中には鍾会だけでなく、田続や衛瓘などの親鍾会派の若手の他、杜預も参加していた。
また、指名されていないのに陳泰もかなり強引に毌丘倹軍に編入して、勝手についてきているらしい。
十分すぎるほどに実力のある陳泰であれば毌丘倹軍に入っても邪魔にはならないどころか、歓迎される事だろう。
その毌丘倹軍は先鋒として先行しているのに対し、若年層の多い大将軍直轄の参謀達は本隊と共にあるのでまだまだ余裕がある。
「ただ物見遊山させる為に連れてきた訳ではないぞ? ちゃんと参謀としても仕事をさせるのだからな」
馬車の中から、司馬懿が楽しそうに言う。
「さて、では一つ試してみようか。此度の公孫淵鎮圧に際し、この烏合の衆をあえて隠さずに公孫淵にまで知らしめた事。その真意は分かるかね?」
「油断を誘う為でしょう?」
司馬懿の質問に、杜預が即答する。
順当に言えばそうだろうが、それでは浅すぎる。
「うむ、それも不正解ではないが、三十点といったところか」
鄧艾が思っていた以上に、司馬懿の採点は厳しかった。
「この無秩序な布陣にそれ以外の理由が?」
そう尋ねたのは衛瓘だった。
かなり優秀である事は間違いないが、鍾会派の中ではそこまで鍾会に近しくない微妙な立ち位置にいる人物であり、優秀でありながら少々、と言うよりかなり形にこだわり融通の利かないところがある。
鍾会派と言うのも鍾会の方が家格が上であり、親も遠慮していると言う事もあって鍾会を立てている、と言う方が正しいかもしれない。
「もちろんそれ以外の目的があるとも。田続は分かるかな?」
「え、あ、あ、そ、その……」
急に話を振られた田続は慌てて、答えに窮している。
年齢で言えば鍾会達よりかなり年上ではあるが、自信に満ち溢れた鍾会と違って指示待ちなところがあり、こう言う場合に慌てて答えられない辺りにもその性格が見て取れる。
「士載はどうだ?」
司馬懿は鄧艾に尋ねる。
「どう、と言われても、もし私なら魏と戦う様な事はせず、こうなってしまったら呉を頼って逃げるのみですから」
「うむ、それこそ上策だな。それをさせない為に油断させなければならなかったと言う訳だ」
「戦場の場におびき出す為の油断を誘う、無秩序な烏合の衆。ですが仲達様の狙いはただ戦うと言うだけでなく、相手に自分の意思で自らの首を締めさせる事が狙いですね」
そう答えたのは鍾会だった。
「公孫淵の取るべき策は、先ほど鄧艾殿が言われた通り、城や土地を全て捨てて逃げるのが上策。とは言え、ここまで舐められた軍勢を相手に尻尾を巻いて逃げ出したとあっては、呉で侮られる事は必定。故に川を利用して野戦を挑むのが次策。ただ、戦術面だけで言えばより効果的な戦い方があり、それこそもっとも選んではならない愚策なのですが、仲達様はそこに誘導されているのですね」
鍾会はやはり自信満々に言う。
そこまで詳細に説明してもらえば、周りも納得せざるを得ない。
司馬懿はこの烏合の衆の軍勢を隠すどころか、事前に公孫淵にも聞こえる様に用意してみせた。
反乱した公孫淵に対し、対策して見せろと伝えていた訳だが、それこそが最大の罠だったと言う事である。
だが、戦と言うのは守る側が有利であり、公孫淵は迎え撃つ場所を自ら設定出来る利点もある。
魏の大軍に対して開けた場所で野戦を挑むのは、いくら相手が烏合の衆とはいえ無謀であり、遼水を利用して戦うべきところだろう。
しかし、鍾会が言う様に、単純に戦術面だけで言うのならより有利に戦う事が出来る方法がある。
「……籠城、か」
その答えを出したのは杜預だった。
開けた場所での野戦の場合、優秀な指揮者と兵数があればある程度以上の戦いをする事は十分に出来る。
しかし攻城戦となればそう上手くはいかない。
これは指揮がどうと言うより、準備と経験がなければそもそも戦う事そのものが難しくなる。
公孫淵には十分な兵力があり、対する魏の大軍は烏合の衆。しかも率いているのは諸葛亮に対して連戦連敗で名ばかりの大将軍、司馬懿。
今後魏を転覆させて新皇帝に君臨するにしても、いずれ呉に亡命するにしても、公孫淵はここで司馬懿に勝利する事は必須と言えた。
絶対に勝たなければならない戦いにおいて、相手の弱点を突く事は鉄則であり、露骨な弱点に敵の目を向けさせたのである。
必然的に公孫淵陣営は魏の大軍を相手に対し、いかに戦って勝つかと言う事に注目し、その対策を練る事になる。
それが全て司馬懿の掌の上の出来事である事にも気付かずに。
鄧艾にもその危険性が分かった。
元々農政官であり、『済河論』を纏めている時に各地の収穫量なども調べていた事もあって、気付く事が出来た。
遼東の公孫淵の領地はさほど収穫量が高くない。
兵が多くとも兵站に不安がある場合、速戦にて決着をつけなければならない。
公孫淵が逃げずに戦う場合、敗れる危険はあるが野戦の速戦にて決着を付けるか、兵站に不安を抱えたまま、戦闘ではまず負ける事の無い篭城戦を挑むかの二択に見える。
公孫淵陣営はどう手を打つか。
もっとも、この二択のどちらかと言う意見になっていた場合、すでに公孫淵陣営の敗北は決定している様なものだった。
改めて司馬懿と言う人物の恐ろしさを感じる。
戦いとは、戦うと決めた瞬間から始まっていると言うのは聞いた事はあったが、それを目の当たりにすると自分の認識の甘さを痛感させられた。
これほどの鬼才に対して連戦連勝していたと言う諸葛亮と言う人物は、まさに人ではない何かだったのかもしれない。
「報告いたします」
若き参謀達が話しているところに、前線からの伝令がやって来る。
「先鋒の毌丘倹将軍より、敵影を確認との事。大将軍の指示を求めておいでです」
「うむ、将軍にはこう伝えよ。『万事将軍に任す。存分に威を示し、余すことなく武功を立てよ』とな」
「御意」
司馬懿の短い命令を受け、伝令はすぐに走っていく。
「公孫淵め、まだ勝てるつもりでいるとは」
鍾会は薄く笑う。
「大将軍、これで公孫淵は罠にかかった、と思っていいのでしょうか?」
田続の質問に、司馬懿ではなく鍾会が首を振ってみせる。
「違うよ。公孫淵はこれで罠にかかったのではなく、戦う意思を見せた時にはすでに罠にかかっていたんだ。言ってしまえば、これで落とし穴に落ちた様なモノ。後はどのように勝つか、と言う問題でしかない」
「……まあ、そう言う事だな」
鍾会の答えに、司馬懿は一応の合格点は示す。
だが、いつもより歯切れが悪い事が鄧艾は気になった。
いささか出過ぎではないか。
十代も前半の鍾会故に、自分の優秀さを抑えられないのだろう。
ほどなくして、毌丘倹の率いる先鋒軍が公孫淵軍を完膚なきまでに叩きのめし、完全勝利を収めたとの連絡が入った。
先鋒軍も寄せ集めである事に違いはないのだが、それでも毌丘倹は卓越した指揮能力を見せ、統率の取れているはずの公孫淵軍を圧倒してみせたのである。
だが、大勝利の余勢を借りて押し込む様な事はせず、先鋒軍は本隊と合流した。
一気に攻め込む事も出来なくはなかったが、天候の変化から毌丘倹は無理をする事を嫌っての判断だった。
「何故ここまできて様子を見る様な事をする! それでは公孫淵に時を与える様なものではないか!」
本隊と合流して、そう詰め寄ってきたのは牛金だった。
この中では司馬懿さえも上回る戦歴の持ち主で、かつて荊州にて曹仁と共に周瑜と戦った事もあり、それ以降も数多くの戦場を経験してきている。
勇猛な武将であるのだが、それゆえに猪突する傾向が強く、自身の武勇にのみ頼るその戦い方が司馬懿とはそりが合わない事もあり、牛金は司馬懿とは衝突する事が多い。
今回もその流れに沿った形であり、一緒に司馬懿の幕舎にやって来た毌丘倹や胡遵は苦笑いしている。
「一将軍が大将軍に対して、無礼ではありませんか」
形式に細かい衛瓘が、歴戦の勇士である牛金も恐れずに言う。
「黙れ、小童! 出しゃばるでないわ!」
まあそうなるだろう、と言う感じで牛金が衛瓘を一喝する。
戦の後と言うのは昂ぶっているものなのだが、思うように活躍出来なかった者は通常よりさらに荒々しくなる傾向が強い。
今回の戦は、報告を聞く限りでは寄せ集めの軍とは思えないほど素晴らしい勝ち戦だったと言える。
毌丘倹は烏合の衆である事を隠さず、あえて陣形も乱れたまま公孫淵軍と対峙した。
先の戦いでろくに戦いもせずに逃げ出した毌丘倹を、公孫淵軍の武将は侮っていた事も読みきった上で、隣接する牛金軍との連携も拙いままに戦を始めたのである。
その結果、まともに戦う事も出来ない状態となり、牛金軍も同じく早々に後退を始めた。
本来の公孫淵軍は迎撃こそが基本戦術であったはずなのだが、この時に見せた毌丘倹軍の弱さに欲が出たのだろう。
また、後に控える司馬懿の本隊との戦いの為にも、弱将が率いる兵を討てるだけ討って敵を減らしたいと考えたのかもしれない。
勢いに任せた公孫淵軍は追いに追ったが、それこそが毌丘倹の罠だった。
追っているはずの公孫淵軍の後方から胡遵と石苞、陳泰の軍が襲いかかったのである。
慌てて後方に向かう公孫淵軍に対し、毌丘倹と牛金は一気に反転して呼吸を合わせて襲いかかった。
その結果、公孫淵軍は惨敗。
公孫淵は旗下の猛将であった卑衍ら数名の武将を失い、見事に撃退してみせたのである。
が、どうやら牛金にとってまだ暴れ足りないらしい。
毌丘倹は司馬懿の狙いが分かっていた事もあり、敵将を討つ事を狙いはしても、敵兵を壊滅させる事にはこだわらず、逃げる兵を無理に追撃する事をしなかったせいもある。
なので、本来であればこの牛金の怒りの矛先は毌丘倹に向かうべきところだったのだが、おそらく毌丘倹は説得する事は難しいと判断して司馬懿のところへ連れてきたのだろう。
非凡な指揮能力と、自ら最前線に出て戦う武勇を持ちながら、こう言うしたたかとさえ言える処世術まで身に着けていると言うのだから、毌丘倹と言う武将が若手武将の中で一際期待されている事が分かると言うものだった。
「そう、公孫淵に時を与えているのだ。さすが、魏屈指の智将、曹仁将軍の元で長く戦ってきただけの事はある」
司馬懿は大きく頷いて言う。
「何故にその時を与えるのかと聞いている! 公孫淵は呉とのつながりもあるのは知っているだろう! 呉からの援軍でも待つつもりか!」
「ふむ、それも悪くないな。だが、安心するが良い。呉は動かぬ。あの諸葛亮が侵攻してきた時ですら呉は動かなかった。この程度の乱で兵を動かす好機と見るほど、孫権は無能ではない」
司馬懿は牛金の不安など意に介さず、淡々と応える。
「では何故時をかける! 一気に踏みつぶせばよかろう!」
「それでは芸が無いなぁ」
「何を悠長な事を! 遊びでは無いのだぞ!」
「その通り。だからこそ、時をかけているのだ。まぁ、焦る事は無い。その豪腕を存分に振るう機会はこの先にある。それまで英気も憤懣も養っておくが良い」
司馬懿は牛金をまったく相手にする事もなくあしらう。
この二人、本当に合わないんだなぁ。
鄧艾はそのやり取りを見ながら、そんな事を思っていた。
公孫淵討伐に参加した人たち
前回鄧艾は参加していませんと書いていますが、史実によると田続や衛瓘、杜預、陳泰なども参加していなかったようです。
ですが、鍾会は参加していたみたいです。
多分、この遠征での最年少でしょう。
この物語の中では、今回の遠征の中では兵士まで込みで最年少です。
優秀さを示すため、史実での司馬懿のセリフを言ってもらったりもしてます。
ちなみに牛金ですが、周瑜との戦いで死んだと思われがちなのですが、ちゃんと生きてます。
でも司馬懿とめちゃくちゃ仲が悪くて、司馬懿から毒殺された説まであるくらいです。
何でそこまで合わなかったのかも諸説ありますが、勝手なイメージで言うと司馬懿にも牛金にも双方に色々と問題があったと思われます。
どっちもとっつきにくそうですし。




