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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 武勲までの長い道のり
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第四話 二三八年 公孫淵の乱勃発

 遼東の公孫淵と言う人物には悪い噂が絶えない。


 父である公孫康こうそんこうから、官渡の戦いに敗れ身を寄せてきた袁煕えんき袁尚えんしょうの兄弟を切り、その首を手土産として武帝に降った人物である。

 だが、その公孫康は弟である公孫恭こうそんきょうに地位を譲って早くに病没。


 その弟の方は誠実で穏健な人物であった為、自治に近い権限を与えられたのだが、それが裏目に出る事になった。


 父が病没した時には幼かった公孫淵が成人した途端、叔父である公孫恭に牙を剥き、遼東太守の地位を脅し奪ったのである。


 この時、魏は蜀の諸葛亮による侵攻に対応を迫られていた事もあり、明帝は公孫淵には将軍位を与えて大人しくさせていた。


 その施策を消極策と捉えたらしい公孫淵は、呉との交流を始める。

 この時の功績によって九錫を呉から与えられたのだが、公孫淵はその使者を切って呉とは手切れ、再度明帝に忠節を誓った。


 それによって大司馬の地位を与えられたものの黒い噂は絶えず、今でもなお呉とのつながりがあると言われている。


 今まで蜀の諸葛亮と言う大き過ぎる敵がいた為にそちらに注力してきた明帝だが、その問題が解消された事もあり、公孫淵の目に余る二枚舌に対し、ついに明帝の名で出頭命令を出したのである。


 が、公孫淵はそれを拒否。


 しかもそれだけではなく、使者としてやって来た毌丘倹の軍を撃退し、魏に対して完全に敵対行動に出た。

 さらに、自ら燕王を名乗り魏から独立したのである。


「石苞、無事だったか」


 毌丘倹と共に都に戻ってきた石苞を見て、鄧艾は安心する。

 公孫淵軍と戦った毌丘倹軍は敗北したと聞いていた為、配属されたばかりの石苞の身を案じていたのである。


「ん? ああ、将軍には何か考えがあったみたいで、そこまで激しくは戦っていないからな」


 石苞は首を傾げながら言う。

 石苞が言うには毌丘倹軍にはまだまだ余力があり、戦おうと思えばいくらでも戦えたはずなのだが、毌丘倹は早々に退却を決めたらしい。


「……で、お前の方はどうなんだ?」


「どう?」


「大将軍の属官の事だよ」


 石苞は呆れ気味に言う。


「今はまだ採点途中で、結果待ちかな」


 鄧艾は書庫で話した様に、寿春の生産性を高める事こそ呉対策での最優先課題だと主張し、その為の川を作る事を提案。

 それに必要な費用とそれによって高まる生産性の概算をまとめたモノである『済河論』を司馬懿に提出し、その返答を待っているところである。


 これの結果次第で鄧艾の処遇も決まってくるのだが、もし良い結果が得られなければウチに来ればいいと陳泰から強く勧められている。


「じゃ、大将軍の属官じゃなくても、名門陳家で面倒見てもらえるって事? やったじゃない、士載! もう貧乏ともおさらばね!」


「……いや、それなりに借金とかあるので、もう少し貧乏を続ける必要はあるんですが」


 大喜びの媛に対し、鄧艾は苦笑いする。


 生粋の文官家系でありながら体を動かす事が好きな陳泰なのだが、それには訳がある事も知った。


 先年任地から戻ってきた陳泰を待っていたのは、偉大な父の訃報だった。


 余りにも大きな存在だった父陳羣の死によって暗く沈んだ家を明るくする為、陳泰は精一杯明るく振舞っていると言う事を知った。

 そんな陳泰の真意を知ったからこそ、多少空回り気味の陳泰を放ってはおけず、鄧艾は陳泰が疲れきって何も考えられなくなるくらいまで槍の訓練に付き合った。


 それ以来、名家の出自である陳泰が一農夫でしか無かった鄧艾を慕う様になったのである。


 また、陳泰自身も相当な槍の使い手なのだが、鄧艾はそれを遥かに上回る実力者であり、その実力を目の当たりにした事によって、杜預も鄧艾に対して尊敬の念を抱く様になっていた。


 鍾会を始めとする名門の者達は、出自の卑しさを蔑み見下す傾向が強いのだが、陳泰や杜預はそれらを超えたところで鄧艾の実力を認めているのである。


「鄧艾、石苞、いるか」


 鄧艾達の元へ、使者がやって来る。


 現状での鄧艾は無官なので、官舎ではなく司馬懿が手配していた空家に居を構えている。


 言ってしまえば官舎と変わりないのだが、建前上官舎を使う事が出来ない者を住まわせるところらしい。

 鄧艾や媛は基本的に例外なのだが、こう言う場所は食客を留めておく様な時に使う場所である。


「はい、ここに」


 鄧艾と石苞は急いで使者のところへ行く。


「将軍がお呼びだ。急ぎ参内せよ」


「承りました」


 鄧艾と石苞はそう答えると、使者を送る。


「ん? 仲容も? 士載だけじゃなくて?」


 媛は不思議そうに尋ねる。


「仲容、帰ってきたばっかりよね?」


「将軍がお呼びって事だったから、大将軍じゃなくて毌丘倹将軍なのかもしれない」


「だったら、士載いらなくない?」


「そうとは限りませんよ。毌丘倹将軍は最初から大将軍に援軍を求めるつもりだったかもしれませんし、それで動くと言うのであれば石苞は呼ばれてもおかしくないでしょう。ついでに私の採点結果を伝えてくれるのかもしれませんし」


「いやー、それならわざわざ呼んだりしないだろう。多分、参謀として参加しろって話じゃないかな?」


「ま、何にしても急いで行かないとね。ほらほら、支度しなさい」


 媛に急かされながら、鄧艾と石苞は急いで参内する。

 何分二人はまだ最下級の身分である。

 大急ぎでやって来た二人だったが、そもそも呼ばれた人数が少なかったのか、まだ誰もいなかった。


「早いな。良い事だ」


 二人の後ろから声をかけてきたのは、司馬懿の息子である司馬師しばしであった。


 彼もまた父親に似て気取ったところの少ない人物で、その上品な顔立ちからは想像もつかない様な気さくなところがあった。


 鄧艾はこれまでに何度か面識があった為、すぐに礼を取る。


「構わん。父上が、おっと、ここでは大将軍だったな。奥でお待ちだ。そして君が石苞か。私は司馬師、よろしく頼むよ」


「はっ。こちらこそ、よろしくお願いします」


 緊張している石苞に司馬師は笑いかけ、軽く肩を叩いて二人を奥へと促した。


「あれが噂の大将軍の息子さんか。さすが、人の上に立つ風格だな」


「弟さんとは似てないけどね」


 鄧艾は司馬師だけでなく、その弟の司馬昭とも面識がある。


 上品な顔立ちはさすが兄弟といったところなのだが、気さくな司馬師と違って司馬昭には冷徹な印象が強い。

 ひょっとすると人見知りするのかもしれないが、司馬昭の方は司馬師ほど付き合いやすさを感じられないと言うのが鄧艾の司馬昭評だった。


 とは言え、いつまでも立ち話していた訳ではない。


 司馬師が言うにはすでに大将軍である司馬懿が待っていると言う事だったので、急いで奥へ向かう。


 そこには司馬懿だけではなく、毌丘倹と皇帝である曹叡もいた。

 よほど人目を避けている様な印象なのだが、鄧艾達を呼んだ事を秘密にしていると言うより、三人の会談の場に鄧艾達が呼ばれたと言うのが正しいだろう。


「鄧艾と石苞、お呼びとの事で参内いたしました」


「ふむ、早かったな」


 司馬懿はそう言うと席を外して、鄧艾達のところへ来る。


「そなたの『済河論』だが、実によく出来ていた。その事で確認なのだが、今後この司馬懿の属官として働く意志はあるか? その場合には、今後は食客扱いではなくなるが、どうする?」


「光栄の至り。是非、よろしくお願いします」


 鄧艾の答えに、司馬懿は満足そうに頷く。


「石苞はどうだ? 毌丘倹将軍はそなたを評価していたようだが」


「もちろんです! 身に余る光栄です!」


 二人の答えに司馬懿だけでなく、曹叡も大きく頷く。


「あの厳しい大将軍の目に叶ったのであれば、それは誇っていい事だ。今後、魏の発展の為に尽力するが良い」


 こうして鄧艾は正式に司馬懿の属官になり、媛からの借金生活からも解放される事になった。


 しかし、この場は『済河論』の事を論じる場ではない事は見れば分かる。


 もし司馬懿と曹叡の二人で鄧艾が呼ばれたと言うのであればそうだったのだろうが、この場に毌丘倹と石苞が呼ばれたと言う事は、公孫淵討伐の話であることは想像出来た。

 そして、鄧艾と石苞も正式に参加する事になる、と言う事も。


「さて、役者が揃ったところで尋ねたい事があったのだが。何故公孫淵如きを成敗するのに大将軍を出す事になったのだ? 朕の見立てでは毌丘で十分に討伐出来ようものだと思っていたのだが」


 曹叡は特に責めると言う事ではなく、本当に疑問に思っていた様で不思議そうに尋ねる。


「陛下! 将軍は……」


「よい、石苞。陛下、私には私なりの考えがあっての事。まず一つは、大将軍に対する侮りです」


 毌丘倹に限った事ではなく、大将軍司馬懿が傑物である事は魏の武将であれば誰もが知っている事なのだが、講談師のせいか都から離れるほど司馬懿と言う人物は権力だけを弄ぶ俗物だと思う者が多い。


 公孫淵もその類であり、司馬懿程度の者が大将軍であれば魏など恐れるに足りぬと言う事でこの様な軽率な暴挙に出たと言う側面もある。


「それに付随する、と言うわけではありませんが、魏の国力は一地方太守の謀反など意に介さない、圧倒的な力があると言う事も国民に示さなければなりません。それは魏に住まう者への安心感であり、背くことの愚かしさを教える事にもなります。私が鎮圧してしまっては、第二、第三の公孫淵を生み出す可能性を残します」


「ふむ、敗者の言い訳かと思っていたが、中々に聴かせる内容だ。して大将軍、毌丘将軍はこう申しているが、大将軍はそれにどう応えるのだ?」


「そう言う事でしたら、こちらも演出にはこだわりましょう。毌丘将軍の他、胡遵こじゅん牛金ぎゅうきんといった中央での任務の少ない者、鍾会ら若年の者、鄧艾ら新参の者達を率いて、見事鎮圧してみせましょう。せっかくなので、それらの事も公孫淵に教えてやるとしましょうか」


 司馬懿は笑いながら言う。


 いくらなんでも寄せ集めの烏合の衆なのだが、それで戦になると言うのだろうか。

 話を聞いているだけでも、鄧艾は不安になってくる。


「大将軍、それで反乱を鎮圧出来ると言うのか? さすがに皇帝である朕の前で戯言は許されないぞ?」


「もちろん、戯言で申しているつもりはありません。そうですね、往路に百日、復路に百日、戦闘に百日、その他準備や休養などで六十日。まぁ、一年もあれば十分過ぎるほどでしょう」


 鄧艾には司馬懿がどのように戦うつもりなのか予想もつかないが、この答え方から察するに司馬懿はすでに公孫淵との戦いの勝利の道筋が見えている様だった。

公孫淵の乱について


本来であれば、鄧艾は参加していません。

この頃の鄧艾は司馬懿や曹叡から『済河論』を認められて、川を作る事に忙しい頃で、そもそも武官ですらなかったと思われます。

でも、二次創作物なので、ここでは公孫淵の乱に参謀として参加しています。


出てきて以来ずっと空回っている陳泰ですが、魏の名将として名高い人物で、具体的には趙雲に例えられる様な武将で、決して脳筋ではありません。

史実では鄧艾とは親子ほど、あるいはそれ以上歳が離れていたにも関わらず、しかも陳泰の方が圧倒的に上位であったにも関わらず鄧艾の事を慕っていたそうです。

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