第十話 二五三年 合肥新城の戦い 後編
十日後に意気揚々と合肥新城に向かった諸葛恪だったが、先日までは女官達が門前を清め城門も開放していたにも関わらず、今では固く閉ざされている。
「張特! 約束通り、城を貰い受けに来た! 貴将らの投降を受け入れる! 今すぐ城を開けて受け入れよ!」
「これはこれは、諸葛恪丞相。随分とお急ぎなようで。呉の方々はそれほど余裕が無いのでしょうか?」
「戯言に付き合っている暇は無い! 張特、約束を違えるつもりか!」
「約束? 何か約束しましたかな?」
張特は不思議そうに首を傾げる。
「お前の悪ふざけに付き合っている場合ではない! これ以上続けると言うのであれば、全軍突撃の号令をかける事になるぞ!」
「どうぞ、ご自由に」
張特は諸葛恪の脅しに対しても、涼しげに答える。
「何? 貴様、投降すると言っておきながら、どういうつもりだ!」
「おや? 諸葛丞相は何やら誤解されている様子。私は一度たりとも投降するなどと申した覚えはありませんぞ?」
「何をぬけぬけと!」
「投降する準備も意志もありましたが、投降するとは申しておりません。まったく、諸葛丞相と言えば聞こえは良いが、諸葛の姓はふさわしく無いのでは? 虎と称された父上もさぞがっかりしている事でしょうな。いや、実子では無く養子なのでは? それであればその無能振りにも納得が行きますぞ」
元から忍耐強いとは言えない諸葛恪だったが、これほどの無礼は先の丁奉や朱異の比ではない。
「全軍! 魏の者を生かして返すな! 呉を敵に回した事、末代まで後悔させてやれ!」
諸葛恪は怒りにまかせて全軍に突撃を命じる。
「今だ!」
張特もそれを待っていた。
諸葛恪はあまりに感情に任せすぎた。
全軍に号令をかけるにしても、まずは自身が安全なところに下がってから行うべきだったところ、最前線の敵の面前で動きを止めて行うなど自殺行為である。
呉軍が近付き、諸葛恪が下がろうとしたまさにその時を狙って、張特は城壁に隠していた城兵に一斉射撃を命じる。
呉軍の最前線は一気に混乱の渦に飲み込まれる事になった。
しかも張特の放った矢が諸葛恪の額に当たって落馬した事により、混乱は双方が想定していた以上のものになった。
「留賛将軍! これはおかしい!」
慌てて諸葛恪を救いに行こうとした留賛を、呂拠が止める。
「なぁーにをー言ってーいーるー。魏ぃの者ぉがー、謀ったーのがー、すーでにーおかしーでーはーないかー」
戦闘準備に入った留賛が、歌いながら呂拠に言う。
今回の仕打ちは留賛も許せないと思っているのか、かなり頭に血が上っているのが見ただけで分かる。
「敵の煽り方が不自然です! 恐らく別動隊が来ます! 今、感情に任せて城に殺到しては側面から叩かれます!」
呂拠の言葉は、頭に血が上った状態だった留賛の歴戦の武将の部分を刺激したらしく、急激に冷静さを取り戻していく。
「……文欽か!」
「恐らく。丞相は私が救出に向かいますから、将軍は文欽に備えて下さい!」
「こーころーえーたー!」
呂拠は言葉通りに諸葛恪の救出に向かう。
諸葛恪の額に矢が当たったと報告を受けた時は即死を覚悟していたが、実際には額を射抜かれたという訳ではなく、張特の放った矢が流れ矢の様にたまたま諸葛恪の額をかすめるように当たったと言うだけだった。
むしろ落馬による打撲の方が問題なくらいの軽傷だったのだが、戦場で矢傷など受けた事の無かった諸葛恪は、恐慌状態の極みにあった。
総大将がその状態なので、呉軍の大軍も機能停止状態になっていた。
自分達は城を攻めるべきなのか、退くべきなのかもわからず、ただ矢に射られて命を落とす者が続出する有様である。
そこへ文欽の別動隊が兵を率いて突撃してきた、と言う報告が入った。
「ご安心下さい。すでに留賛将軍が防ぐ手立てをしています! 丞相、ここは退くべきです!」
「な、何を言うか! あのような辱めを受けて、無かった事にせよと言うのか!」
「体勢を立て直すにしても、この場では無理でしょう! 魏軍が少数である事に違いは無いのですから、隊を整えて、改めて城攻めを始めれば良いではありませんか! その為にも一旦この場を退く必要があると申しているのです!」
呂拠は懸命に諸葛恪を説得する。
丁奉や朱異の前例が無かったら、おそらく自分も彼らの様に怒鳴りつけていただろうと、呂拠は自覚していた。
だが、ここで命を落としているのは呉の貴重な将兵達である。
その将兵を救う為であれば、ここで冷静さを失うわけには行かない。
それに、呂拠には他にも心配があった。
そしてそれが的中するであろう事も、すでに予想していた。
張特の不自然極まる挑発は、呉軍を城の前に釘付けにする為だったのだから。
「て、敵軍です!」
撤退を始めた呉の軍勢にその報がもたらされた時、首脳部で冷静だったのは呂拠くらいなものだった。
「慌てるな。率いているのは毌丘倹だろう。率いる数も多くはない。速やかに撤退するのだ」
諸葛恪の指示を待たず、呂拠は伝令に告げる。
呂拠の予想が正しければ、今は急ぐ必要があった。
おそらくその部隊を率いているのは毌丘倹ではない事も、その数が城の守備兵を大幅に上回っている事も分かっていたが、ここで議論している余裕は無い。
さらに別の兵が、合肥新城からも兵を出してきたと伝えて来た。
ついに城の安全が確保されたと確信して、追撃戦に移ったのである。
この部隊を率いる兵こそ毌丘倹だと呂拠は見抜いたが、それを相手にしている場合ではない。
万が一にも戦場で呉軍の丞相が討ち取られたとなれば、それは呉軍にとって一戦場の敗北などと言う次元の話では無くなる。
下手すれば呉にとって再起不能になりかねない損害になる恐れがある。
そして、かろうじて呉軍首脳部が撤退出来るところまで来た時、呂拠が急がせた事や今回の戦が敗北に終わったと決定した報が呉軍にもたらされた。
魏軍の援軍、太尉司馬孚の本隊である二十万の大軍を率いて現れたのである。
呂拠の判断によって諸葛恪は危機を脱したものの、呉軍は極めて大きな損害を被る事になった。
留賛らも何とか撤退する事に成功したものの、その兵力を大幅に減らしている。
何より、呉軍にも多くいた疫病に苦しむ兵達を見捨ててきた事が、やむを得なかったとはいえ、諸葛恪の人望を失墜させるには十分過ぎる結果となった。
一方の魏軍も、勝利したとは言えとてもそれを祝える余裕は無かった。
この戦をかろうじて生き延びた兵士達の内、半数は疫病に苦しみ、残りの半数も負傷兵ばかりであり、毌丘倹や文欽を含めても無傷の者はほぼいないと言う惨状だったのである。
司馬孚の率いてきた大軍は呉軍を追い払った後の戦後処理として物資の運搬や疫病患者の看病、合肥新城の補修などに追われる事になったほどだった。
まったくの偶然であったのだが、生粋の将軍ではなく内務処理にも長けた司馬孚が援軍として訪れた事によって、それらの事も非常に手際よく行われたのは魏軍にとって救いであった。
怪我や疫病などが多少落ち着いたところで、張特と毌丘倹は司馬孚の元へ訪れた。
「太尉、この度の援軍、誠に有難うございました。九死に一生を得るとは、まさにこの事です」
「いえいえ、いかに守りやすいとはいえ、この小城であの大軍と渡り合った将軍達の死闘奮戦あればこそ。この司馬孚に何の武功があると言うのです」
司馬孚はどこまでも物腰柔らかく、自身の地位をひけらかす事が無い。
この辺りも人望を集める所以である。
「して、怪我も治りきっていないでしょうに、私に何か御用だったのでは?」
司馬孚が尋ねると、張特と毌丘倹は跪く。
「申し訳ございません!」
「ど、どうされましたか、将軍? 此度は勝利しているのです。何を謝罪する必要があるのですか?」
張特が諸葛恪に対して用いた策の説明をする。
今回は上手くいったが、これによって今後魏と呉の戦が起きた場合、敗戦が濃厚となった魏の軍が呉に投降しようとした時に信用されず、投降する事さえ許されなくなる恐れがある。
また、全体に対しても魏の者は信用出来ないと言う印象を与える事になった。
「なるほどなるほど。勝利の為に信用を犠牲にした、と言う事ですか」
うんうんと頷きながら、司馬孚は考え込む。
「確かにそれは由々しき事態ですね」
「この愚策を提案したのは、この張特です。罰を受けるべきは私一人のみ」
「いや、それを是として用いたこの毌丘倹にこそ責任があります。張特の働きなくしてこの合肥新城を守る事は出来ませんでした。罰を受けるべきは責任者であるこの私です」
この策について文欽は関わっていないので、ここに謝罪には現れていない。
もっとも、常に最前線にした文欽の友軍がもっとも過酷な戦いを続けていた事もあり、負傷と疲労による消耗が激しいので休養しているのである。
だが、司馬孚はにこやかに笑う。
「戦に勝利したからこその、贅沢とも言える悩みですね。将軍達が情義に厚い方々で良かった。確かに懸念の通りの事は有り得るでしょう。もし両将に責があるとするならばその時が来た時に十分に恨まれて下さい。それで良しとしましょう」
「太尉、それでは……」
「良いのです」
食い下がろうとする毌丘倹を、司馬孚は笑顔で制する。
「これほどの苦戦の末に得た勝利です。なのにその功労者を罰したとなっては、魏では勝利すら祝えないと思われます。その事の方が大きな問題でしょう。文欽将軍の武、張特将軍の智、それらを活かす毌丘倹将軍の忠があればこそ。賞する事はあっても罰する事など出来るはずもありません」
司馬孚はそう言うと跪く二人に手を差し伸べて立たせる。
「これまでの苦しい戦いで十分です。今後も魏の為に尽力して下さい」
「では太尉、一つお願いがあります」
毌丘倹は立ち上がって司馬孚に言う。
「何でしょうか?」
「この戦、おそらく魏建国史上もっとも苦しい戦だった事でしょう。それを戦い抜いた兵、また命を落とした将兵に厚く報いたいと考えております。どうか我々の分まで、将兵に対して功績を讃え、残された遺族に対しても便宜を図っていただけないでしょうか」
「もちろんです。私の方から責任を持って大将軍にお伝えしておきましょう」
これによって合肥新城の戦いは集結した。
敗れた呉軍はもとより、勝利した魏軍にとっても極めて苦しい戦いだったが、それだけに固い絆が生まれた戦いであった。
名将である毌丘倹や司馬孚は、少なくともそう思っていたのだが、彼らほど卓越した能力を持つ人物達でさえ、自分達の未来を正確に見抜く事など出来ないのである。
諸葛恪のその後
この戦で大損害を出した諸葛恪は、この失敗を反省して謙虚になって、これから数年後に呉の丞相として立派になりました。
……と、言う様な殊勝な人物ではありません。
むしろブレない諸葛恪はさらに傲慢になって傍若無人な振る舞いが多くなり、すっかり人望を無くして孫峻によって殺されてしまいます。
残念ながら自業自得のなせる業なのですが、その災禍は自身だけに及ばず、一家全員に収まらず弟や姪っ子など、父である諸葛瑾が心配した通りに血筋が断絶する様な規模で粛清される事になりました。
諸葛恪最期の日には孫峻から酒宴に呼ばれたのですが、喪服を着た狂人が諸葛恪の家に飛び込んできたり、黒猫が服の裾を咥えて離そうとしなかったりするなど、「これでもか!」と言わんばかりに凶事の前兆が現れたそうですが、諸葛恪はまったく気にする事なく出向いて殺されています。
そこまで不吉な事が続いたら何かあると思って日を改めそうなものですけど、「そんなモノに振り回される俺ではない!」と言わんばかりに、ブレる事無く徹底的に我が道を突き進んだ人と言えます。
ちゃんと反省していれば、相当立派な人になったでしょうに。




