第一章最終話 二五一年 巨星は墜ち、次の時代へ
未然に防ぐ事の出来た王凌の乱だったが、混乱が無かった訳ではない。
まず関係者が非常に多かった事。
実際に乱が起きた場合と比べると被害は百分の一、あるいは千分の一と言うところではあるが、有力者が多かったので司馬師は魏建国前の都である鄴に集め、それぞれに連絡を取れないほどに厳しい監視下に置く事とした。
その中には、魏の国都である洛陽にいた皇帝直系以外の皇族も集められた。
それは首謀者が武帝の子である曹彪であった為である
。
これによって曹家の権勢は一気に弱体化する事となった。
が、皇帝である曹芳はその事に興味を示さず、後宮で女官と戯れる日々を送っていたと言う。
さすがに武帝の子である曹彪を処刑と言う訳にはいかなかったので、自決を勧める事となり、鄴でも多くの皇族が死を賜った。
また、混乱は都周辺に留まらず、雍州からも問題の火種が飛んできた。
雍州方面軍の司令官である郭淮の妻が、王凌の妹だったのである。
反乱首謀者の妹であるのだから生かしてはおけないのだが、郭淮とその五人の子供達だけでなく、雍州方面軍の主だった武将達からも連名での嘆願書を、司令官である郭淮自らが持ってきたのだった。
「おー、子元、戻ったかー」
「戻ったか、じゃねえよ。なんで問題抱えてんだよ」
司馬懿が笑いながら言うのを、司馬師は眉を寄せて言う。
「いやいや、ここは次の世代の者がきっちり決めないと、と思ってな。お父さん優しいだろ?」
「解決してくれてたら、もっと優しいと思うところだけどな」
司馬師は仕事しようとしない司馬懿に言うと、その書状に目を通す。
そこには副司令の陳泰はもちろん、先の戦での手柄で将軍の一員に昇格した鄧艾、司馬懿の娘婿であり鄧艾の副将で司馬師達とは義兄弟になる杜預など末端に至るまで、郭淮の妻である王氏の助命を嘆願していた。
本来であれば、そんな嘆願書を受け付ける事なく処刑するのが道理である。
が、雍州は対蜀との最前線であり、ここでこの嘆願書を破り捨てた場合、その最前線が崩壊する恐れがあった。
しかも先には夏侯覇と言う前例もあり、最前線崩壊どころか雍州方面軍はその武将や軍だけでなく雍州が丸ごと蜀に寝返る事も考えられる。
「つーか、この嘆願書。誰が考えやがったんだ? 玄伯(陳泰の字)か? 余計な事しやがって。ムカつくくらい良い手じゃねえか」
「多分、士載だな。王氏の助命嘆願には郭淮自らが出向く事が絶対条件で、その上で雍州方面軍のほぼ全軍で嘆願書を出す。郭淮の誠意は伝わるし、反対する事に対する危険も知らせてくる。交渉と脅迫を同時に行うのは、いかにも士載らしいじゃないか」
「あいつか。あいつは素直に昇進を喜んでいれば良いのに、なんでこんな手柄を帳消しする様な事してんのかね」
「優秀だからだろうな。もっとも、本人は無自覚にやっているからタチが悪いとも言える」
司馬懿は笑いながら言う。
魏では太祖である武帝曹操の求賢令によって様々な才能を集められた経緯はあったが、文帝の代からは後漢時代からの推挙による人材登用が主となり、名門の子弟が役職を占める様になった。
それから言えば、鄧艾は今の魏では極めて特異な存在だと言える。
また、そんな鄧艾だからこそ、名門の子弟達からは出てこない様な案や策が出てくる事も多い。
この嘆願書も鄧艾の策であろうと司馬懿は読み、それに陳泰が乗っかったと見ている。
その効果は絶大で、いかに大罪人の身内であると言っても切ると言う訳にはいかなくなっている。
最終的に王氏の助命は認めるにしても、ただそれを認めると言う訳にもいかない。
本人にその意志が無かったとしても、大罪人の身内である。
もしここで許すと言う前例を作った場合、今後同じ様な事が起きた時にも同じ様に許す事になるのだが、そうなると大罪人の恨みを継ごうとする者の存在を許す事にもなりかねない。
つまり問題になるのは、王氏と言うより今後同様の事が起きた場合の対処である。
「郭淮が待っているぞ。どう言う判断を下すにしても、それは郭淮の前で言ってやると良い」
「……ちょっと待て。それは太傅の役割だろ?」
「だーかーらー、郭淮だけじゃなく、魏全体に見せなければならないだろうが。誰が後継者であるか、と言うところをな」
司馬懿の言葉に、司馬師はキョトンとする。
「お? どうした? 壊れた木牛みたいになっているぞ?」
「失敬な事を言うな。せめて流馬の方にしておけよ」
と、今度は返す事が出来たが、これまで散々引退を勧めてきた司馬師だったが、これまではいつも司馬懿ははぐらかしてきた。
その司馬懿が後継者として司馬師を認めた発言をした事が、少し意外だったのだ。
とは言え、司馬懿も七十をとうに超えた高齢であり、いつまでも現役と言うのは不可能である。
だからこそ引退を勧めてきた司馬師だったのだが、本人が認めた事は驚きだった。
「それじゃ、郭淮将軍の不景気な顔を拝みに行きますかね」
「いきなり食いついてくるから、気をつけろよ」
司馬懿はそう言うと、二人で別室に待機している郭淮の元へ行く。
「太傅! 答えは出ましたか?」
司馬懿が言っていた通り、別室の扉を開けた瞬間に郭淮が飛びかかってきたので、司馬懿は素早く司馬師の後ろに隠れる。
と言うより、司馬師を盾にする。
「将軍! 落ち着かれよ! 敵が攻めて来た時、総大将がそのように取り乱しては味方の士気にも関わる事ではないか」
司馬師は司馬懿に盾にされながら、それでも郭淮を抑えながら説得する。
「これは、大変失礼を」
本来冷静沈着な郭淮である。
一瞬我を忘れたとは言え、すぐにその冷静さを取り戻して、自分の非礼に気付いて司馬師から離れて頭を下げる。
「大変失礼致しました。取り乱してしまいまして」
「将軍にとって、最悪ではない結果を持ってまいりました」
司馬師は郭淮に向かって言う。
司馬師と郭淮では、郭淮の方が年上でしかも将軍位としても郭淮の方が格上である。
が、司馬師が司馬懿の後継者である事は、司馬師自身が思っている以上に周りに浸透している。
その事もあって、郭淮は司馬師を立てていると言うのは司馬師にも分かっていた。
まして今の郭淮は嘆願に来ている身である。
「だが、王氏が謀反だけでなく未遂とはいえ皇帝弑逆を企んだ大罪人の身内である事実は変わらない。コレを無実とするのであれば、今後同様の大罪を企む者達の芽を残す事になり、国にとって危険極まりない火種を点在させる事になる。それは将軍にも分かる事でしょう」
司馬師の言葉に、郭淮は黙って頷く。
大国である魏には、黙っていても反乱の火種は育つ。
先の公孫淵や、雍州での異民族の反乱などは潜在的に眠る魏への反乱の火種が起こした事であり、司馬師が言う様に王凌の妹である王氏を生かすと言う事はその火種をも残すと言う事になる。
「ですが、私には五人の息子がおり、その五人は母を愛しております。その母を奪われると言う事は、息子達に……」
「お待ちください、将軍。先ほども言いましたが、最悪ではない結果を伝えに来た、と」
「それでは……」
「婦人の助命は概ね決定事項です。ただ、大逆の身内を無条件で、と言う訳にはいかないのは将軍にもお分かりのはず。それ故に、一つ条件を出させていただきます」
「何なりと」
「いえ、将軍にではありません。此度、連名の書状を雍州方面軍より出されましたがが、それはつまり共犯であると言う事。精鋭揃いの雍州軍にそれも理解していない様なお調子者がいるとも思えませんが、もしそれを理解せず勢いだけに任せる様な者がいては、婦人を助命する以前に軍の根底に関わる事。故に試させてもらいます」
司馬師は書状にあった者達全てに対して、三割の減俸を申し渡した。
陳泰や杜預の様な名門であればともかく、鄧艾などにとっては三割の減俸は相当な痛手のはずだった。
が、返信の書状は司馬師の予想を遥かに超えた速さで送られてきて、内容は全員一致でそれを受け入れると言うものであった。
しかも送られてきた書状はそれだけではなかった。
「兄上。私のところにこの様な書状が送られてきました」
弟の司馬昭の元に、陳泰の母である荀氏から王氏の助命を嘆願する内容の書状が送られて来たのである。
しかも荀氏だけでなく、鄧艾の妻である媛や司馬懿の末娘で杜預の妻で洛陽に残っている司馬氏までも含む、雍州軍の母や妻達の連名の書状であった。
「うははははは。こいつは完敗だな。雍州軍は大切にしろよ? アレこそ魏の精鋭だ」
それらの報告を受けて、司馬懿は笑いながら司馬師に言う。
「玄伯と士載にこれほどの才があるとは。いや、二人共優秀だと言う事は知っていたが、想像以上だった」
司馬師も大きく頷き、太傅司馬懿の名の元に王氏の助命を許した。
とはいえ、郭淮は雍州方面軍の司令官を降ろされ、後任には陳泰が据えられ郭淮はそれを補佐する副将となった。
もちろん郭淮はそれを快く受け入れ、また雍州方面軍の武将が減俸であるのならば、それは自分も例外ではないと言って、降格だけでなく減俸も自ら進んで受け入れた。
そこまでされては司馬師としても、それ以上言う事も無い。
こうして、王凌の乱は終結を迎えたのである。
この功績によって司馬懿は皇帝曹芳から丞相の位を与えられる事となったが、司馬懿はそれを受ける事をしなかった。
「この司馬仲達、武帝の代よりお仕えしてこれまでの大半を戦場で過ごしてまいりました。戦場であればどの様な事にでも対応出来うると自負してきましたが、それが政となっては素人同然。齢も七十をゆうに超えておりますれば、その様な大任を果たす事は出来かねます。陛下のご好意に背く事、誠に不敬甚だしいとは存じますが、なにとぞご容赦のほどを」
十代の曹芳に対し、七十を超えた司馬懿が低頭に徹して断りを入れたので、それに対しての不満不信は、少なくともその場で生まれる事は無かった。
そして二五一年九月。
司馬懿は魏代々の功臣達の墓を訪れていた。
その中の一つ、荀彧の墓の前に腰を下ろす。
「文若先生。この司馬懿、魏の為粉骨砕身してきたつもりだったのですが、それは全て私欲によるものと見られてきました。魏の礎を築きあげ、武帝から遠ざけられながらも文若先生の忠誠を疑う者はおらず、その子々孫々に至るまで魏の重臣として重用される事でしょう。一方の私は昭伯(曹爽の字)に疎まれ、一族を守るには曹一族を討つしか無かった。先生、私と貴方の差はどこから来るのでしょう」
もちろん、その問に答える者などいない。
「父上、こんなところにいたか」
突然墓参りに出た司馬懿を追って、息子の司馬師と司馬昭が司馬懿の元へやって来る。
「息子達よ、私は皆からいずれ謀反を起こすと疑われてきた。それ故に、と言う訳ではないがその疑いを晴らすよう献身してきたし、疑われぬ様に努力もしてきた。私が死した後、お前たちもその様な疑いを持たれぬ様に、慎重に国を治めるのだぞ」
「何をらしくない事を」
司馬師はそう言ったが、それからまもなく司馬懿は息を引き取った。
二五一年九月七日。
魏の巨星が墜ちた。
この物語での司馬懿
基本的にですが、この物語の中では司馬懿と司馬師はかなり好意的に書いています。
鄧艾伝なので、と言う事もありますが、少なくとも司馬懿については最初から魏を乗っ取るつもりだったとは、私は考えていません。
最終的に魏を乗っ取る事になる司馬一族ですが、司馬懿は弟の司馬孚と同じく魏の忠臣で有り続けようとしたと思われます。
が、曹爽がそれを許さず、一族全員が冷遇されるか、一族を守る為に繁栄を手にするかを迫られたのが忠臣としての道を閉ざしたのではないでしょうか。
もっとも司馬懿の場合、最初に曹操から警戒された事もずっと引きずられていたところはあると思われます。
曹丕、曹叡が長命であれば、司馬懿の評価は大幅に変わっていた事でしょう。
ま、最初から二代目に乗っ取らせるつもりだったと言う見方は出来ますし、それが一般的かもしれませんが、少なくとも私はそう思っていないと言う事を言いたかったです。
ちなみに、荀彧の墓の前の独白は創作です。
そもそも死ぬ直前に墓参りとかしてません。
演義では怨念から来る亡霊に悩まされたりしてます。
そんな悪い事したのかなぁ。したんだろうなぁ。遼東とかで。




