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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 武勲までの長い道のり

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第二十六話 二五一年 乱を防ぐ

 雍州で蜀軍を撃退してまもなく、洛陽の司馬懿の元に一人の役人がやって来ていた。


 彼の名は楊康ようこう


 親曹派の人物であり、先の曹爽との政争には参加していなかった人物だったので懲罰を受けていない人物でもある。


「それで、この司馬懿に何か用だと言う事だったが、何用かな? こう見えて何かと忙しいのでな」


 司馬懿は楊康に目も向けずに言う。


 こう見えても、と司馬懿は言ったが、彼が執務を行っている机の上には書簡が山の様に積まれていて、一目見ただけで多忙である事が伺われる。


「はい。是非お耳に入れておきたい事がございます」


「では聞こうか。子元、剣を持て。虚言であれば切り捨てる」


「御意」


 司馬懿を補佐していた息子の司馬師は、腰に下げていた剣を抜き放つ。


 曹爽との政争では、司馬師と司馬孚が迅速に洛陽を制圧したからこそ勝利出来たのであり、その功績によって司馬師は衛将軍となり太傅である司馬懿の警護も行っていた。


 司馬懿の刑罰の容赦の無さは、魏に広く知れ渡っている。


 一時的に緩んだ時期があった事もあるが、魏は基本的に内部に向けての刑罰の厳しさは知られている。


 中でも司馬懿は信賞必罰を常とし、正しく賞し厳しく罰する事は公平極まりない。


 それ故に名門と相容れず、曹爽とも政争を繰り広げる事になった。


 そんな人物に対し、虚言佞言を弄した場合には命に関わるのは当然である。


「さて、この司馬懿にどの様な要件だったのだ?」


 剣を抜いた司馬師を傍らに置いて、司馬懿は楊康に尋ねる。


「閣下は令狐愚れいこぐをご存知ですか?」


令狐浚れいこしゅんの事か? 最近病で他界した様だが、その死者がどうしたのだ」


「その令狐愚が、王凌と画策して曹芳陛下を廃立し、新帝として曹彪そうひょう様を擁立する事を企てていたのは、ご存知ですか?」


「知らんな。詳しい話を聞こうか」


 司馬懿はそう言うと、司馬師に合図を送る。

 それを見て、司馬師は剣を収める。


「楊康、お前は令狐愚に仕えていたはず。何故この様な密告を?」


 司馬師が楊康に尋ねる。


 司馬懿にしても司馬師にしても、楊康が令狐愚の腹心だった事は調べがついていた。


 そもそも司馬懿にしても司馬師にしても、会いたいと言う理由だけで会える様な気楽な立場ではない。


 面会の予約をとって、日程を合わせてからでないと会う事は出来ない様な人物なのである。


 その為、面会を希望する者がいた場合、その者を調べるのは至って自然な事であり、それを敢えて隠した状態で面会していたのだった。


 その楊康が言うには、令狐浚は文帝の時代に文帝の怒りを買い投獄された経緯がある人物である。


 その際に愚か者と批判され、名を愚と改めたらしい。


 明帝崩御以降に曹爽によって取り立てられた事もあり、その曹爽を失ってからと言うもの、叔父に当たる王凌と共に若い曹芳を廃立し武帝の息子である曹彪を擁立しようと画策していると言う。


 令狐愚は曹芳の擁立は明帝の遺言を司馬懿が捏造し、曹芳を傀儡として魏を専横していると思い込んでいると楊康は司馬懿に言う。


 そんな令狐愚の妄想妄言が、元から司馬一族の事を不快に思っていた王凌にとって司馬一族排除を正当化する大義に聞こえたのだろう。


 そして文帝によって帝位争奪に遅れを取った曹彪にとっても、皇帝となる好機であると感じ、その企てに乗ったと言う。


 だが、その計画を練っている途中で令狐愚が病に倒れた事で事態は変わる。


 主犯格の令狐愚が他界した事によって、計画を練っていた中でもあまり乗り気でなかった王凌の息子達は、魏に謀反するに等しいこの行為の愚かさに気付いて諌めたのだが、王凌は聞く耳を持たない。


 血気に逸った計画が上手くいくはずもないと感じた楊康は、事が起こる前に司馬懿にその計画を止めて欲しいと願い出てきたと言う事だった。


「なるほど、よく分かった。事の真偽を確認した上で動く事にする故、貴官はしばしここに留まるが良い」


 司馬懿はそう言うと、有無を言わさず楊康を軟禁する。


「父上、王凌と言えば親曹派の生き残りでは最大の勢力で、もし内乱でも起きたら多大な被害が出かねません」


「何、王凌は話せば分かる爺さんだ。一つ書状を送るとしよう。それで事は済む」


「あんたも十分な爺さんだけどな」


 司馬師はそう言うが、司馬懿は鼻歌を歌いながら書状を書く。


 楊康の密告だけでは決定打に欠けるところだったが、兗州刺史だった令狐愚の後任である黄華こうかからも、書状が届いていた。


 それは王凌から協力する様にと言う要請と、それに付随する賄賂が送られてきたのだが受け取っていいものかを確認する書状だった。


 楊康の様に保身の為の密告なのか、本当に受け取っていいものか迷っているのか分からないが、黄華と言う人物は良くも悪くも正直な人物らしい。


「これを王凌殿の所に届けてもらおうかな。子元、念の為に叔達と共に行くが良い」


「はいよ」


「子元、一応言っておくが、公務だぞ? お前は衛将軍。こちらは太傅。そこはわきまえておけよ」


「もう引退しろよ。いい歳なんだから」


 司馬師はそう言うと司馬懿の書状を持って、司馬孚と共に王凌の元へ向かう。


 この人選と言う事は、王凌の反逆罪を問うと言う事であり、一族郎党すべて捕縛する事を意味する。


 王凌は確かに魏の東方において最大勢力を誇り、もし捕縛を逃れた場合には大規模な内乱に陥る可能性は高い。


 それ故に、司馬師に求められるのは速さだった。


 いかに最大勢力を誇ると言っても、その大兵力を常に総動員出来る状態にしておく事など事実上不可能であり、大軍と言うものは一声かければ動かせると言うものでもない。


 それでも王凌であれば、驚く程の短時間でその準備を整えてしまう恐れがある。


 そうさせない為にも、司馬師は速さを最優先した。


 こちらの準備も出来ない変わりに、相手にも準備させない。


 同行した司馬孚もそれを察していたので、二人とも移動しながら各地に指示を飛ばしていた。


 王凌は卓越した為政者であり、最前線でも戦う事の出来る一級の武将でもある。


 それ故に、誤った情報を王凌に与える事にした。


 司馬師からの指示は、そう遠からず王凌の耳にも入る。


 その情報を元に、王凌は対策を練る為にも兵を収集する事だろう。


 その前に制圧する。


 極めて危険な賭けではあったが、大規模な内乱を避ける事が出来ればそれに賭ける価値はあった。


 王凌が情報を察知して兵を集めようとした時、司馬師と司馬孚はすでに王凌が拠点としている兗州の制圧を済ませ、王凌が集めようとした兵を従えて王凌の元へ向かった。


「ほう、これはしてやられたか」


 それに対して王凌は、無益な抵抗を示さず、むしろ笑いながら司馬師達を迎えた。


「将軍、太傅より書状を預かっています。都へ同行していただく道すがらにでも目を通していただけますか?」


「仲達の書状だと? どうせ逮捕状だろう? そんなモノに目を通す必要があるとも思えんが」


 罪人として捕らえられたはずの王凌だが、その威風堂々たる振る舞いはとてもそうは思えないところがあった。


 まだ逆転の可能性がある事を信じているのか、負けを認めて受け入れているのか。


 前者である可能性は捨てがたいものの、おそらくは後者であろうと司馬師は思う。

 もし王凌が他の親曹派の文官程度の人物であれば、後者の可能性は頭の片隅にも浮かばなかっただろう。


 だが、王凌は豪胆な武将である。


 最期の最期まで諦めないのは同じであったとしても、引き際は弁えている。


 それ故の潔さだろう。


 で、あって欲しい。


 護送車に乗り込む王凌を見て、司馬師はそう思っていた。


 王凌が捕らえられた事によって、画策していた反乱は未然に鎮圧された。


 首謀者である王凌と言う後ろ盾を失った事により、担ぎ出された曹彪も捕縛され、この計画に参加した者で主な者だけでも数百人に上った。


 もしこの反乱が起こったにしても、それを鎮圧する事は出来たと司馬師は考えているし、その自信もあった。


 だが、そこでの損害は相当なものだった事も容易に想像出来る。


 近年では呉が後継者争いで家臣団を二分して大揉めしていたらしいが、それにも匹敵する損害を出していた事だろう。


 魏に限った事ではなく、皇帝弑逆に当たる反逆罪には死罪が適用され、それは一族郎党に至るまでその対象となる。


 為政者である王凌であれば、その事も知っていたはずだ。


「小倅、ちょっと止めてくれるか」


 移動の途中で、王凌が護送車の中から司馬師に声を掛けてくる。


「将軍、申し訳ありませんが都まで急ぎますので」


「固い事を言うな。多少遅れたところで仲達のヤツがとやかく言う様な事は無い」


 王凌はそう言って護送車を止めさせた。


 そこは魏の功臣達の祀られた墓所であり、王凌は勝手に護送車から出ると悠然と歩いていく。


 黙って見送ると言う訳にも行かず、司馬師は数人の護衛と共に王凌の後に着いて行く。


 もちろん、王凌は逃げ出そうとしていた訳ではなく、魏の功臣であり同僚であった文官の賈逵かきの廟の前にいた。


梁道りょうどう(賈逵の字)よ。この王凌、自身の栄達など興味は無かった。ただただ、魏の為を思っての事だったのだが、それでも仲達には及ばなかった様だ」


 王凌は賈逵の廟の前でそう報告すると、懐に入れていた司馬懿の書状を出す。


「とは言え今回の事、梁道が生きておれば諌めたであろうな。実に口惜しい」


 とは言うものの、王凌の表情は晴れやかなものだった。


「将軍、父からの書状には何と書かれていたのですか?」


「ああ、コレか。中々の読ませる名文……」


 司馬師の質問に答えていた王凌は、そこで言葉を一旦止めてニヤリと悪い表情を浮かべる。


「まあ、待て。梁道にも読ませてやりたいのでな」


 王凌はそう言うと、賈逵の墓前で司馬懿の書状を燃やしてしまう。


「コレの内容など、小倅であるお前が知るべきでは無い。どうしてもと言うのであれば、仲達に教えてもらう事だ。ただ、名文であった事だけは教えておこう。さて、ワシの用も済んだ。都へ案内するが良い」


 相変わらずの、食えない爺さんだな。


 司馬師は王凌を見てそう思う。


 単純な好き嫌いだけで言えば、司馬師は王凌の事は嫌いではない。


 上に立つ者として、良い悪いではなく好き嫌いで物事を判断する傾向が強いのはどうかと思うが、それでも信賞必罰に関しては好き嫌いで過多が出る訳でもなく、良くも悪くも裏表が少ない人物である事は誰もが知っている。


 それは為政者としてでなく、武将として戦場に出ていた豪胆さから来る自信の表れだったのかもしれない。


 こんな事になって残念だと、本気で思っていた。


 が、王凌は生きて司馬懿の元へ行く事は無かった。

 道中で服毒して自決したのである。

王凌について


かなり波乱万丈な人生を歩んできた人で、自決と言う形で八十年に及ぶ人生に幕を降ろしました。

ちなみに参りに来た墓の中の人物である賈逵は、王凌と同僚で演義ではそれほど活躍の場はありませんが、極めて優秀な魏の文官です。

そしてもう一人、この物語では出てきませんでしたが楊修も賈逵や王凌の同僚です。

「鶏肋」で有名になってしまったあの人、と言えば楊修が誰か分かるかもしれません。

こうして名前を並べると、けっこう豪華な顔ぶれですが、その最期の一人である王凌も退場となりました。


作中でもちらっと書いてますが、もしこの乱が起きていた場合でも王凌が勝って曹彪が皇帝になると言う事は無かったと思いますが、それでもこの乱が起きていた場合には二宮事件を終えた呉が攻め込んできて、魏は大苦戦を強いられていた事でしょう。

そうならなかったのは、司馬師の卓越した能力の高さと言えるかもしれません。

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