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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 武勲までの長い道のり

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第二十四話 二四九年 まずは客として

 夏侯覇の受け入れは蜀でも物議を醸した。


 何しろ夏侯覇といえば蜀でも名の通った武将であり、しかも武帝曹操の血筋の家系かつ、軍部の中心人物である。


 諸葛亮の北伐の際にも、当時の大将軍曹真と共に蜀の前に立ちはだかった猛将だ。


 そんな人物が蜀に亡命と言う事が、まず現実的ではない。


 が、それでも夏侯覇の亡命は本当であり、蜀に受け入れるべきだと強く主張した者がいた。


 同じく魏からの投降者の郭循である。


 夏侯覇と言う人物は生粋の武人であり、偽りの投降で内部から攪乱する様な腹芸に向いた人物ではない事、同じ様に軍部の中枢の人物である司馬懿や後任となった郭淮とは不仲である事、今回の事で魏の実権が司馬懿に移った事は夏侯覇にとって認められる事ではなく、その司馬一族の打倒の為ならば粉骨砕身を惜しまない人物である事などを語った。


 現地の責任者である姜維はそれでも眉をひそめていたが、一つの事実が姜維であっても夏侯覇を受け入れなければならないという判断しか出来なくさせた。


 今の蜀の皇帝である劉禅りゅうぜんの妻であるちょう皇后なのだが、この女性は蜀建国の重臣でありあの桃園の三兄弟の一人、張飛ちょうひの娘である。


 その張飛の妻が、夏侯覇の叔母に当たる人物だった。


 つまり夏侯覇は魏の皇族の一員であると共に、蜀の皇后の従兄弟だったである。


 蜀の皇族に連なる者の窮地を見捨てる訳には行かず、姜維は夏侯覇を迎え入れる事になった。


「直接会うのは初めてですよね? 初めまして。姜維伯約と申します」


 姜維は最前線の幕舎で、夏侯覇と会う。


「敗軍の、しかも率いる兵もいないのに丁寧な対応、ありがとうございます」


「それは私ではなく、貴方の事を買っている郭循殿に礼を言っておいて下さい」


 姜維は夏侯覇を見ながら言う。


 事情は分かったが、それでも姜維はまだ夏侯覇の事を信用していなかった。


 と言うより、信用しろと言うのが無理である。


「幾つか確認しておきたい事がありますので、大将軍に無理を言ってこの場を作ってもらいました。夏侯覇将軍には無礼に当たるかもしれませんが、ご容赦下さい」


「構いません。俺は敗軍の将。これまでの経緯を考えれば、この場に立つ事も出来ずに切られていても、文句を言える立場では無いのは分かっているので」


 夏侯覇は堂々としたものである。


 純粋に第一印象の話をするのであれば、姜維はこの夏侯覇と言う武将は嫌いではなかった。


 郭循が言っていた通りの生粋の武人で、姜維が軍部で見てきた名将の中の名将である趙雲ちょううんや、徹底的な現場主義だった魏延などに共通する何かを持っている人物であるように見えた。


 少なくとも腹芸に向いた人物には見えないし、単純な好みの話で言えば姜維は先に投降してきた郭循よりこの夏侯覇の方が信頼出来そうに思えたくらいである。


 が、それはあくまでも姜維個人の私的な意見であり軍部としての見解ではない。


「夏侯覇将軍。我々蜀の目的は魏の打倒であり、漢室の復興です。もし将軍の目的が個人的な司馬家の打倒であると言うのであれば、それは蜀の大義から外れるものであり、とても協力出来るものではありません。それはわかっていただけますか?」


「もちろん。我が叔父である曹操孟徳は、魏国皇帝となった文帝によって諡されて皇帝とされてますが、漢の丞相であったお方。魏と言う国になったのはあくまでも文帝によるもので、叔父の事を考えるのであれば漢室の復興もまた忠孝の道。それを大義とするのであれば、喜んでこの身を捧げましょう」


「では、言葉ではなく行動で示していただきたい。ずばり、今の雍州軍を出来る限り詳しく話していただけますか? それも、他の蜀将達の前で。それが出来ますか?」


「言われるまでもなく」


 夏侯覇は即答する。


 もし本気で蜀に降るつもりなら仲間を売れ、と姜維は言っているのだが、そんな事で夏侯覇の覚悟は揺るがなかった。


 実際問題として、姜維の独断で蜀への登用を決められる様な状態でも人物でも無いので、大将軍である費禕への目通りも兼ねて、姜維は漢中の守備を廖化に任せ夏侯覇と共に成都へ向かう。


 成都では大将軍の費禕だけでなく、蜀の主だった文武官の他、皇帝である劉禅と夏侯覇本人の確認の為と思われる、魏からの投降武将である郭循の姿もあった。


「初めまして。大将軍の費禕と申します」


 費禕は蜀の生真面目な文官達や、魏の名門子弟とも違う雰囲気の男だった。


 体つきはまるで武将の様にしっかりと厚みがあり、官服より鎧の方が似合いそうなくらい逞しい。

 全体的に日に焼けた肌の色や、妙にニヤケた表情が似合う雰囲気などからも、蜀ではもちろん魏にもそう言う人物は少なかった。


 何晏などは近いかもしれないが、何晏の様な退廃的なところは無い。


 どこか掴み所の無い人物ではあるが、郭循の様に存在感が希薄というのとは違う。


 特徴的過ぎて、どこを特徴として捉えればいいか分からない様な人物だった。


「夏侯覇です」


「皇后の親族という事もありますので、まずは客人を迎える為に宴会でも」


「大将軍、遊びじゃないのですよ」


 費禕の提案に対し、姜維が苦言を呈する。


 当然夏侯覇は知らないのだが、費禕の宴会好きは蜀では有名であった。


 蜀の大将軍は丞相も兼ねるので、恐ろしく多忙なはずなのだが、飲み会あるところに費禕の姿有りというくらいに遊び回っている。


 それでいて内政でも軍務でも滞らせた事が無いのだから、常人離れした能力の高さは見て取れる。


「もちろん遊ぶつもりで言っている訳ではない。正直に言うとまったく無い訳では無いが、魏にその人有りと言われた名将夏侯覇将軍が蜀に降ったのを蜀が受け入れたと言う事を大々的に伝えるのは、蜀の度量の広さを知らしめる事に繋がる。夏侯覇将軍、不名誉かもしれませんが、ここは宣伝活動にご協力をお願いしたい」


「存分に。魏の宿将ですら受け入れてもらえると言う事が知れれば、現状の魏に不満を持つ者達も動くかもしれません」


 夏侯覇はすぐに受け入れる。


 費禕の提案は、政戦両略から見ても非常に効果的なものだと言う事が夏侯覇にも分かったからである。


 本人は遊びの部分も否定していないが、それだけでなく大きな見返りも期待出来るのだと言われると、姜維も口を挟みづらい。


「ですが、大将軍。今は千載一遇の好機。これを逃す手はありません」


 しかし、姜維は食い下がった。


 涼州に赴任する姜維は、もっとも近くで魏軍を見てきたと言ってもいい。


 また、本人も魏出身と言う事もあって情報網も無くはない。


 そんな姜維から見て、今回の様な内紛は極めて異例の事なのである。


 まして攻撃に定評がある夏侯覇が離れたのであれば、もう一人の名将にして守備の要でもある郭淮は片腕の状態と言ってもいい。


 今、この時こそが攻め時である。


「伯約よ、貴将の優秀さはこの費禕も高く評価するところ。この費禕とて万人と比べ劣る人材ではないと自負している。しかし、我らを合わせても丞相(諸葛亮)に及ばないのは分かっているだろう? 丞相ですら成し得なかった事を我らに成し得ると思うか?」


 現丞相である費禕だが、蜀で丞相と言えば諸葛亮の事を示す。


 それは現職の費禕に限らず、前任の蒋琬も、次期丞相候補だったが先に病没してしまった董允とういんさえもそれは共通する考えであり、蒋琬や費禕は大将軍と呼ばれる事はあっても丞相とは呼ばれない。


 逆に諸葛亮を大将軍と呼ぶ事は無いので、そこで区別していると言う事もある。


「大将軍、私とてそれは重々承知の上。ですが、丞相は今のまま座していても蜀は滅びると予見しておいででした。ですから私達は丞相とは違う見方で、別の戦い方をするべきです」


「その千載一遇の好機と言うのが今、と申すか」


「御意に。大将軍、どうか私に兵を動かす許可を下さい。必ずや良い結果を出して見せます」


「伯約、今のお前に何を言っても無駄な様だな。任地の涼州に戻るが良い。良いな、伯約。貴将の一存で涼州の兵一万を動かせる権限があるにせよ、勝手な事を許さぬぞ。この成都から涼州までは遠く、援軍も派遣出来ないと言う事も忘れるなよ」


「御意に」


 姜維はそう言うと、席を離れる。


「良かったのですか?」


「伯約は賢いので、分かってくれるでしょう」


 夏侯覇の質問に、費禕は笑顔で答える。


 この場には劉禅を始め、蜀の主だった文武官が招集されている。


 その大半が、強大な魏と戦う事を徒労だと考えている節があり、打倒魏を掲げて行動しているのは実質姜維と費禕くらいしかいない。


 しかし、費禕には内政を治める丞相という立場もあるので、姜維の様に対魏の事だけを考える訳には行かず、今の蜀の状態を考えると魏と全面対決はあまりにも危険だった。


 その為、文武官達の前では分かりやすく姜維に賛同出来なかったのである。


 それ故の言葉だったのだが、それは姜維には費禕の匂わせた言葉は伝わっていた。


 少なくとも、姜維には自分の権限で動かせる兵が一万はいる事。勝手な振る舞いを行ったとしても、それを叱責するにも成都は遠くすぐには行えないので、それまでであれば自由に行動出来る事を費禕は言っていた。


 他の者には姜維を咎めている様に聞かせなければならなかったのだが、姜維はしっかりとそれを受け取っていた。




 姜維は急ぎ涼州へ戻ると、廖化を呼ぶ。


「廖化、魏軍に動きは無いか?」


「出征の動きはありませんが、やはり夏侯覇将軍が抜けた事によって軍内部の編成などには混乱をきたしているみたいですね」


 廖化は調べていた事を姜維に報告する。


 姜維は夏侯覇を成都に連れて行く時、廖化に魏軍の動向を調べる様に指示していた。


 これまで前線にいる事が多く、数多くの武勲を上げてきた夏侯覇が突然抜けたのだから、軍内部では多少なりとも混乱が生まれるのは仕方が無い。


 まして夏侯覇の軍は、夏侯覇と言う傑物によってまとめられていたところも大きいので、その支柱を失って後に新たな組織に組み込まれる事に慣れていない。


 それが一瞬であったとしても、敵対行為をしていた軍であれば尚更である。


「ここまでは概ね予想通りではあるか。これより魏を攻める。軍議を開くから、句安こうあん李歆りきん、あと治無戴も呼んで下さい。私の策を説明する」


「それは構いませんが、勝手に軍を動かして大丈夫なのですか?」


「大将軍の許可は……、一応、得ているから」


「気になる間ですが」


「怒られるにしても、それは戦の後でだよ」


 姜維は笑いながら言う。


 廖化としては半信半疑なのだが、ここで姜維と論争してもあまり意味はないので姜維に言われた通りに、蜀の武将である句安と李歆、羌族の武将である治無戴を呼ぶ。


「大将軍からこう言われました。あの諸葛丞相ですら中原を収める事は出来なかったのに、それより劣る我々にそれが成し得ると思うか、と。正直、言い返せない自分が悔しかったですよ」


 姜維は集まった面々に向かって言う。


「とは言え、戦の主目的は土地の取り合い。そう言う戦で考えるのであれば、私達は諸葛丞相の足元にも及びませんが、もっと原始的な戦いであれば私達は諸葛丞相より優れた戦いも出来るかもしれません」


 姜維はそう言うと、周囲を見る。


「今回掲げる私の目的は、雍州を取るのではありません。武将、郭淮の首を取る。敵武将を打ち取ると言う事も戦の目的の一つであり、雍州方面軍の司令郭淮と夏侯覇がいなければ方面軍など烏合の衆。結果として雍州も手に入ります」


 姜維はそう前置きした上で、策を説明する。


「……面白い策だ。乗っても良いでしょうな」


 姜維の部下ではない治無戴だったが、姜維の策を聞いて頷く。


 治無戴は涼州を拠点とする異民族には珍しく、ヒャッハーとか奇声を上げながら馬を乗り回す武闘派集団とは違い、知将の気質が強い。


 また、配下ではなくあくまでも友軍扱いなので、作戦に対する拒否権を持っている。


 作戦を聞いた上で勝算無しと判断した場合、無理に兵を出す必要は無く、またそう判断した場合には容赦なく策の隙などを突いてくる。


 最初の頃は姜維と何度もやりあっていたのだが、その時に姜維の実力を認めたと言う事もあって今の立場になっている。


 その治無戴をして乗り気にさせるほど、姜維の策は見事なものと判断したのである。

蜀と夏侯覇


まず、個人で伝を立てられていないので詳しい事はわかりませんが、少なくとも史実の中で夏侯覇が蜀に亡命する際に、郭循が関わったと言う記述はありません。

そもそも郭循がいつ蜀に投降したのかわかりませんが、夏侯覇より前であれば関わっていた可能性は後の事を考えるとそこまで低くないと勝手に考えています。


で、夏侯覇なんですが、この時の蜀の皇后が夏侯覇の身内である事は史実通りです。

官渡の戦いの後くらいの、張飛がほぼ山賊で好き勝手している時、夏侯淵の妹か姉か従姉妹か娘か姪っ子か、とにかく一族の女性をさらって嫁にしています。

その女性が夏侯淵の息子である夏侯覇の血縁であった訳です。


ちなみに本編にはあまり関わらない事ですが、夏侯覇の娘が羊祜の嫁である事など、夏侯覇と言うより夏侯一族は魏と蜀、その後の晋にまで深く関わる一族で、ここまで各国に渡って重要な一族と言うのは他にいないのではないでしょうか。


あと、この作品の中の費禕のイメージは「今でしょ」の林先生です。

見た目、と言う訳ではなく『遊びを知っている知識人』のイメージが、私の中でピッタリだったので。

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