第十五話 二四一年 王凌との会話
「いや何、大した事ではないのだ。だが、無視出来ない事でもある。ずばり、呉軍の足止めの事だ」
と、王凌は切り出したのだが、実際には大した事だった。
とにかく王凌は気になった事を、徹底的に質問してきた。
そもそもただの農政官の一人でしかない鄧艾が、何故最激戦区となった芍陂に僅かな別働隊を率いて現れたのか。呉軍の位置をどのようにして正確に調べる事が出来たのか。どの様な策を用いて呉軍の足止めを図ったのか。
誰の目にも歴戦の猛将にしか見えない王凌だが、こう言う緻密さは統治者としても高い評価を得ていると言うのも頷ける。
が、飽きたのか面倒に思ったのか、媛は羊祜を連れてこの場を離れていった。
鄧艾の副将は正式に杜預が任命され、現状の羊祜は副将を罷免され無官状態である。
また古風な王凌は女性の媛がこの場にいる事が気に入らなかったという事もあり、媛はそれを察して羊祜を連れて離れたという事だ。
……と、いう事にしておこう。多分、本気で飽きただけだろうし。
鄧艾はそう思ったのだが、それは王凌には伝えないでおく。
「つまり、芍陂にいたのは偶然という事か?」
「そうです」
王凌は驚いていたが、鄧艾は正直に応える。
そこは本当であり、嘘でごまかす必要も無い。
鄧艾が運河作りの報告の為に司馬懿に会っていなければ、そもそも呉軍の侵攻を知る事は出来なかった。
出発がもう少し遅かったらこの戦に間に合っていなかったか、あるいは出発する事も出来ずに孫礼軍に組み込まれていた事だろう。
そうしてこの戦に参加する事になったが、鄧艾にも誤算はあった。
鄧艾の予想では、呉軍は動けないと思っていた。
ちらつく伏兵が気になって、攻めと守りの主張が入り混じり中途半端な陣を敷くと思っていた。
そうなれば王凌が援軍に来た時に対処に追われ、そこを鄧艾と孫礼でつついて指揮系統を混乱させるつもりだった。
だが、呉軍の総大将の全琮は、鄧艾が恐れた通りの優秀な武将であり、もし勝機を見出すとしたら一気に攻め込む事も考えられるという、悪い予想が当たってしまった。
これは鄧艾がもっとも恐れた行動だったのである。
全琮は後手に回ったと自覚があったのだろう。それを取り返す僅かな道筋を見逃さないのは、さすがだと言うべきだろう。
そうなると連携の取れない王凌の動きに期待するしかなかったのだが、王凌はこちらの期待通りの動きをしてくれた。
あの時王凌が踏み込むのを躊躇った場合、魏軍は完全に飲み込まれていたのである。
「気に入らん!」
鄧艾の説明を聞いて、突然卓を叩いて怒鳴る。
唐突に怒り出した王凌に、鄧艾だけでなく司馬師や杜預も同じように驚く。
「まったく気に入らんぞ! これほどの逸材、仲達如きに先を越されるとは!」
「……恐れ入ります」
能力を高く評価されているという事は伝わってきたので、鄧艾は素直に礼を言う。
言うには言うのだが、さすがに怒られている理由はよくわからない。
「鄧艾と言ったか。ワシと一緒に都に行くぞ! 大将軍に引き合わせてやる」
「え? あ、いや、さすがにそれは。私にはまだここで仕事がありますし」
「構わん。良いな、小倅」
「ダメです」
王凌に対し、司馬師は笑顔で答える。
「鄧艾は太傅の属官で、尚書郎としてこの淮南での任務があります。それを名代でしかない俺の独断で良いですよ、とは答えられません。どうしてもと言うのであれば、太傅に頭を下げてお願いして下さい」
「ぬ? 小倅、言うではないか。鄧艾よ、身の振り方はよく考えよ。親曹派か、親司馬派かを」
王凌は獰猛な表情を浮かべるが、司馬師も笑顔で一歩も引かない。
「あの、私は魏の者です。親曹も親司馬も無く、魏の官であるつもりです。それに王凌将軍ほどの、実績も武名も経験もある方が率先してそんな派閥争いをされては、その溝は深まるばかり。出来うる事なら、王凌将軍にこそ親曹、親司馬と言う垣根を越えて私達の様な未熟者を導いて頂ければ、と考えております」
鄧艾の言葉を聞いて、王凌は凄まじい目力で鄧艾を睨みつけてくる。
気の弱い者だったら、それだけで息の根を止められそうな迫力である。
「親曹でも、親司馬でもない、魏の官だと?」
「明帝が亡くなられて、その後を継がれたのは幼い少帝曹芳陛下です。その方を前に魏が二派に分かれているところを見せる事にどの様な意味があるのですか? 魏は磐石であり、臣民全てが幼い陛下を盛り立てていると言う事を見せる事こそ、臣下の努めであると私は考えておりますが」
王凌の目力にも怯む事無く、鄧艾は自説を説く。
「……なるほど、中央から遠ざけられる訳だ。気に入ったぞ」
急にニッと笑って、王凌は何度も頷く。
「その調子で仲達ともやりあったのだろう。まったく、怖いもの知らずな者もいたものだな。小倅、そう思うだろう?」
「思いますよ。王凌将軍がブチギレて切り捨てないか、ヒヤヒヤしてましたから」
司馬師は笑いながら答える。
と言う事は、司馬師は切られそうになった場合、鄧艾を助けようとはしなかっただろう。
この人も恐ろしい人だな。
鄧艾は司馬師を見て思う。
軽快な語り口や流れる様な受け答えは、多少の口の軽さを感じさせるところがあるかもしれないが、その口から出る事が事実であったとしても真実とは限らない。
王凌の言葉に対しての否定の仕方を聞いても、それをうかがわせる所がある。
基本的に司馬師の言葉は、王凌の考えている事を否定していない。
先の邪魔に思っているだろうと言われた時も、それを口に出したりしないと答えた辺り、思っていますと答えている様なものであり、今も同意を求められた時にはそれに頷いている。
それはどちらも王凌の私的な言葉に対してであり、鄧艾の属官の話になるとそれは公的なものなのではっきりと否定している。
受け答えだけを聞くとお調子者に聞こえなくもない司馬師なのだが、その実、極めて優れた策謀の士である事が分かる。
「コレと孫礼がおれば、呉への対策としては万全だな」
「あー、それですがね。呉はしばらく動けそうにないみたいですよ」
司馬師が言う。
「さすがに論功の場で言う事じゃないと思ったんで、改めてどこかで報告しようと思っていたんですが、呉では皇太子である孫登が病死したみたいで、それはもう大騒ぎらしいですよ。とても魏に侵攻出来る状態じゃ無いみたいです」
「それは確かに大事ではあるが、確かか?」
「ほぼ間違いなく。あれだけの大軍を動かしながら呉軍が一斉に全軍撤退をしたのは、その事も一因みたいですからね」
皇太子孫登の病死。
それは呉にとって、取り返しの付かない損失だった。
孫登の名は、魏や蜀にも届く良く出来た人物として知れ渡っていた。
あの周瑜の娘を娶ったと言う一点でも、孫権の期待の表れが分かると言うものだろう。
その人物を失ったとあっては、呉も大軍を動かして攻める様な状況ではないと言う事だった。
「蜀も動けないようだしな。何でも大将軍の蒋琬が病でまっとうに軍を動かせないらしいぞ」
これは王凌の情報だった。
本来であれば芍陂だけではなく、荊州、そして蜀からも援軍が来て大規模な包囲網を完成させて、一斉に攻撃すると言う軍略であった。
が、蜀の連携が悪く、それは上手くいかなった。
蜀側に思うところがあったと言う訳ではなく、大将軍蒋琬の病と言う問題だった。
蒋琬はあの諸葛亮から自身の後任として名指しされた人物であり、その極めて高い実務能力や厳正な人柄といったところでは蜀臣から絶大な信頼もあった。
そんな人物が病とあっては、やはり同じように大軍を動かせる状況ではない。
「そう言う事で、今は三国が共に動ける状況じゃない。魏は新帝を戴いたばかり。呉は皇太子を失い、蜀は大将軍が病。この状況、士載はどう見る?」
司馬師は王凌ではなく、敢えて鄧艾に尋ねる。
「そう言う事であれば、魏の取るべきは内政に力を入れ、十分に体力を付けるべきでしょう。元々魏の国土は蜀や呉と比べるまでも無く広く豊かです。呉や蜀が立ち直る頃には、魏はその二国より豊かになり、より多くの軍を支える事も出来るでしょう」
「若い割に無欲だなぁ。郭循、お前と同じ様な事を言うておるぞ」
「頼もしい限り」
王凌は後ろに控えていた副将に向かって言うと、その副将郭循はそう言って頷く。
誰だろう? 名前にも聞き覚えは無いし、会った事も無い。
鄧艾は司馬懿自らが見つけてきた人材であり、誰の目にも親司馬派の人物である。
それ故に鄧艾は親司馬派との面識はあっても、親曹派との面識はあまりない。
王凌や孫礼との面識を得られていなかった事も、それが影響している事を考えると王凌の副将との面識がない事は不思議ではない。
だが、それにしてもこの郭循と言う人物はどこか奇妙な印象だった。
とにかく印象が薄いのである。
見た目にも王凌が濃過ぎて印象に残ると言うのもあるが、身長が高いわけでも低いわけでも、大きい訳でも小さい訳でもない。
特別目を引く様な男前と言う事もないが、印象に残る様な不細工と言う事もない。
外見だけでなく、存在感が希薄なのだ。
王凌の副将に選ばれるくらいなので極めて優秀なのだろうが、司馬師とはまったく別の意味でそう思わせない。
まったく優秀に見えないのだ。
もちろん、無能にも見えない。
とにかく、人としての、『郭循』と言う人物の取っ掛りが何も無い。
これはこれで凄い資質だろう。
「俺もそう思いますよ。今は下手に手を出すべきじゃない。無理攻めでは良い結果は得られないでしょうね」
「分かった分かった。聞いておこう」
司馬師にも言われ、王凌は面倒そうに手を振る。
「まったく、孫礼からも振られたし、良い事の無い日だった。不愉快だ、帰る」
と言うわりには笑顔で立ち上がると、王凌は手を振ってその場を離れ、郭循は司馬師に頭を下げて王凌の後を追う。
「まったく、おっかない爺さんだよな? 七十近いってのに、最前線で敵将切りまくってんだぜ?」
司馬師は王凌の背中を見ながら言う。
「蜀の黄忠って爺さんも七十越えて夏侯淵将軍を切っているが、あの爺さんも同類だろうな」
「孫礼殿に振られたと言うのは?」
王凌が最後に残した言葉が気になって、鄧艾は質問してみる。
「ああ。孫礼も元は大将軍の側近だろ? 今回の手柄で中央に戻る様に口利きしてやるって爺さんが持ちかけたんだよ。でも、孫礼は『自分は来るべくしてこの地に来た。中央に戻るべき時が来れば、その時に戻る。口利きは不要』って事で、爺さんの手を払ったんだよ。ま、孫礼は大将軍から疎まれてここに来た訳だし、爺さんも強くは言わなかったみたいだな」
司馬師がそこまで詳しく知っていると言う事は、その場に立ち会ったのだろう。
しかしその言い様、いかにも堅物な孫礼らしい言い様であり、大将軍である曹爽からさぞかし疎まれた事だろうとも予想出来る。
「ま、士載の怖いもの知らずにも驚かされるがなぁ。お前、よくあの爺さんにあそこまで言えたよな? さすが父上も恐れないだけの胆力がある」
「胆力、と言うより開き直りです。私の如き下賤の者が、太傅や王凌将軍と言った雲の上の方々とお話する機会はそう多くはありませんので、せっかくの機会を逃さない様にと心がけています」
「それを実行出来るのが胆力のなせるワザだ。父上が気に入るのも分かるが、嫌われやすそうだなぁ」
司馬師がそう言うと、後ろで副将の杜預も苦笑いしている。
鄧艾は誰に対してもその態度を変えようとしないので、下の者や一般兵、民などからの信頼は厚い。
しかしその一方で権力者や有力者などにも媚びる事を好まないので、一部からはかなりの反感を持たれている事も事実である。
もちろん目上に対する礼儀などはわきまえているものの、公人としての鄧艾は合理的で容赦が無いところも目立つ。
大多数の下の者達から好まれ、少数の上層部から嫌われる事の多い鄧艾は、この時代での出世する方法の真逆を行っていると言っても良い。
「そうだ。太傅から尚書郎になった祝いとして、もう一つ士載には褒美を取らせると言う事だった」
「褒美? 私に?」
「ああ、太傅直々の指名で士載に嫁を取らせると言う事だぞ」
「嫁? 私に? 太傅から?」
鄧艾は目を丸くして驚いている。
「え? 嫁って……」
突然の事に杜預も驚いて鄧艾を見ているが、何も知らされていない鄧艾も驚いて言葉も出ない。
「あ、爺様、帰ってるよ」
席を外していた媛が、王凌がいない事を確認して戻ってくる。
「ん? どうしたの? 妙な顔して」
「おお、ちょうど良かった。君にも関係のある話だ」
司馬師は、戻ってきた媛と羊祜を手招きする。
「太傅からの報奨として、鄧艾士載、太傅の推挙する女性である媛を嫁とする事を認める。これに異論あらば申されよ」
「え? ええ? あの時の話、本気にしてたんですか?」
媛も驚いて言う。
「酔っ払いの戯言かと思ってたんだけど……」
「父上はそう言う話は大好きだから、ノリノリだったぞ。それに、君の事も大いに褒めていた。自分があと三十か四十か若かったら自分が嫁にもらっていたと言っていたくらいだ。士載、そんな女を逃す手は無いぞ?」
「そ、それはそうなのですが……」
「媛も、見る目がある。士載はこの調子だが、おそらく今後よほど道を踏み外さない限り、この男は出世するぞ。今のうちに捕まえておけ」
「おめでとうございます!」
鄧艾や媛が驚いているうちに、杜預が言うと、羊祜もすぐにそれに乗っかる。
「これで晴れて奥方様とお呼びできますね」
鄧艾はきょとんとしていたが、もはや決定事項であり、さすがにここでまで司馬懿に逆らう事は出来なかった。
都を出る時の話ってのは、コレだったのか。
そう鄧艾は思っていたのだが、本気にしていなかった媛さえも驚いている辺り、司馬懿はよほど調子の良い事を言っていたのだろう。
しかし、これでも媛は相当な切れ者なのだが、それでも手玉に取られると言う事なので司馬懿恐るべしである。
二宮事件スタート
度々出てきたキーワード「二宮事件」ですが、呉をどうしようもなくぐっちゃぐちゃにした大惨事です。
大雑把かつごく簡単に説明すると、誰もが認める後継だった孫登が急死してしまった為、次の後継者を決める必要が出てきました。
で、後継には年長の孫和が挙げられたのですが、その弟である孫覇も孫権なりに兄弟である事を考慮して同格扱いにしてしまいます。
ところがこの異母兄弟、母親同士が仲が悪かったのです。
その為、この二人の間で強烈極まりない後継争いが発生し、それぞれを押す家臣団まで巻き込んでほぼ内乱状態になります。
最終的に内輪揉めに嫌気がさした孫権がいきなりこの二人を廃し、しかも揉めた家臣達も罰し、さらにこの時一番可愛がっていた八歳の孫亮を後継にしてしまいました。
これによって呉を支えてきた陸遜を始めとする呉の重臣達を多く失い、能力はあっても人格に問題のある諸葛恪が実権を握る様になります。
ちなみに決着がつくまで十年近くかかったこの事件は、呉滅亡の直接の原因の一つと言えるでしょう。




