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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 武勲までの長い道のり

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第十四話 二四一年 論功

 王凌軍が呉軍の後背より突撃した事によって、圧倒的不利な状況だった魏軍が逆に優勢になった。


 全琮の読みはほぼ完璧に鄧艾の策を見切っていたのだが、ただ一つ読み損なっていた部分があった。


 鄧艾は、全琮がそこまで見抜く事を恐れ、それを見越していたのである。


 全琮と言う武将は紛れもなく名将であり、無能を登用して大都督の地位を与える様な孫権ではない事を知っていた鄧艾は、全琮に敢えて策の全てを見抜かせた。


 平時の全琮であれば、おそらくここまで深く策にハマる事は無かっただろうと鄧艾は思う。


 では何故、知将である全琮は罠に落ちたのか。


 それは呉軍が侵略軍であり、戦に勝利しなければならないと言う事。


 全琮は十分過ぎるほど、その事を理解していた。


 だからこそ、勝ち筋が見えたが故にその広いはずの視野が勝利に囚われ、もっとも警戒すべき魏の援軍である王凌軍が視野から消えると言う大失態につながったのである。


 と言っても、そこには鄧艾の念入りな仕込みもあった。


 鄧艾にはどの様な任務であれ、初めて行った土地の場合、まずその土地の測量を行い、その土地で軍が布陣しやすいところを調べる奇妙な癖がある。


 ほとんどの場合でそれは無駄になり、また妙な事をしていると笑われる事も多かった。


 だが、今回に限ってはそれが決定的好機を作り出す事になったのである。


 運河造りの時、当然鄧艾はこの芍陂の事も調べていた。

 それもあって、呉軍がどこに拠点を置いているかを正確に予測出来た。


 そして、この土地の奇妙な形状の事も頭に入っていた。


 見ただけではわからないのだが、呉軍が拠点として布陣していたところから北東は、一見なだらかに見えるのだが実は目隠しする様な丘があり、見た目ほど視界が開けているわけではない。


 それは侵略軍の呉軍はもちろん、地元でもかなり詳しい者しか知らない様な事で、同じ魏軍であっても新任の孫礼や援軍として来た王凌なども知らない様な事である。


 鄧艾は杜預に王凌軍の場所を細かく調べさせ、王凌に呉軍の北東より攻撃すれば気付かれる事なく攻撃する事が出来ると伝えさせた。


 一方、孫礼のところには羊祜と媛を向かわせ、陣を後方深くに敷いて呉軍を深く呼び込む様に伝えた。


 上手くいくかは賭けの部分が大きかったが、羊祜には本人は無自覚に人を魅了する魅力の様なものがある。


 堅物の孫礼であったとしても、おそらく羊祜の話なら聞き入れてくれるのではないかと言う思いはあった。


 王凌にしてもこれまで幾多の戦場で武勲を上げた人物であり、若造の策とは言え道理があり、それに勝機を見出せばきっと乗ってくれるだろうと言う期待もあった。


 それらが全て噛み合った結果、この絶好の好機を作る事が出来たのである。


 王凌が後背を突いた事によって、呉軍の突撃は止まり指揮に乱れが出た事を鄧艾も孫礼も見逃さなかった。


 まずは孫礼が少数でありながら、呉軍の前線に対し攻撃を仕掛ける。


 最前線にいたのは全琮の甥の全端であり、全端は無理に抗戦して孫礼を破る事をせずに下がりながら後続の秦晃の元まで孫礼を呼び込もうとした。


 その動きに呼応するかのように秦晃は北上して孫礼に攻撃しようとしたのだが、その後背を敗走した様に装っていた鄧艾達によって急襲される。


 その混乱によって呉軍の前線は崩壊し、勝敗の大勢は決した。


 孫礼軍の攻撃によって全端を後一歩のところまで追い込んだものの、秦晃の命懸けの働きによって取り逃がしてしまった。


 しかし、その秦晃を討ち取った事によって呉軍に回復不能な打撃を与える事は出来た。


 また、圧倒的優位な立場であった王凌も、あまりにも追い詰めすぎたせいか全琮はもちろん、顧承や張休らの奮戦を呼んでしまい、呉軍に大打撃を与える事は出来たものの呉の将来を担う若手武将達には逃げられてしまった。


 とは言え、この一戦で呉軍は多くの兵と秦晃を含む多数の武将達、さらには攻めるべき勢いを失ったのである。


 だが、孫礼は更なる急戦を避け、王凌の援軍を迎え入れるとしっかりと防御を固めて迎撃の態勢を取った。


 全軍には伏せていたが、この時孫礼は騎乗する馬や本人が深手を受け、とても戦える状態では無かったのである。


 それでも無理を押して最前線に出て呉軍の前線を崩壊させた孫礼だからこそ、兵達も士気が高く、少数ながら呉軍を圧倒する事が出来たのだった。


 こうして双方がにらみ合う中、魏軍にとっての吉報であり呉軍にとっての凶報がもたらされた。


 多方面攻撃を展開していた呉軍だったが、荊州の樊城を包囲していた朱然の軍を司馬懿自らが兵を率いて撃破して、撤退させたとの報告が入った。


 さらにもう一つの攻め手であった蜀軍も、大将軍である蒋琬しょうえんが病を患い、しかもそれが悪化してとても遠征出来る状態では無くなったので、遠征を断念したとの報告が入ったのである。


 かろうじて踏みとどまっていた全琮軍だったが、ここに至ってはついに手詰まりとなり撤退する。


 こうして後に芍陂の役と呼ばれる事になる戦いは集結した。


 と言っても、鄧艾の仕事はそこからが多かった。


 いかに呉軍を追い返したとは言え、堤防を破壊された上に食料庫を焼かれていると言った被害は出ている。


 かなり大きな被害であったが、それが即致命的損害と言う訳ではなかったのは幸いだった。


 鄧艾はすぐに食料の手配を済ませ、事情を説明して運河造りの為に集まっていた人夫達の手を借りて堤防の再建に着手する。


 太守である孫礼の怪我がある程度回復した頃には、堤防もそれなりの形を取り戻し、淮南には活気が戻っていた。




 そうして論功行賞が行われる事になったが、この日は大将軍や太傅の名代として、司馬師がやって来た。


「仲達の小倅が名代とは、偉くなったものだな」


 司馬師を出迎えた王凌が、さっそく先制攻撃と言わんばかりの挨拶をする。


「そう言わないで下さい。遼東の鎮圧、明帝の崩御、そして今回の呉の侵攻と立て続けに起きたものですから、太傅はその後処理で忙しく、大将軍も民の慰撫の為にも都を離れる事が出来ずに俺が来た次第です」


 嫌味を言う王凌に対し、司馬師は苦笑いしながら言う。


「それでは仕方がない。何晏かあんが褒めておったぞ。ワシは司馬家の者が気に入らんが、何晏が言うにはお前には天下の大事を担う器があるとな」


「恐れ入ります」


 司馬師は頭を下げる。


 王凌と言う老将は、出自は王允の甥と言う事だったので文官風の人物を鄧艾は想像していたのだが、見るからに武将と言う雰囲気の持ち主で、六十を超えていると司馬懿は言っていたがその背筋はしっかりと伸び、頑健さが見て取れる。

 先ほどのやり取りの様に、言いたい事を言う性格ではあるものの裏表が無く、統治者としての実績と評価も得ている人物なので、文官としての資質も十分なのだろう。


 とは言え、見た目だけでいえば戦場にいるのが相応しそうな風格である。


 そんな王凌だったが、公の場である論功行賞の場では大人しく、と言うより全員の模範になるような礼儀正しさだった。


 まず第一功として名を挙げられたのは、孫礼だった。


 もちろん誰も異論は無い。


 僅かな寡兵で呉の大軍の足を止め、自らが深手を負いながらも前線で指揮を執り続け、さらに敵将秦晃をも討ち取ると言う大手柄まで上げている。

 孫礼の奮戦が無ければ、王凌の援軍も間に合っていなかったのは疑いようのない事実だった。


 第二功は王凌だったが、当然これも文句の付け所はない。


 どれほど孫礼が善戦したと言っても、王凌の援軍が無ければ勝負にならなかった事は事実であり、全琮こそ取り逃したものの呉軍の武将を数多く討ち取り、その兵力に大打撃を与えた事は、誰の目にも大手柄である。


 年齢の事を言うと怒られそうだが、七十近い老将とは思えない獅子奮迅の働きだと言える。


 こうして論功行賞が行われたのだが、その中に鄧艾の名は無かった。


 とは言え、それには理由がある。

 その理由は論功の最後に、司馬師から告げられた。


「戦とは別になるが、この場で別途手柄を立てた者を賞する。鄧艾士載、前に」


「はっ」


 司馬師に呼ばれ、末席に控えていた鄧艾は前に出る。


「此度の淮南の運河造り、見事であると太傅の仰せである。その功績を認め、鄧艾を尚書郎に任じる。さらに万を超える人夫をよくまとめ上げた事も太傅は高く評価し、金一封を与える。人夫にも分け与えるが良い」


「御意に」


「今度は逆らうなよ」


 受け取る鄧艾に、司馬師は悪戯っぽく小声で言うと笑顔を浮かべる。


 遼東での経緯を司馬懿から聞いているのであろう。


 鄧艾は素直にそれを受け取ると、すぐに下がる。


 今回の場において、何ら賞与を受けていないのは懲罰人事としてやって来た羊祜、まだ正式に赴任を済ませていない杜預、そもそもこの場にいる資格の無い媛くらいだった。


 鄧艾は司馬師から受け取った金を、正式に頭割りしてそれぞれの人夫に与えて回った。


「全部、いいんですか?」


 杜預は不思議そうに言う。


「もちろん。何か不都合が?」


「いや、その人数に俺も含まれているのは、ちょっと。俺、運河造りには参加してませんし、そもそも戦でも大した事やってないですし」


「いや、元凱は凄い働きをしていたよ」


 鄧艾ではなく、羊祜が杜預を褒める。


「あん? 俺、何かしたっけ?」


「王凌将軍の位置を正確に伝えたじゃないか。それは私達には出来ない事だよ」


「いやいや、誰でも出来るだろ?」


 と、杜預は不思議そうに言うが、本人は分かっていないものの凄まじい働きをした事は間違い無い。


 単純に王凌との連絡役だけでも十分なのだが、もちろんそれだけではない。


 実は杜預は馬に乗る事が出来ない。


 と言っても、ただ乗っているだけなら出来なくはないのだが、全力で走らせるなどの騎馬術となるとまったくダメだった。


 その代わりと言う訳でもないだろうが、杜預は素晴らしい健脚を持っていた。


 今回の王凌との連絡は隠密に行動する必要があり、おそらく馬に乗っていても呉軍に気付かれる事は無かったとは思われるが、それが徒歩となればさらに発見される恐れはなくなる。


 そこで杜預は馬にも劣らない速さで王凌と鄧艾との間を行き来して、正確な場所を伝えたのである。


 その非常識な脚力と極めて正確な記憶力、類稀なる献身によって王凌は最高の勝機を見出して呉軍に突撃する事が出来た。


 鄧艾の作戦も鋭かったが、それを成功させたのは杜預の働きは極めて大きい。


「へー、俺、役に立ってたんだ」


 説明されて、杜預は他人事の様に感心している。


 役に立っていると言う次元の話ではないのだが、本人に特別な事をしている意識が無いのではそんなものなのかもしれない。


 報奨金は運河造りの報酬なのだが、偶然とは言え運河造りに積極的では無かった面々が今回の別働隊の働きをしていたので、頭割りした報奨金は別働隊にとって運河造りの報酬と言うより今回の戦働きの報酬となった。


「太っ腹な事だなぁ」


 その様子を見ていた司馬師が、笑いながら鄧艾に言う。


「これは司馬師様」


「ああ、堅苦しい事は無しだ。ここでの俺はあくまでも父上の名代。言ってみればパシリみたいなモンだ。そうだな、ちょうど叔子や元凱と同じ様なモノだ」


 司馬師はそう言って笑うが、太傅の名代ともなればそれはとてもパシリでは済まされない。


「士載に幾つか聞きたい事があってな。それで探していたところだ」


「私に? 何か?」


「それが俺だけじゃ無かったみたいだ」


「何だ、小倅。ワシが邪魔だと言いたそうな口振りじゃないか」


「いえいえ、とんでもない。そんな事口に出したりしませんよ」


 王凌に対して司馬師はそう応えるが、それはそう思っている事を隠そうとしない様な言い方だった。


 が、王凌はそれに気付いていながら、それを咎める様な事もせずにむしろニヤリと笑う。


「いい度胸だ。何晏が認めるだけの事はあると言う事か」


 がっはっは、と王凌は笑う。


「それで、私に聞きたい事とは?」


 王凌は笑っているが空気に緊張感が増して来た事を気にして、鄧艾は自分から切り込んでいった。

この人、マジで凄くない?


この時70前後の老将王凌なのですが、この芍陂の役では獅子奮迅の働きで呉軍を蹴散らしています。

あの王允の甥なので、文官の家系なのですが化物じみた老将です。

とは言え全琮をはじめ二世武将達には逃げられてしまっています。

これは王凌の歳によるところもあると思いますが、逃げ切った二世武将達が精一杯頑張った事もあります。


ちなみに荊州方面の呉軍も、同じく年配の化物司馬懿に撃退されてます。

もの、この人達、並外れ過ぎて同じ人間と思えないところがあるくらいです。


ちなみに黄忠やら趙雲やら鄧芝なんかは70過ぎても現役バリバリでした。

蜀の老人力、並じゃないです。

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