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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 武勲までの長い道のり

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第九話 二三八年 淮南へ

 とはいえ、鄧艾がこの時より無位無冠になった訳ではなく、むしろ農政官として本来の職務に従事する事になったと言った方が正しいかもしれない。


 生真面目なところのある鄧艾は、司馬懿に言われた通りに一度都に戻る様な事はせずに、そのまま単身で任地である淮南へ向かった。


 計画では旧都である許都の稲田を廃し水路を東下させる事によって、良質な土地への十分な水の供給を行う事としていた。


 その為、淮北より二万、淮南では三万の人員を動員してそれぞれに交代させながら随時十分過ぎるほどの労働力を確保し、かつ守備陣員に当てる事も出来る様にと鄧艾は計画していた。


 司馬懿もそれをよしとしていた為に、そこは順調に事が運んでいたらしい。


 が、箔を付けると言う事が目的だったらしいのだが、羊祜が責任者として任命されてから事態はおかしくなったと言う。


 羊祜自身は非常に優秀な人物なのだが、責任者を任せるには余りにも若く経験不足は否めない。


 当初は羊祜も断っていたらしいのだが、彼の事を気に入っている皇族の一員でもある夏侯威かこういが明帝に直訴して、この任に当たる事になったと言う。


 夏侯威も好かれと思っての事だったのだろうが、任地の者達には面白くなかったらしく、若すぎる責任者に対する不満が作業の遅れに繋がっていた。


 鄧艾の計画では、公孫淵の乱の終わりには河も完成間近のはずだったのだが、現状ではまだ三分の一も進んでいないと言う。


 これらの情報は鄧艾が任地に向かう途中、羊祜が送ってくれた案内人から詳しく聞かされた事である。


「中々に深刻そうな問題だなぁ」


 鄧艾はそれらの話を聞いて、素直にそう思った。


 補佐官に当たる人物は三人いるらしいのだが、その三人は地元の豪族であり、しかも武帝からも高い評価を得た田疇でんちゅうに連なる者らしく、当代の当主である田続の名を出してきているらしい。


 鄧艾の目には多少頼りないところばかりが目に付いたが、それは田続が養子と言う事も原因かもしれないが、田続はその能力を買われて文帝から田家を継ぐ様に任じられたとも、その能力の高さから田疇から家督を譲られたとも言われている人物である。


 いかに皇族の夏侯威や明帝が高く評価しているとは言え、ここまで目が届かない事もあり、羊祜の事を侮っているようだった。


 名門であり皇族からも評価されている羊祜でそうなら、無位無冠で下賤の生まれの鄧艾などまるで相手にされない事も考えられる。


 と、悩みながらも鄧艾は任地に着いた。


 前もって聞いていた通り、作業は進んでおらず、また再開の見通しも立っていない。


「鄧艾さん、申し訳ありません」


 羊祜が出迎えるに当たって、まず謝罪してきた。


「いやいや、君だけの責任ではないでしょう。取り敢えず、君なりに作業計画を立てていたはずだから、それを見せてもらえますか?」


 鄧艾は到着するなり、すぐに仕事にかかる。


 元々単身、着の身着のままであった事もあり、荷物も少なかったと言う事ともう一つ。


 ここへ来るまでの間に都での噂を聞いたのだが、明帝が重病であると言う。


 魏は他の二国と比べてかなり早い内から医術と言うものを取り入れているので、皇帝の周りには優秀な医師団が控えている。


 それをして重病と言うのだから、かなり悪いとも考えられた。


 だが、それが必ずしも死に至る病であるとは限らない。


 快癒したあかつきには、皇帝や大将軍に運河の完成と言う吉報を持って見舞いの品としたいと思っていた。


「……これで上手く行っていない、と?」


 さっそく見せてもらった羊祜が作成した作業工程の計画書だが、鄧艾の目に見ても非常によく出来たものだった。


「どこが悪いのか、私にもわからなくて」


 羊祜も首を傾げながら言う。


「なるほど、悪いところが分かった。各部署の責任者と補佐官を集めてくれ。私が新たに責任者となった事を伝えたい」


「分かりました」


 鄧艾の言葉に、羊祜はすぐに行動にかかる。


 接してみて、羊祜が夏侯威からすぐに気に入られた理由が分かった。


 彼には名門の生まれであると言う選民意識が薄く、若くして非常に優秀な能力を持っている割にはそれをひけらかす事もなく、謙虚でありながらひたむきなところは実に人好きすると言える。

 乱世の武将としての資質に恵まれているとは言えないかもしれないが、治世の臣とすればこれほどの逸材は無いとさえ思える将来性を感じさせた。


 もしかすると問題となっている補佐官達もその事に気付き、恐れたのかもしれない。


 ほどなくして羊祜は戻ってきて、全員を集めた事を伝えてきた。


 新たな責任者が到着し、これまでの進行の確認と今後の事について聞きたい事がある、と告げれば誰も無視する事も出来ない。


 下手に情報を隠すより、真正面から本当の事を伝えた方が早いと羊祜は判断したのだろうが、その判断は正しい。


 鄧艾が今後の作業を共にする面子を確認しようと思ったのと同じように、ここの者達も新たな責任者となる者には興味があったと言う事もあるだろう。

 三人の補佐官の他にも、各部署の責任者達が集まっていた。




「新任の鄧艾である」


 鄧艾は一言だけ自分の事を言うと、周囲を見る。


 鄧艾が任地の情報を多少なりとも得ていたのと同様、ここの者達も鄧艾の情報は得ているようだった。


 中でも三人の補佐官達は田続から直接情報をもらっているせいか、あからさまに鄧艾を蔑んでいるのが見て取れた。


「新任……」


「さっそくだが、人事の再編をする。三人の補佐官は前に出よ」


 補佐官の一人が言いかけるより早く、鄧艾は切り出した。


「何をしている。補佐官はこの場にいないのか?」


 鄧艾は畳み掛ける様に言う。


 完全に機先を制する形を作る事が出来た為、三人の補佐官は渋々といった態度を隠そうともせずに、元々最前列にいたのだがそこからさらに前に出る。


「我々……」


「貴官ら三名は、今、この場で罷免する。即刻この場から立ち去るが良い。私物などがあるのであれば、後日送らせる。今すぐ立ち去れ」


 有無を言わさず、鄧艾は宣言する。


「横暴なり! いきなり何を言われるか! 我らに何の罪がある!」


 補佐官の一人が声を荒げる。


「貴官らに補佐官たる能力の無さ故の処置である。罪があるとするならば、能力も無くその地位にある事であろう」


「我らに能力無しと言われるか! 貴様にどれほどの能力があると言うのだ! 遼東の乱のおり、大将軍に逆らい、情けでこの地に左遷されたような無能がでしゃばるでないわ!」


 最初から挑発に乗って喧嘩腰の時点で、能力の高さには疑いを持たれても仕方がなさそうなものだが、そこはあえて言わないでおく。


「大将軍よりの委任状である。コレには新たな責任者は、この地、この作業が済むまでは、その権限は作業に関わる事であれば大将軍と同じ権限を与えるものとする、とされている。私の命令に不服であれば、大将軍に問われるが良い」


 鄧艾は司馬懿からの書状を出して、補佐官に言う。


 説明しながら、やはりそう言うふうに伝わっていたかと鄧艾は思っていた。


 司馬懿が皆がいる前で鄧艾にこの地に行く様に言わず、処罰としてこの地に行かせたと言うだけで、左遷されたと思うのが自然とも言える。


 まして卑しい出自とあっては、処遇に考慮せずと言うのが通例であった。


 司馬懿がその通例に縛られていない事は分かりそうなものなのだが、身に付いた常識と言うのは中々変える事が出来ない。


 田続もその考え方から抜け出せず、この地にそう言う情報を送ってきたのだろう。


「だ、大将軍の委任状……? そ、その様な物が……」


「不服か? それとも疑うか? この鄧艾に委任状を持たせた事が事実か、大将軍に直接問うてみるか? 罷免だけではなく、その首の保障は出来兼ねるが、そこは好きにするがいい」


 鄧艾は、ここでこの事について論議するつもりはない。


 鄧艾の事が伝わっているのであれば、遼東での苛烈極まる処遇も伝わっている事だろう。


 ここで大将軍の機嫌を損ねる事があれば、脅し文句の通りに切られても何ら不思議ではない。


 実際に司馬懿がその様な事をするとは鄧艾には思えなかったが、それでもそうなるかもしれないと思わせるだけで脅しとしては十分なのだ。


「せめて何を持って我らの能力無しと断じられるのか、そこをお聞かせ願いたい」


 補佐官の一人が、鄧艾に尋ねてくる。


 完全にキレている者が一人いるようだが、この者はまだ冷静さを持っているようだった。


「作業の遅延である。これを持って能力なしと断じる根拠としては十分ではないかな?」


「その事だけで我らの能力なしとは、あまりにも短絡的に過ぎませぬか? 作業の遅延と言うのであれば、我らより若く経験の少ない者を責任者の重責を担わせた明帝陛下にもあるはず。貴官は明帝陛下を愚弄されるつもりか?」


「……何を言っている? 貴官らをそれを補佐する補佐官であったはず。明帝陛下とて、新任の羊祜に経験が足りていない事は重々承知されていた。故に貴官ら三人を補佐官としてつけたのだ。にも関わらず貴官らは補佐する事も出来ていない。補佐する事の出来ない補佐官など、罷免されて然るべきではないか?」


「では、そこの羊祜はどうなる! それこそ、作業遅延の原因ではないか!」


「故に新任で私が来たのだが、それのどこに問題がある?」


 鄧艾はそこまで言うと、軽く首を振る。


「これ以上論じる事に意味があるとは思えないのだが。貴官らが補佐官として補佐すべきところを怠った事実は何にも変えようはなく、故に罷免を申し渡している。それ以上でもそれ以下でもない事実を前に、貴官らがどれだけ理屈を並べたところで覆りはしない。この先は時間の無駄である。即刻退出されよ。それとも兵に連れ出されねば、足が動かぬか?」


 鄧艾はそうやって地元豪族でもあった三人の補佐官を外し、残る責任者達を見る。


「高官三人が抜けて、その分の人件費が浮く事になった。これよりの指揮は私が行うが、連絡要員として羊祜にも働いてもらう。それぞれの部署で作業を進めてもらうのだが、その速度と完成度を協議し、もっとも優秀であると判断した部署には、浮いた人件費でより報酬を多く当てる事とする」


 鄧艾の言葉に責任者達はどよめく。


「遼東よりこの地へ来るまでの間に、都では陛下が病を得たと聞いた。この地にも噂は流れてきているだろう。陛下への回復の見舞いの品として、この地の運河の完成と言う吉報を持って行きたいと思っている。皆の働きに期待する」


 その言葉を持って解散となった。




「……良かったのですか?」


「何が?」


「あの補佐官達の事です」


 羊祜が不安そうに言う。


「何分気位の高い方々ですので、何かしら妨害を企てるかもしれませんよ?」


「いやいや、年内に何かすると言う事は無いから心配いりません」


「具体的ですね。どう言う事ですか?」


「今年も後百日と残っていないが、彼らはまず私達への妨害より先に田続殿へ今日の報告を行う事だろう。それによって何か行動するにも、田続殿はまだ遼東にいる。しかも大将軍と一緒だから、何かしら動くは出来ないでしょう。その間にこちらはこちらの事をやって、ある程度形にしてしまえば妨害どころか手出し口出しはできなくなっていますよ」


 鄧艾が軽く答えるのに対し、羊祜は驚いた様な表情で鄧艾を見ている。


「どうかしましたか?」


「いえ、士載殿の手腕、文官や農政官と言うより将軍のそれです。こんなところにいるべき人材では無いのでは?」


「それは私ではなく大将軍のお考えですから。それに私は将軍なんて器ではありません。羊祜殿や杜預殿が十分な経験を積めば、私などものの数にもならないでしょう。それまでは補佐させていただきますよ」


 先程までの威圧的な態度はどこへ消えたのか、鄧艾は柔らかい口調と表情で羊祜にそう伝えた。


 鄧艾の予想通り、三人の補佐官はその後現れる事無く、また目立った妨害なども無いままに作業は進んでいった。


 それは羊祜の作成していた作業工程表の出来の良さもさる事ながら、鄧艾が追加報酬を約束した事が大きい。


 実際にひと月目の末に作業の素晴らしかったところに報酬を与えると、半信半疑だった作業員達の士気も高まったのである。


 しかし、全てが鄧艾の予想通りに事が運んだわけではない。


「士載! 大変よ!」


 自ら馬に乗って現れた媛が、鄧艾のところへやって来る。


「お嬢様? 実家に帰られたのでは無かったのですか?」


 公孫淵の乱のおり、てっきり実家に帰ってしまっていたと思っていた媛が現れた事で、鄧艾は驚いてそんな事を言う。


「はぁ? あんた、私の事何だと思ってるの?」


「え? 何と言われても、お嬢様はお嬢様だとしか……」


「だいたいお嬢って歳でも無いでしょう? あんたと同い年なんだし。って言うか、そんな事言ってる場合じゃないわ! 明帝陛下が、亡くなられたのよ!」


 時は二三九年初頭。

 その凶報は、大国である魏の崩壊を招く最初の兆しだった事を、当時は誰も知り得なかった。

この頃の羊祜


見た目が良く、万事控えめで年上を立てる気配りが出来て、さらに性格が良く、極めて高い指揮能力を持ち、先見の明があったと言われる、魏最後の、そして晋最初の名将にして完璧超人、羊祜叔子。

再登場してきたワケですが、そもそも羊祜と鄧艾に繋がりがあったとは思えません。

と言うのも、この頃の羊祜は淮南で責任者どころか、まだ仕官していません。

この物語では曹叡からも評価されているみたいに書いてますが、正史を見る限りでは曹叡は羊祜の事は知らなかったのではないかと思います。

そんな羊祜は姉が司馬師の妻で、羊祜の妻になる人物は夏侯覇の娘なので、コネはこれ以上無いくらい強烈なのですが、何故かしばらく仕官しようとしていません。

で、夏侯威に見つかって気に入られて皇族に連なる嫁をもらう話になるワケですが、それですぐに仕官する訳ではなく、けっこう長い事在野暮らしを続けています。

まるで孔明先生の様な悠々自適ぶり。

その後の活躍は素晴らしいものですが、残念ながらこの物語の中でそれが語られる事はありません。

まぁ、鄧艾より下の世代の話ですし。


なので、この物語の様な展開は本来は無く、完全に創作です。


ちなみにどうでもいい話ですが、『横山光輝三国志』60巻で例えると、この238年の出来事はおよそ4ページくらいの出来事です。

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