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孤独

作者: 三坂淳一

『 孤 独 』


 孤独。

 厭な言葉だ。

 本来は、幼にして、親なきを『孤』と云い、老いて、子なきを『独』と云う。

 私たちは総じて、仲間が無く、一人ぼっちの状態を『孤独』と表現している。

 孤独を好む人は稀であり、多くの人にとって、孤独は疎まれる状態でしか無い。

 孤独に蝕まれているという感情には救いが無い。

感情には全て、味がある。

愛とか喜びは甘く、悲しさとか怒りは苦い味がする。

さて、孤独という得体の知れないものは、噛みしめると、どんな味がするのであろうか。


 僕が住んでいる町の近くに、小さな浜辺がある。

 昔は、海に“にょき”っと立っているような島があることで知られていた浜辺だが、近年は、新しくできたヨット・ハーバーの名前で近隣に知られているようだ。

 その浜辺はヨット・ハーバーで区切られたような形で、左右に二つの浜辺となっている。

 一つは、丁度正面に島が見える浜辺であり、もう一つは、長い防波堤に囲まれた浜辺で、釣りの名所となっている。

 防波堤にはかなり幅が広い歩道が敷設されており、海を観ながら歩くウォーキング・コースともなっている。


 2010年4月中旬。

 或る朝、目が覚めて外を見たら、濃い霧が出ていた。

 家の前は道を挟んで空き地となっているが、その空き地の向こうに建っているアパートの輪郭が判らないほどの濃霧だった。

 ふと、海に行きたくなった。

 濃霧の海って、どんな感じだろうと思ったのだ。

 濃霧に覆われた浜辺を歩いてみるのも面白い。

 早速、車を走らせ、国道のバイパスに乗り入れた。

 そう言えば、去年気紛れに訪れたヨット・ハーバーあたりもなかなか良かったと思い、そこへ行くこととした。

 そのヨット・ハーバーは家から車で十五分ほどのところにある。

 バイパスから下りて、山道を少し走り、海沿いの大きな陸橋をぐるりと回ると、ヨット・ハーバーに着く。

 陸橋下の駐車場に車を止め、降りて海を眺めた。

 名物となっている島は霧に隠れ、全然見えなかった。

 見えぬものこそ、と思い、僕はにやりとした。

 何だか、嬉しかったのだ。

 湿っぽい霧が僕に纏わりついていたが、初夏とも言える季節になっており、そう悪い感じでは無かった。

 砂浜に降り立ち、一歩一歩砂を踏みしめながら、波打ち際に向って歩いた。

 砂は湿り気を帯び、スニーカーに絡みつくような感触を与えていた。

 ふと、前方に黒い物体があった。

 何だろう、と思いながら僕はその黒く見える物体に近づいていった。

 椅子に座った人影であることが判った。

 へそ曲がりな人に違いない、と僕は思った。

 こんな天気の日にわざわざここに来て、椅子に座って、濃霧に煙って何も見えぬ海を眺めているなんて、まともな人のすることではない、と思ったからだ。

 近づいて来る物音に気付いたのか、椅子に座った人影が動いた。

 その人影はゆっくりと僕の方を振り向いた。

 挨拶をしなければならない、と思い、僕はその人影に向って声をかけた。

 僕の挨拶に、ゆっくりした口調で声が返ってきた。

 男の声であった。

 それが、僕と彼との初対面の挨拶となった。

 僕は馬鹿げた質問をした。

 「見えますか?」

 男は即座に答えた。

 「見えませんねえ」

 「何も、見えないですよねえ」

 「本当に、何も見えませんよ」

 男はにやりと笑いながら、つけ加えた。

 「見えないから、いいんですよ。見えるものに、値打ちなんかありはしませんから」

 「見えぬものこそ、ということですか?」

 「そうです。見えないから、いろいろと想像できるんです。それがいいんです」


 その日以降、僕は朝の同じ時間の頃、そこを訪ずれ、一時間ほど浜辺或いは防波堤を歩くのが日課となった。

 定年で会社勤めをやめた僕には時間だけはたっぷりある。

 そこを訪ずれ、男と話すのが楽しみとなった。

 男は相変わらず、晴れていようが、朝靄とか濃霧に煙っていようが、浜辺で椅子に座って海を観ていた。

 男はかなりの年齢であった。

 七十歳は既に越えているように思われた。

 日焼けした痩せた男だった。

 いつも、皮肉っぽい微笑を湛えて、海を静かに眺めていた。

 男には、連れが居た。

 四十幾つかの女だった。

 綺麗な顔立ちをしていたが、目元に少し険があり、無表情で無愛想な女だった。

 女は男を、『パパ』と呼んでいたが、僕には到底娘とは思われなかった。

 一方、男は女を、『マリーさん』と呼んでいた。

 或いは、『まりさん』であったかも知れない。


 『パパ』は結構、多弁であった。

 博識でもあり、僕を相手にいろんなことを話した。

 僕は生来、年長者をリスペクトする方であり、あまり自分を主張する性質では無い。

 そんなところが気に入ったのかも知れない。

 「今の日本は駄目ですね」

 「はあ、駄目ですか」

 「駄目ですね。なっていない。折角、長期政権が交代したというのに、新しさが段々薄れてきていますね」

 「国民の大多数は政権交代を歓迎していたんですがねえ」

 「畢竟、あれですよ、・・・、そう、族議員の集団ですよ。労働者階級を代表すると言いながら、労働貴族ですよ。大体、一般的な国民などという代物はもともと存在しないものなんです。国民自体、いろんな階級から成り立っているものですからね。資産階級、金持ち階級、裕福層、小売りの商店主層、サラリーマン階級、日雇い労務者階級、フリーター階級、貧乏人階級、地主階級、有産階級、無産階級、ワーキング・プアー階級、管理者層、労働組合員、派遣社員、正規社員階級、非正規社員階級、農民、年金生活者、店員、などなど。一般的国民なんていう言葉自体、まあ、幻想ですなあ。意味がありませんよ」

 「でも、今の政党は、やたら国民の幸せ、福祉向上、老後の暮らしの安定などと、マニフェストに標榜していますよ」

 「政党自体、国民を代表する組織では無く、国民のどの階級を代表する組織か、考えてみればすぐ分かることです。建前ばかりで、本音を語る政党なんか、まあ、ありはしないですねえ」

 『パパ』はこのように断定口調で語り、権力至上主義者に手玉に取られ、いいように騙され続けるお人よしの『国民』を冷笑するのであった。

 僕は『パパ』の言葉を聴きながら、ふと、ドン・キホーテの一節に書かれた言葉を思い出していた。

『正しき者が罪人の償いをする』、という言葉であった。

要領のいい無責任な者はしたいことをし放題した上で逃げ去り、後に残った責任の無い善人がしょうがなく後始末をする、という意味で使われている。

これは、そのまま、現在の日本経済を象徴する言葉となっている

何と言っても、国債発行高が九〇〇兆円という事態は異常過ぎる。

理念を持ちあわさず、その場しのぎの大衆迎合を旨とする政治屋と無責任な官僚体制の為せる業で、こんな結果となってしまったのだ。

政党は全て、国民のためと称して、自己のエゴ的活動を隠蔽しているのも事実だ。

政治資金とやらをくれる金持ち・富裕層のために頑張っている、組合労働者という碌でもない組織階級のために頑張っていると何故本音を言えない、一般的な国民なんて存在しない、存在するのは社会的な階級だけだ、という彼の主張は理解できるし、僕もそうだと思うのだ。

 こんな情けない国はいつまで続くのだろう。


 『パパ』はかつて会社を経営していたらしい。

 バブル後期にあっさりと会社を譲渡し、以後、ここで女とのんびりと余生を過ごしているらしい。

 女は、かつて水商売をしていたが、『パパ』の引退と共に、ここに来て、『パパ』と同居しているらしい。

 料理はほとんどせず、『パパ』の最高ランクのクレジットカードを自由に使い、優雅な生活を享受しているらしい。

 全て、・・・らしい、という表現でしか僕は語ることができない。

 『パパ』と『マリーさん』から詳しいことを訊き出すことを僕はしなかったし、彼らも具体的なことは一切話さなかったからだ。

 具体的なことを訊こうとしたら、彼らは僕をきっと敬遠したに違いない。

 そして、彼らも僕のことは一切訊かなかった。

 そのお蔭で、僕たちの関係は名前も知らない関係だったが、スムースな関係となった。

 

 島は浜辺の正面から見ると、頂上付近が少し丸まっていることを除けば、ほぼ垂直な円柱状に見える。

 しかし、防波堤から見ると、島は側面を見せている。

 その側面は、丁度巨大な鱶の背びれのように見える。

 陸地側が円弧を描き、海側はほぼ垂直に切り立った崖になっているのだ。

 ふと、このように巨大な背びれを持つ鱶が襲ってきたら、と思った。

 その想像は僕に恐怖を与えた。

 その夜、僕は恐い夢を見た。

 巨大な鱶が数百メートルという高さを持つ津波と共に、今住んでいる沿岸を襲ってくるという夢だった。

 僕は津波が大嫌いで、津波のニュースは僕を過度に恐怖に陥らせる。

 僕のDNAには過去に先祖が経験した大津波の恐怖が刷り込まれているのかも知れない。

 目が覚めた時、僕の体は汗でぐっしょりと濡れていた。

 こんな日はとにかく一刻も早く、海に行かなければならない。

 穏やかな海を見て、安心するために。


 会社勤めをしていた頃はしょっちゅう怖い夢を見た。

 或る時なぞ、キング・コブラにじっと睨まれている夢を見たこともある。

 キング・コブラはスネーク・イーター(蛇食い)とも言われ、蛇を常食とする大型の蛇である。

 巨大なキング・コブラとなると、長さは五メートルを超えるものもいると云われる。

 蛇の場合、体長の三分の一程度は鎌首を持ちあげると云われており、五メートルを超える蛇ならば、鎌首は大人の身長ほどにもなる。

 そのキング・コブラが鎌首をもたげて、僕の眼前一メートルほど手前で、僕を睨んでいるのだ。

 コブラの眼はどちらかと言えば、きょとんとした丸い眼をしており、丸い眼鏡をかけたような感じになる。

 とろんとした丸い眼で無表情に僕をじっと見詰めているのだ。

 舌がチラチラと動いているのがまざまざと見えている。

 勿論、動けない。

 動いた途端、コブラは敏捷に襲ってくるのだ。

 そして、僕に噛み付き、象をも殺すと云われる毒が僕に注入されることとなる。

 僕は恐怖のあまり、コブラの眼を見詰めたまま、冷や汗をとめどなく流すばかりだ。

 叫んだのかも知れない。

 あなた、どうしたの、という妻の声で僕は飛び起きた。

 僕は品質保証の仕事をしており、何か大きなクレームが起きる都度、このような怖い夢ばかり見ていたような気がする。

 品質保証の仕事には三十年ほど従事した。

 怖い夢を見る因果な商売を結構長くしていたものだなあ、と我ながら感心している。

 しかし、今は僕を起こして、どうしたの、と気遣ってくれる人はもういないのだ。


 僕が防波堤の手すりに凭れ、海をぼんやり眺めていると、後ろから声がかかった。

 「わたしって、『パパ』からいつも、頭がからっぽな女って、言われているのよ」

 ぎょっとして、振り向くとそこに、『マリーさん』が微笑んで立っていた。

 「でも、『パパ』は『パパ』で、体がからっぽな男なのよ。頭がからっぽな女と体がからっぽな男、ねえ、ちょうどいいじゃない」

 僕が返答に窮し、黙っていると、女はさらに続けた。

 「あなたは、どうなの。あなたも、体がからっぽな男なの」

 僕は少し、自嘲気味に答えた。

 「僕は、頭もからっぽだし、体もからっぽな男さ」

 僕の言葉を聞いて、彼女は少し口元を歪めて笑った。

 「なあんだ、つまらない」

 馬鹿にされたと思い、僕は女を睨んだ。

 おおっ、こわっ、というような表情をして、『マリーさん』は僕に背を向け、足早に去っていった。

 僕は彼女の肉感的な後ろ姿を見ながら、軽い憎しみを『マリーさん』に抱いた。


 『マリーさん』が持って来てくれた魔法瓶からコーヒーを貰い、飲んでいた時、『パパ』が唐突にこんなことを言いだした。

 「あなた、旅はしますか?」

 「最近はあまりしませんが、家内が生きていた頃は結構一緒に旅行をしましたよ」

 「旅はいいものですねえ。私も、このように足を悪くするまでは、暇に任せていろんなところを旅したものです」

 「何カ国くらい、まわられたんですか?」

 「南極とか、北極を除いて、ほとんどの国をまわりました」

 「それは、すごい」

 「アメリカ方面は仕事の関係で、年に十数回は行っていましたが、行って感動するのは何と言っても、ヨーロッパですなあ。歴史の重みを感じさせてくれますから」

 こう言って、『パパ』はコーヒーを一口飲んで、過去の追憶に浸るような眼をした。

 「今は、足を悪くして、旅行の方はとんと御無沙汰ですが、旅の記憶、思い出というのは、まさに無形の財産ですなあ。金とか物とか、有形の財産はあの世には持っていけませんが、記憶なら、地獄の閻魔さまもご容赦してくださるでしょうから」

 『パパ』の言葉に、僕は思わず笑ってしまった。

 「ねえ、パパ、今度は船で世界一周をしようよ」

 僕の空っぽになったコーヒーカップに魔法瓶からコーヒーを注ぎながら、『マリーさん』が『パパ』に言った。

 『パパ』はそれには答えず、僕の方に向き直って真剣な口調で言いだした。

 「旅の原則って、ご存知ですか?」

 「原則? どんな原則ですか?」

 「それは、訪れて素晴らしいと思ったところには、再訪してはならない、という原則です。二度と行ってはならない、という掟ですよ」

 「再訪? 二度と訪れてはならない?」

 「そうです。再訪してはならない、ということです」

 僕はにやりとしながら、『パパ』に言った。

 「そう言えば、そんなことを何かで読んだ記憶がありますよ。再訪して、再び昔味わったような感激、感動は味わえないものだ、ということですよねえ。味わうのは、こんなはずでは無かった、何という幻滅だ、という感情ばかり」

 「まあ、下世話な表現で言えば、柳の下に二匹目の泥鰌はいない、ということですかね」

 感動、感激にはいろいろな要素が絡んでくるものだ。

 風景ならば、季節、天候、気温、湿度、周囲の状況といった要素が絡んでくるだろうし、眺める人間の方も、その人の状況、つまり、現在の生活、家庭環境、社会的状況、年齢、体調といった要素も絡んでくるものだ。

 それゆえ、感激、感動の再現はかなり困難になってくる。

 再訪してはならないという掟は、昔見て感動、感激したところを再訪したいという人間の素直な欲求と何と懸け離れた掟であることか。


 「私は昔、会社を作って、長いこと、社長をしていました」

 『パパ』がにやにやしながら、こう切り出した。

 僕が興味深そうな顔をしたら、『パパ』は笑いを堪えながら陽気な口調で話し出した。

 「ところで、『ごっこ遊び』って、昔、しましたよねえ」

 「『ごっこ遊び』って、あの、お医者さんごっこ、とか、床屋さんごっこ、といった、無邪気なあれですか?」

 「そう、その、『ごっこ遊び』ですよ。私は、会社で『社長ごっこ』をしました。大真面目な顔をして。部下は部下で、その役職に応じて、役員ごっこ、部長ごっこ、課長ごっこ、平社員ごっこをそれぞれ一生懸命やっていましたね。皆、大真面目な顔でねえ」

 「まあ、そんな見方もありますね。でも、皆、真剣にやっていますよ。とても、遊び感覚ではないと思いますが」

 「いや、遊び感覚では無くとも、見方を変えれば、立派な遊びですよ。だって、失敗しても、責任を取って、会社をやめる人、失意のあまり、死ぬ人なんかいないんだもの」

 「失敗して、その都度、死んでいたら、命が幾つあっても足りませんよ」

 「とにかく、この世の中、『ごっこ遊び』が多いですよ。若い人ならば、『恋人ごっこ』をしているし、結婚して子供ができれば、『お父さんごっこ』とか『お母さんごっこ』といった『両親ごっこ』に夢中になるし。上手にやれない人が時々新聞の三文記事になる。政治の世界だってそうです。皆、結構な三文役者ですよ。理念の無い政治屋のくせに、立派な仮面をかぶって『政治家ごっこ』にいそしむ。或いは、一般市民であっても、街頭でマイクを向けられれば、善人ぶった『庶民ごっこ』をして、コメントを発するし、皆、本音を隠して、建前ばかり並べ立てていますから」

 どうも、『パパ』は本音を隠して、建前ばかり話す、或いは、建前で行動するという偽善的行為を全て、『ごっこ遊び』と認定しているらしい。

 最後には、僕も『パパ』の顔を見ながら、笑ってしまった。

 笑いながら、僕も『パパ』の嫌いな偽善家の一人だと思っていた。


 「マリーは可哀そうな女でねえ」

 或る時、『パパ』が珍しく神妙な口調で『マリーさん』のことを話したことがある。

 「子供の頃に、両親を亡くし、親戚の家に引き取られ、苦労したらしい。三十年ほど前、まあ、私と知り合いまして、その後は、私と一緒に暮らしているんですが。私たちの間に、子供は無く、今のように気楽と言えば、気楽に暮らしているんですがねえ。『二人ぼっち』という暮らしですよ」

 『パパ』は、日射しを避け、車の中に居る『マリーさん』を見遣りながら、話を続けた。

 「孤独、という言葉がありますね。孤と独、それぞれ意味があります。幼にして、親無きを孤と云い、老にして、子無きを独と云う。マリーはそのどちらにも当てはまります。私の場合は、幸いにして、独だけですが」

 潮騒が少し途切れた。

 「私もいつまで生きるか、判らない。若い頃の無茶が祟ったのか、医者に言わせれば、体中、不具合箇所のオンパレードらしいですなあ。私が居なくなった後、マリーが少し心配でねえ」

 遠くから、鳶の長閑な鳴き声が聞こえてきた。

 「ここに住むか、どこかに行って住むか、それはマリーの勝手だけれど。いつか言っていた、世界一周の船旅でもやって、のんびりと余生を過ごすのも悪くはないですな」

 こう言って、『パパ』はすっかり冷めたコーヒーを口元に運んだ。

 『パパ』の横顔はいつもより老けて見えた。


 旅をしようと思った。

 『パパ』が言った『旅の記憶は無形の財産』という言葉で弾みがついたのかも知れない。

 時間だけはたっぷりある、とにかく、長い旅をしよう、と思った。

五月中旬、成田からルフトハンザ・ドイツ航空の便でフランクフルト空港を経由して、スペインのマドリッドに行った。

アトーチャ駅近くのホテルに宿泊し、翌日はホテルから歩いて、プラド美術館に行き、ゴヤ、ベラスケス、エル・グレコといったスペインが誇る画家たちの絵を堪能した。

とにかく、傑作が多すぎる。

絵に圧倒され、酩酊したような気分にさせられた僕は、館内のレストランに入り、昼食を摂った。

オレンジの生ジュース、クロワッサン、野菜サラダ、牛ヒレの小さなステーキを皿に取り、勘定を済ませた僕は、カウンターに腰を下ろし、ぼそぼそと食べた。

多くはツアー客であったが、結構日本人観光客が居た。

年齢は僕と同じくらいであり、いわゆる団塊の世代と思しき年齢層であった。

団塊世代は皆元気がいい。

時間はたっぷりあるし、金も少しはある。

子孫に多少の金を残すよりは、自分たちが楽しみ、悔いの無い人生をおくるべきと考えている世代だ。


 翌日、アトーチャ駅からアバンテと呼ばれる特急電車に乗ってトレドに行った。

 車窓から紅い花の絨毯を観た。

 黄色一色となるひまわり畑も凄いだろうが、赤一色となる花の絨毯もなかなか素晴らしいものだ。

 何と言う花なのか?


 トレドではソコトレンという列車の形をした観光バスに乗って、市内観光をした。

 トレドという街は街自体が芸術品であり、そのまま絵となる。

 特に、タホ川沿いに観るトレド全景は溜息が出るほど美しい。

 日本と異なり、昼間が長く、午後十時にならないと、夜にはならない。

 九時頃、ソコドベール広場近くの丘に立って、夕方の街の風景を観た。

 黄色く温かな光を放つ街灯もなかなか味がある。

 遠くの山が夕焼けに染まり始めていた。

 ふと、五年前に亡くした妻のことを想った。

 それほど仲のいい夫婦では無かったが、旅となると話は別で、いつも一緒にしていた。

 この風景なら、おそらく眼を潤ませていたに違いない、と思った。

 普段は忘れている『孤独』という言葉が脳裏を過ぎった。


 トレドからバスに乗って、風車の町、コンスエグラに行った。

 バスで一時間半ほどのラ・マンチャ地方にあるコンスエグラという小さな町の丘には十一基の風車が立っている。

 そこで、紅い花の正体が判った。

風車の脇の干からびた地面に紅い花が一面に咲いていたのだ。

アマポーラという優しい響きを持つ花であった。

ポピー、雛罌粟(コクリコ)(ひなげし)、又の名を虞美人草とも云う。

ひまわりが咲き誇る季節には少し早かったが、このアマポーラは今を盛りと、風に細い茎をなよなよとしならせながら、あたり一面に咲き乱れていた。


 風車と言えば、何と言っても、ドン・キホーテだ。

 僕は学生の頃、ドン・キホーテを愛読した。

 第二外国語として、スペイン語を採った関係でスペイン文学にも興味を持ったからだ。

 スペイン語の原書には歯が立たず、邦訳の文庫本を買って読んだ。

 文庫本で六冊にもなる長編小説で金の無い学生にとって、痛い出費だったが、勇気を奮って買った時は、下宿の蒲団の枕元に飾って眠るほど嬉しかった。

 熟読した、と言ってもよいだろう。

 ドン・キホーテにはドゥルシネーア・デル・トボソという『思い姫』がいる。

 近隣の村のさほど美しくは無いただの田舎娘にすぎないが、騎士には必ずプラトニックな愛を捧げる貴婦人がいなければならず、ドン・キホーテが勝手に祭り上げた思い姫である。

 当時、僕は二十歳になったばかりの若者で、恋に恋していた男でもあった。

 毎朝通学するバスの中で見かける女子高生を僕はドゥルシネーアに見立て、運よく彼女の近くに接近できた時は我が身の幸運を嬉しく思い、彼女が乗り合わせていない時は我が身の不運をつくづく嘆く、といった時期が一年ほど続いた。

 しかし、彼女は高校を卒業し、どこか他の街に去っていき、僕の恋は終わった。

 僕にもそんな時代があったのだ。


 ドン・キホーテは『愁い顔の騎士』とサンチョから呼ばれ、その呼び名を大層気に入っていたが、後で、ライオンとの闘いに勝利したと一方的に思い込んだ彼は、自らを『ライオンの騎士』と称したこともある。

 邦訳本を三度読んだ僕は、今度は、辞書を片手に原書読破に取り組んだ。

 しかし、四百年ほど昔に書かれたこの小説のスペイン語には歯が立たず、半年をかけて、二割程度、読み進めたところで敢え無く挫折した。

 辞書に無い単語もあったし、文法も現代文法と異なるところがあった。

 第二外国語として採った素人学生には到底無理だったのかも知れない。


コンスエグラからトレドに戻り、トレドで数日を過ごした後で、トレドから再び、特急電車に乗ってマドリッドに戻った。

マドリッドでは王宮の近くにある『ラ・ボラ』というレストランで、『コシード』というマドリッドの郷土料理の一つである煮込み料理を食べた。

先ず、スープを飲み、その後でガルバンソ豆とかチョリソ(ソーセージ)といった具を食べる。

 似たような煮込み料理に、『カリョス』という煮込み料理もあるらしい。

 牛の胃袋を生ハムやチョリソなどと一緒に柔らかくなるまでぐつぐつと煮込んだ、やはりマドリッドの伝統料理である。

 牛の胃袋は言わば臓物である。

 こちらの料理の方が、農民であるサンチョ・パンサの好物の『ごった煮』には近いのではないだろうか。

 そんなことを思いながら、僕は『コシード』を食べた。


 サンチョ・パンサは別名、サンチョ・サンカスとも呼ばれる。

 サンカスというのは脛長という意味で、サンチョは太鼓腹で、背は低いが、ひょろ長い脚を持った人物として描かれている。

 このサンチョ・パンサは諺・格言が大好きな男で、小説の中でも、ドン・キホーテがうんざりしてしまうほど、会話の中に、諺・格言の類をこれでもかとばかり挿入する。

 その他、数々の名言が宝石の輝きを持って散りばめられており、ドン・キホーテという小説は一種の教養小説ともなっている。


 スペインに来て、意外に思った言葉がある。

 バレ、という言葉だ。

 僕はこの言葉は、さらば、とか、さようなら、といった別れの言葉と理解していた。

 ドン・キホーテの小説最後の言葉として、セルバンテスはこの言葉を使っている。

 でも、マドリッドでは本当に頻繁にこの言葉は使用されている。

 了解、とか、OKという意味で日常的に使用されているのだ。

 タクシーに乗る、行き先を告げる、すると、タクシードライバーの返事はいつも決まっている、バレという返事が返ってくるのだ。

 言葉というものは、時代と共にかなり変遷していくものだと実感した。


 それはともかく、ドン・キホーテという小説には当時使われていた諺・格言が数多く、語られている。

 また、登場人物が語る言葉にも名言が数多くある。

 僕が記憶している言葉で気に入っているものを挙げると、ざっとこんなところだ。

 『正しき者が罪人の償いをする』

 『私は遠くで燃える火であり、彼方に置かれた剣なのです』

 『いかに辛い記憶であっても時間と共に消えぬものは無く、また、いかなる苦痛であっても死が癒してくれぬものは無い』

 『お前を愛してくれる人は同時に、お前を泣かせもする』

 『自らを卑しいと思う者がすなわち卑しい者となる』

 『裸で生まれたおいらは今も裸。失ったものも、得たものも無い』

 『不幸が不幸を呼ぶ』

 『教会か、海か、王家か』

 『サンチョとして生まれたからには、サンチョとして死ぬつもり』

 『詩人は生まれるのであり、作られるものでは無い』

 『恋愛と戦争は同じこと』

 『腹が気力を生むのであって、気力で腹が膨れるわけではない』

 『昔の巣に今は鳥がいない』

 『狂気に生きて、正気に死せり』


 僕はドン・キホーテを三回読んだ。

 一度目は、この滑稽な長編小説のあまりの長さ、退屈さと冗長さに呆れ、読み終わった時には、やれやれという解放感を味わった。

 読み終わったその時は、もう二度と読む気にはならなかった。

 しかし、数か月ほどすると、また読みたくなった。

 二度目に読んだ時、一度目とは比べものにならないほど、新しい発見が多く、その都度考えさせられることが多かった。

 そして、三度目として読んだ時は、時々涙が滲んでくるのを覚えた。


 ドン・キホーテという人物に対する愛情と共に、サンチョ・パンサも好きになった。

 高邁な理想を掲げるドン・キホーテと異なり、サンチョ・パンサは庶民というか俗物の典型として描かれている。

 しかし、僕にはドン・キホーテ同様、サンチョも気高い精神の持ち主のように思われてならない。

 随所に見せる驢馬への深い愛情と共に、僕には大好きなサンチョの言葉がある。

 『サンチョとして生まれたおいらは、サンチョとして死んでいく』とか、『裸で生まれたおいらは、今も裸。得たものも無ければ、失ったものも無い』といった言葉である。

 特に、後者の言葉は小説の中で、僕の記憶に依れば、四回は出てくる有名な言葉だ。

 公爵夫妻の気紛れによって、サンチョは或る島というか、村の領主になったのだが、自分の家来から散々に揶揄されることとなる。

 そのからかいに気付いたサンチョは未練も無く、その領主の座を捨てて、ドン・キホーテの許に帰って行くこととなるのだ。

 その時のサンチョの言葉がこれだった。

 僕は潔く美しい言葉だと思った。


不死身と思われたドン・キホーテにもやがて突然の死が訪れる。

狂気に駆られた諸国遍歴の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャでは無く、善人と評判を取った郷士アロンソ・キハーノとして死んでいくのだが、彼の墓前に捧げられた学士サンソン・カラスコの詩文の一節には僕には何だか解せぬ文言となっていた。

正気になって死んだが、生きている時は狂気であった、という文言なのだ。

この通りなのだが、僕は不満を持っている。

死なすにしても、何故キホーテを狂気の内に死なせなかったのか、ということだ。

正気になって、姪とか家政婦、果ては、従士となって自分の気紛れに付き合ってくれたサンチョにまで相応の金品を贈るという配慮をした形で、きちんと遺言書を作り、死んでいくのだが、僕には物足りないのだ。

キホーテは最後までキホーテらしく、枕元でもう一度武者修行の旅に出ましょうよと誘い懇願するサンチョ・パンサに、四回目の旅立ちを約束して死を迎えるキホーテであって欲しかった。

スペインはカトリックの国であり、人は狂気のまま死んではいけないという不文律でもあるのかも知れない。

俗物的性格と高慢なほど誇りを重んずる性格、この両者が一人の人間の中で極端なほど渾然一体となっているのがスペイン人であり、ドン・キホーテ並びにサンチョ・パンサにとても反映されていると僕は思っている。

小説の中の人物は男であれ、女であれ、誰であろうと、多かれ少なかれ、作者自身がモデルとなるものだ。

セルバンテスも典型的なスペイン人であったのだろう。

 そして、孤独が最も似合っている男でもあった。


 僕はドン・キホーテ的に、つまり偽善の類は一切無く、自己の理想に殉じるような生き方をしたいと思っていたが、会社に入り、サラリーマンとなった時点で、そのような生き方は到底無理であることを悟った。

 理想という色眼鏡をかけて、思うようにはなってくれない現実に向い、現実よ、傲慢になるな、お前はただの現実に過ぎない、と嘯いてみたかったが、それは叶わず、現実の前にひれ伏す会社生活となった。

 しかし、憧れだけはいつまでも残った。

 今も、残っている。


 マドリッドでは、プラド美術館の他、ホテルのすぐ傍にあるソフィア王妃芸術センターで、ピカソの『ゲルニカ』を観た。

 見て、驚いた。

 ゲルニカがモノクロの絵であることは知っていたが、灰色という色調が見事な色彩を持っていることを僕は知らなかった。

 それゆえ、僕はピカソが多用した灰色という色彩の鮮やかさに衝撃を受けたのだ。

 ピカソの場合、無差別爆撃を受け、住民の一割が殺され、二、三割が負傷したゲルニカという町の惨劇を表現するのに、灰色という無限のグラデーションを持つ色が一番適切な色だったのだろう。

 ピカソはこの多様な灰色で、彼の怒り、悲しみ、抗議、哀悼を表現したのだ。

 僕はこの絵の前で暫く佇んだ。

 僕の傍らで、教師が十数名の子供たちにこの絵の説明をしていた。

 この絵を普段に観ることができる子供たちは幸せだ。

 良い戦争も無ければ、悪い平和も無い、僕はそう思いながら、その絵の前を去った。


 マドリッドからコルドバ、セビージャを経て、トレモリーノスというコスタ・デル・ソルの一部を成す小さな浜辺の町で数日過ごした。

 空には雲一つ無い見事な青空が広がっていた。

 僕はこの町が気に入った。

 眼の前には地中海の蒼い海が広がり、青い空があり、砂浜が延々と延びており、浜辺にはバルが軒を連ね、陽気な音楽がいつも流れており、人々は冷たい飲み物を片手にバカンスを楽しんでいる。

 他に、何が必要となる?

 ここは、パラダイスだと僕は思った。

 ホテルを出て、浜辺の綺麗に舗装された道を一時間ほど歩き、また、一時間ほどかけて戻って来る。

 それでも、コスタ・デル・ソルの浜辺は尽きない。

 午後九時半頃になって、漸く夕方となり、夕陽が残照を見せながら、未練たっぷりに、ゆっくりと西の海に沈んでいく。

 僕はバルの片隅に座り、ビール瓶を片手に沈みゆく夕陽を眺める。

 バルは観光客で一杯だが、ほとんどは年取った夫婦連れの客だ。

 一人で居るのは僕くらいなもので、いささか肩身が狭い。

 妻は五年前の春、クモ膜下出血で忽然と逝ってしまった。

 一人暮らしもすっかり馴染んでしまったが、海外の旅に出るとシングルの身をいつも痛感させられる。

 海外のホテルはほとんど例外なく、二人連れを基本としたスタイルになっているのだ。

 そして、観光地でも夫婦の二人連れがとにかく多すぎる。

 ビールがいつもより苦く感じた。


 トレモリーノスからバスに乗って、バレンシアに行き、三日ほど過ごしてから、またバスに乗って、最終目的地のバルセロナに行った。

 お決まりのサグラダ・ファミーリア、グエル公園、カサ・ミラ、カサ・バトーリョとガウディの建築群を観た。

 そして、ピカソ美術館にも行ってみた。

 始め、道が判らなかった。

 このあたりなのだが、どうしても行きつかないのだ。

 でも、こういう時はいい方法がある。

 余計なことは考えず、観光客らしい集団があれば、その集団の後を付いて行くことだ。

 ピカソ美術館は少し分かりづらい路地にあった。

 並んで入場券を買って、二階の入り口から入場した。

 少年時代のピカソの絵がかなり展示されていた。

 観ながら、僕はつくづく思った。

 ドン・キホーテの中に次の一節がある。

詩人は詩人として生まれるのであり、作られるものでは無く、母親の胎内を出た時、既に詩人なのだ、という一節を僕は思い出した。

ピカソも同じだ。

天才ピカソは天才として生まれたのだ、と思った。

ピカソは少年にして既に天才であったのだ。


 六月の初旬、バルセロナを発って、行きと同様、フランクフルト空港を経由して、成田空港に着いた。

 一ヶ月近いスペイン旅行となった。

 成田で一泊してから、自宅に戻った。

 庭はかなり雑草が生い繁っていた。

 春先、戯れに植えた空豆も随分と成長し、立派なさやを付けていた。

 新聞の販売店に電話をかけ、預かっておいて貰った一ヶ月分の新聞を届けて貰った。

 庭先に出て、日蔭のベンチに腰をかけ、新聞を読んだ。


 地元の記事で、小さな記事であったが、気になる記事があった。

 それは、車での事故の死亡記事であった。

 ヨット・ハーバーに繋がる陸橋の手前の山道で、車が崖から転落し、中に乗っていた男女二人が死亡したという記事であった。

 死んだ男の名前は白井一郎で、年齢は七十五歳、女の名前は緑川麻里子で、年齢は五十一歳とその記事には書かれていた。

 運転ミスによる転落事故と思われる、とその記事は結論付けていた。

 僕は気になり、翌日以降の新聞を注意深く読んだが、その事故に関する記事はそれっきりで、その後の関連記事は何一つ無かった。

 ふと、この事故ではどちらが運転していたのか、と思った。

 七十五歳の老人ならば、運転ミスは大いに有り得る話だ。

 女が運転していたということならば、運転ミスの他、心中という話も無きにしも非ずということになる。

 無理心中、或いは、同意の上での心中か、心中の形はいずれにせよ、これまた覚悟の上での墜落という線も否定はできないだろう。


 翌日の朝、僕はヨット・ハーバーに行ってみた。

 いつものように、『パパ』が浜辺で椅子に腰かけ、皮肉っぽい微笑を浮かべ、少し離れたところでは、『マリーさん』がコーヒーを飲みながら新聞をつまらなさそうに読んでいるはずだった。

 しかし、彼らの姿は無かった。

 僕は道端のベンチに腰を下ろし、暫くの間、彼らを待ったが、それは徒労に終わった。

 その次の日も、僕はいつもの時間に浜辺に降り立ち、彼らの姿を追い求めた。

 そんな日が数日続いたが、二人が現われる気配は全く無かった。

 きっと、『マリーさん』の熱意に負け、『パパ』と『マリーさん』は世界一周の船旅に出かけてしまったのだろう、と僕は思うこととした。


 僕は浜辺から少し離れた海に屹立して立っている小島をぼんやりと観ながら、彼らが旅から帰ってくるまで、どのようにして、有り余る時間を過ごそうかと考えていた。

 ふと、僕の脳裏に昔読んだドン・キホーテの中の一節が甦ってきた。

 三回目の武者修行の旅を終え、ドン・キホーテはサンチョ・パンサと共に郷里の村に帰った。

 帰りたくて、帰ったわけではない。

 旅の途中で、ドン・キホーテは銀月の騎士と名乗る騎士との一騎打ちの闘いに敗れ、郷里に帰ることを敗北の代償として約束させられたのである。

 銀月の騎士はすなわち、郷里の村でドン・キホーテを心配する司祭、床屋そしてキホーテの親族から頼まれた学士のサンソン・カラスコが扮した騎士であり、首尾よくキホーテを打ち負かし、帰郷を約束させたということであった。

 ドン・キホーテは約束通り帰郷したが、旅の疲れと傷心のあまり、床に付いてしまった。

 衰弱して死期を迎えたキホーテは、過去の旅を振り返り、また、自分のこれまでの人生を振り返り、或る言葉を呟くのである。

 その言葉を僕はこの時、思い出したのだ。

 『昔の巣に、今はもう、鳥はいない』、と。


 僕はその言葉を思い出しながら、どうにも遣りきれない怒りと悲しみ、そして疲れを感じた。

 また、一人ぼっちになってしまった。


島の上を、大きな鳥が旋回しながら飛んでいた。

あれは、きっと、鷲か大きな鷹だ、ありふれた鳶なんかじゃない、と僕は思った。

昔は、あの島の上には松の木が一本立っており、時々大きな鳥がてっぺんに翼を休めていた。

あたりを睥睨しながら、傲慢な様子でとまっていたものだ。

今はとまるべき松の木も無く、鷲は孤独に旋回しているだけなのか。

つまらないなあ、と僕はつくづく思った。


その時、電子音が聞こえてきた。

ポケットの中の携帯電話に何かメールでも入ったらしい。

 僕は慌てて、ポケットの中に手を突っ込み、携帯電話を取り出した。

 メールが入っていた。

 娘からのメールであった。

 今度の日曜日、孫を連れて、遊びに来る、というメールであった。

 そのメールを見ながら、少なくとも、『独』では無い、と僕は思った。

 何だか、少し幸せな気分になった。




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