傘(卅と一夜の短篇短篇第17回)
車で移動するようになって、傘をつかわなくなった。いちおうは車に積んではあるが、つかうことがない。ドアからドアの目と鼻のあいだでは、つかってもいたしかたない。小雨なら差す必要はないし、土砂降りでも差すほうが手間になる。急な雨を気に病んで、折り畳み傘を持ちあるいていた日々がなつかしい。あれはじつにめんどくさかった。鞄のなかに入れるからと入れても、いざ差すとなると億劫。袋から取りだしてひらく。雨滴を払って折りたたみ、また袋をかむせる。これなら嵩張っても、折りたたみでない傘を持ちあるいたほうがめんどくさくない。まったく無用の長物だった。
ひさびさに電車に乗り、外を歩く。彼女との逢引に心は躍る。都内は車を停めるところに金がかかる。渋滞のときの会話にも困窮するにちがいない。いい絵がまったく浮かばない。
鞄のなかには折り畳み傘。雲ひとつない空でも、油断はできない。急な雨に、彼女の身を晒させない。彼女に降りかかる不運をゆるせない。騎士然と、彼女を護ることに意義を見いだす。
ただ、あればかりはどうしようもない。傘も脚も、まるで役に立たない。予期せぬ、不意の雨粒。落ちてくるジャンボジェットをまえに、ぼくはなにもできない。ただ彼女の小さな手を、ぎゅっとにぎりしめた。