第7話 真夜中の依頼者
その日の夜、十一時過ぎ。足長亭の客室で、リムドはマルシャと共にベッドの中で毛布にくるまり、横になっていた。昼とは違い、ヨマーンの夏の夜は意外に涼しい。薄手の毛布一枚くらいで丁度いいのだ。
隣のもう一方のベッドは空だった。カグラは足長亭にはいない。いや、今いないのはアギだった。つい先程、舞台に立ったアギはダルカンの店へ向かったのだ。相手が寝付いたところを見計らい、忍び込んでダルカンの使い魔からマルシャのペンダントを盗み取ろうという作戦なのである。
そのアギが一仕事終えて帰ってくるのを、リムドとマルシャは待っていた。窓のカーテンは開いたままだ。深夜宿の門は閉ざされるので、アギは窓から戻ってくる。灯りが消えても部屋を間違いないようにとの配慮だった。
月の光が差し込む薄暗い室内で、リムドはマルシャに様々なことを語った。多面族のこと、旅の目的。大伯父から他言するなときつく言い渡された、世界規模の凶事とカグラの関係までも。
マルシャは時々質問を交えながら、リムドの話を興味深げに聞いていた。それはマルシャにとっても十分満足がいく内容だったようだが、一通り話を聞き終えるとはーっと溜息を付いた。
「それにしても世界規模の凶事探しの旅とはねえ。カグラは運命だから仕方がないにしても、あんたはただのとばっちりじゃないさ」
リムドは苦笑いしながら、マルシャに何か凶事について情報は掴んでいないのかと尋ねた。しかしマルシャは首を横に振るだけ。アトラといる時はそのような話は一切聞かなかったし、野良猫生活している間は生きるのに精一杯で、他人の話に耳を傾ける余裕などなかったという。
「ところであの子の両親も、あんた達みたいに凶事を探る旅に出て、その途中で死んじまったのかい」
「ああ。大伯父さんの話によると、最初は従兄伯父の伯父さんーーカグラの父親だけが探索の旅に出る予定だったらしい。でも伯母さんが自分もどうしても行きたいって懇願したもんだから……」
「そりゃお気の毒に。せめて母親の方が残っていればね。で、あの子の両親は、何処行きの船に乗って災難に遭ったの?」
「どうも中央大陸行きだったらしい。ただ本当にクエンザーに行きたかったのか、そこを経由して他の大陸へ行きたかったのかまでは、わからないって大伯父さんは言っていたよ」
「ふーん……」
マルシャの色違いの両眼がきらりと光った。
「ねえ、リムド。カグラの両親は何か手掛かりをつかんでいて、クエンザーへ渡ろうとしたのかもしれないよ」
更にマルシャは言った。その手掛かりがクエンザーにあったかどうかは不明だが、少なくともステイアには無かったのではないかと。ステイアは調査し尽くし、他の大陸を当たろうとしたのではないかと。
「ステイアでの調査は早々に打ち切って、クエンザーに行ってみたらどうだい。時間がないのなら尚更だよ」
「うーん……。ヨマーンを出るのはいいけど、ステイアの他国も調べて見たいな。一度渡航したら、オルドーに戻ってくるのが大変だし」
「まあそれもそうだね。さて、そうなるとどっちに行ったらいいもんか」
マルシャの言う「どっち」とは、ヨマーン王国と国境を接する二つの隣国のことであった。ヨマーンの北と東は海に面している。陸路で行ける隣国は西のスルーザ王国と、南のシャルドラ王国だ。幸い両国ともヨマーンとの関係は良好で、人も物資も往来が盛んだ。お尋ね者でもない限り、国境で厳しく審査されることもない。越境は問題なかろう。
ただ南のシャルドラヘ向かうことに、リムドもマルシャも正直気乗りではなかった。これからの季節、暑さは一層厳しいものとなる。日中は出歩くことすらおっくうなので、調査に支障が出るのは必至だった。
と、なると西のスルーザの方が良いようにも思えるが、治安に些か問題があった。原因はこの国の南部に位置するミスリダ大公国で、五年前に発生した大公暗殺未遂事件にある。
ミスリダでは事件直後、疑心暗鬼となった大公が、事件に関与したと思われる貴族を片っ端から取り潰した。結果、主君を失い職を失った家臣が続出、相当数が難民となって隣国のスルーザへ流入したのだ。ミスリダはスルーザの元王族が山岳地帯を開墾し建国した、姉妹関係にある国。ミスリダが他の隣国と微妙な緊張状態にあることから、彼らもスルーザを頼らざるを得なかったのである。そして流入した者達の一部が賊に身をやつし、治安を悪化させているという。
リムドは勿論、マルシャも当時はまだ元気だったアトラから話は聞いていたので、スルーザの事情は知っていた。暑さと治安の悪さ、どちらのリスクをとるべきなのか、迷うところだ。するとリムドの不安を和らげるかのように、マルシャがにっと笑った。
「まあどっちにするかは、メラルへ行ってから決めればいいんじゃない? あそこは南部最大の都市だ。両国の国境沿いの町へ向かう定期馬車が出ているからね」
「そうだね。でも、王都を発つのは早くても明後日だよ。明日はまだやることがあるんだ」
「わかっているよ。例の鞍無しの素性を調べるんだろう?」
「勿論、王立図書館へは行く。だけど、もう一つ行く所がある」
リムドはそう言ってマルシャの顔を静かに見詰めた。
「アトラさんのお墓参りをしたいんだ。場所を教えてくれないか、マルシャ」
王都の東側には小高い丘が広がっており、丘がまるごと共同墓地となっている。リムドの両親をはじめ、王都で死亡した者の多くはそこに埋葬されていた。しかし墓の数は膨大なもので、埋葬場所を知らずに行くと探すのに一苦労するのだ。
「わかったよ。姐さんもきっと喜ぶよ」
「有り難う。だけどマルシャはどうして野良猫なんかに……。誰かのお世話になろうとは思わなかったのかい?」
「まー、私を引き取ってもいいって人もいたけどねえ。わたしゃこの通りお節介焼きだからね。煙たがられるんじゃないかと思って、お断りしたよ」
自ら「美味しい食事と昼寝三昧」の優雅な老後を蹴り、野良猫となったマルシャの生活は苦労の連続だった。マルシャの老体ではネズミを捕らえるのも容易ではない。残飯を漁ろうにも、もっと若くて力のある猫に餌場から追い出されてしまう。縄張りも持てないためねぐらを確保するのも大変で、王都のあちこちを転々とした。何とか今まで生き残ってこられたのは、アトラから与えられた知恵と知識があったからだ。
だがそんなマルシャの身の上話を聞いているうちに、リムドは次第に眠くなってきた。肝心のアギは、日付が変わって暫く経つのに一向に戻ってこない。一時間もあれば余裕だとアギは自信満々だったのだが。
とうとうリムドは睡魔に負け、眠りに落ちてしまった。そしてマルシャも。しかし半時間も経たないうちに、リムドは突然体を揺すられ、目を覚ました。驚いて半身を起こすと、アギがすぐ側に立っていた。
「ア、アギ! どうしたんだ、こんな時間まで……」
「ちょいと想定外のことが起きてな。わりーな」
悪いと詫びつつも、アギはしらっとした顔で佇んでいる。するとマルシャが毛布の中から飛び出し、アギに迫った。
「それであんた、ペンダントは?」
「心配するな。ほれ、これだろう?」
アギが懐から取り出したペンダントを見て、マルシャはほっとしたようにうずくまった。大型犬用に鎖こそ付け替えられていたが、黒曜石のペンダントヘッドは間違いなくアトラから贈られた物。念のためにと、マルシャは目の前に置かれたペンダントに鼻をつけ、臭いをかいだ。が、びくっと体を震わせ、一歩後退した。
「ちょ、ちょいとアギ! これ、血の臭いがするよ! あんたまさかあの黒犬をーー」
「おい! そんな荒っぽいことをしなきゃ盗めないほど、俺の腕は悪くないぞ。あのワン公は確かに死んだが、やったのは俺じぇねえ!」
向きになり、更に声を荒げようとするアギ。そこへリムドが素早く手を伸ばし、アギの口元を押さえた。
「アギ、静かに。みんな寝ているから、大声を出さない方がいい。それで誰がダルカンの使い魔を?」
リムドが手を引っ込めたところで、アギはけっと呟いた。
「あの店を訪れた男二人組だよ。俺が一仕事する直前、何処からともなくやってきて邪魔しやがった」
「男二人……? 誰なんだ、それは」
「だから想定外のことが起きたって言っただろうが。今からそのことを話してやる。少し長くなるが、まあ付き合えや」
アギはむっとした表情のまま、テーブル備え付けの椅子にどっかと腰を下ろした。長くなるとのことなので、リムドも向かいへ座る。マルシャがテーブルの上に飛び乗ったところでアギが話し出した。
「全く、とんだ現場に出くわしちまったぜ。俺はあのワン公からペンダントをかすめ取ったら、さっさとおさらばしようと思っていたのによ……」
魔力で作った自慢の盗賊装束に身を包み、足長亭を出たアギはダルカンの店へ向かった。店の所在は、リムドがマルシャとロレーヌ川へ出かけている間に確認しておいたので、迷うことはなかった。
ダルカンの店は繁華街から外れた通り沿いにある。夜の十一時ともなれば人通りは皆無で、姿を見られることはまず無かろう。それでも店の近くまで来ると、念のためアギは顔を覆面で顔の目から下を隠した。
こんな時間なので、当然ダルカンの店は営業しておらず、店舗件住宅の窓の板戸も全て閉ざされていた。板戸から漏れてくる光はなく、ダルカンも使い魔も眠っていると思われたが、思いこみは危険だ。まず中の様子を窺うべきだろう。
そうは言ってもアギは、板戸の隙間から室内を覗くなどという無粋な真似はしない。魔力を用いれば、透視で難なく見えてしまうからだ。しかも多面族は人間とは違って夜目が利くため、月明かりがあれば十分だった。
店の裏側へ回り、寝室とおぼしき場所に目星をつけると、アギは魔力を目に集中させた。するとダルカンらしき小太りの男がベッドに横たわり、その傍らに黒い犬が寝そべっているのが見えた。ダルカンも黒犬も目をつぶり、気持ちよさそうに寝息をたてている。
大丈夫、熟睡している……とほくそ笑んだその時だった。アギの研ぎ澄まされた感覚が、接近する人の気配を察知したのだ。しかも二人だ。アギは素早く寝室の前から離れ、隣家の陰に身を隠した。
幸い気付かれずに済んだようで、相手は真っ直ぐ店の裏側へ向かって来る。しかし、二人の格好は季節外れもいいところであった。六月だというのに冬用の外套羽織り、フードで顔を隠している。がたいの良さと背格好からして、男のようだ。寝室の窓の前で止まると、うち一人が板戸をかつかつと叩いた。
暫くして板戸が開き、燭台片手にダルカンが顔を出した。同時にフードを取り払う二人。一人は五十代くらいの鼻の下に髭を蓄えた、威厳ある男。もう一人は二十代半ばくらいの、鼻息の荒そうな若者だ。
顔見知りだったのか、揺らめく蝋燭の炎の向こうでダルカンが苛ついたように呟いた。
「何だ、あんたか。こんな夜分に何の用だ、ザントさんよ」
「人捜しを二件頼みたい。遠見と過去見だ」
年長の男ーーザントが捜索依頼をすると、ダルカンはふんと鼻を鳴らした。
「人を真夜中に叩き起こしておいて、過去見しろとはどういうことだ。あれがどれほどしんどいか、あんたもわかっているだろうが」
「無論、承知している。だが生憎、儂が知っている範囲で過去見が出来る魔術師は、お主しかいないのでな」
「ああ、そうかい。だが遠見は俺じゃなくてもいいんじゃないか? さてはその様子だと、捜す相手に相当嫌われているな」
図星なのか、ザントは口を真一文字に結んだまま。若者も目をつり上げ、ダルカンを睨みつけている。二人から発せられる異様な雰囲気を察したのか、ダルカンは上から目線の態度を幾分改めた。
「まー、あんたには昔随分と世話になったからな。やってもいいが、ただってわけには……な」
するとザントが金袋を懐から取り出し、ダルカンへ差し出した。
「これは前金だ。残り半分は成功報酬とする。不満か」
ダルカンは金袋の中身を手早く確かめた。どうやら納得がいく額だったようで、板戸を閉めると家の裏口を開け、二人を招き入れた。
やりとりの一部始終を見ていたアギは、ダルカンが物見魔術師であることを思い出した。物見魔術師の主な仕事の一つは、行方不明になった物や人を遠見魔法で捜すことだが、その依頼もピンキリだ。物が対象の場合は失せ物の在処や逃げた家畜の居場所など。人が対象の場合はそれこそ迷子の子供から遭難者、蒸発した家族に至るまで、術者の許には様々な捜索依頼が飛び込んでくる。ただ遠見魔法は、いつも成功するとは限らない。何故なら捜す対象が人の場合、術に妨害が入ることがしばしばあるからだ。
例えばAという者が行方不明になっているBという者を捜そうとして、物見魔術師に捜索を依頼をしたとする。もしBがAに「早く見つけて!」と心底願っていれば、何ら問題は生じない。すんなりと居場所が判明する。ところが逆にBが「Aには絶対に見つかりたくない!」と嫌っていれば抵抗ーー妨害が入り施術が不可能となるのだ。
つまり、術が成功するか否かはBの意思一つであり、依頼する側と捜索される側、どちらに非があるかは一切関係がない。よって逃亡犯の捜索などに、殆どの場合遠見魔法は使用出来ないという欠点があるのだ。因みに全く関係がない第三者が依頼する場合も、同様に妨害が入る。
しかし、妨害が入る可能性があると知りつつも、遠見魔法を望む者がいるのも事実だ。故に物見魔術師は依頼を受けるにあたり、必ずどういう事情でその者を捜しているのか、事細かに依頼者に尋ねる。もしも何か後ろめたいもの、邪なものを感じれば、その時点で依頼を断ってしまう。取り敢えず問題がないと判断すれば施術するが、妨害が入れば即座に依頼者にお引き取り願うだろう。
以上のことからもわかるように、真っ当な物見魔術師は怪しい依頼を決して受けない。受けたばかりに脅迫されたり、口封じのため殺された事例もあるのだ。犯罪の片棒を担ぐことのないよう、厄介事に巻き込まれぬよう、皆細心の注意を払っているのである。
ただ遠見魔法は、魔術師の腕次第では妨害を押し切ることも可能だ。強引に施術するのは一部の例外のみとされているが、中には金さえ積めば妨害の有無に関係なく施術する物見魔術師もいる。マルシャが怪しげな商売を……と口走っていたことからもわかるように、ダルカンはどうもこうした「金次第」魔術師の一人のようだ。
そして、遠見魔法の上級編とも呼べる魔法が過去見魔法だ。これは過去に起きた出来事を再び映像とし、再現させる術である。が、時間を逆流するが故に、遠見魔法とは比較にならないほど激しい抵抗がかかる。これを行えるのはかなりの上位者、少なくとも遠見魔術の妨害押し切りが可能なほどの実力がなくては無理だ。リムドはカグラに「誰が鞍無しを殺したのか、その気になれば魔法で調べられる」などと言ったが、「その気」を出せる物見魔術師は決して多くはない。ヨマーン国内では片手で数えられるくらいしかいないだろう。
ダルカンはこの過去見も出来るという。つまり物見魔術師としては相当の実力者で、伊達に千里眼を名乗っている訳ではなさそうだ。されど過去見魔法は、術者にとって滅法きつい魔法。疲労の度合いが半端なものではなく、施術後まる一日寝込むのはまだいい方。体力が回復せず、そのまま引退を余儀なくされた者すらいる。ダルカンは身体の衰えも目立つ五十路過ぎ、渋って不機嫌になるのも当然なのだ。
そんなことを思い出しつつも、アギは屋内へ消えた三人を追い、家の陰から出て壁伝いに気配を探った。間もなくそれを寝室横で感知し、透視を再開。会話も漏らさず逃すまいと、耳へも魔力を注入した。ところが部屋壁に防音の魔法がかかっているようで、さっぱり聞こえない。そこで三倍ほどの魔力を課すと、ようやく聞き取れるようになった。
ダルカンは二人の男と書斎にいた。寝間着から仕事着であるローブへ着替え、ずっしりとした樫の木の机の向こうに座っている。机の横には使い魔の黒犬が伏していた。
机の上に置かれた水晶球を、ダルカンは丁寧に布で拭いていた。水晶球は物見魔術師が命の次に大事にしている商売道具。ダルカンの物は大きさは人の頭ほど、傷や曇りが一つもない見事な代物だ。
腕を組んだまますぐ前に立つ二人の客人に、ダルカンは尋ねた。
「それじゃまず楽な方からだ。で、誰を遠見で捜して欲しいって?」
「ビスタ侯爵夫人セレアナの現在の居場所を知りたい」
淡々とした口調で答えるザント。だが捜索する相手の名を聞いてダルカンは、酷く驚き一瞬腰を上げた。
「セレアナ? もしかして前国王の姪っ子の、あのセレアナか?」
「如何にも」
「はー、あの美人で名高いセレアナをねえ。でも、何で外国人竜騎士のあんたがあの女をーー」
ダルカンははっとなって口を噤んだ。二人の刃の如き視線が体を貫いたのだ。はいはいと頷いて水晶球に両手をかざし、ダルカンは呪文を唱え始めた。すると透明だった水晶球の中に、霧のような白いもやもやとしたものが涌いてきた。しかし暫く経ってもそれ以上何も映らない。ダルカンは水晶球から手を離し、目線を上げた。
「案の定、えらく激しい抵抗がかかってる。で、どうする。このまま術を続行して欲しいか?」
「当然だ。だからこそ儂はお主に依頼したのだ」
「仕方ねえな。じゃ、やりますかっと……」
ふーっと大きく息を吸い込むと、ダルカンは再び呪文を唱えた。すると霧状のものが徐々に消え、水晶球に何やら映し出された。
それは何処かの部屋の中だった。ランタンの灯りに照らされた室内で、女が一人ベッドに横たわっている。その映像をザントは食い入るように見詰めていたが、やがてダルカンに言った。
「間違いなくこの女はセレアナだが、これでは何処にいるのかよくわからん。もう少し場所が特定出来るように映してはもらえぬか?」
「注文の多い奴だな。今ズームアウトするから、待っていろ」
と言うが早いか、女の姿は急速に縮まり、室内の様子が映り始めた。中はかなり広く、ダルカンの書斎の四、五倍はありそうだ。至る所に高価な家具や調度品が置かれ、床には柔らかそうなカーペットが隅々まで敷かれている。そして部屋の扉の両脇には、二人の男の姿が見えた。どちらもがっちりとした体格の持ち主で、人目で戦士とわかる者だ。
「アットンとエステバだ! あいつらーー」
ここで初めて若い男が口を開いたが、ザントの一睨みで慌てて次の台詞を飲み込んだ。そのアットントいう名にぴんときたアギは、更に魔力を目に込め、水晶球の小さな映像を拡大、凝視した。結果は予想通りのものだった。水晶球の中に映し出された二人の男。それは昨日トゥーラムの酒場で遭遇した、あの護衛と思われる者達に相違なかったからである。席を立ってカグラの前を横切っていった二人の顔を、アギはしっかりと脳裏に刻み込んでおいたのだ。
「ほー、この連中はお知り合いかい。でもその様子だとお友達って感じじゃないな」
若い男をからかいながらも、ダルカンはズームアウトを続けた。映像目線は更にバックし、窓から外へと飛び出した。そして女と二人の男がいた部屋が存在する建物が現れ、そこで止まった。白石造りの優美な城で、それはダルカンも毎日のように目にしているものだった。
「おい、これは王城じゃないか。セレアナは今、王城内にいるってことか?」
流石のダルカンも想定外だったようで、驚いた拍子に集中力が切れ、水晶球は透明な球体へ戻った。ダルカンは首を傾げ、考え込んだ。
「どういうことだ? セレアナは元王家の親戚であって、王家の者じゃなかったはずだ。城へ招待されるご身分じゃなかろう」
「その通り。元はただの下級貴族の娘よ」
ザントの声には少なからぬ苛立ちが混ざっていた。実際、ダルカンの言う通りだった。セレアナは確かに前国王の姪だったが、父親が前王妃の弟であったに過ぎない。前国王は絶世の美女と謳われた下級貴族の娘に心底惚れ込み、周囲の猛反対を押し切って妃に迎えたのだ。結局この二人の間に子供は生まれず、国王の死後王弟であった現国王が即位。それから一年も経たないうちに実家へ戻った妃も病死し、セレアナの父親は王家とは縁もゆかりもない者となった。妃の死後生まれたセレアナも、「前国王の姪」などと揶揄されるものの、同様の扱いを受けていたのである。
だがセレアナは三年前、ビスタ侯爵家の若当主と結婚した。ビスタ家はヨマーン王国が興る遙か以前より、西部サタール地方を治める名門中の名門貴族。準男爵家のセレアナの実家とは、家柄も名声も天と地ほどの差がある。セレアナは伯母に勝るとも劣らぬ美貌を武器に、玉の輿に乗ったと評判になったものだ。
そのセレアナが王城に滞在している。しかも部屋の様子から見て、明らかに貴賓待遇だ。いくらセレアナが元王族の縁者で侯爵夫人とはいえ、ここまでの好待遇は些かおかしい。単なる国王へのご機嫌伺いで来訪したわけではなさそうだ。
ザントと連れの若い男の表情が、見る間に険しくなっていった。それを見たダルカンは、額から冷や汗を垂らしながら言った。
「おいおい、そんなおっかない顔をするな。俺だってこの商売をやって長い。余計な詮索はしないからよ」
長生きしたければ深入りは禁物ーーダルカンもそのことはよく心得ていた。詰まらぬ好奇心に負けたため、他言無用との依頼者との約束を破ったため、命を落とした同業者が多数いることも。
「そ、それじゃ俺は一杯ひっかけてくるからよ。過去見は疲れるから、酒の力でも借りないと出来やしねえ」
ダルカンは逃げるように席を立ち、黒犬を連れて台所へ向かった。その姿が書斎から消えた途端、若い男がザントに話しかけてきた。
「どうやら手遅れのようです。どうなさいますか、ザント殿」
「やむを得まい。一旦戻って導師の指示を仰ぐとしよう」
「し……しかし! 副団長の仇を……」
「それはわかっている。導師とて黙ってはおられまい。今から奴に犯人を探ってもらう。だが仇討ちは二の次三の次だ。儂とて副団長の無念を晴らしたいのは山々。だがな……それよりも副団長が任務に失敗し、あの女を取り逃がしたことの方が遙かに深刻だ。早急に対策を講じねばならぬ。よいな、ラージ」
ラージと呼ばれた若い男は無言で頷き、唇をぎゅっと噛みしめた。
しばしの沈黙の後、二人は今後の対策を自分達なりに議論し始めた。その中には今までの経緯に関する話も混ざっており、整理すると以下のようになった。
ラージとザントが所属する騎士団の副団長は、鞍無しの竜騎士だった。副団長は「主」である導師の命を受け、半身たる火竜を駆り、屋敷から逃亡したセレアナ達を抹殺すべく追跡した。理由はセレアナがある重要な秘密をーー導師にとって命取りにもなりかねない事実を知ってしまったからだった。
ところが後一歩でというところで、セレアナが乗った馬車はトゥーラムへ逃げ込んでしまった。トゥーラムへ潜入しても土地勘もないので、セレアナが何処にいるのか見当も付かない。物見魔術師に捜索を依頼しようにも、妨害が入ることは明白だ。しかし相手も一刻を争う状況下にあり、遅くとも明日には出てくるだろう。このまま町の外で待機、相手が町から出次第追って始末するーーと副団長は伝書鳥を使って導師へ報告した。
だが、翌日の昼過ぎになっても副団長は戻ってこない。火竜の飛翔力ならば一時間足らずで戻ってこられるはずだ。さすがにおかしいと思ったのか、導師は配下の魔術師に遠見魔法で行方を捜させた。が、何故か反応がない。そこでザントとラージ、そして別の竜兵士一騎に様子を見てこいと命じたのである。
トゥーラム周辺に副団長と火竜の姿はなかった。そこで竜から降り、トゥーラムで情報を収集するうちに、該当する馬車が朝の開門と同時に、東門から町を出立していることがわかった。副団長もその後を追っているはずだ。三人は王都へと続く街道沿いに竜を進ませたが、その途中で変わり果てた副団長と騎竜を発見。仲間を殺害された三人は号泣し、復讐を誓ったのだ。
しかし彼らにはまだやることがあった。セレアナがどうなったか突き止めること。そしてこの一件を導師に報告することだ。竜兵士を報告のために導師の許へ戻らせると、ザントとラージは王都へ向かった。セレアナが王都へ行く目的はわかっている。国王へ「秘密」を伝えるためだ。それだけは何が何でも阻止しなければならなかったが、朝一番でトゥーラムを出ていれば手遅れであることはほぼ確実であった。ただ副団長の任務失敗を確認しなければならない。そこでザントの顔なじみであったダルカンの許を人目に触れぬ深夜に訪問。セレアナの居場所を探らせたのである。
二人の会話からアギは、グレンに護衛の依頼をした「ことになっている」貴族の奥方がセレアナであると知った。おそらく、セレアナは二人の護衛兵ーーアットンとエステバに守られ、無事王都へ到着のだろう。国王への謁見を果たし、重要な証人として王城に保護されたのである。捨て駒にした偽奥方一行と合流出来たかどうかは定かではないが。
二十分程経ってダルカンが黒犬と共に赤ら顔で居間に戻ってきた。余程強い酒をあおったのか、足取りがおぼつかない。どうにか着席すると、ザントから希望するシーンの詳細な日時と場所を聞き出し、水晶球に向かって詠唱開始した。しかし遠見魔法の時とは異なり、詠唱時間が長いわりには一向に水晶球の霧が晴れない。
三分ほど唱え続けた後、ようやく霧が晴れて画像が現れ出した。食い入るように見つめるラージ達。グレンが爆炎球を大剣で弾き返し、鞍無しを人竜共々返り討ちにする場面が映し出された。顔を真っ赤にさせ、ラージが叫ぶ。
「誰だ、この女は!」
「さー、知らねえなあ……」
水晶球の中の画像が消え、ダルカンは崩れるように机にうつ伏した。限界まで体力を消耗したようで、もう口を開くのもやっとだと言わんばかりだった。
どうやら彼らは誰一人としてグレンのことを知らないようだ。このままグレンを楽屋に押し込んだまま王都をから出て行けば、容易にこの二人から逃れられるーーとアギは踏んだが、ふとここで好奇心が疼いた。当のグレンはどう思っているのかと。
気が散らないように副面体二人の声は遮断していたアギだったが、期待を込めてグレンに問いかけた。すると思っていた通りの答えが返ってきた。
『仇討ち? 来るならかかってこいってもんだ。今度は二人揃って返り討ちにしてやるよ。アーッハッハ!』
グレンのけたたましい高笑いが頭の中に響きわたり、さすがのアギもげんなりして声を遮断した。するとその直後、ドン!という物々しい音が耳へ飛び込んできた。ラージが凄まじい剣幕で机へ両拳を振り下ろしたのだ。
「それでこの女は今何処にいる! 教えろ!」
「馬鹿……野郎。こちとら死にそうなのに、更に遠見をしろってか……。このくそガキ……が……」
ダルカンの様子がおかしい。急に憎まれ口が途絶え、ぴくりとも動かなくなってしまったのだ。異変を察知したザントがダルカンの顔を上げ、次いで胸に耳を当てる。だがーー
「死んだぞ」
ぽつりとザントは呟いた。強い酒を飲んだこと、施術により疲労したことに加え、酒好きのダルカンには持病があった。術の負荷に体が耐えきれず、事切れたようだ。
「だ、旦那! ああ、何てことを! 貴様ら!」
ダルカンの使い魔である黒犬が牙をむき、ラージめがけて飛びかかってきた。だが相手は戦士、軍犬でもない使い魔では相手にならない。ラージの蹴りの一撃で黒犬は呆気なく吹っ飛び、そこにザントが腰に刺していた短剣を抜き、喉に突き立てた。黒犬は悲鳴を上げる間もなく床に倒れ、息絶えた。
ザントは黒犬の死体をダルカンの横へ置いた。次いで台所から包丁を持ってくると、黒犬の血を包丁につけ、それをダルカンに握らせた。こうすればダルカンが包丁で自分の使い魔を殺し、その後死んだように見える。偽装工作をし、自分達が関わったことを隠蔽しようという魂胆だ。
長居は無用とばかりに、ザントとラージは裏口からダルカンの店を出た。アギも追いかけて二人の正体を探り、リムドに詳細な情報を提供したかった。だがその時、盗賊の本能が囁いたのだ。相手に姿を見られたらどうする、深追いはするなと。そもそもここへ来た目的は、マルシャのペンダントを取り戻すことだったはずだ。
アギは家の中へ忍び込み、倒れている黒犬の首から目的の物を取り外し、懐へ収めた。そして屋根の上に上がると、瓦を踏みながらリムドが待つ足長亭へと急いだ。