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カグラの四つの顔  作者: 工藤 湧
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第4話 古の民

「多面族?」

 初めて耳にする名にリムドは思わず身を乗り出し、ノーラムとカグラをまじまじと見詰めた。

「我々人間が生まれる遙か以前に誕生した異種族だ。しかし既に滅び、この種族の存在を知る者は殆どおらぬ。お前が知らぬのも当然であろう」

 そう言って一息つくと、ノーラムはこの摩訶不思議な種族・多面族について語り始めた。

 多面族は今から二千年ほど前に滅んだ古代種族だ。人間の歴史は二千二百年ほどと言われていおり、両種族が共に過ごした期間は短い。加えてベルメール神に創造されて未だ間もない頃の人間は、時事を記し伝えようとする意識に乏しかった。よってこの古代種族が如何なる者なのか、全くと言っていいほど記録が残っていないのだ。

 ノーラムは若い頃、王立図書館へ足を運んで多面族に関する文献を求めたことがあった。ところが幾ら探しても見当たらず、丸一日かかってようやく「昔、人とは異なる人種が存在していた」という一文を説話集に見つけた程度。これではその存在を知られていなくても何ら不思議はない。

「我が遺産の中でも多面族についての詳細な記載があるのは、最古の書のみ。千六百年前の災厄でも当時の家長が手放さず、守り通したうちの一冊だ。儂がこれから話すことはその本と、今まで現れた四人の忌み子の成長過程で得られた知識や体験が元になっている」

「その最古の本って、僕にも見せては……」

 王立図書館にも収蔵されていない貴重な書なら、是非ともこの目で見てみたい。持ち前の好奇心が頭をもたげ、リムドは期待を込めて申し出た。が、途端にノーラムは不快げに眉根をぴくりと動かした。

「今は駄目だ。我が家系の極秘事項に関わる書ゆえ、お前が自分の行動に責任が持てる年になるまで、目を通すことはまかりならぬ!」

 ノーラムに要求をぴしゃりとはねつけられ、リムドは肩を落とした。ここは諦め、大伯父の話を大人しく聞くしかないようだ。

 リムドがすんなり引き下がったのを見て、平常心を取り戻したのだろう。ノーラムは険しい表情を改め、話を進めた。

「多面族といってもその姿形や身の丈は、人間と殆ど変わりがなく、寿命も多少長い程度。だが決定的に違う点が二つある。生まれついて魔力を持っていること。そして一個人の中に肉体も人格も違う人物が潜んでおり、いつでも入れ替り可能ということだ」

 前者に関してはわかりやすい。つまり、無詠唱魔法が使えるということだ。ただこの魔力、全ての多面族が持っているとはいえ、個人差が非常に大きい。小さな町なら一瞬で灰燼に帰してしまうような強者がいる一方、一抱えほどの岩を動かすのが精一杯という者もいた。

 では、カグラの魔力はどの程度なのか。ノーラムの検証によれば、かなりの上位らしい。ノーラムは今年初め、カグラを山奥の池畔へ連れ出し、本気で魔力を使わせてみた。人里離れた場所とはいえ破壊行為は危険なので、何かを持ち上げてみろと命じたのだが、結果は驚くべくものだった。池の水が全て宙で一塊となり、暫く漂っていたのだ。池は周囲二マール(一キロ)程のものではあったが、水量は膨大なもの。それを水中の生き物ごと持ち上げたのだから、恐れ入る。

 リムドもあまりに現実離れしたその力に、唖然とするばかりだった。魔道家の者が束になってもここまではいかない。多面族の上位者は凄まじい魔力の持ち主だったのだ。

「多面族は成長に伴い、魔力も強くなる傾向がある。八歳でこれほどのことが出来るのであれば、将来は川の水を丸ごと持ち上げるまでになるやも知れぬ」

「凄い……。カグラがそんな力を持っているなんて。でも何でもっと早くカグラの魔力を、確認しようとしなかったんですか?」

「魔力を使えるようになったのは、去年の暮だったからだ。多面族の魔力が覚醒するのは七、八歳の頃らしい。しかしそれも納得がゆく。善悪もわからぬ、加減も知らぬ幼子が魔力を使えば、何が起こるかは火を見るよりも明らかであろう」

 確かに二、三歳の子供が魔力を使えたら危ないーーとリムドは思った。本人はちょっとした悪戯のつもりでも、取り返しのつかないことをしでかす危険性がある。人に火を着けたり、持ち上げて叩き落としたり……と。

 そんなこと想像しただけで、リムドは少し気分が悪くなってきた。その顔色から心中を察したのか、ノーラムは話題を変えた。

「さて、ややこしいのは違う者が潜んでいる点だな。ならばわかりやすいように、多面族のこの能力をあるものに例えて説明するとしよう。カグラとあの三人の子達を一つの劇団、『カグラ団』と仮定してな」

「劇団……ですか?」

「そう。劇団には『人生』という題目の劇に出演するメンバーがいる。主役であり、劇団の指導者でもある団長。そして脇役で団長に従う団員だ」

 この団長に当たるのが「主面体メイン」で、カグラ団の場合はカグラ本人。残る者ーー団員は「副面体サブ」と呼ばれる。カグラ団にはグレン、ファシド、アギの三人の団員、即ち副面体がいるというわけだ。ただ、団員数は劇団ごとーー多面族ごとに一人から四人と幅がある。

 劇団のメンバーの中で、舞台ーー外へ出て自由に行動出来るのは、常に一人だけ。そして普段、舞台に立っているのは主面体だ。主面体が思う存分外の世界を満喫している間、副面体は楽屋ーー主面体の体内で待機するはめとなる。

 されど時々、舞台メンバーが入れ替わることがある。主面体が「この場は副面体に任せた方がいい」とか、「たまには外の空気を吸わせてやろう」などと考えた時だ。実は主面体は、その意思で自由に副面体を舞台へ出し、入れ替わることが出来るのである。その間主面体は他の副面体を納めたまま、外に出ている副面体の中に身を潜める。

「主役はあくまでも主面体。副面体はその意思に逆らえん。副面体がいくら表に出たがっても、主面体の許可が得られなければ出られぬのだ」

 ノーラムの話を聞くうちに、リムドはだんだん副面体が気の毒に思えてきた。主面体が舞台で自由気ままに暮らしている間、副面体はひたすら楽屋で我慢とは。幽閉されているも同然で、ストレスもたまりそうだ。先程グレンが戻される前、「もうお終いなのかい!」と憤慨したのもそんな事情があったからだ。

「随分と不自由なんですね、副面体は……」

「そうだな。それにたとえ表へ出ていても、主面体が戻れと命じれば楽屋へ戻らねばならない。副面体が駄々をこね、あがいても無駄だ。その気になれば主面体は、副面体を強制的に引き戻すことも出来るのだからな。それだけ主面体の権限は強く、好きなように副面体を扱えるということだ」

「それじゃあまるで奴隷同然じゃないですか。主面体のいいようにこき使われたりして。酷すぎます」

 主面体であるカグラの目前であるにもかかわらず、リムドは猛然と抗議した。副面体が理不尽な扱いを受けていると知り、湧き上がる怒りを抑えきれなかったのだ。ただ批判されているカグラはぼーっとしているだけで、全く意に介さずといった様子だったが。

「そう向きになるな、リムド。気持ちはわかるが」

 ノーラムの声色は優しかった。実のところ、リムドが他人のことで本気で怒り出すのを見て嬉しかったのだ。賢者はアドバイザー、相談者の立場を慮って助言することが求められる。知識以上に人を思いやる心が大切なのである。

「副面体をどう扱うかは、主面体の性格によって様々だ。お前が言うように顎で使い、己の望み通りに動かそうとする者もいれば、自分と同等に扱う者もいる。儂の見立てでは、カグラはこの中間と言ったところだな」

 ノーラム曰く、カグラは自分の都合で副面体を出したり引っ込めたりする。されどその一方で、副面体の行動に文句を付けたり、制限することは殆どしない。また、副面体の力が不要な場面でも時々表へ出し、息抜きをさせているそうだ。

 そんな既知の話が退屈だったのだろう。カグラがノーラムの横で大きく欠伸をした直後、その体がまた蜃気楼のように揺らめきだした。副面体と入れ替わろうとしていると知り、リムドはどきりとした。またあの我が儘娘、グレンが出てくるのではないかと。初対面の自分を役立たずと罵った相手だ。また何を言われるかわかったものではない。

 幸いなことに、リムドの心配は杞憂に終わった。現れたのはファシドだったのだ。舞台に立てたのが余程嬉しかったのか、ファシドはこぼれんばかりのの笑みを浮かべ、ノーラムに飛びついた。

「お祖父さん、カグラが暫く外に出ていてもいいって」

「そうか。儂もここのところ、お前と話をしていなかったからな。カグラが珍しく気を利かせたのか?」

 ノーラムは上機嫌だったが、ファシドは戸惑いながら首を横へ振った。

「いいや、違うよ。お祖父さんの話が長くなりそうだから、付き合っていられないんで僕の中で休むって」

「やれやれ、カグラめ。相変わらず自分勝手で怠慢な奴だ。まあ、いい。儂の長話を大人しく聞いていられるのは、お前ぐらいだからな」

 些かがっかりしたようなノーラムを眺めつつ、カグラがファシドを選んだのは正解だとリムドは一人頷いた。これ以上ノーラムの話が長引けば、気が短いグレンは癇癪を起こして暴れるかも知れない。さりとて悪戯者のアギならば、退屈しのぎに自分にちょっかいを出してきそうだ。いずれにせよリムドも、腰を据えて話を聞くどころではなくなってしまう。

 ファシドがリムドの隣に座ったところで、ノーラムはリムドに尋ねた。

「ところでお前は先程、カグラが副面体を矢継ぎ早に出した時、何か疑問に感じたことはなかったか?」

 急に疑問と言われても、リムドには答えようがなかった。あの時の自分は驚きのあまり頭が混乱し、そんな余裕などなかったのだから。無言で考え込むリムドを見て無理だと判断したのか、ノーラムは答えを出した。

「次の副面体を出す前に、必ずカグラ本人が現れていたであろう。違うか?」

「あ……確かに。でもどうしてですか?」

「それは僕らを出し入れ出来るのは、カグラだけだからだよ」

 リムドの質問に答えたのはファシドだった。

「カグラが言っていた。いちいち自分が出るのは面倒臭いけど、そうしなきゃ次の副面体と交代させられないから、仕方がないって。さっきもグレンから僕、僕からアギと直接入れ替われたら、ややこしくなくてよかったんだけどね」

 ノーラムがファシドの説明を引き継ぎいだ。

「つまり、今表に出ている副面体に代わり、別の副面体が出る場合、必ず一回主面体を介さねばならないということだ。更にーー」

 そのままノーラムは話し続けた。同一の副面体が連続して出ていられるのは、七日が限度なのだと。もし七日以上外へ出たければ一度主面体の中へ戻り、改めて出てくる必要がある。

「一回の入れ替わりにかかる時間は三十秒程度だ。一分少し待てばまた最大七日間出られる。もっともそれも、主面体が許せばの話だが」

「もしも八日以上出ていたら、副面体はどうなるんですか?」

 リムドの疑問はごく自然なものだったが、ファシドはさっと青ざめ、身を堅くした。

「僕らの命が危なくなる。体から力が一気に抜けて、息も出来なくなるんだ。だから一度カグラの中に戻って、生命力を回復してもらわなきゃいけない」

「つまりカグラの体でエネルギーチャージするってことか……。舞台で食べたり飲んだり休んだりして体力を回復させても、やっぱり八日以上は駄目なのかい?」

「駄目だよ。僕は以前、カグラに試されたことがあるんだ。八日以上出ていたら、実際どうなるかって」

 カグラもノーラムから、副面体を出すのは七日が限界であるから、無理をさせるなと聞いていた。それにもかかわらず、カグラは敢えて「実験」してみたのだ。大人しくて反発しないファシドを使い、副面体にどんな変化が現れるのか、その目で確かめようと。

「外へ出てからきっちり七日後、つまり百六十八時間経った頃を境に、急に体の調子がおかしくなってきたんだ。目眩が酷くて立っていられなくなり、息が苦しくなってきた。カグラも慌てて戻してくれたから何事もなく済んだけど、あのままほったらかされていたら死んでいたかもしれない」

 その時の体験はファシドにとって、相当恐ろしいものだったようだ。思い出しただけなのに、ファシドは身震いしている。リムドはカグラの意地の悪さに眉をひそめたが、やるなと言われればやってみたくなるのが人の心理。もし自分だったら好奇心に負け、試してしまうかも知れない。カグラのことはいえない……とリムドは心の中で己を戒めた。

「そうなんだ……。でもその時、カグラは君の異変を感じたから戻したんだね?」

「そう。主面体も副面体も、体内にいるメンバーは表に出ているメンバーと五感を共有出来るんだ。見聞きしたことをそのまま体験出来るし、記憶も残る」

 ただしファシドによればこの五感、楽屋メンバーは意識して遮断することも出来るという。舞台メンバーが目にしたものを見たくなければ、視覚を遮断すればいい。特に痛みを味わいたいと思う者はまずいないので、大概痛覚は遮断するそうだ。更にノーラムがファシドの解説を補足する。

「劇団のメンバーはみな個性も好みを異なる。主面体が好きな食べ物が苦手な副面体もいる。特にこの子ーーファシドは大人しい子だ。グレンのような乱暴な振る舞いも、アギのような悪ふざけも嫌がる。そんな具合に、互いが不快な思いをしないで済むような仕組みが備わっているのだ」

 されど楽屋メンバーも、大人しく舞台メンバーの行動を傍観しているだけではない。実はこの両者、念話で常に会話が可能であり、議することもあれば喧嘩することもある。ただ念話なので、楽屋メンバーの声は外部には一切聞こえない。よって舞台メンバーがこの時、うっかり声でも出そうものなら、周囲の者に「何独り言を言っているんだ?」と不審に思われかねない。

 されど誰しも自分の行動にけちを付けられたくはないもの。うるさい楽屋メンバーの声を、聞きたくない時も多々あるはずだ。しかし舞台メンバーが、楽屋メンバーの声を遮断出来るかは、主面体と副面体では異なる。主面体は自在に遮断が可能。一方、副面体が遮断出来るのは、他の副面体の声のみ。つまり外へ出ても、団員は団長の監視下に置かれているというわけだ。カグラは監視を嫌がるそうだが、何か不都合があれば口出しし、あれこれ指図することには変わりがない。

「いつも見張られているんじゃ、気が休まらないね。気の毒だ」

 リムドが労るようにファシドの肩にそっと手を置くと、ノーラムが意外なことを言った。

「いや、悪いことばかりではない。楽屋メンバーは睡眠をとる必要がなく、常時覚醒状態にいる。舞台メンバーが眠っている時でも、視覚以外の感覚は使える。もし副面体が睡眠中に敵に襲われそうになっても、事前に主面体がその存在を察知出来れば、念話で起こして危機を回避することも可能というわけだ」

「へえ……。でも大伯父さん、その時もし間に合わなくて、敵に襲われたらどうなるんですか?」

「舞台メンバーに非常事態が起こった時か。それはやはり主面体と副面体では大きく異なる」

 敵に攻撃され、舞台メンバーが負傷してしまったらどうなるのか。それが副面体ならば瀕死の重傷を負ったとしても、命つきる前に主面体の中へ戻れば大丈夫だ。主面体は生命力回復機能をフル回転させて副面体を治療し、傷はおろか失われた体の一部まで完全に再生させる。ただ、その副面体は傷が癒えるまで、表へ出ることは叶わなくなるが。最悪、主面体の中へ戻れずに副面体が死んでも、他のメンバーには何ら影響がない。団員が一人いなくなるだけのことだ。

 しかし、主面体が深手を負った場合は、深刻な事態に陥る。主面体の治癒力は通常の生物と変わりがなく、生命力回復機能も自らには使えない。魔力が強い者はその力で治癒させることも可能だが、痛みが酷ければそれも難しい。怪我が自らの手に負えないと悟ると、主面体は楽屋へ逃げ込んでしまう。副面体の体内では症状が進行せず、痛みも感じなくなるからだ。

 その間表へ出た副面体は、主面体を助ける手段を必死になって求めることとなる。何故なら団長が死ねば、その劇団はお終いとなるのだから。解散ではなく、消滅である。副面体は主面体なしでは生きて行けない。主面体が息絶えると副面体は棺桶と化したその肉体に閉じ込められ、数時間以内に死んでしまう。

 故に副面体は自分が傷ついても、主面体を守ろうとする傾向があるし、主面体もそれを利用して劇団を守る。絶体絶命の危機に遭遇した際、主面体は非情な手段に訴える。この場を切り抜けられそうな副面体を表へ出すのだ。結果、舞台上の副面体は死んでしまうかもしれないが、その犠牲は無駄にはならない。死体さえ残っていれば、その中に潜んでいる主面体と他の副面体は助かるのである。

「多面族は狩猟採集民族。大自然に身を委ね、恵みを糧とし、そしてその猛威に常にさらされてきた。そうした厳しい環境下で暮らすには、状況に適した副面体を上手く使っていく必要があったのだろうな」

「でも何故、主面体や副面体がいる、変わった者が生まれてくるんですか?」

「お前はどう考える?」

「うーん……。多面族はもとは一人だけど、実は多重人格者でそれが自分の体を持って副面体になるとか。それとも何人かが合体して一人になるとか……」

 咄嗟に訊き返されたこともあり、リムドの仮説は完全な当てずっぽうだった。しかしノーラムは呆れるどころか、楽しそうにふふふと笑い出した。

「儂の目に狂いはなかったな。幼いなりに考え、二つも説を立てるとは。なかなか見事なものだ」

 ノーラムは話をしながらも、要所でリムドの気質や素質を探っていた。知識欲が強くて好奇心旺盛、思考力にも優れている。思いやりはあるが、想定外のことが起きると混乱しやすい……といったことをノーラムは把握していた。

「さてお前が言ったこと、後者が正解だ。多面族が如何にしてこのような不思議な力を身に付けるか。それは彼らの誕生の過程に秘密がある」

「誕生の過程?」

「如何にも。多面族の女は身ごもると、必ず複数の子を宿す。いわゆる多胎妊娠だ。しかし月満ちて生まれるのは決まって一人。何故だと思う?」

「それってまさか母親のお腹の中で……」

 リムドは目を見開き、息をのんだ。

「そういうことだ。一人の胎児が残る胎児を吸収してしまうのだ」

 ノーラムは驚愕の事実を語った。安定期に入った頃、母親の胎内で胎児同士の「主演獲得戦」が始まる。兄弟の中で誰が主面体となるのか、静かだが熾烈な争いが。だが主面体になれるのは、最も強い魔力を持った胎児。残る胎児は副面体になることを強いられ、主面体の体内に一旦吸収されてしまう。

 獲得戦を勝ち抜き、晴れて主面体となった胎児は、新生児として産声を上げる。カグラ団の場合、最も強い魔力を持ったカグラが主面体となったのだ。グレンはカグラの五割、ファシドは一割、アギは三割程度の魔力しか持っておらず、副面体となることを余儀なくされた。

 こうしてこの世に誕生した子供は、暫くは主面体のみが表に出ている。そして物心つく頃、大体三、四歳になると最初の副面体が現れる。その後も時間を置いて他の副面体も順次現れ、個人差はあるが多くは七歳までに全ての副面体が「顔を揃える」という。

「表向き儂の孫はカグラだけだが、実際には四人の孫がいるのだ。グレンもファシドもアギも、我が愛しい孫であることに変わりはない」

 ノーラムのその言葉に偽りがないことは、リムドもファシドの満足そうな顔を見てわかった。実際、ノーラムは分け隔てなく孫達を扱い、愛情を注いできた。副面体は家系の秘密を守るため、人前には決して出られない。両親は他界し、彼らが話し甘えられる相手は、唯一の家族であるノーラムだけ。しかし、副面体はカグラが許可を出さなければ祖父と直に会えない。ノーラムもその心情を理解し、副面体と共に過ごす時間を大切にしようと心がけてきたのである。

「成る程。だから他の三人も、大伯父さんのことを『お祖父さん』とか呼んでいたんですね。それでカグラの場合も、生まれて間もなくは特に何も……」

「そう、何もなかった。我が家系の秘密を知らぬ嫁は勿論、儂も息子も普通の子だと信じて疑わなかった。だがある日突然、最初の副面体が現れたのだ。今でもはっきり覚えている。あれはカグラが間もなく四歳を迎える時のことだった……」

 初春の青空が美しい、天気が良い日のことだった。その日、カグラの母親はトゥーラムの自宅の庭で、のんびり洗濯物を干していた。時折庭の片隅で遊ぶ幼い娘へ暖かな眼差しを向けながら。

 ところがそんな時、異変は起こった。母親が少し目を離した隙に、愛娘の姿が忽然と消え失せたのだ。そこに座っていたのは、見たこともない五、六歳くらいの赤毛の女の子。しかも素っ裸だ。母親は肝を潰し、絶叫した。父親はこの時不在。書斎にいたノーラムがその声を聞きつけ、庭へ飛んできた。

「どうした! 何事だ!」

「お、お義父さん! カグラがいない! 私の娘があ!」

 髪を振り乱し、半狂乱になって駆け寄る母親。ノーラムは宥めようとしたものの、そこの光景を目の当たりにし、暫く声も出なかった。されど気付いたのだ。赤毛の女の子の近くに孫娘の着ていた服が落ちていたことに。

 ーーまさか!

 ノーラムの脳裏に古からの言い伝えが過ぎった。ノーラムは一回深呼吸をして心の波を鎮めると、諭すように赤毛の子へ向かい、言った。

「カグラ! お母さんが驚いている。その子を戻して、早くこっちに出てきなさい」

 途端に赤毛の女の子は火が着いたように泣き出し、地べたに寝転がってわめき始めた。

「やだあ! ママの側にいたい! ママにやっと会えたのに!」

「だから言ったでしょう! 私はあんたのママじゃ……」

「それ以上言うな!」

 母親の怒号をノーラムの矢のような一声が遮った。

「あの子が傷つく。さあカグラ。お母さんはお前の力を知らない。そのことは後で儂がお母さんに話すから、姿を見せておくれ」

 すると赤毛の女の子の姿がゆらりと歪んだ。輪郭が不鮮明になり、徐々に見えなくなると、替わって全裸のカグラが現れたーー

「その赤毛の子供こそグレンだった。グレンはやっと会えた嬉しさから、嫁に抱きつこうとした。しかし嫁は驚き、駆け寄ろうとしたグレンに来るなと叫び、拒んでしまったのだ」

「四年近くもカグラの中にいて、やっと出てきたらその仕打ちですか。そりゃ泣いて暴れたくもなりますよね」

 自分を酷く嫌った相手とはいえ、リムドは心底グレンに同情していた。会いたくてたまらなかった母親にいきなり拒絶されたのだ。グレンも頭を殴られたどころではすまされないほどのショックを受けたに違いない。

「だがグレンはまだいい方だ。親の温もりを直に感じることが出来たのだからな。ファシドとアギはそれすらも叶わなかった」

「それってどういうことです?」

「この騒動の半年後、息子と嫁が事故死したからだ。ファシドが現れたのはグレンが現れた一年後、アギに至っては更にその半年後。二人共親に直接会えなかった」

 ファシドは祖父の話にただ寂しげに俯くだけだった。カグラの五感を通し、両親の姿や声を知ってはいても、話すことも触れることも出来なかった。そして自分の存在を感じてもらえぬまま、両親は逝ってしまったのだ。

 主面体も副面体も、同じ親を持つ「兄弟」である。しかし兄弟と言っても境遇にあまりに差があり過ぎる。主面体は好きなだけ親と一緒にいられるし、愛情もほぼ独占出来る。対して副面体は、主面体が許可した時だけしか親に会えない。しかも初めて外へ出られるのは、早くても主面体が生まれた三年後、遅ければ七年後なのだ。幼い子供にとって、これは相当酷なことであろう。

 ことは全て主面体の望む通りに、都合のいいように進められる。ノーラムは多面族を劇団に例えたが、実際は国家のようなものだとリムドは感じていた。絶対的な力を持つ指導者は、有事の際には国民と団結して「国」を守ろうとする。が、その国民は指導者の扱い一つで、同胞にも臣下にも奴隷にもなりうるのだ。

 人間には理解し難い、奇妙奇天烈な種族・多面族。しかしリムドには、未だ不可解なことがあった。カグラ団の場合、血の繋がった兄弟であるはずのメンバーの見た目がバラバラなのだ。髪の色も目の色も異なり、顔つきもまるで似ていない。それどころか成長速度にも差がある。グレンは明らかにカグラよりも年上に見えたし、ファシドも然りだ。逆にアギは少し幼いように思えた。

 兄弟間で明確な相違が生じる原因は、ノーラムにもわからない。ただ能力や特徴が似通っていると、様々な状況に対応出来ない。腕力に優れた者、知恵のある者、機転が利く者……といった多様性こそが、生きていくためには重要なのではないかーーそれがノーラムの推測だった。

「さて、多面族に関する儂の話はこれぐらいだ。ところで、リムド」

 一通り話を済ませたところで、ノーラムは表情を引き締めた。

「これで儂が五年前、急ぎトゥーラムからここへ越してきた、その理由がわかったな?」

「はい。わかしました。カグラがうっかり人前で副面体を出したら、大変だからですよね?」

「うむ。当時のカグラは四歳になる手前。幼なすぎて自分の能力が周囲に与える影響など、何一つ理解出来ぬ。家系の秘密が発覚するのを防ぐため、我々は人目の多い都市部から、より危険性が低いこの辺境の村へ移住したのだ」

「そうですか……。あ、大伯父さん。あと一つ、どうしても訊いておきたいことが……」

「ん? 何だ?」

 意表を突かれたようにきょとんとするノーラムに、リムドは一呼吸おくと言った。

「カグラは多面族の先祖返りだそうですけど、それって僕らの先祖に多面族がいたってことじゃーー」

「そういうことだ」

 ノーラムはあっさりとその事実を認めた。

「今から二千年ほど前、多面族が滅びる直前に、我が先祖が多面族から一人の赤子を託されたのだ」

 その多面族は赤子を預ける際、言った。この子を力は封じてある故、お前達人間と何ら変わりはない。この子が成長したらお前の一族の者と婚姻させ、その血を残して欲しい。心配無用、子孫にも多面族の力が現れることはまずないだろう。だが万に一つ、我らの力を持った子が生まれた時は心せよ。その子が成人するまでの二十年の間に、世界を巻き込む恐るべき災いが起こるであろうーーと。

「じゃあ忌み子が生まれると凶事が……っていうのは、その多面族が言ったから……。でもどうしてそんな悪いことが起こるのか、その仕組みや原因については教えてくれなかったんですか?」

「残念ながら……な。儂も先祖も懸命にその謎を解こうとしたが、未だわからず仕舞いだ」

 ノーラムはお手上げといったふうに苦笑した。二千年かかっても解けない謎。忌み子と凶事を結びつけるものは一体何なのか。リムドも関心があることだけにがっかりしたが、気を取り直して質問を続けた。

「そうなんですか……。それで将来、僕の子孫から忌み子が生まれることがーー」

「お前が儂の跡を継ぎ、本家の家長となれば十分にある。過去の四例は全て我が家系の直系から生まれた。本家の家長の子供か孫だ。傍系の家から出たことは一度もない」

「でももう二千年も経っているのだから、僕らの家系以外にも多面族の血を引く者は沢山いると思います。だからそこから現れても不思議はないのでは?」

 リムドの突っ込みは想定外のものではあったが、慌てることなくノーラムは答えた。

「それはあり得ぬ。あの多面族は言ったのだ。先祖返りの子は直系にしか現れないと。もっともカグラが生まれた以上、少なくともお前の子供や孫の代で出ることはないだろう」

「成る程。ところでそんな凄い力を持った種族が、どうして滅んだんでしょうか?」

「それが今一つはっきりしておらぬのだ。多面族は極端に覇気に乏しい種族で、勢力を拡大させようという意欲が完全に欠如していた。結果次第に人口が減少し、自然消滅したらしいのだがーー」

 多面族と人間が共存していた期間は僅か二百年たらず。互いの居住地域が離れていたこともあり、両種族は交流どころか接触も皆無に等しかった。更に多面族の遺跡や遺物は何一つ発見されていない。故に彼らに関することは、不明な点がまだまだ多い。ノーラムの蔵書にある多面族について記した本も、その内容の大部分は赤子を託した多面族が語った話がもとになっているのだ。 

「リムド。知識は文字にし、後世に伝えるべきものなのだ。我が先祖も多面族の赤子をその腕に抱いた時、決心した。滅び行くこの種族について書に纏めようと。そしてこのことがきっかけで知識を集め、残し、人々のために役立てる道を選んだ。かくしてその先祖は、最初の賢者となったのだ」

 先祖が賢者となった経緯を聞き、リムドは真の理由を理解した。何故代々の賢者が書物を必死になって守ろうとしたかを。一度失われれば、知識は容易には取り戻せない。この貴重な蔵書を守り、子孫へ受け継がせることが自分の最大の使命なのだ。

 だがその一方で、恐るべき脅威が迫ってきている。この先十年以内に起こるであろう世界規模の凶事だ。まずはこの危機を乗り越え、生き残らねばならない。リムドがノーラムの跡を継ぎ、賢者となるためには。

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