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カグラの四つの顔  作者: 工藤 湧
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第3話 忌み子

 今から七年前のあの日。そう、ようやく厳しい残暑が終わり、心地よい秋風が駆け抜けるようになった、十月上旬のことだった。当時十歳だったリムドは大伯父の許で暮らすため、必要最低限の荷物を持って生家を去ることにした。両親や祖母との楽しい思い出が詰まった場所。だが、ここに留まることは許されない。後ろ髪引かれるような思いで、リムドは家を後にした。

 家を出てすぐに、リムドは世話になった近所の住民や、仲の良かった友人へ別れを告げに行った。もう暫く王都へ戻ってくることはないのだから。名残を惜しみつつ一通りの挨拶を済ませると、リムドは大伯父に言った。

「僕はこれから大伯父さんの所へ行くんですよね。それで大伯父さんの家は、オルドーにあるんですか?」

「そう。西部の辺境地帯だ。だがお前を我が家に連れて帰る前に、儂はある人物に会わねばならん」

「ある人物……? 大伯父さんは王都に知り合いがいるんですか?」

「知り合いではない。儂もその人物には初めて会うことになる。しかしその人は、お前の恩人でもあるのだ」

 恩人と言われても、リムドには全く心当たりがない。首をひねるリムドに大伯父は説明した。大伯父がリムドの身の上を知ったのは、つい数日前のことだったという。実の妹である祖母ですら、長らく連絡を取っていなかった大伯父が、如何にしてその事を知ったのか。実は意外な人物の助力があったのである。

 リムドは知る由もなかったが、祖母は生前ある女魔術師と親交があった。この女魔術師、リムドが孤児になったとの噂を耳にした時、祖母の兄がオルドーにいることを思い出した。そこで手紙をしたため、使い魔にオルドーまで運ばせたのだ。

「儂もサーヤに孫がいることは聞いていたが、いきなり見ず知らずの人物から、お前の事情を知らせる手紙が来た時は、さすがに驚いた。だがな……」

 大伯父は己の後継者のことで頭を悩ませており、この知らせは渡りに船。すぐにリムドを引き取る決心をした。リムドの祖母・サーヤは、幼い頃から自宅の書庫に入り浸るほどの本の虫。その熱心さは大伯父も舌を巻くほどで、若い頃は二人で競うように本を読んだものだ。その妹の孫であれば、安心して先祖伝来の書物を任せられるに違いないと、大伯父は考えたのである。

 そのような訳で、大伯父は礼を述べるためその女魔術師の許を訪ねようとしていた。もし彼女が大伯父に手紙を送らなかったら、どうなっていたことか。これは自分からも、しっかり感謝の気持ちを伝えなけれならない。そうリムドは思わずにはいられなかった。

 王都南部地区、南門に程近い一軒の店の前で、大伯父は足を止めた。軒下には「アトラ魔送 転送の御用は当店に」と書かれた看板がぶら下がっている。この看板さえなければ、気付かず素通りしてしまいそうな、本当に小さな店だった。

「ほう、アトラさんは転送屋だったとは。これは好都合だな」

 大伯父が微笑みながら中へ入ると、チリンとドアベルが鳴った。店内は薄暗くて狭く、ドアのすぐ前までカウンターが迫ってきている。そのカウンターの向こう側、年期の入った揺り椅子の上に誰かいた。膝の上に黒猫を乗せた、品の良さそうな老婆だ。

「いらっしゃい。おや、あんたはリムドだね。と、いうことはそっちの人が、サーヤの兄さんである賢者のノーラムさんかい」

 この老婆こそ店の主、転送魔術師のアトラだった。顔に刻まれた皺の数からしてかなりの高齢、七十は越えているように見える。しかし背筋はぴんと張り、滑舌もよくて眼光も鋭い。かくしゃくとした、まだまだ現役の魔術師だ。

 年を感じさせぬ物腰で、アトラは揺り椅子から立ち上がった。黒猫ーー使い魔がひらりとカウンターの上に飛び乗る。その使い魔の頭を撫でながら、アトラは嬉しそうに話しかけてきた。

「ノーラムさん、あんたのことは色々と聞いているよ。オルドーじゃかなり有名な賢者らしいけど、トゥーラムでも評判はなかなか良かったとか」

「冷やかされては困る。儂はトゥーラムではさっぱりだったはずだ」

 大伯父ーーノーラムは苦笑した。そのノーラムは当時六十五歳。オルドー在住の賢者だ。そもそも賢者の仕事というのは、その豊富な知識を用いて人々の悩みや問題などの相談に乗り、助言して解決に導くこと。早い話アドバイザーである。

 ノーラムの家は二千年続いた賢者の家系。ヨマーン王国建国以来、ノーラムがオルドーへ移るまで代々トゥーラムで相談所を営んでいた。もっともそれ以前、王国が起こる遙か昔より、トゥーラム周辺に居を構えていたのだが。

 このように歴史ある家柄ではあるが、如何せん各代の家長が出世欲に乏しく、商売相手はもっぱら庶民。ノーラムもトゥーラムにいた頃は、その例に漏れず活動は地味で目立たなかった。故に上流階級へその名が知られることはなく、領主のお抱え賢者とまではいかなかった。

 ところがオルドーへ来てからは状況が変わった。同業者ライバルひしめく激戦地・都市部とは異なり、辺境には優秀な賢者が少ない。ノーラムは貴重なアドバイザーとして、オルドーの人々から頼られる存在となった。領主のダルメス男爵ですらも、何かしらの重要な案件が発生すると、ノーラムに相談に乗ってもらっているという。

 そんな挨拶代わりの話が終わると、ノーラムはリムドを前へ出してにこやかにアトラに言った。

「さて、今日儂がこうしてやってきたのは、あなたに礼を述べるためだ。あなたのおかげで儂はこのようなよき後継者を得ることが出来た。心より感謝する」

「僕もです、アトラさん。必ず立派な賢者になってみせます。有り難う御座いました」

 リムドもノーラムの後に続き、精一杯思いを伝えた。二人の言葉にアトラは少し照れくさそうに、されど心底喜んでいるかのように目を細めた。

「ところでアトラさん、話は変わるが」

 ノーラムは一歩前へ出ると、懐から金袋を出してカウンターに置いた。

「儂は家に幼い孫娘を一人で残してきている。急いで帰宅せねばならん。これでオルドーのシュリフまで我々を転送してはもらえぬか」

「シュリフかい。そんなに遠い所じゃないね。人二人なら金貨四枚ってところだけど、あんた達は友人の身内だ。三枚にまけておくよ」

 先程までの笑顔から一変、アトラは商売人らしい締まった顔付きとなった。その変貌ぶりとあまりに高額な料金に、リムドはどきりとしたが、アトラは転送屋なのだ。魔法を使い、人や物資を離れた場所へ送り届けるのが仕事である。

 オルドーは王都から西へ六百マール(三百キロ)ほど行った、国境沿いの地方だ。その馬で行っても五、六日かかる所まで、転送屋は一瞬のうちに運んでしまう。もっとも早くて楽な分、料金は馬鹿にならない。転送先までの距離と運ぶ物の大きさや数によって異なるものの、一回の転送でステイア金貨十枚を請求されることはざらである。金貨十枚と言えば子牛一頭とほぼ同額だから驚きだ。

 ただ、転送屋もの魔法も万能ではなく、実のところ大きな欠点がある。転送先をピンポイントに指定出来ず、ある程度大きな集落の門前にしか送れないのだ。ノーラムも本当なら自宅玄関前へ送ってもらいたいところだが、それは無理というもの。そこで自宅の最寄り町・シュリフを指定したのである。

 実は転送魔法とは、遠く離れた場所へと通じる異空間の道ーー異街道を用いて人や物を運ぶ術に他ならない。異街道への出入口は魔術でしか開閉出来ないので、転送屋は魔術師が務めるのだ。

 勿論、異街道が通じていない場所への転送は不可。しかも異街道は国の隅々まで張り巡らされているわけではない。その維持管理には莫大な費用と手間がかかるので、利用頻度が低い過疎地へは通じていない。転送先が「ある一定以上の規模の集落」に限定されるのもこのためだ。また異街道は、各国の魔術師ギルドが独自に管理していること、そして何よりも密入国者を防ぐ意味合いからも、一部例外を除き越境して伸ばすことは出来ない。

 シュリフはオルドーの中央部に位置するこの地方最大の町で、王都とも異街道で繋がっていた。実はノーラムは王都へやってくる際、シュリフの転送屋に依頼して運んでもらったのだ。

 料金を受け取ると、アトラはノーラムとリムドを王都の南門の外へ連れ出し、門の横に埋まっている赤い円形の石の上に立たせた。一般人には見えないが、ここに異街道の出入口があるのだという。ノーラムもシュリフから来た時、やはりこの石の上に出てきたそうだ。

「それじゃ行くよ」

 アトラが何やらぶつぶつと呪文を唱え始めた。すると急に闇に飲み込まれたかのように、石の周辺が真っ暗になった。異街道へ入ったのだ。初めて通る異街道。それはリムドにとって不思議な体験だった。幾すじもの虹色の光線が飛び交う漆黒の空間を、立ったままの状態で駆け抜けて行くのだ。

 しかしそんな「旅」もほんの十数秒で終わった。闇の先に一点の光が見えたかと思うと、それが一気に広がりーー次の瞬間、見知らぬ町の門前にいた。シュリフに到着したのだ。あまりに突然なことに、リムドは夢から覚めたようにぼんやりと佇んでいた。ところがノーラムはさっさと町の中へ入って行く。リムドは慌てて後を追った。

 地方最大の町と言っても、そこは辺境。シュリフは人口も千人に満たない、のどかな田舎町だ。目抜き通りさえも、市が立たない日は人通りもまばら。時折薪を積んだ荷車がゴトゴトと音を立て、のんびり道を横切って行く。日々時間に追われ、慌ただしく暮らす王都とは異なり、何となく時がゆっくり流れているようにすら感じられた。

 王都で生まれ育ったリムドには、そんな緩やかな田舎の風景が珍しく、新鮮に見えた。が、急いで帰宅したかったノーラムは、リムドに町を見物させる間など与えなかった。足早に町中を歩いて行き、馴染みの雑貨屋へやってきた。ここに自分の馬を預けていたのだ。

 馬に跨がると、ノーラムはリムドを自分の後ろへ乗せ、シュリフを出て北へ向かった。荷馬車一台がやっと通れるような草地の道を、半時間ほど進んだ後、二人はラシルという小さな農村へ出た。ここがノーラムの住む村だった。

 ラシルはまさに辺境の村と呼ぶに相応しい、寂しげな所だった。あるのは小麦畑と放牧地ばかりで、たまに農作業をしている住民の姿を見かける程度。所々に建つ民家は、荒ら屋と見紛うような尾些末な代物なだった。こんなうらぶれた寒村に何故ノーラムは越してきたのかと、リムドは不思議でならなかった。

 やがて村の西の外れ、雑木林の手前に建つ家の前で、ノーラムは手綱を引いた。ようやく自宅に到着したのだ。賢者の家だけあって村の民家より敷地は広かったが、造りは大差なかった。敷地には馬小屋と居住家屋が二棟あり、一つは板屋根の母屋。そしてもう一つは赤い瓦屋根の書庫兼ノーラムの執務室だ。大事な書物を保管する場所は、雨漏りしにくい頑丈な屋根にしているようだ。もっとも瓦屋根は、都市部ではごく普通の庶民の家に使われていたが。

 門をくぐるとノーラムは母屋ではなく、書庫へリムドを通した。一歩室内へ入るや、リムドは目を見張り息をのんだ。そこには十台程の書棚が壁一面に設置され、古今東西様々な本がぎっしりと詰まっていたからだ。その数は凡そ五百といったところか。王立図書館には到底叶わないものの、個人の蔵書としては王国内でも屈指の量だろう。

 リムドも祖母から話には聞いていたが、ここまでだったとは予想だにしていなかった。この本を全て読むことが出来たら、どれほど幸せだろう。そしてどれほどの量の知識が得られるのだろうか。そう思うだけでリムドはわくわくしてきた。

「これが我が家に代々伝わる財産だ。購入したり譲り受けたりするなどして、手に入れた物も無論ある。だが大部分は、家長たる歴代の賢者が自身が得た知識や見聞したことを書に纏め、残した物だ。儂が死ねばこれは全てお前の物になる。そしてお前が記した書も含め、次の世代に引き継がせるのだ」

 誇らしげに胸を張る大伯父を見つつも、リムドは疑問に感じた。ノーラムはトゥーラムからここオルドーへ遠路遙々移り住んでいる。先祖から受け継がれた大事な遺産を、一冊残らず持ってこなければならず、それは大変な作業だったはずだ。

 リムドがそのことを何気に尋ねると、ノーラムはじっと少年の目を覗き込んだ。

「お前はなかなか聡いな。その通り。これを全部持ってトゥーラムから越してくるのは、酷く骨が折れる作業だった」

 本を馬車で運ぼうにも、全て積めるわけではない。複数回往復する羽目となったが、ノーラムはその手間暇を決して惜しまなかった。転送で運ぼうにも、魔術師は信用出来ない。ノーラムの貴重な蔵書は、知識を渇望する魔術師にとって宝の山。運ぶ過程で盗まれてしまう恐れがあったのである。

「その様なわけで、引っ越しには一月以上かかった。だが、そうでもしてトゥーラムを離れねばならぬ理由があったのだ」

「その理由って、何なんです?」

「そのことを話す前に、一つお前に重大な事実を伝えねばならぬ」

 一大決心をするかのように、今まで穏やかだったノーラムに顔つきが、一気に険しくなった。

「いいか。これは家長とその後継者にしか知ることを許されない、我が家の極秘事項だ。無論サーヤも知らなかった。この秘密を決して他言せず、守り通すことが儂の後継者になる条件でもある。誓えるか」

 祖母ですら知らない、大伯父の家の秘密。それは間違いなく重要なことだ。大叔父の真剣な表情がそれを物語っている。リムドは暫し沈黙したが、意を決して答えた。

「はい。誓います。絶対に人には教えません」

 その言葉を聞き、ノーラムはほっと肩の力を抜いた。

「そうか。その決意に偽りはなさそうだな。それはお前の目を見ればわかる。では話すとしよう。こちらへ来い」

 ノーラムはリムドと共に書庫を出て、隣室の執務室へ入った。執務机の椅子に座すと、自分の正面にリムドを座らせてに徐に語り出した。

「お前も知っての通り、我が家は大いなるこの世界の創造主・ベルメール神が、人間を創造して幾世代も重ねぬ古より、脈々と続く賢者の家柄だ。だが我が血筋には数百年に一度、ある特殊な能力を持った子供が生まれることがある」

「特殊な能力を持った子供……?」

「そうだ。そのことについて、我が家には古くからある言い伝えがある。その子が生まれると、二十年以内に世界規模の凶事が起こる……とな」

 大伯父の言葉にリムドは唖然とするばかりだった。賢者の一子と世界規模の凶事。あまりに突拍子がない話で、関係性がまるで見えてこないのだ。が、混乱するリムドに構うことなく、ノーラムは話し続けた。

 ノーラム曰く、過去二千年の間に凶兆の権現たる子供ーー「忌み子」が生まれたのは計四回。一番最近の例では三百年ほど前のことだそうだ。その時は忌み子が七歳の時に、全世界で大旱魃かんばつが起きた。初夏のある日を境に雨が一滴も降らなくなり、一月も経たぬうちに川や湖は全て干上がった。農作物は勿論、草木も殆どが枯れ果て、飢えと乾きで多くの人や野の生き物が死んだ。干からびた死体が至る所に転がり、全世界が地獄絵図と化したという。そして半年後、その子が死ぬと程なくして恵みの雨が大地を潤したのだ。

「でもそれって単なる偶然じゃ……」

 リムドは思わず呟いたが、ノーラムは首を横に振った。

「いや、偶然ではない。過去四回、全てに渡って大災害が起きている。冷害であったり流行病であったりと、その時々によって異なるがな。起きた時期も早くはその子が五歳、遅くは十二歳とこれもまちまち。だがその子が死ねば終息するという点はどれも共通しておる」

 確かに、とリムドは思った。四回全てが同じような経過をたどったのであれば、偶然とは考えにくい。言い伝え通りともなれば尚更だ。

「リムド、これでわかったであろう。このことを極秘にしなければならない理由が」

 理由を察し、無言で頷くリムド。ノーラムの声が重々しさを増す。

「もしこのことが露呈すれば、我が一族は災いを招く血筋として根絶やしにされてしまう。無論お前もお前の血を引く者もだ。そしてあの貴重な書物を守ることも叶わなくなる。それは何としても避けねばならん」

「根絶やしなんて……。そんな恐ろしいことが……」

「嘘でも脅しでもない。実際、その様なことが本当に起こりかけたのだ」

 ノーラムはそう言って執務机の引き出しから、一冊の本を取り出した。赤い革張りの本の厚みは、指一本分くらいで蔵書の中では薄い方だ。保存の魔法がかけられているので痛みは目立たず、少ししみが着いている程度だが、かなりの年代物であろうことは想像がついた。

「この本にその時のことが記されている。今から千六百年ほど前のこと、最初の忌み子が生まれた時のことだ」

 当時、ノーラムの先祖は最北の大陸・バルダス大陸の西岸に位置する古代国家・アリアン王国に住んでいた。王国は小さいながらも隣国と上手く付き合い、そこそこ繁栄していおり、国内は平和だった。

 ところがそんな最中、賢者の家に妙な能力を持った子供が生まれた。先祖からの言い伝えを思い出した当時の家長は、国王に近い将来大きな災いが起こると警告した。その様な突飛な話を国王は端から信じなかったがーー

「その子が八歳になった時に疫病が発生し、瞬く間に国中に広がっておびただしい数の死者が出たのだ。流行はアリアン国内に留まらず、国境を越えて次々に飛び火し、ついには四つの大陸に蔓延した……」

 疫病の最初の流行国であるアリアン王国は、周辺各国から国交を断絶され、孤立。疫病の猛威もあって国は急速に衰え、王国も人々の心も荒廃した。国王は災いの原因は忌み子にあると激怒し、一族もろとも抹殺しようとした。家長は国王の魔手が迫る前に家族を連れ、国を脱出。密かに隣国の港から難民船に乗り込み、疫病が発生していない唯一の大陸・ステイアへ逃げ延びたのである。

 この時の苦い体験が骨身にしみたのだろう。家長は記憶が薄れぬうちに一連の経緯を本にして残した。本の完成後間もなくしてその子が死亡し、同時に疫病の流行は下火となって終息へ向かうこととなった。

 以来、ノーラムの家では再び迫害を受けぬよう、忌み子の秘密を死守するようになった。千六百年前の騒動で、当時の家長は大切な蔵書の殆どを手放す羽目となった。命に関わる非常時に、呑気に本など持って逃げられるはずもない。どうしても手元に残したい貴重な本数冊のみしか、持ち出せなかったのだ。

「……よくわかりました。口が裂けても話しません。でもーー」

 話を聞き終えたリムドは、視線を下へ向けたまま尋ねた。

「忌み子が生まれるから災いが起こるのか、災いが起こるから忌み子が生まれるのか、どっちなんでしょうか?」

「正直なところ、儂もそれはわからぬ。我らとしては後者であると思いたいが、他者はそうは思わぬ。世界的凶事の元凶は忌み子にあると考え、事態を収拾せんとその子を殺そうとするであろう。また、これ以上の災いを起こさぬよう、我が一族の抹殺も画策するに違いない。千六百年前と同様にな」

 もし凶事の最中にその子が殺されていれば、はっきりしたはずだ。その直後に凶事が収まるか否かで。しかし過去四回全て忌み子は殺害されることなく、家族の目の前で突然死している。つい一時間前まで普段通りに生活していたその子が、何の前触れもなくぱたっと倒れ、息絶えてしまったという。まるで「役割」を終えたかの如く。

「とにかく、このことは心にしっかりと刻んでおくのだぞ。さてーー」

 本を引き出しへ戻すと、ノーラムは肩の力を抜いた。

「今まで儂が話したことは全て真実だが、一つだけ訂正すべき所がある。先程三百年前が一番近い例……と言ったが、実はこの忌み子が最近生まれた。我が孫娘だ」

 大伯父の言葉に完全に意表を突かれ、リムドは危うく大声を上げそうになったが、寸でのところで口を押さえた。

「大伯父さんの孫が? 本当ですか?」

「そうだ。お前にとっては又従姉妹はとこに当たる。名はカグラという。年はお前より一つ下、九歳だ」

 自分の又従姉妹が問題の子供だったとは。しかし今のところ、世界は至って平穏だ。ノーラムが言うような世界的な凶事ーー天変地異らしきものは何一つ発生しておらず、気配すら感じられない。他国では何らかの異常現象が起こったかもしれないが、ヨマーン王国に限って言えば何事もない。それどころか今年は数十年来の大豊作だと聞いていた。

 とは言え、油断は禁物だ。問題の忌み子ーーカグラはまだ九歳。凶事が起こるとされる期間は後十年以上残っている。

 リムドは大伯父が自分と初めて面した時、どうして孫娘は長生き出来そうにない……などと漏らしたのか、その意味を知った。一度凶事が起これば、カグラの命も残り僅かとなるからだ。だがリムドは、敢えてそのことをノーラムに確認しようとは思わなかった。大伯父の心情を考えると、とても出来なかったのである。そこで別の疑問をぶつけてみることにした。 

「……ってことは、特殊能力を……。で、カグラの特殊能力って、何ですか?」

「それは口で説明するよりも、実際にその目で確かめた方が早かろう。少し待て」

 ノーラムは執務室を出て母屋へ向かうと、リムドと同年代の黒髪の少女を連れて戻ってきた。見た目も服装同様ぱっとしない地味な田舎の子供で、都市育ちで垢抜けたリムドとは明らかに異なるタイプだ。ノーラムは少女を執務机の脇に立たせ、自分は席に着くと改めてリムドの方を向いた。

「この子が我が孫娘・カグラだ」

 リムドはよろしくと挨拶したものの、少女ーーカグラはふーんと一声、かったるそうに呟いただけだった。この場に立っているのが酷く億劫であるかのように、その眠たげな目をリムドへ向けて。

 何とも無気力な娘ーーそれがカグラに対する、リムドの第一印象だった。未だ九歳だというのに生きるのに疲れた老人の如く、生気がない。これから同じ屋根の下で暮らす自分に対し、関心すら示そうとしないのだ。仲良くしたいのか、それとも気に入らないのか……そんな子供らしい感情すらカグラからは窺えない。

 それにノーラムの孫とは言っても、カグラは顔形も雰囲気も全然似ていなかった。それどころかリムドには、この娘が異世界人ではないかとさえ思えた。具体的にどうなのか、口では上手く表現出来ないが、何となく毛色が違うと。それ程異質な感じがする子供だったのだ。

 まだ夜には少し間があったが、ノーラムは部屋のカーテンを閉め、カンテラの明かりを灯した。

「では、この子の能力を見せてやろう。カグラ、『あの子』達を順次出しなさい」

 うん、とカグラが気の抜けた返事をした直後、その体が蜃気楼のように揺らめきだした。カンテラの明かりが照らす中、輪郭がぼやけ、どんどん姿が不鮮明になっていく。やがてカグラの体は完全に揺らめきの中に消え、その場に何がいるのかさえわからなくなった。

 リムドは思った。これは姿を消す「透明」の魔法ではないかと。しかしその考えは、すぐさま頭の中から消し飛んだ。何と揺らめきの中から人影が現れ始めたのだ。しかも明らかにカグラとは別人物の。

 不思議な現象が始まって三十秒ほどが経過した頃。揺らめきが消え、カグラがいた場所には赤毛の娘が立っていた。カグラよりもずっと背が高く、年齢も二つ三つ歳上に見える、いかにも気の強そうな子供だった。

 一体何が起こったのか、リムドは理解出来ずにぽかんと口を開けたまま。赤毛の娘はそんなリムドを一瞥すると、ノーラムにくってかかった。

「何だい祖父ちゃん、この貧相なやせっぽちは! 全然役に立ちそうにないじゃない。いくら親戚だって、こんな奴と一緒に暮らすのなんてまっぴらだよ! 早く追い出してくれよ!」

「グレン! この子を侮辱することは許さぬぞ! 黙れ!」

 火のようなノーラムの叱咤の声に、赤毛の娘ーーグレンは口をつぐんだ。それでもまだリムドを睨みつけ、「不満」の二文字を全身から猛烈な勢いで放っている。

「すまん。この子は我が儘なうえに、気性も激しくてな」

 しかしノーラムの謝罪の言葉も、当のリムドの耳には全く入っていなかった。いや、グレンの罵声すらも。驚きを通り越し、リムドの頭の中は真っ白になってしまったのだ。

「大丈夫か、リムド」

 ノーラムに軽く頬をはたかれて、リムドはやっと我に返った。

「あのー、この子は……」

「かなりショックだったようだな。だが驚くのは早い。『サブ』はまだいるのだ。カグラ、もういい。グレンを戻しなさい。次だ」

「もうお終いなのかい! 面白くないね、全く!」

 グレンが舌を打つと、その姿がぼやけ始めた。先程のカグラと同様に体が揺らめきだしたのだ。そしてグレンの姿が消えると、今度はカグラが出現した。

 ところが間髪おかずに、またしてもカグラの姿は揺らめきに飲み込まれた。カグラが消え、またしても別の人物が現れようとしている。リムドははっと身構えた。今度は一体誰が出て来るのかと。

 だが意外にも現れたのは、華奢で背の高い銀髪の少年だった。やや大人びた感じはするが、見るからに人懐っこそうだ。 

「君がリムドかい。僕はファシド。よろしく」

 満面の笑みを浮かべながら、少年ーーファシドはリムドの手を取った。グレンとは正反対の、極めて友好的な態度だ。もっともリムドはきょとんとするばかりで、言葉すら返せなかったが。

「この子はおっとりして人はいい。お前とも上手くやっていけるだろう。さて、最後はーー」

 ノーラムに促され、ファシドが小さく頷くと、またしても姿がぼやけてきた。ファシドが消え、カグラが現れてまたぼやけ……。次に出てきたのは茶髪の少年だった。一癖も二癖もありそうな、悪戯坊主といった感じの。カグラを含めた三人よりも小柄で幼く見えたが、はしこそうだ。少年はリムドを見ると、へへっと嬉しそうに笑った。

「お、何か知らねえけど、面白そうな奴だな。からかいがいがありそうだぜ」

「アギ。からかうのは程々にしておくのだぞ。この子は儂の後継者だ」

「あいよおじい。せいぜい布団の中に鬼蜘蛛おにぐもを放り込む位にしておいてやるからよ」

 にっと白い歯を見せると、アギと呼ばれた少年は蜃気楼の中に消え、三度みたびカグラが姿を見せた。

 目まぐるしく現れては消えていく子供達。リムドは完全に混乱し、頭がくらくらしてきた。二、三分経ってようやくリムドは落ち着きを取り戻し、改めてノーラムと向き合った。

「それで一体、何が起こったんですか?」

「誤解がないように言っておくが、カグラがあの三人の子供達に化けたわけではない。カグラの中にあの子達が隠れているのだ」

「え?」

「カグラは自由にあの子達と入れ替わることが出来るのだ。詳しいことは後で話す。それからもう一つーー」

 ノーラムが目で合図をすると、カグラは部屋の片隅に視線を向けた。するとそこに置いてあった椅子が一脚、手も触れていないのにふわりと浮かび上がり、室内をぐるぐると回り始めたではないか。

「祖父ちゃん、疲れた。もういい?」

 カグラがリムドの前で初めてはっきりと声を発した。何とも歯切れの悪い、もたもたした口調で。

「ああ、いい。椅子を戻しなさい」

 ノーラムがそう言った直後、椅子は元の位置へ戻った。椅子を動かしていたのはカグラだったのだ。つまりーー 

「見ての通り、カグラは魔力を持っている。しかも生まれついての魔力持ちだ。これがこの子のが持つ、もう一つの特殊能力だ」

 これが噂に聞く「魔道人まどうびと」か……とリムドは思った。人が魔法を使う場合、呪文を唱えるのが一般的だ。これは「詠唱魔法」と呼ばれ、呪文によって神や自然界に宿る魔力を引き出し、利用して超常現象を起こすものである。

 詠唱魔法はある程度素質に恵まれれば、鍛錬によって会得することが可能だ。具体的な会得方法は主に二つ。優れた師に弟子入りして修行するか、魔術学校で学ぶかである。こうして術を身に付け、はれて一人前と認められた者は「魔術師」と呼ばれるようになる。

 それに対し、魔力持ちは己の魔力を糧に魔法を使うので、面倒な呪文の詠唱も不要だし、厳しい修行を積む必要もない。身に付けなければならないは、魔力のコントロール法のみだ。しかも「無詠唱魔法」のため、即座に術を発動させることが出来る。また沈黙の魔法によって術を封印される恐れもない。

 とは言え、魔力持ちの人間は少ない。カグラのような先天的な魔力持ち、即ち「魔道人」は特に希少だ。魔力持ちの大多数は、他者から授かるなどして、後天的に魔力を持つようになった者なのである。この「魔道人もどき」と呼ばれる者達は、魔道人よりも魔力が劣っていることが多く、格下として扱われる。

 魔道人と魔道人もどき、この両者の明確な違いは他にもある。魔道人もどきの魔力は一代限りだが、魔道人の魔力は遺伝する。つまり、魔力を子孫に伝えることが出来るのだ。このような家系「魔道家」は、全世界でも数家に限られているうえに、その全てが王族や名だたる貴族などの上位支配層の家柄だ。

 ただ、ヨマーン王国には魔道家は存在しない。よってカグラの父方母方のどちらも、その血を引いている可能性もほぼゼロだ。にもかかわらず、カグラが魔道人とはどういうことなのか。先程見せた他の子供達と入れ替わる能力と関係があるのか……。

「大伯父さん、カグラはどうしてこんな力を……」

「それはな……この子が多面族ためんぞくの先祖返りだからだ」

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