第2話 リムドとカグラ
遙かなる昔、この世界はどろどろとした混沌の汚泥が渦巻く、暗黒の空間に過ぎなかった。幾億年もの歳月が流れた後、その漆黒の闇を切り裂き、異世界より唯一絶対の神・ベルメールが現れた。
ベルメールはこの世界に自らが治める楽園を作り出そうと考え、大いなる神の力をふるった。まず最初に月と太陽を呼び、世界に光をもたらした。次いで汚泥を澄んだ部分と淀んだ部分とに分け、前者を天、後者を地とした。更に吐息を雲と化して天を覆い、滝のような雨を降らせた。七日七晩降り続いたその雨は地に海と五つの大陸、そして無数の島々を生み出した。
こうしてこの世界ーーヴィルダストリアは誕生した。ベルメールは最後の仕上げとして、ヴィルダストリアを比類無き美しい世界にすべく、その地を彩る生命を次々に創造した。木や草といった植物、鳥や魚、竜といった動物。そして一番最後に自分を模した生き物ーー人間を創った……。
六月になって三日目のこの日。未だ夏は始まったばかりだというのに、ヨマーン王国の王都・アレフトへ注がれる日差しは、日に日に勢いを増していた。
この世界・ヴィルダストリアには、大小五つの大陸が存在する。アリム、サーラン、ステイア、バルダス、そしてクエンザー。ヨマーン王国はこの中で最も小さく、最も南に位置するステイア大陸の北東部にあった。
最南部の大陸ということもあり、ステイア大陸は他の四つの大陸に比べ、気候は至って温暖だ。北部のヨマーン王国ですら、高山地帯を除けば真冬でも雪は降らず、氷も張らない。服をきっちり着込みさえすれば、冬の夜空の下でも凍死するようなことはまずなかった。
だが冬が暖かい分、夏の暑さは厳しい。ヨマーン王国の人々が一年の中で最も過酷と感じる季節が、夏なのだ。裕福な者は高地の避暑地で過ごすことも出来ようが、庶民はそうも行かない。知恵を使いあれこれと工夫しながら、どうにか辛い季節を乗り切るしかなかった。
王都アレフトは北の海岸線からおよそ二百マール(百キロ)ほど内陸へ入った所にあり、涼しい海風は届かない。それどころか頑丈な城壁に囲まれた町中は、風通しが悪くてひたすら蒸し暑い。幸い王都のすぐ北に大河ロレーヌ川が流れているので、川辺で涼をとったり、泳いだりすることは出来た。夏場の川は人々の憩いの場となっていたのである。
さてーーそのような憂鬱な季節が差し迫ったこの時期でも、王都の活気は少しも損なわれることはなかった。この町に住まう人はおよそ四万。目抜き通りや繁華街、市場には人が溢れ、多くの馬車や荷車が行き交う。ロレーヌ川の船着き場には国内外から頻繁に交易船が到着し、数々の珍しい物資をおろす。建国から百二十年、王国はまさに繁栄の絶頂にあった。
そんな賑やかな王都の目抜き通りから、一本奥へ入った五番街沿いに「足長亭」という宿屋があった。人通りもまばらな裏通りにたつ、青い屋根の殺風景な石造りの二階建。地味な場所と見た目からもわかるように、足長亭は富裕層向けの宿屋ではない。何処にでもある庶民が利用する安宿だ。ただ安宿とはいっても、見も知らぬ者同士が床で雑魚寝するような劣悪な環境下にはない。宿泊人数分のベッドを完備した個室が十数部屋ある、「まとも」な宿だった。
午後一時すぎ。足長亭の通りに面した二階の一室で、一人の少年がぼんやりと窓から眼下の光景を見下ろしていた。褐色の短髪に黒い瞳の、十代後半とおぼしき少年だ。背丈は高くもなければ低くもなく、この国の若者の標準くらい。だが肩幅は狭く、体つきはやや細めで、明らかに肉体労働には不向きなタイプだ。面立ちはというと、利発そうには見えるものの、些か頼りなさそうな雰囲気が漂うーーそんな感じだった。身に纏う旅装束はあちこちがすり切れ、痛みも目立つ。明らかに観光客などではない。長旅の途中でこの宿へよったのだ。
少年が見詰める先には、数人の町の子供の姿があった。通りを無邪気に走り回り、きゃっきゃと楽しそうに声を上げながら戯れている。
「そう言えば子供の頃、この辺でよく遊んだよな……」
かつての自分を子供達に重ね合わせ、少年は窓枠に頬杖をついた。今はわけあって別の場所に住んでいるが、彼はこの王都の住民だったのだ。そう、七年前までは。
十七年前、少年は王都の東部地区にある、ごく普通の庶民の家庭で生まれた。兄弟はいなかったので、両親との三人暮らし。以前は父方の祖母も同居していたが、少年が六歳の時に他界していた。
当時の少年の一日は朝、市民学校へ通うことから始まった。授業は午前中でお終いなので、午後は日が暮れるまで町の中で友達と遊ぶ。もっとも遊んでばかりいては親に叱られるので、時々家の手伝いもしなければならなかったが。
決して裕福ではないものの、平穏で幸せだった日々。だがそれは少年が十歳の時、突如終わりを迎えた。仕事から戻った父親が突然胸をかきむしり、医師を呼ぶ間もなく息絶えてしまったのだ。一家の大黒柱を失い、その心労がたたったのだろう。半年後には母親までもが数日寝込んだだけで、後を追うように逝ってしまった。
一人残された少年は、厳しい現実と向き合わなければならなかった。両親がいなくなった悲しみも癒えぬまま、自分の身の振り方を考えざるを得なくなったのだ。更に追い打ちをかけるように、家主は家賃を払えない少年に対し、一月以内に家を出て行くよう宣告した。頼れる親族や知り合いは王都にはおらず、浮浪児になるのはもはや時間の問題だった。
この最悪の事態を回避する手だてはあるにはあったが、その選択肢は限られていた。住み込み弟子となって職人修行するか。金持ちの家に奉公人として入るか。それとも孤児院に行くか……ぐらいしか。しかし、少年はこれらのいずれも嫌でたまらなかった。好奇心旺盛な彼は、もっと学びたかったのだ。今通っている学校は読み書きや簡単な計算法など、町で生活するために必要な最低限のことしか教えてくれない。王立大学まで行き、高度な知識を身につけたい。そしてその力を使い、人の役に立つ仕事に就きたい……と夢膨らませていたのである。
父親もそんな息子の夢を理解していた。博学だった祖母の影響もあって、学ぶことの大切さを知っていたのだ。しかし息子の望みを叶えようと無理をして働き、結果体を壊してしまった。父親のためにも、何より思いを遂げるためにも少年は学び続けたかった。だがことは少年の望むようには進展せず、生家を出る日は刻一刻と近付いていった。
ところが事態はある人物の登場で一変する。期限の日まで残りあと僅かとなったある日、一人の老人が少年の許を訪れたのだ。その老人は亡くなった祖母の兄に当たる人物、即ち少年の大伯父だった。
幼い頃、未だ元気だった祖母から、大伯父のことについて少年は聞いたことがあった。祖母の実家は古の時代から代々続く賢者の家柄で、今は大伯父が家長としてその座についていること。後継者である一人息子とその妻、そして孫娘の四人で暮らしていること……など。しかし今から五年前、大伯父の家族はどうしたことか当時住んでいたトゥーラムを離れ、西部の辺境へ引っ越してしまったのだ。まるで夜逃げでもするかのように慌ただしく。
その大伯父が何の前触れもなく少年の前に現れた。話に聞くだけで、今まで会ったこともない大伯父。祖母は常に笑顔が絶えない優しい人だったので、その兄だという人も同様ではないか。朗らかで温厚、だけど少し弱々しい感じのする、何処にでもいるお爺ちゃんでは……と少年は想像していた。
だがそれは見当違いも甚だしかった。少年の大伯父はイメージとは真逆、武人のような人物だったのだ。見上げるような大男で、がっちりといかつい肩。ベージュのローブの上からも、その体格の良さはよくわかった。さらに顔もごつごつして目つきもきつい。祖母の兄ということは、年は六十をとうに越えているはず。されど髪は地の黒髪に白髪が混じった銀色で、実年齢よりもずっと若く見えた。おまけに威厳たっぷりで、凄まじい威圧感を全身から放っていたのである。
その圧倒的な迫力に押され、少年は完全に固まってしまった。大伯父はそんな少年を品定めでもするかのようにじっくり眺めた後、厚い唇を動かし、こう言った。
「お前がサーヤの孫リムドか。なかなか賢そうな顔をしているな。筋も良さそうだ。ところでお前は学問が好きか?」
学問という言葉に少年は我に返った。大伯父は学問を極めた賢者。もしかしたら……そう期待を胸に膨らませた少年ーーリムドは背筋を伸ばし、はいと答えた。すると大伯父の眼に宿る光の威力が、幾分弱まった。
「そうか。お前は儂が賢者であることは知っているな。ならば儂の跡を継ぎ、賢者となる気はあるか?」
「大伯父さんは僕に勉強を教えてくれるんですか?」
「お前がそれを望み、儂の後継者となるのであればな」
「勿論です。もしそうなら、僕は喜んで大伯父さんの跡を継ぎます!」
リムドは目を輝かせ、声を大にして叫んだ。願ってもない申し出だ。祖母は言っていた。大伯父の家には先祖代々引き継がれた、膨大な量の知識が蓄えられていると。それを自分が受け継ぐことが出来たら、どれほど素晴らしいことか……。
だがふとリムドの頭の中に、素朴な疑問が生じた。親戚とはいえ初対面の年長者に、いきなり質問をぶつけるのは無礼かもしれない。が、ここははっきりさせておいた方がいいと、少年は意を決して大伯父の顔を見上げた。
「でも大伯父さんには、息子さんも孫もいるって祖母ちゃんから聞いたことがあります。それなのにどうして僕が大伯父さんの跡継ぎに……?」
又甥の意外な問いかけに不意を食らったのか、大伯父は驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を引き締めた。
「確かに。儂には息子が一人いて、嫁との間に孫娘も生まれた。だがな……息子と嫁は数年前に旅先で事故に遭い、死んだのだ」
「え……。それじゃ大伯父さんの家族は、今は孫の娘さんだけ……」
従兄弟小父夫婦の不幸のことをリムドは知らなかった。まずいことを訊いたかも知れない。リムドは後悔したが、まだ謎は完全に解けていなかった。賢者が男性である必要性はどこにもない。実際、歴史に名を残した女性賢者は多数存在する。孫娘が後継者になっても、何ら不都合は生じないはずである。それとも後継者になれない理由でもあるのか……。
この利発な少年が何をあれこれと考えているのか、察したのだろう。リムドが尋ねてくる前に大伯父は答えた。
「更に困ったことに、孫娘は学問にとんと興味を示さぬのだ。いくら儂が本を読むように諭しても、書庫に近付こうとすらしない。それにーー」
そこまで言うと大伯父は急に目を伏せた。
「あの子はどうも長生き出来そうにはないのでな……」
大伯父の寂しげな面持ちを思い出した次の瞬間、リムドの心は過去の記憶から現へと戻った。足長亭の門を旅人らしき人物が一人、のそのそと通過して行く。その人物にリムドは見覚えがあった。
「あ、来たのか!」
リムドはふーっと肩で大きく息をついた。実はリムドはこの人物と共に旅をしており、訳あって一時別々に行動していたのだ。そして今日、この宿で落ち合う約束していたのである。待っていた相手と無事合流でき、リムドはようやく安堵したというわけだ。
暫く経ってどったんばったんと階段を上る騒々しい音がして、問題の旅の連れがリムドがいる部屋に入ってきた。リムドと似たような、よれよれの旅装束姿の少女。年も同じくらいといった感じで、瞳は澄んだ湖のように青く輝いて美しかった。
が、女性として魅力的な箇所はそれだけ。肩に触れる程度の漆黒の髪は、櫛もろくに通していないのかぼさぼさでみすぼらしい。丸みを帯びたその顔にはまるでしまりがなく、お世辞にも賢そうには見えないし、勿論美人の端くれにも入らない。垢抜けたところは全く見られず、一目で田舎の娘とわかる人物だ。ただ田舎の出にしては華奢で、農作業に勤しんでいたとは思えなかったが。
少女は旅の途中であるはずだったが、何故か身一つの手ぶら。荷物らしい物、腰に下げる小袋すら持っていない。そんな身軽な格好にもかわらずかなり疲れた様子で、リムドの方へ二、三歩歩み寄っただけで足を止めた。
「カグラ! 例の件はどうなった?」
リムドは挨拶もそこそこに少女ーーカグラに開口一番尋ねた。されどカグラは無表情のままもそもそと懐へ手を突っ込んだ。
「無事完了。ほれ、これが報酬」
カグラは懐から拳ほどの袋を取り出し、リムドへ投げつけた。リムドは両手で袋を受け止めたが、おっと小さく叫んだ。予想していたよりも重く、手にずしりときたのだ。それもそのはず、袋の中には金貨がぎっしりと詰まっていたのである。
「本当にこれが例の件の報酬なのか? たかだか半日たらずの仕事にしては、やけに多いが」
「大丈夫。『あれ』が依頼者から報酬が幾らになるか聞き出すところを、私も聞いていたから。依頼者はちゃんと約束を守ってくれたわけ」
「そうか……。これだけの額をよこしたということは、グレンは仕事を上手くやってのけたんだな。そうなのかカグラーー」
と、リムドが訊こうとした時、カグラは靴も脱がずにベッドに身を投げ出し、ごろりと寝転がってしまった。
「詳しいことは後にしてよ。疲れたから、寝る」
「おい! お前はグレンが出ている間、何もしていないんだろう? 何で疲れるんだよ! おまけに自分の荷物を僕に押しつけていったくせに!」
リムドが文句を言っても、カグラは背を向けたままだ。それでもリムドが無言の圧力を加えていると、ようやく鬱陶しそうに言い返した。
「ここにたどり着くのにあちこち迷って、歩き回ったんだよ。あんたは王都生まれで土地勘があるからいいけど、私は王都に来るのは二度目なんだから。ここが何処にあるのか何てわからない。第一この宿の名前、忘れた」
「僕は昨日、トゥーラムでお前と別れる時に、五番街の足長亭だって何度も念を押して言っただろう? なのに忘れたのか?」
「別にいいじゃない、忘れたって。ファシドがちゃんと覚えていてくれたんだから」
「そういう問題か? 全くお前って奴は一から十までそんな調子で、何もかも人任せなんだから……」
ほとほと呆れ、リムドは深くため息をついた。もっともカグラのこのだらしなさは今に始まったことではなく、付き合いが長いリムドは慣れっこになっていた。気を取り直し、リムドはベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「カグラ。それでグレンは何をしたんだ?」
相手の機嫌を損ねぬよう、リムドは耳元でそっと囁いた。するとカグラは渋々体を返し、目を開けた。
「依頼者と馬車に乗って街道を逃げていたら、後ろから鞍無しの竜騎士が一騎、追いかけてきたんだよ」
「鞍無しの竜騎士が……? それは本当か?」
リムドは愕然とした。事前情報としてグレンが対決しなければならない相手が、竜騎士であることは知っていた。だがまさかそれが鞍無しだったとは、思っても見なかったのだ。
竜に騎乗した兵士ーーいわゆる「竜兵」は、騎乗する竜の種類によって三つに分けられる。翼竜に乗る「竜兵士」。飛竜に乗る「竜奇兵」。そして竜兵の中で最強と誉れ高く、最も恐れられているのが火竜に乗る「竜騎士」だ。
火竜は全長が三十六から四十ライゼ(十八から二十メートル)、翼長が四十から五十ライゼ(二十から二十五メートル)ほど。口には鋭い牙がびっしり並び、後頭部から二本の角が伸びている。長い首と尾、広々としたコウモリの翼を持つ。胴体はずんぐりとして重量感たっぷり。後足は太くて、この二本のみで体重を支えられるが、通常小さな前足も用い四本足で歩く。背面の鱗の色は様々なバリエーションがあり、単色だけではなく縞などの模様がある個体もいる。
火竜は魔力は持たないが、その名の通り口から灼熱の炎を吐く。人と同程度の知能を持ち、人の言語も理解出来る。人語は話せないが、自分の意思を声無き声ーー念話(テレパシー)によって人間に伝えることが可能だ。
竜騎士になれる人間、即ち火竜がその背を許す人間は、この念話が通じる者のみ。そしてその可否は火竜と人、それぞれの精神波の波長が合致するかどうかにかかってくる。もし火竜が波長の合わない者と念話を試みても、相手の人間は何を言っているのかさっぱりわからない。波長のずれがザーザーと砂嵐のような雑音を生み、まるで言葉が聞き取れないのだ。このような会話が成立しない人間を、火竜は決して乗り手には選ばない。
ただ波長がある程度近い者ならば雑音は小さくなり、どうにか言っていることがわかる。不完全ながら念話が可能となるわけで、火竜はこの人間を乗り手として選び、「契約」を結ぶことを許す。
そして中にはごく希に全く雑音が混じらず、クリアーな状態で念話が出来る人間もいる。この百パーセント精神波の波長が一致する者は、火竜と「盟約」を結ぶとある不思議な能力を身につける。何と火竜に乗っても決して落ちることはなくなるのだ。たとえ背中に立った状態で火竜が空で宙返りしても、足がしっかり固定されて振り落とされない。雑音混じりの声しか聞こえない乗り手は、常に落馬ならぬ落竜の危険がつきまとうため、安全に騎乗するための鞍が不可欠。だが、完璧な会話が可能な乗り手は鞍など不要であり、故にそうした竜騎士は「鞍無し」と呼ばれるのである。
火竜は鞍無しの乗り手を「真の乗り手」、そうではない乗り手を「仮初めの乗り手」と呼び、はっきりと区別している。その理由は火竜が得るメリットにある。乗り手と組んだ火竜は飛翔速度が上がり、炎の吐息の威力が増すのだ。しかし真の乗り手と仮初めの乗り手とでは、能力の上昇具合に明確な差が現れる。前者は飛翔速度がおよそ1.5倍程に上がり、火炎放射に加え爆炎球も使えるようになる。対して後者の飛翔速度は若干上がる程度、火炎放射の射程距離と威力が倍増するにとどまるのである。
火竜は誇り高き生き物ゆえ、上昇志向が強い。誠に求めるは真の乗り手。仮初めの乗り手は妥協した相手であり、真の乗り手が見つかるまでの代役にすぎない。その証拠に火竜は、仮初めの乗り手に対しては「死すまで汝と共にあり」という「盟約」ではなく、破棄可能な「契約」しか結ばないのだ。「汝と共にあるのは真の乗り手が現れるまでとする」という内容の。
もしも真の乗り手が見つかれば、火竜はそれまでの乗り手を何の未練もなく見捨て、新たなパートナーに乗り換えてしまう。交戦中、敵兵の中に真の乗り手を見出した火竜が、騎乗していた仮初めの乗り手を放り出し、その者の許へ飛んで行ってしまったーーという事件も過去には起きている。
そのため仮初めの乗り手は、いつ真の乗り手が自分の火竜の前に現れ、契約が打ち切られるのか戦々兢々とした日々をおくる羽目となる。ただ幸か不幸か、真の乗り手はそう簡単には見付からない。火竜も人も精神波の波長が個々によって異なるためだ。火竜と盟約が結べる相手は決して多くはなく、竜騎士の中でも鞍無しは全体の数パーセント止まりである……。
その鞍無しの竜騎士が依頼者を襲ってきたのだ。グレンが無事報酬を得たということは、依頼者を敵から守り抜いたということ。だが問題はその方法だ。リムドは何やら不吉な予感にかられた。
「それでカグラ、その鞍無しをグレンはどうしたんだ?」
「そいつが馬車めがけて爆炎球を吐いたんだ。それをグレンが剣圧で押し返して、相手を返り討ち。火竜も乗り手もどっかーんって木っ端微塵……とまあ、そういうこと」
カグラはあっけらかんと話したが、リムドは真っ青になった。鞍無しの竜騎士は最強の兵であり、多くの場合竜兵軍の指揮官を務めている。つまりグレンは竜兵軍の要を惨殺し、二目と見られぬ姿にしたのである。
「な……何てことしてくれたんだ。鞍無しの竜騎士を木っ端微塵にしたんじゃ、ただじゃ済まされない。その騎士の仲間が黙っちゃいないぞ、間違いなく」
「あー、平気平気。その現場を見たのは依頼者とお供だけだ。あの連中が黙っていれば、あれがグレンの仕業だってことはばれないよ」
「お前さあ……。たとえ他人に見られていなくても、何が起こったのかぐらい、その気になれば魔法で調べられるんだぞ。敵に腕のいい魔術師がいたらどうするんだ」
リムドは頭を抱え込んでしまったが、カグラは相変わらず呑気に寝そべったまま。リムドの話を真剣に聞く気は毛頭ないようだ。
リムドは酷く困惑していた。旅に出ておよそ半年。「二人」は手持ちの金が尽きそうになると、グレンに一暴れーーいや、傭兵として一仕事してもらい、路銀を得ていた。グレンが働くのは、大体一月に一度くらい。だがーー
「カグラ……まずいぞ。グレンの評判はかなり悪い。おまけに方々で恨みを買っている。僕はさっき、そこの飯屋で聞いたんだよ。グレンの噂を」
リムドは一時間ほど前、昼食をとるために足長亭の近くにある食堂へ入った。注文した料理がテーブルに運ばれて間もなく、後ろの席に傭兵と思われる二人組の男がやってきた。二人は酒を飲みながらたわいない噂話を始めたが、その話に関心がないリムドは、のんびりと料理を味わっていた。しかし、うち一人がある人物の名を口にした途端、フォークを持つその手がぴたりと止まったのだ。
「あのグレンって女は、おっそろしい奴だな。俺の知り合いが例の山賊討伐に参加したんだけどよ」
この男、グレンのことを知っている。しかもその口調からして、誉められた話ではないらしい。リムドが耳をそばだてると、背中合わせに座っているその男が、相方に自分の「知り合い」の体験談を語り始めた。
二ヶ月前、北部のリーガル山で大規模な山賊討伐が行われた。ここ二、三年山に住み着いた山賊が、山越えしようとする者を片っ端から襲撃する事件が続いていたのだ。リーガル山は国の東部と西部を結ぶ最短ルートの途中にある。しかし山賊のおかげで迂闊に人が山中に立ち入れず、苦情が殺到していたのである。
この辺り一体を所領とするモルズ伯爵は、二度にわたり自から騎士団を率いて討伐を試みたが、いずれも失敗。相手の総勢は百人近いうえに、君臨する頭目によって軍隊さながらに組織化され、訓練も施されている。加えて山中の戦闘は相手に地の利があるので、伯爵側は苦戦を強いられたのである。
このままでは埒が明かないと考えたモルズ伯爵は、一大決心をした。戦力をあげるために、腕に覚えのある傭兵を討伐隊に加えたのだ。騎士団の誇りにかけて云々……などと意地を張っている場合ではない。これ以上事態を長引かせれば、国王から睨まれてしまい、不良領主との烙印を押されかねない。
こうして十数名の傭兵が召集され、山賊を一掃すべく討伐隊はリーガル山へ向かった。その中にグレンやこの傭兵の知り合いもいたというわけだ。
「あいつが言うには、とにかくあの女は凄かったらしい。賊は伯爵軍が来たと知ると、根城近くの森に包囲網を張って迎え撃ったんだがーー」
山賊は伯爵軍の兵士に向かい、木の陰や樹上から雨のように矢を浴びせた。ところがグレンは魔力でシールドを張って矢を防ぎ、あっさりと敵の包囲網を突破してしまったのだ。単独行動はするなとの伯爵の命令も完全に無視し、大剣を振り回しながらグレンは山賊の根城へ突撃した。
山賊の根城は山の中腹に建てられた古城だった。グレンは堀を飛び越え、門の鉄格子を大剣の一撃で吹き飛ばすと、城内へ突入。他人に手柄をとられてなるものかと向きになったのだろう。慌てて後に続こうとする友軍のことなどお構いなしに、好き勝手に暴れまわった。高笑いしながら、襲い来る山賊を次々と一撃で切り捨てるグレン。真っ赤な鎧を身に纏い、大剣を振り回す様は鬼女そのものだった。あまり異様さに恐れをなして逃げ出す山賊も続出したが、グレンは執拗に追いかけ、容赦なく相手の背中に刃を浴びせたという。
「一人の山賊があの女に追いつめられ、武器を捨てて泣きながら降伏したんだよ。命だけはお助けをって。ところが奴ときたら、あざけ笑って脳天に剣をぶちかましたのさ。見かねた知り合いが止めに入ろうとしたんだが、間に合わなかったそうだ」
「そりゃひでえ! 血も涙もない女だな、グレンって奴は」
ついに我慢できなくなったのか、今まで聞き役に徹していた男がテーブルを叩き、立ち上がった。
「俺もその女のことは噂に聞いたことがあるぜ。レナ湖の魔物退治の時も、魔物と一緒に湖畔の村の家を数軒剣圧でぶっ飛ばして、住民をえらく怒らせたって話だ」
「ああ、その話なら俺も知っている。他にも傭兵仲間と喧嘩して、相手の腕をへし折ったなんてことはしょっちゅうらしい。あいつを恨んでいる連中はごまんといるぜ」
もしあの女に会ったらただでは済まさんと、口々に叫ぶ二人の傭兵。リムドは居たたまれなくなり、料理も喉を通らなくなってきた。そしてとうとう食事の途中で席を立ってしまったのだ。
……と、リムドが警告の意味を込め、懸命に語ってもカグラは別段驚く様子も見せない。ふーんと一言呟いただけだ。その他人事のような態度にリムドはかちんと来た。
「カグラ、お前は全部見ているんだろう。グレンが仕事をする度に起こした、数々のトラブルを」
「まあ確かに見てはいるけど。でもいいじゃない、そんなこと。グレンの自由なんだし、私もいちいち覚えていない」
カグラは全く気にもとめようとしない。何を言われようとどこ吹く風だ。辛抱強いリムドもとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「そんなこと……じゃないだろう! サブが起こしたトラブルはお前の責任でもあるんだぞ! いいかカグラ、もうグレンは出さない方がいい。万が一僕らの『関係』が発覚でもしたらーー」
「それなら誰が路銀を稼ぐの?」
カグラは口をへの字に曲げ、半身を起こした。リムドははっとなって相手を見詰めた。表情に乏しいカグラが、ここまで怒りを露わにするのは珍しいことなのだ。
「稼ぎが一番いいのはグレンじゃない。あれに頼むしかないんだよ、稼ぎたくても私達には出来ないんだから。私は『人前では非常時以外、魔力を使うな』って、祖父ちゃんから耳にタコが出来るくらい言われているし、見習い賢者のあんたは中途半端な知識があるだけで、てんで役に立たないときた」
「だったらファシドに頼めばいいじゃないか。ファシドに酒場で歌でも歌ってもらえば……」
「ファシドの稼ぎなんてしょぼいもんじゃない。そんならアギに稼いでもらう? アギがどうやって金を手に入れるのか、あんたもよーく知っているでしょうが!」
顔を赤くして凄むカグラを前にし、リムドは黙り込んでしまった。ある困った理由からアギに協力を仰ぐことは、極力避けたかったのだ。が、ここで引き下がるわけにもいかない。背をただすと、リムドは説得を続けた。
「それならお前がグレンの行動を監視してくれ。メインであるお前の命令には逆らえないんだろう、基本的には」
「私はサブが外に出ている時は、自由に行動させて口出ししないことにしているんだ。連中は私の奴隷じゃないからね。ただ」
カグラはベッドの縁に腰をかけると、ふんと鼻先で笑った。
「さっきグレンが受け取ったばかりの金で飲もうとした時は、即座に止めて引っ込ませたけど。あれは『ザル』だからね。いくら金があっても全部飲み代に消えて、一晩でパアだ」
「そうか、そんなことがあったのか。それにしてもあの我の強いグレンが、酒も飲まずによく大人しく引っ込んだな」
「あいつに言ってやったんだよ。『その金なくして私が野垂れ死にしたら、あんたも死ぬんだ』ってね」
「やっぱりやろうと思えばグレンを制御出来るんだろう。それならーー」
「だからいつも言っているでしょう。監視なんていう面倒くさいことは嫌なんだって」
と、言うとカグラはふてくされ、また横になってしまった。この娘、ひとたびすねると機嫌が直るまで些か時間を要する。もう幾ら声をかけても応じる気はないようだ。
仕方なくリムドは椅子から立ち上がり、窓際へ歩み寄った。先程まで路上で遊んでいた子供達の姿はもうない。今度は青い空を見上げながら、リムドは昔のことを思い出した。このぐうたら娘ーーカグラと初めて出会った、あの日のことを。