表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カグラの四つの顔  作者: 工藤 湧
20/21

第19話 疑惑

 ローザの孫娘であるセレアナが、実は前国王の王女であったーーこの事実はリムド達を愕然とさせるには十分すぎた。いつもであればぼーっと聞き流すカグラでさえ、口をあんぐり開けたまま固まっている。

「と……いうことは、世が世ならセレアナさんは女王に……」

 リムドは戦慄きながらも何とか声を絞り出した。ヨーマン王国では男子の方が女子よりも王位継承権は上位だ。ただし、国王に王子がいない場合に限り、娘ーー王女も即位可能となる。他の王族男子が王女を差し置き、王位に就くことは許されない。よってモルドワ2世の一人娘であるセレアナは、王弟であった現国王マルクよりも王位継承権が上の「正当なる王」ということになるーー

「そう。でもあの子がーーミリアスがそれを望まなかった。臣民として育てたいと。だから私達はその願い通り、ラムソンの娘として育てることにしたのよ」

 何故セレアナを息子の子供としたのか。ローザはその経緯を静かに語り始めた。

 今から二十二年前の秋。国王モルドワ2世が病により崩御した。当時の王位継承権第一位は王弟のマルク王子だった。モルドワ2世も正式に後継者に指名していたことから、何の問題もなくマルクの即位が決定したのである。

 そしてそのことが公にされるに伴い、「元」王妃のミリアスは王族の戸籍から抜け、実家へ戻る決意を固めた。モルドワ2世は周囲の大反対を押し切り、半ば強引に下級貴族出身のミリアスを妃に迎えた。そのため王宮内でのミリアスに対する風当たりはいたく強かったようだ。王宮は隙あらば自分を排斥せんとする輩が跋扈する「伏魔殿」ーーとまで言っていたという。夫を失ったミリアスは完全に孤立し、針のむしろに座っている状態。もはや王宮に自分の居場所はないと悟ったのである。

 ところが葬儀の準備が進む中、ミリアスは自身の体の異変に気付いた。何とモルドワ2世の子を身ごもっていたのだ。

「ミリアスはそれを喜ぶどころか、恐れ戦いた。リムド、カグラ、マルシャ。わかるでしょう? この事実が発覚すれば、何が起こるかを」

「わかります。マルク殿下の即位が迫っているこの時期に、より継承順位が高い者の存在が知れれば、国は大混乱に陥る……」

「その通りよ、リムド。もしそうなればミリアスもお腹の子供もただでは済まされない。王弟の即位を望む者から命を狙われるかも知れない。無事に生まれたとしても、醜い権力争いに巻き込まれるのは必至。だからミリアスは、国王の葬儀が終わると同時に王宮を離れ、逃げるように私達の許へ帰ってきた……」

 幸い王宮内でこの事実に感づいた者はおらず、ミリアスの身の安全はひとまず確保できた。しかし、ここで新たな問題が発生した。生まれてくる子の扱いである。

 たとえ王族でなくなっても、「美貌の元王妃」たるミリアスは世間の注目の的だ。出産すればいずれその噂は国王の耳へ届く。そして時期的なことから、前国王の子ではないかという疑惑が生じるだろう。そこでローザが一計を案じたのだ。

「運がいいことに、この直後エリネの第一子妊娠がわかった。出産時期はほぼ同じ。だから双子ということにして、ミリアスの子もラムソンの子供として育てるのはどうかとね」

 実母のこの提案を聞いても、ミリアスは首を縦に振ろうとはしなかった。確かに我が子の安全は保障される。しかし、腹を痛めて産んだ我が子に母と呼んでもらえず、他人に委ねねばならないのだから。だが、これも愛しい我が子のため、そしてこの国のため。最終的にミリアスも涙ながらに受け入れた。弟と幼なじみのエリネになら安心して託せると。

 こうしてミリアスは実家の屋敷の一室に匿われることとなった。会えるのはローザ、弟夫婦、そして専属のメイドのみ。ローザの命でそれ以外の者は、一切接触出来なかった。秘密を知る者は少ないにこしたことはない。既に嫁いでいる二人の姉ですら例外ではなかった。

 ところが、ことはローザ達の思惑通りには運ばなかったのである。

「先に産気づいたのはミリアスだった。女の子が産まれたんだけど、ミリアスは難産がたたって命を落としたの。生まれた我が子をその腕に抱きながら、あの子は息を引き取った。最後に私の顔を見詰めながら、『お母様、この子をお願いします』って言ってね」

 ローザは俯き、目頭を押さえた。しかも不幸は更に続く。その数日後、今度はエリネが女の子を死産したのだ。

 されどナリード家の人々は、悲しみに暮れる暇すらなかった。秘密が漏れぬよう、慎重にことを進めていかなければならなかったのだ。ラムソンは領民に対しミリアスが病死したこと、そして双子の姉妹が誕生したが、妹の方は死亡したと伝えた。ミリアスの死の一報は、一応国王マルクにももたらされたが、もはやミリアスは過去の人。王宮内での反応は素っ気なく、誰の関心も引くことはなかった。

 かくしてミリアスの娘はセレアナと名付けられ、ラムソン夫妻の長女として育てられることになった。セレアナは成長すればするほど、その美しさに磨きがかかって行ったーーまるで実母の生き写しのように。外見上実父に似ているところは全く見られず、誰一人として前国王の王女だと思わない。事情を知らぬ人々は口々に噂した。「この子は伯母に似て美人になる」と。

「今でも思い出すわ。幼いあの子が上二人の娘の子ーー従兄弟のアットンやエステバと、無邪気に屋敷の庭で遊び回っていたのを。あの頃は本当によかったわ」

「それで大伯母さん、セレアナさんは自身の出生の秘密を知っていたんですか?」

「いいえ、知らなかったわ」

 ローザはきっぱりと言った。玉座は既にマルク国王のものであり、話したところで今更どうにもならない。知ればかえってセレアナは悩み、苦しむだろうーーそれが理由だった。

 この件を知るのは先程の四人に加え、二人の出産に関わった産婆だけだった。ローザ達はこの秘密をあの世まで持って行こうと誓い合ったのだ。だがーー

「どういうことか、このナリード家の最重要機密が王都中の人々の知るところになったのよ。勿論、国王陛下もね」

「ええーっ!」

 リムドとマルシャは声を揃えて飛び上がった。声こそ出さなかったものの、カグラも目を白黒させている。  

「誰が言い出したのかは定かではないけど、噂は野火の如く勢いで広まったそうよ。それが四日前ーー今月の五日。そしてその翌日の六日に国王の使者が噂の真偽を確認するために、うちの屋敷にやってきたの」

「で、でもローザさん」

 ここでいきなりマルシャが口を挟んできた。

「この秘密を知っているのは、あなたを含めた五人だけってことでしょう? 御子息夫妻がばらしたなんて考えにくい。と、なるとミリアスさんの専属メイドか、産婆が犯人じゃないんですか?」

「確かに。でも産婆は十年以上前に死んでいるし、メイドは絶対に他言していないと頑なに否定している。もう何が何だかわからないわ」

「そうですか。でも今は犯人捜しをしている場合じゃないですね……」

 そう言いつつも、ここでリムドはセレアナに関する「ある事実」を思い出した。グレンが「おとり」の偽貴婦人を護衛して王都へ到着したのが、今月の三日。同じ日にセレアナも王都へ入っており、前日の四日のうちに王都を発っていなければ当然ーー

 だが、この件を口に出すことは、今のリムドには叶わなかった。本来ならば知り得ない情報だからだ。素知らぬ顔をし、リムドは遠回しに尋ねることにした。

「確かセレアナさんはビスタ侯爵の許に嫁がれていましたよね? 国王の使者がそちらにも向かったんですか?」

「それが間が悪いことに、セレアナはその時王宮にいたのよ。ちょっとした事情があってね。詳しいことは後で話すけど」

「と、いうことはセレアナさんは今……」

「王宮に軟禁状態になっているみたいね。あの子は自分の出生の秘密なんて知らないから、寝耳に水だったでしょう。当然、国王陛下に問われても何も答えられない。だからラムソンが事情説明に赴いたわけ」

 リムドには国王の複雑な心中が理解出来た。国王には現在十八歳になる皇太子がいる。そこへ亡き兄王の娘であるセレアナが突然現れたのだ。セレアナは皇太子と王位を巡って争う政敵だが、だからと言って短絡的な処分を下すことも出来ない。無論黙って放逐する訳にもいかず、頭を悩ませている筈だ。

「更にまずいことに、あの子の嫁ぎ先であるビスタ侯爵家は、旧王家の血を引いているの」

「旧王家と言うと、旧レリック王国王家であるカルファ家のことですか?」

 リムドの問いかけにローザは大きく頷いた。

「その通りよ。何でも旧王国時代の妾腹の王子が、ビスタ家の先祖らしいの。王位を継げず、臣下に下ったっていう。まあ、よくある話ね」

「そうですか。でもビスタ家がカルファ家の末裔ならば、話は相当ややこしくなりますね。ヨマーン建国時の因縁もありますし……」

 そのヨマーン王国建国の物語は、市民学校の授業で最初に教わることの一つでもある。勿論、リムドも知っていた。

 今から百三十年程前のことだ。当時、現在のヨマーン王国の地にはレリック王国と呼ばれる国があった。建国より五百年近くが経過した歴史ある国ではあったが、内情はこの時末期的な状態だったという。権威が失墜した国王はもはや「お飾り」に過ぎず、領主達はやりたい放題。法を無視して民から税を搾り取った。その不正や暴虐を国王に報告する筈の役人はと言えば、領主からの賄賂に丸め込まれる始末。国民は貧困にあえぎ、治安も悪化して絶望が国土を覆い尽くしていった。

 そんな中、国王が突然崩御した。一説には病死を装った暗殺だとも言われている。国王の死は更なる混乱を生むこととなった。国王には二男一女がいたが、そのいずれも後継者に指名されていなかったのである。国王は息子のどちらかを皇太子に望んでいたが、二人揃って能力的にも性格的にもかなりの問題があり、立太子を見送っていたのだった。

 この結果、国は兄王子派と弟王子派の真っ二つに分かれ、王位を巡る内戦へ突入した。領主達は自分が国王にと望む王子ーー自分にとって都合の良い王子の陣営につき、国中で戦闘が勃発。国土は焦土と化し、民衆は家や故郷を失った。

 かくして国が混乱し荒廃すれば、その隙に乗じようとする者も現れる。そしてそれは現実のものとなった。

 内戦が四年目を迎えた頃のことだ。遙か北方、中央大陸(クエンザー)から竜騎士の一団が飛来した。彼らは中央大陸の亡国からの亡命者達であり、安住の地と活躍の場を求め、レリック王国目指してへやってきたのである。

 この亡命竜騎士団は両王子の陣営につくことなく、王宮に監禁されていた妹王女を救出、旗頭とした。三つどもえの戦闘は暫く続いたが、竜騎士らは三年後に兄王子の陣営を、更に二年後に弟王子の陣営を撃破。両王子を誅殺してようやく内戦は終結したのだ。

 鞍無しの竜騎士である竜兵団団長は妹王女を妻に娶り、国名も自らの名ドルト・ヨマーンからとってヨマーン王国とした。ただし、自身が国家元首に就くことは避け、妻である妹王女が初代国王ーー女王に即位した。とは言え、女王は政に疎く、実権は完全にドルトが掌握。名実ともに新王朝であるヨマーン家が、この国の支配者となったのだ。

 ……以上がヨマーン王国の建国の物語である。圧政と度重なる戦火に憔悴しきった民衆は、やっと訪れた平和に安堵し、新王朝を熱烈に歓迎した。

 だが、両王子についていた領主らは違った。敗残の将として、新王朝へ忠誠を誓わなければならなかったのだから。その屈辱に加え、ドルトと女王との間に子供が生まれず、ドルトの連れ子である息子が二代目国王となったことも、彼らの反発を招いた。由緒あるカルファ家の血筋は、王家から完全に失われてしまった。国が余所者に乗っ取られたーーと、旧王国時代から続く領主の中には、現王家のことを快く思っていない者も少なくないのである。

 そして今、カルファ家の血を引くビスタ侯爵の伴侶が、前国王の娘であるということが発覚した。ビスタ侯爵がたとえ反旗を翻す気はなくても、噂を聞きつけた反王家派の領主が黙ってはいない。ビスタ侯爵夫妻を担ぎ出し、国家転覆を企てるかも知れない。建国時に生じた確執は、百二十年経った今でも火種となって燻り続けているのだ。王家が少しでも弱みを見せれば、一気に燃え上がり全土を覆い尽くすーー国王が恐れていることは、まさにこれなのだ。

「国王陛下はセレアナさんをどうするつもりなんでしょうか。そしてナリード家やビスタ家も……」

 リムドが心配そうに尋ねると、ローザは目を伏せた。

「わからないわ。こちらとしては誠意を見せて陛下の御沙汰を待つしかないわね」

「でもビスタ家は、セレアナさんの出生の秘密を知らずに夫人に迎えたんでしょう? 国王からお咎めを受けることはないのでは?」

「確かにそうだと思うけど、別のことでお咎めを受けるかも知れないわね。それというのもビスタ家の竜兵団団長であるボルドーク・ウラノスって男が、とんでもない奴らしいの」

 ボルドークーーやはりこの名が出たかと、リムドは眉間に皺をよせた。だがそれも一瞬のこと、ここでもリムドは惚けざるを得なかった。

「とんでもない奴? どういうことです?」

「屋敷に来た国王の使者が言ったのよ。ボルドークは邪神の信徒だと。セレアナはそのことに気付き、陛下に伝えるために王都へ向かったそうよ」

「邪神を……。国王陛下に直訴ですか。でもそんな大胆なことをする前に、夫である侯爵に報告するのが筋じゃ……」

「侯爵はボルドークの言いなりで、話にならないそうよ。もしかしたらぐるかも知れないわね。で、創世神の高位神官でありながらベルメールを裏切り、ボルドークは異なる神を崇めていると陛下に報告したわけ」

 実のところローザもセレアナの婚姻の際、ボルドークと何度か顔を合わせたことがあったが、何か胡散臭いものを感じたという。しかも聞いた話によれば、セレアナを主君の奥方にと強く推したのは、他でもないボルドークだというのだ。

「ボルドークがセレアナさんを侯爵夫人に? どうしてです?」

「よくわからないわ。ボルドークは美しく聡明なところが奥方に相応しい……とか言っていたけど、それが本心だったかどうか。うちみたいな辺境の下級貴族の娘を……って、本当に不思議だったわ」

「それは」

 ここで再びマルシャが会話に割り込んできた。

「やっぱりセレアナさんが『前国王の姪』だからじゃないですか? (あね)さんが言っていましたよ。セレアナさんは公達の間じゃ注目の的だって。『元』はついても王族の親族ならば箔が着くから」

 遠慮の欠片もないずけずけとした物言いではあったが、ローザは苛立つ素振りも見せず、指先でマルシャの額の古傷を軽くつついた。

「あのね、マルシャ。その公達の家柄っていうのは、精々子爵止まりよ。ナリード家は旧王国時代、しがない騎士の家系にすぎなかった。でも建国の内乱でドルトの陣営に加わり、功を挙げて貴族の端くれになれた。そんな成り上がりの家の娘を、五本指に入るような大貴族の当主が正妻に据えるなんておかしいじゃない」

「じゃあそれを言ったら、前国王はあなたのお嬢さんをどうして正妃にしたんです?」

「それも謎なのよねえ……」

 考え込むローザを見据えながら、リムドはもしや……と考えた。そしてマルシャを抱き寄せると、はっきりとした口調で告げた。

「大伯母さん。セレアナさんの秘密を暴露したのは、ボルドークかもしれませんよ。ボルドークはセレアナさんの秘密を承知のうえで、夫人に迎えたんじゃないですか? そのセレアナさんに己の秘密を密告され、ボルドークは激怒した。だから報復をとして相手を窮地に追い込むためにーー」

 リムドは更に言った。いくらローザ達が口を堅く閉ざそうとも、ボルドークが仕える偽神には全てお見通しだったのかも知れない。その偽神からナリード家の封印された秘密を、ボルドークが知らされ可能性は十分にある……と。

「成る程ね。道理で話がうますぎると思ったわ。いくら美女だとはいえ、家柄に圧倒的な格差があるあの子を主に薦めるなんて」

「この推測が的を射ていれば、ボルドークの企みも朧気に見えてきます」

 もし首尾良くセレアナが女王に即位でもすれば、配偶者であるビスタ侯爵も共に玉座を分かつ存在となる。その気になれば妻を差し置き、我が物顔で権力を振るうことも可能なのだーー建国の英雄ドルト同様に。

「そしてその暁には、ボルドークは宰相にもなれるでしょう。新王の片腕となり、思うがままに国政を操ることも可能です。これが奴の最終目的じゃないでしょうか」

「それも現国王と皇太子を廃し、反対勢力を押さえ込めれば……の話だがな。無論、容易なことではない」

 今まで黙って話を聞いていたノーラムが、不意に口を開いた。

「そのボルドークが如何なる人物かは不明だが、今までの話を聞く限りでは愚か者では決してあるまい。不可ではないにせよ、その様な『夢物語』をに本気で実現させようとは儂には思えぬが」

 まだまだ考えが甘いなーーと言わんばかりにノーラムはリムドへ視線をやった。肩をすくめつつもリムドも負けてはいない。ノーラムをしっかりと見据え、尋ねた。

「でしたら大伯父さんはどうお考えなんですか?」

「もしお前が言うように、その者が本気で権力を欲しているのであれば、国王軍に対抗し得る強力な切り札を持つ必要があるだろう」

「でも援軍ーー国王に反感を持つ領主の力が得られれば、その切り札もいらないんじゃないですか?」

「儂がもしボルドークの立場であったら、来るか来ないかわからぬ援軍など当てにはしない。それで姉さん、ボルドークはビスタ家に仕えて何年になりますか?」

 急に話をふられたローザは、少し間を置いてから答えた。

「あの子が嫁ぐ前の年のことだから、もう四年になる筈だけど……」

「四年ですか。もしその切り札を持っているのであれば、行動を起こしていても不思議ではないな。それが今まで大人しくし竜兵団団長を勤めていたということは、国政の乗っ取りが目的ではないだろう」

「それじゃ大伯父さん、何が奴の目的だとーー」

「ビスタ家がカルファ家の末裔であり、セレアナが前国王の実子であることが重要なのだ。この話が広まれば、旧王家の復活を望む貴族等や現政権に不満を持つ輩が放ってはおくまい。最悪、国が二分するやも知れぬ。まあ、簡単に捻り潰される可能性も高いが」

「つまり政権を握ることではなく、国を混乱させることが目的と……」

「儂の推測では……な。無論、これが正解だとは限らぬが」

 ノーラムの考えを聞いてリムドははっとした。ミスリダでもボルドークは国をかき回すだけかき回し、事件後さっさと国外へ逃亡したではないか。諸国に混乱をもたらすことこそが、ボルドークが崇拝する偽神が望むことなのかも知れない……と。

「セレアナはボルドークにとって大事な駒だった。手元に置いておき、利用しようとしたのだろう」

 考え込むリムドを後目に、ノーラムは淡々と話した。

「ところがそうは問屋が卸さなかった。逆に自身の秘密を暴かれ、逃げられるというへまをボルドークは犯してしまった。自分が侯爵夫人という地位を与えたにも関わらず。恩を仇で返された気分であろうな」

「それならあの子を恨んで報復するのも当然ね。これで全て辻褄が合うわ」

 ローザは納得したように頷いた。しかし、リムドにはどうにも気になることがあった。ボルドークが崇めていた偽神についてである。

「あの、それで大伯母さん。邪神についてなんですけど……。それはどんな神なんですか?」

「ああ、そのことね。セレアナが言うには名前はわからない。ボルドークも『我が神』としか呼んでいなかったって。ただ竜の姿をしていたとか」

「竜の姿? ベルメールみたいな人の姿じゃないんですか?」

「ええ。それでーー」

 ローザの話によれば、セレアナは一度だけボルドークが偽神の像に祈りを捧げている現場を目撃したことがあったそうだ。深夜であったためはっきりと確認は出来なかったが、間違いなく竜の像だったという。そしてーー

「何となく火竜(ドレイク)に似ていたけど、ちょっと違っていたそうよ。何でも翼が鳥のものだったとか」

「え……」

 リムドが息をのんだその時だった。

「……つうっ!」

 リムドの隣でカグラが突然頭を抱えて顔を伏せた。突然のことに驚き、ローザがカグラの肩に手を置く。

「カグラ、大丈夫? どうしたの?」

「あ、大丈夫……です」

 カグラはすぐに頭を上げたが、リムドには再従姉妹の急変の理由が読めていた。楽屋でグレンが叫び声を上げたに違いない。念話は直接頭の中に響くので、いきなり大声を上げられると、がんと頭を殴りつけられたような衝撃が走る。これをカグラはまともにくらってしまったのだ。

 ーーグレンの奴、楽屋で何かぎゃーぎゃー騒いでいるな。自分が名付けした竜が邪神なんて言われて、あいつが黙っている筈がないよなあ……。

 グレンの声を遮断したのか、カグラは何事もなかったようにけろっとした顔をしている。だが、ローザは申し訳なさそうな顔をして謝った。

「ご免なさいね、旅から戻って直ぐにこんな長話に付き合わせて。疲れているみたいだから、三人とも休んだら?」

「その方がいい。姉さん、その邪神の話は儂の方から後でこの子達に話しておきます。カグラ、リムド、マルシャ。自分の部屋で夕飯まで休んでいなさい」

 ノーラムに促され、リムド達は居間を後にした。しかし直ぐには自室へ向かわず、いったん庭へ出るとリムドはそっとカグラに耳打ちした。

「グレンが何か言ってきたんだろう?」

「そう。舞台に出せ出せって大暴れしている」

「やっぱり。でも流石に大伯母さんがいる前でグレンは出せないなあ。夜になったら大伯父さんの書斎へ行こう。旅の報告もしなきゃならないし」

「わかった。その時にグレンにも説明させる」

 仏頂面で頷くカグラを見てリムドは苦笑した。

「舞台に出すのはいいが、グレンに暴れたり大声上げたりしないように、よく言い聞かせておいてくれよ。大伯母さんに知られたらことだ」

 そう言って釘を刺すと、リムドはマルシャと自室へ入った。半年ぶりではあったが、意外にも室内は汚れてはいなかった。自分がいた頃よりもむしろ綺麗なぐらいだ。几帳面なノーラムこまめに掃除をしていたのだろう。

 自分のベッドに寝転び、リムドは天井を見上げた。もしセレアナが見たように邪神が鳥翼の竜の姿をしているのであれば、グレンが解呪したあの竜は何だったのか。関係はあるのか、ただの偶然かーー

 そんなことを考えているうちに、疲れがたまっていたのだろう。リムドはいつの間にか眠ってしまった。


 その日の夜十時過ぎ。ローザとクレアが床についたのを確認した後、リムド達はノーラムの書斎で旅の報告を行った。リムドも夕食時に旅の話は色々としたが、それも当たり障りがない範囲でのこと。重要な情報は一切口に出さなかった。

 もっともノーラムに報告すべき出来事は、全てここ十日以内に起きている。即ち、グレンがセレアナの召使いを護衛して以降のことだ。その中にはマルシャとの出会いも含まれたいた。

「そうか、それでマルシャはカグラ達と……。すまなかったな、こんな事に巻き込んでしまって」

 ノーラムは労るようにマルシャの頭を撫でたが、当のマルシャは、

「いや、結構面白いこともあったから、わたしゃ全然気にしちゃいないけど」

 と、笑顔で答えた。

 これら旅であった出来事や得た情報についての報告は、リムドが全て一人で行った。その報告をノーラムはあまり表情を動かさずに聞いていた。ただ流石にカグラが飛竜(ゼダーン)の半身となったことには、驚きを隠せなかったようだが。

 一方、そのカグラといえば眠たげに二人の様子を眺めているだけ。時折ノーラムが確認のために質問しても、「うん」とか「そう」といった素っ気ない言葉を返すのみだ。

 一通りの報告が終わった後、ノーラムは険しい目つきでリムドに尋ねた。

「そうか、お前達も邪神のことは聞いておったか」

「はい。でも僕達がその情報を得たのは今日、しかもミスリダ大公国内でです。そしてミスリダへ向かおうとした切っ掛けは、グレンがセレアナさんへの追っ手の仲間に接触したことにありました」

「偶然とは言え、そんな形でナリード家の者と関わるとはな。何やら運命的なものを感じる」

「で、大伯父さん。話は違いますが、ファシドが勝手に異街道を使用したこと、大事にはなっていないんでしょうか?」

「無断使用に魔術師ギルドは感づいておろうが、現場を目撃した者がいない以上、犯人捜しは難航するだろう。ダルカンのような過去見が出来る物見魔術師もいないと聞いている」

 ノーラムは孫の失態をあまり深刻には捕らえていないようだった。魔術師ギルドがこの件を国王へ報告しようにも、王都は今それどころでは無いことも大きかったようだ。

 ただ、ガロディリアスと思われる火竜がその日のうちに王都に現れ、大騒動を起こしていたことにリムド達は驚愕した。てっきりあの火竜を振り切れたとばかり思っていたからだ。

 ファシドがあの災難に見舞われた日ーー四日はセレアナの秘密が暴露される前日だ。ナリード家を訪れた国王の使者が、ローザ達にこの事件についてこぼしたという。「王都で火竜が暴れた翌日に、今度はこんな噂が流れるとは」と。

 もし、一連の騒動の原因がファシドの行いにあると発覚すれば、大変なことになる。しかし、ガロディリアスは死に物狂いで真の乗り手を捜すばかりで、「犯人」に関する情報は何一つ漏らしていない。更に国王竜兵団の竜騎士が速やかに迎撃したおかげで、王都の被害も軽微だったという。よってこの王都襲撃の件は話のネタにはなっても、あまり問題視されなていないようだった。

 ひとまず胸をなで下ろしたリムドは気持ちを切り替え、本題に移った。

「それでセレアナさんが見た邪神の像は、鳥の翼を持つ竜の像だって話ですけどーー」

 そう言い掛けたところで、カグラが立ち上がった。

「祖父ちゃん、そのことでグレンがどうしても話したいことがあるって」

 せっつかれたような孫娘の様子に、何も問わずノーラムは許可を出した。直ぐにカグラの輪郭がぼやけ始め、グレンが現れる。殺気にも似たぎらぎらしたオーラを纏いながら。

「祖父ちゃん、簡潔に言う。私はその鳥翼の竜とやらに会ったよ」

 椅子にどっかと腰を下ろすと、静かさの中に熱意を漂わせつつ、グレンはラージとディーヴランドルのことを語り出した。ノーラムはそれを無言で聞くだけで、表情一つ変えない。

「ディル……その鳥翼の竜は翼竜だったんだ。おかしいだろう、神様が翼竜(ワイヴァーン)だったなんて。だからセレアナが見たって言う邪神の像とは無関係だよ!」

「しかしな、グレン。この世に鳥翼の竜など存在しない筈。お前が見た問題の竜は、セレアナが見た邪神の像と瓜二つだ。本当に単なる偶然だと思うか?」

 冷静に反論するノーラムとは対照的に、グレンは怒りで顔を真っ赤にさせた。普段のグレンならば火を吐かんばかりの勢いでくってかかるところだ。が、相手が祖父である上に、今は騒ぐことも出来ない。小声で怒鳴るしかなかった。

「私は見たんだ! あの綺麗な瞳を。生まれたての赤ん坊みたいに一点の曇りもない、そりゃ綺麗な目だったよ! あれが邪神である訳がないだろう!」

「そうです、大伯父さん。第一、その偽神の情報を僕らに提供したのは、当の鳥翼の竜ですよ」

 流石にリムドも黙ってはいられず、グレンに加勢した。されど興奮する二人を前にしても、ノーラムは落ち着いたものだった。

「グレンが見た竜が邪神そのものではない。そもそもグレンの魔力で解呪出来る程度の呪いで、邪神を束縛出来る筈がないであろう」

 ノーラムは更に言った。セレアナの話によれば、その邪神はかつてこの世界に出現し、覇を唱えようとした。だが、創世神の信徒との戦いに敗れ、大地の奥深くに封印されてしまった。月日の経過と共に少しずつ封印は弱まり、力は戻りつつあるが、封印を破る以外に完全復活の方法はないという。

 邪神はボルドークをはじめてする自分の信徒を使い、封印を破る手段を探させているらしい。よってディーヴランドルは邪神そのものではなく、眷属か何かではないかーーそれがノーラムの推測だった。

「眷属? ってことはディルは偽神の子分ってことかい、祖父ちゃん」

「その竜も邪神同様封印されていて、お前がそれを破ったことにより復活したのではないか? そのうち本性を現すやも知れんぞ。生命力奪取(エナジードレイン)したことも気がかりだ」

「いいや、あれは封印じゃなくて、明らかな呪いだったよ。もし違うのなら、あの時感じた火傷しそうな悪意は何だったんだい!」

 とうとう我慢出来なくなったのか、グレンは吠えた。

「そんな話、私は信じない。会ったこともない再従姉妹の言うことなんかより、私は自分の目を信じるよ!」

 そう吐き捨てると、グレンは楽屋へ引っ込んでしまった。やれやれというような表情を浮かべ、姿を現すカグラ。

 もしノーラムの推測が正しければ、厄介なことになるのは必至だ。リムドは不安でならなかったが、同時に疑問も感じていた。もしディーヴランドルが偽神の眷属であれば、何故ボルドークの情報をグレンに伝えたのか。何か邪なことを企み、故意に漏らしたのか。もしそうであれば、直前まで翼竜であったディーヴランドルがそこまで考えつくものなのかーー疑問は深まるばかりだった。

「それでリムド。その鳥翼の竜と乗り手は今何処にいる?」

 不意にノーラムに問われ、リムドは我に返った。

「まだ体力が回復しているとは思えませんので、ローラン近郊の森にいるんじゃないでしょうか。でもラージはボルドークを捕らえたがっているそうですから、近いうちにビスタ侯爵邸に現れる筈です」

「そうか。問題の竜が邪神の眷属であれば、ボルドークと合流する可能性もあるな。ところで二人共。儂やお前達が考えるように、邪神の復活が『世界規模の凶事』であれば、まだ望みはある」

「あ、そうか!」

 マルシャがはっとなり、叫んだ。

「邪神はまだ完全復活していないんだよね! ならそれを阻止し、邪神を滅ぼせば凶事は防げるってことだ!」

「そういうことだ。カグラ達が助かる道は残されている。それにはまず邪神に関する情報を得なければ。リムド、明日にでもカグラを連れてビスタ侯爵邸へ向かえ。そして問題の竜と乗り手に接触しするのだ。最悪、戦闘になるかも知れぬ。心してかかれ」

「わかりました……!」

 リムドは力強く返事をした。グレンの不満不信は兎も角、カグラ団の団員が生き延びる道が示されたのだ。それが何より喜ばしいリムドだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ