表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カグラの四つの顔  作者: 工藤 湧
19/21

第18話 帰郷

「ベルメールじゃない神だ……って……?」

 一瞬、リムドは意識が遠のくのを感じた。俄には信じ難かったのだ。もう一柱神が存在するというグレンの話が。馬鹿な、荒唐無稽だーーそんな台詞が喉元まで出掛かったが、リムドは慌てて飲み込んだ。人をおちょくって楽しむアギならともかく、グレンはこんな場面で冗談や嘘を言ったりする筈がない。

「そう。あのくそ坊主の力の源は、その神様だってさ。それで思ったわけ。祖父ちゃんがカグラやあんたの尻を叩いてまで探しに出させた『世界規模の凶事』っていうのは、まさにこれじゃないかってね」

 グレンは淡々と述べてはいたものの、心穏やかではない筈だ。凶事が発生した時点でカグラ団メンバーの運命は確定、余命は幾許もない。ところが当のグレンはそんなリムドの心配を知ってか知らずか、ふっと笑って見せた。

「で、だ。くそ坊主がセレアナを抹殺してまで守ろうとした秘密は、この神様の件じゃないかい? でも奴の刺客を私が始末したから、国王にばれたかもね。もっともそれも、国王がセレアナの戯れ言に耳を傾けたらの話だけど」

「……」

 リムドは口ごもった。今月起こった様々な出来事の記憶が、いっぺんに脳裏に思い浮かび、収拾がつかなかったのだ。するとその時、リムドの頬に軽い痛みが走った。たまりかねたマルシャが猫パンチをお見舞いしたのである。ぼーっとしている場合かと。我に返ったリムドはぶるっと頭を一回振るわせた。

「そ、そうか。それにしてもベルメールの創造物が、創造主と張り合うだけの力を持っているなんて。正直考えにくいけど、今回は認めざるを得ないみたいだな。『異神』である可能性は万に一つもないし」

「そうだねえ。余所の世界から侵略目的で他の神が来ようにも、『神の城壁』があるからね」

 マルシャの言葉にリムドもグレンも無言で頷いた。マルシャの言うこの「神の城壁」とは、ベルメールの力によってヴィルダストリアの周囲に張り巡らされた強力な結界のことだ。異世界より飛来した「異神」がこの世界へ侵入するには、これを突破しなければならない。されど神の城壁が破壊された形跡は皆無。つまり、今回の神はこの世界で生まれた、即ちベルメールの創造物が神を名乗った「偽神」ということになるのである。

「けど妙だね。大公暗殺未遂事件はもう五年も前の出来事だ。それにも関わらず強力な力を授かった偽神の信徒が、未だこの世界で暗躍しているなんてさ」

「確かにマルシャの言う通りだなあ。ベルメールの信徒が討伐に出ようとしないのは、何故なんだろうか……」

 リムドは腕を組んでうーんと唸った。過去偽神が現れる度に、唯一神の信徒達はことごとくこれを排除してきた。その中心となってきたのが、中央大陸(クエンザー)東部に位置するイアン皇国だった。

 イアン皇国は「神の寵児」との二つ名を持つ教皇が治める、ベルメール信仰の総本山とも呼べる国だ。ベルメールが天地創造を行った後、最初に降臨した場所と言われる聖地ファーレンを都にもつ大国でもある。この国が誇る黄金聖騎士団は、鞍無しの竜騎士を二十騎以上保有し、世界最強の騎士団と名高い。

 ーーどうも黄金聖騎士団が動いている気配はないみたいだな。もしや未だ偽神の存在に気付いていないのか? それとも何か意図があって、故意に泳がせているだけなのか?

 どちらにせよ想像の域を出ないものの、リムド達にとってそれはある意味有り難いことだった。もし黄金騎士団が迅速に動いて偽神を討伐していれば、カグラ団メンバーの命は風前の灯火どころか消えていたかも知れない。

 だが、リムドはここである重大な事実にも気付き、真っ青になった。

「その偽神の信徒が四年前からヨマーンにいるなんて……。奴は僕らの国で今度は何をしようっていうんだ? と、とにかくすぐに国に戻ろう。何かあってからでは手遅れだし、大伯父さんにも報告しなきゃ」

 カグラ、急いでナッグをーーとリムドが言い掛けたところで、グレンははあと溜息をついた。

「坊や、カグラはこう言っているよ。もう何をしても無駄じゃないかってね。全く……」

 カグラとは対照的に、副面体(サブ)の三人は前向きだ。グレンが不機嫌になったのも、主面体(メイン)であるカグラの「諦めの良さ」を苦々しく感じたからだった。

「私は未だ打つ手があるんじゃないかと思うけど。兎に角、祖父ちゃんに報告するため国に帰ることは私も賛成だね。ディルにかけられた呪いのことも気になるし」

「あ! そう言えば!」

 唐突にマルシャが大声を上げ、グレンを見上げた。

「グレン! あんたまさか、ラージやその竜にナッグの呪いのこと、喋ったんじゃないだろうね?」

「馬鹿にしないで欲しいね、この野良猫。喋る訳がないだろうが。そんなことをしたら、あの根性曲がりと私との関係を突っ込まれる。ラージがいくらボケナスだとはいえ、ディルの呪いについて無関心でいられる筈はないだろうからね」

 グレンはマルシャに刺すような鋭い視線を投げかけた。この激しやすい女戦士ならば、マルシャを蹴飛ばしていても不思議ではない。が、今はそんなことをしている場合ではないことは、本人も重々承知しているのだろう。暴力沙汰にならず、リムドは胸をなで下ろした。

 一呼吸置き、リムドはグレンに尋ねた。

「それにしてもその竜にかけられていた呪いについても、確かに気になるな。その竜ーーディーヴランドルは何て言っていたんだい?」

「そんなことあいつにだってわかる訳ないだろうが。自分は生まれた時から正真正銘の翼竜(ワイヴァーン)だってさ。それ以上のことは知らないって言っていたよ」

 グレンの言うことはもっともだとリムドも納得した。呪いが解け、ディーヴランドルはあの姿に「戻った」。しかし、生まれた時は翼竜の姿。親もーー少なくとも母親は翼竜だったそうだ。無論、四十を越える現在まで、呪いのようなものを受けた記憶もないという。ならばーーとリムドは別の可能性を探ってみることにした。

「ディーヴランドルは本当は鳥翼の竜として生まれた。だけど記憶操作され、翼竜の記憶を植え付けられた可能性は否定出来ないんじゃないか?」

「それは無いと思うけど。あいつはミスリダのとある貴族の竜舎で生まれ、竜市に出されるまでずっとそこにいたんだとさ。希少性が高い光鱗種だから、結構有名な竜だったらしい。あのラージが言っていたよ。その光鱗種の話なら聞いたことがあるってね」

 グレンの話を聞いてリムドはまたしても考え込んだ。では、一体いつ何処でディーヴランドルこの呪いがかけられたのか。最早答えは一つしかない。誕生時、既にその身に呪いを受けていたのだ。

「と、なると卵の時点でかけられたか……。何処かから鳥翼の竜の卵を盗み出し、それに呪いをかけて翼竜に托卵する……とか」

 されどこのリムドの仮説にも無理はあった。一体その卵の親たる鳥翼の竜が何処にいるのか。何と言っても火竜より巨大で美しい竜だ。文献に記載がないのは愚か、噂にも上らないのは明らかにおかしい。

「しかもグレンが魔力を使い切ってやっと解呪出来るくらいの呪いなんて、かなり強力なものだ。誰がディーヴランドルに呪いをかけたんだろう? もしかしてナッグに呪いをかけた人物と同一なのか?」

「そんなこと知るかい」

 リムドの話に付き合っているのが次第に億劫になってきたのか、グレンはそっぽを向いた。 

「それじゃそろそろカグラと替わるよ。とっととあの根性曲がりをカグラに呼ばせな。私だって家には帰りたいからね」

 その台詞が終わらぬうちに、グレンの輪郭がぼやけ始めた。慌ててマルシャが窓際に駆け寄り、カーテンを閉める。

 程なくして現れたカグラの表情は落ち着いていた。もう今更じたばたしてもーーと思ったからこそ、平然と買い食いをする一方、リムドの前で取り乱しもしなかったのだろう。

 リムドはカグラの両肩に手を置くと、その青い眼をじっと覗き込んだ。

「カグラ、心配するな。僕も大伯父さんもお前達をみすみす死なすような真似はしない。それにこれが問題の凶事だと決まった訳じゃない。あくまでも可能性があるということだ。諦めるのは早いぞ」

「そんなことはどうでもいいから、早く祖父ちゃんの所へ帰りたい」

 口を尖らすカグラを見て、リムドは優しく微笑んだ。

「わかった。今すぐローランを出て、人目に付かない所へ移動だ。こんな町中じゃナッグは呼べないからな。それから、今回は関は通過しないで、一気にヨマーンまで戻る」

 慎重で厄介事を嫌うリムドにしては大胆な提案だったが、それなりに考えた結果だった。ミスリダ国内で騒動は起こしていないので、無断出国しても別段問題は生じず、ヨマーンへの入国も自国民なら関無通過でも差し支えは無いと判断したからだ。

「それに関を通過してミスリダを出るということは、スルーザへ入国するということでもあるんだ。お前、またあの厄介な魔力検査を受けることになるぞ。嫌だろう?」

「やだ。面倒臭い」

「だろうな。僕ももうスルーザとは関わりたくないんだ。どうもあそこには良い思い出がない。お前が魔力が使えないばっかりに、あの災難に巻き込まれた。まあ、そのおかげでナッグと知り合えたんだけど。それにしても」

 リムドはふと考え込んだ。この旅に出て、カグラ団のメンバーは初めて翼竜以外の竜と接する機会を得た。そして全員が盟約締結を迫られる、もしくはそれに類似した経験をしたのだ。ファシドとアギは火竜(ドレイク)、カグラは飛竜(ゼダーン)、そしてグレンは正体不明の竜と、相手の種類はまちまちではあるが。

 ーーやっぱり多面族は竜と相性が良いんだろうか? このことも大伯父さんに報告しておいた方がいいな……。

 そんなことを考えていたリムドがはたと顔を上げると、カグラの姿が室内から消えていた。リムドがなかなか腰を上げないので、業を煮やして出て行ってしまったのだ。流石に置いてけぼりにはせず、リムドが宿代の支払いを済ませるまで、大人しく門の外で待ってはいたが。

 ローランを後にしたリムド達が向かったのは、ディーヴランドルがいた森とは反対の方角にある、別の森だった。実のところ本音を言えば、リムドは是非とも珍しい鳥翼の竜をその目で見ておきたかった。しかし、今はあの「二人」をそっとしておくことにしたのだ。それに何より、彼らを目にした時のナグナギールの反応が怖かった。うっかり鉢合わせでもしようものならどうなるか、想像に難くない。火竜に酷い目に遭わされた経験を持つあの飛竜が、未知の竜に対して敵意を露わにするのは目に見えていた。

 やがて人気のない森の中央部まで来ると、カグラは念話でナグナギールを呼んだ。念話は直ぐに繋がったようだが、何故かカグラは眉間に皺をよせた。

「ナッグの奴、かなり機嫌が悪いね。私の呼び出しを聞いて怒りまくっている」

「無理もないなあ。ミスリダでの調査が終わらないうちは呼ばないなんて言っておいて、次の日にこれじゃ。ナッグが怒るのも頷けるよ」

「いや、それもあるけど……」

 カグラはすっとリムドの前に立ちはだかった。直後、上空十ライゼ(五メートル)程の空間に突如黒い穴があき、そこからあの藤色の飛竜が飛び出してきた。怒りのオーラをみなぎらせて。

『このくそガキがあ! 今度コソぶっ殺してヤル!』

 そう叫ぶや、ナグナギールは真紅の炎を吐き出した。「ガキ」という罵声からして、明らかに標的はリムドだ。だが、その炎はカグラの念術であっさり回避された。カグラがリムドの前に立ちはだかったのは、この事態を想定したものだったのだ。

 おかげでリムドは事なきを得たが、あまりに突然なことにショックで膝をついてしまった。そこへマルシャが駆け寄り、まだ上空を舞うナグナギールを怒鳴りつけた。

「全く、いきなり火炎放射なんて乱暴にも程がある! リムドに何の恨みがあるっていうんだい!」

『うるせエ、このばばあ猫! カグラも邪魔すルナ! こいつを消し炭にシネエと、こっちの気ガ収まらねえ!』

 されどカグラは微動だにせず、リムドを守るように相手を見据えたまま。埒が開かないと思ったのか、ナグナギールは舌を打ち、リムド達の前に降りたった。

 しかしその姿を間近にして、リムド達はナグナギールが苛立っている理由を理解した。鼻先に噛み跡が付いている。かさぶたも未だ赤く生々しい、真新しい傷が。

『くそガキ、この傷ヲ見ろ!』

 ナグナギールはその傷を指さし、爛々とした目でリムドを睨みつけた。

『お陰でお袋にがぶりとやられチマッタじゃねえカ! てめえがあんな余計なコト言ったせいダ!』

「あんなことって……? もしや呪いについて母親に訊いたらどうかってことかい?」

『そうだ! それでお袋ハえらく腹を立てて、噛みつきヤガった! そんな手抜きノ育児はしていないッテな!』

 母親メジナの逆鱗に触れたナグナギールが、手酷い仕置きを受けたと聞いても、リムドは頭が混乱するばかりで何一つ言い返せなかった。母親ですら覚えがないというのであれば、呪いをかけられた時期が推測出来ない。

 ーーそれじゃ、一体いつ何処で呪いを受けたって言うんだ? これじゃあのディルと同じじゃないか……。

 リムドが謝罪もせず、黙り込んでいるのを見て癪に障ったのか、ナグナギールは再び大きく息を吸い込んだ。が、そこへカグラがすっと手を挙げた。

「そうかっかしなさんな。傷は治してやるから、頭をこっちに寄せなよ」

「けっ! ならトットと治せ!」

 仏頂面のナグナギールが口先を差し出すと、カグラはその傷口にそっと手を触れた。数秒足らずで傷は完全に治癒し、痛みが引いたナグナギールはようやく怒りを治めた。

『カグラに免じテ、今回はこの辺で勘弁シテやらあ。今度こんな目に遭ったラただじゃオカネえぞ』

 執念深い飛竜の恨みを買うことは、賢明な行いではない。リムドもある意味自分の軽率な発言を反省し、ナグナギールに謝罪した。

『で、今度は何処に行くッテ? 俺をアッシーにして何処ニ行くつもりナンダよ?』

 機嫌が直ったナグナギールが尋ねると、カグラは素っ気なく答えた。

「家に帰る」

『家って、お前ノ家か? 何処ナンだ?』

「ヨマーン。西部オルドーのラシル村」

 ナグナギールはポカンとした表情を浮かべたまま固まっていたが、十秒程経ってやっと念話を飛ばしてきた。

『ミスリダかラ今度はヨマーンかよ! お前も人使い……ジャナくて竜使いガ荒い奴だな』

「で、あんた、場所はわかる? ラシル村には行ったことがあるの?」

『ネエな。だけどオルドーなら一時期滞在していたことガアる。山奥の池辺りダ』

 山奥の池と聞いて、カグラもリムドも直ぐにぴんときた。昔、ノーラムがカグラの魔力量を確かめるために訪れた池に違いないと。そこからラシル村までは徒歩でも二時間程度で到着する筈である。

 その池の畔でいいとカグラが告げると、ぶつぶつ文句を言いながらも、ナグナギールは身を伏せて背中を差し出した。長距離を瞬間移動出来るのも、真の乗り手であるカグラあってのことだからだろう。

 僅か足かけ二日間という、短い滞在で終わったミスリダでの調査。そして半年に及ぶ調査の旅事態、今終わろうとしている。懐かしい我が家へ帰れるのだ。しかし、リムドの心は鉛のように重かった。まだ決定的ではないものの、喜ばしくない結果を大伯父に報告しなければならないことに。


 前回同様、目的地に到着すると、ナグナギールはろくに別れの挨拶もせずさっさと去ってしまった。自由気ままに暮らしてきた飛竜にしてみれば、いくら盟約を結んだ相手とはいえ、いいように使われるのは気持ちのいいものではないのだろう。 

 池のはラシル村西部の山中にあったが、この周辺までラシル村の人々も薪拾いや薬草採取目的で時折やってくる。そのため村へと続く山道も一応整備されており、リムド達もその道を利用することにした。一刻も早く帰宅したいカグラは、念術での移動を強く希望したが、リムドが承知しなかった。その現場を村人に目撃される可能性を否定出来なかったからである。

 その様な訳で徒歩での地道な移動となったのだが、普段よりも急ぎ足だったせいもあり、二時間経過しないうちに村が見えてきた。ノーラムの自宅は山道入り口とは目と鼻の先。懐かしい我が家が視界へ入った途端、堪えきれずカグラは走り出そうとした。だがーー

「カグラ、待て。庭に誰かいる」

 リムドがその肩を掴み、カグラを制止した。山道の終着点付近、家を見下ろす小さな崖から庭を覗き込むと、確かに誰かいる。女性二人だ。

 何か用でもあって村人が来ているのかとリムドは思ったが、そうではないことは直ぐにわかった。村人にしては身形が良すぎるのだ。一人は涼しげな水色のワンピース、もう一人はやや地味な紺色のメイド服。どちらも質素な暮らしーーというか極貧生活を強いられている村人が身が纏える代物ではない。さらに二人揃って洒落た布製の帽子まで被っている。

 時刻は午後三時頃、六月の日は未だ高い。ところが、問題の女性達は驚くべきことにこの炎天下の中、鎌を片手に庭の草刈りをしているではないか。あんな服装で野良仕事を……と驚くリムドは思わず凝視したが、下を向いたまませっせと作業をする彼女らはその視線に全く気付いていない。

 普通ではない光景に疑問を抱いたリムドは、カグラとマルシャをその場に待機させ、様子を窺うために一人家へ向かった。門からそっと顔を出してみると、先程の二人の女性の容姿が確認出来た。水色のワンピースの女性はかなりの年輩者で、七十歳くらい。服装だけではなく仕草や雰囲気に至るまで、要所に育ちの良さが現れている貴婦人と呼ぶに相応しい人物だ。今でこそ老いて顔には無数の皺が刻まれているが、若かりし頃は美女であった形跡が見えた。もう一人のメイド服の女性は四十歳前後、育ちの良さは全く見受けられず、服装そのままの人物といった感じだった。

 ーー領主の親族か知り合いが来ているのかなあ。でもそれにしては様子が変だ。

 「常識」的に考えれば、夏の未だ暑い時間帯に貴族がノーラム宅の庭にいること自体おかしい。しかも野良仕事とは。リムドは首を傾げざるを得なかった。

 そうこうしているうちに、メイド服の女性が顔を上げた。

「大奥様、何もこんな暑い日に表へ出られなくても……」

 その声を聞いて老婦人はハンカチで汗を拭い、にっこりと微笑んだ。

「いいじゃないの。部屋に籠もってばっかりじゃかえって体に良くないでしょう。それにしてもこの庭は荒れ放題ね。まあ、ノーラムは根っからの本の虫だから仕方がないわ。ならせめて私がここにいる間に、少しでも綺麗にしておかないとね」

 メイド服の女性はもううんざり、といった感じだったが、老婦人はそんなことお構いなし。慣れた手つきでさくさくと草を刈っている。するとその時、母屋の扉が開いてノーラムが庭へ出てきた。

「二人とも、庭いじり何かせずに家の中で休んでーー」

 不意にノーラムの動きが止まった。リムドの直ぐ横を疾風の如く勢いでカグラが駆け抜けて行ったのだ。

「祖父ちゃん!」

 突然の孫娘の出現に茫然自失のノーラムの胸元めがけ、カグラは一直線に飛び込んだ。驚く女性らのことなどお構いなし、カグラはノーラムを抱きしめ、顔を押し当てる。

「あちゃーっ。カグラの奴、あれほど大人しく待っていろと言ったのに……」

 頃合いを見計らい、さり気なく姿を見せようと考えていたリムドだったが、カグラのフライングが全てを台無しにしてしまった。これでは自分が出るタイミングが計れない。どうしようかと困惑していると、マルシャが息を切らせて駆け寄ってきた。

「すまないね、リムド。カグラったらノーラムさんを見たら我慢出来なくなったみたいで、私が止めるのも聞かずに飛び出したんだよ」

「まあ仕方ないか。カグラもまだまだ子供だなあ……」

 そのカグラはノーラムに頭を撫でられている。羨ましさと寂しさを堪えつつ、リムドはマルシャを伴って敷地へ入った。

「お久しぶりです、大伯父さん。今戻りました」

「リムドか。よく無事に戻ってきたな。ところで、そこの猫は……ん……?」

 リムドの足下に行儀良くうずくまる黒猫を見て、ノーラムは何か思い出したのか目を見張った。にっと笑うマルシャ。

「ノーラムさん、お久しぶり。私のことを覚えているかい?」

「勿論だ。お前はアトラさんの使い魔のマルシャであろう。あの手紙を届けてくれて以来だな。アトラさんは達者か?」

「いや、(あね)さんは亡くなってね。まあ詳しい話は後にしてーー」

 マルシャは二人の女性の方をちらりと見た。年輩者らしい気遣いで、彼女らに話題を振ろうとしたのだ。もっとも、メイド服の女性は突然のカグラとリムドの登場に、呆然とするばかりだったが。一方、老婦人は落ち着いたもので、鎌を置くとさりげなくノーラムの横へ立った。

「成る程、この子があなたの孫のカグラで、こっちの子がサーヤの孫のリムドーーそういうことよね、ノーラム」

「その通りです、姉さん」

「姉……さん……? ってことは……」

 リムドは知っている。ノーラムが「姉」と呼ぶ人物は一人しか存在しないことを。リムドは思わず叫んだ。

「ローザ大伯母さん!」

 家庭の事情で生後間もなく豪商夫妻の養女となり、下級貴族に嫁いだノーラムの双子の姉・ローザ。現在、嫁ぎ先のナリード家は息子の代となっている。ローザも表舞台から身を引き、屋敷の中でのんびり老後の生活を楽しんでいる筈だ。その大伯母が何故こんな寒村の弟宅にいるのか。しかもノーラムは赤子の時に別れて以来、姉には一、二度しか会ったことはないという。格別仲が良いとは聞いてはいないのに、何故……。

 そんな疑問がリムドの頭の中をぐるぐると駆け巡る。が、そんなリムドの心中などローザは知る由もなかった。

「それでリムド、旅はどうだったの? 役に立つことや面白いこと、色々と見聞き出来た?」

 ローザの「呑気な」質問を耳にし、リムドははたと我に返った。ローザはリムド達の旅の本当の目的を知らないとみえる。無論、カグラの秘密も。状況を察したリムドは、少し無理をして笑って見せた。

「ええ、まあ……。スルーザやミスリダにも行きましたから。それでその……。大伯母さんはどうして今こちらにいらっしゃるんですか?」

「それはだなーー」

 ノーラムが言い出しそうとした途端、ローザはさっとそれを遮った。

「そのことは私が直接この子達に説明するわ。とにかく、中に入りましょう。立ち話ですむような話じゃないし」

 そう言うとローザはさっさと母屋へ入っていった。慌てて後に続くメイド服の女性。二人の姿が消えたことを確認した後、リムドはノーラムの許へ歩み寄った。

「大伯父さん、大事な話が……」

「わかっている。お前達がこうして帰ってきたのは、何か重要な情報を掴んだからであろう。しかし、それを姉の前で報告するのは障りがある。姉の話が終わった後で聞くことにしよう」

 リムドはこくりと頷いた。取り敢えずローザの事情を聞く方が先だと。そうでもしないと、リムドも冷静にノーラムに報告出来そうになかったからである。


 ローザの実家は豪商、嫁ぎ先は貴族。七十歳を越えるこの年まで、彼女は常に上流家庭の中で生きてきた。故に見た目も仕草も実に優雅で、がさつなところは微塵も感じられなかった。

 ところが意外なことに、ローザは驚くほど気さくな人物だった。実弟のノーラムには勿論、姪孫であるリムドやカグラ、使い魔のマルシャに対しても上流階級の者にありがちな高圧的な態度ーー俗に言う上から目線で接することは決してなかったのだ。そもそもそのような人物であったら、この暑い最中好き好んで庭いじりなどする筈がない。

 理由はローザが育った環境にあった。ローザの養父母は裸一貫から懸命に働き、苦労して財を成した努力の人。その養父母は「驕り高ぶるな。商いは人に信頼されてこそ成り立つ。貴族だろうと庶民だろうと、お客様はお客様だ」が口癖だった。そのためローザも四人の兄達も、庶民に対する偏見を持つことなく育ったそうだ。

 母屋の居間にマルシャも含めた全員が集まり、ローザ付きのメイドーークレアが入れた茶を飲んで一息入れたところで、リムドは切り出した。

「では改めてお伺いします。大伯母さんとクレアさんは、どうしてこちらにいらっしゃるんですか? 貴族の奥方である大伯母さんがこんな片田舎に……」

 やや緊張しつつリムドが尋ねると、ローザはティーカップを置いて話し始めた。

「あのねリムド。貴族って言っても準男爵なんて、騎士に毛が生えた程度のものなのよ。そのくせ貴族のプライドだけは一人前だから、かえって始末が悪いわ」

 リムドの横でノーラムは苦笑いを浮かべていた。恐らくこの手の愚痴は既に幾度となく聞かされたのであろう。

「跡取りを産めって言うプレッシャーが、半端じゃなかったのよ。私の場合は上の三人が女の子だったから特にね。四人目でやっと男の子ーーラムソンが生まれた時は、本当にほっとしたわ。ああやっと肩の荷が降りたって」

「大伯母さんも苦労されたんですね。それでその……」

 リムドの遠慮がちな催促に、ローザは慌てて軌道修正した。

「ああ、ごめんなさい。私がここにいる理由だったわね。実は家でーーナリード家で家の存続に関わる重大事件が起こったのよ」

 「その事件」の対応はラムソンが全面的に当たることになった。当主としてラムソンは家族を守るため、自ら矢面に立つ決心をしたのだ。事件が解決するまでの間、ラムソンの妻と子供は妻の実家へ、そしてローザはトゥーラムにある自身の実家へ身を寄せることとなった。しかしローザの実家は今、長兄の子の代となっている。迷惑をかけてしまううえに、血の繋がりがない自分が行っても、向こうは良い顔をしないだろう。

 そこでローザは弟の所で世話になることを思いついたのだ。ナリード家はオルドーの領主ダルメス男爵家とは親交も深いので、そのことも大きかったという。

「その様なわけで、昨日からここに厄介になっているの。連絡もせずいきなり押し掛けたから、ノーラムには悪いことをしたわ」

「そうですか。それでその事件って……」

「隠してももう無駄だから、この際はっきり言うわね。原因は私の孫娘であるセレアナにあるのよ」

「セレアナさんって、確か現当主のラムソンさんの娘さんじゃ……」

 ここでノーラムの眉尻がぴくりと動いた。ノーラムはナリード家の詳細をリムドに語った記憶はない。それどころかローザがナリード家に嫁いだことすら話していないので、疑問に感じたようだ。もっともリムドがここまでナリード家の人間関係に詳しいのは、王立図書館で資料を閲覧したからに他なら無いのだが。

「そういうことになっているわね、表向きは」

 ローザの口調が一気に重くなり、リムドは身を乗り出した。

「表向き? もしかしてセレアナさんは、大伯母さんの孫じゃないんですか?」

「いいえ」

 ローザはきっぱりと否定したーーリムドをしっかりと見据えながら。

「セレアナは間違いなく私の孫よ。でも父親はラムソンじゃない。勿論、嫁のエリネもあの子を産んでいない。あの子の実の母親は私の三女ミリアスなのよ」

「ミリアスさんって、あの絶世の美女で有名な……。そ、それじゃセレアナさんの父親は……。まさか……」

 リムドの顔からみる間に血の気が引いていく。追い打ちをかけるようにローザが答えた。

「そう。先の国王モルドワ2世陛下よ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ