第17話 第二の神
六月九日の正午前。大公暗殺未遂事件に関する情報収集のため外出していたリムドは、マルシャと共に宿屋へ戻ってきた。朝食をとるために入った飯屋でそれなりの成果を上げ、他の数件の店でも多少話は聞けたので、一休みしようというわけだ。
意外なことに客室へ入ってみると、カグラの姿は既に室内にあった。カグラはベッドの腰をかけ、パンを夢中になって頬張っている。空腹でたまらなかったのだ。グレンはカグラに何も食べさせず、宿から飛び出してしまったのだから。
大食らいのカグラに大金を持たせると、食事以外にもいらぬ買い食いをし、あっという間に全て消えてしまう。故にリムドはカグラに小遣い程度の額しか与えていない。そのなけなしの所持金で、カグラはありったけのパンを買ってきた……と、いうことは想像に難くなかった。黙って野良犬のように貪る再従姉妹の正面、自分のベッドにリムドは座した。
「グレンは楽屋かい? ラージとは会えたのかい?」
リムドの問いかけにカグラは頷き、パンを飲み込むとようやく言葉を発した。
「ラージから色々聞けたし、面白いものも見られた。詳しいことはグレンに報告させるから、先にそっちの話をしてよ」
カグラにしてみれば、今は腹を満たす方が先というわけだ。リムドも気にとめることなく、マルシャがベッドへ飛び乗ったところで話し始めた。されどリムドが自分が得た情報を報告しても、カグラは何の反応も示さない。グレンがラージから聞いたものと大差がないため……と言うよりは、栄養補給の方が重要だからだろう。
「ところでカグラ、ラージを殺そうとしたザントって奴がいただろう? あいつ、昔はミスリダの貴族に仕える竜兵士だったらしい」
「え、竜兵士? あいつ、竜騎士じゃなかったっけ? ファシドが異街道使ってすっ飛ばした、ガロディリアスっていう竜が騎竜の」
カグラが手を休めるのを見て、話をきちんと聞いていたのかとリムドは内心驚いた。もっとも楽屋メンバーはーー少なくともファシドとアギは聞いてくれている筈なので、リムドも心配していなかったが。気を取り直し、リムドは小さく頷いた。
「そう。しかしザントは事件直後、忽然と姿を消したんだ……」
ザントについて話してくれたのは、リムドとマルシャが最初に入った宿近くの飯屋の主人だった。二人は朝食をとるついでに、大公暗殺未遂事件について店の者に訊こうと、カウンター席に着いた。
カウンターの向こうでは四十代くらいの一人の男が、大鍋のスープを黙々とかき回していた。この店の主人のようだ。彼ならば当時のことを知っているだろうとリムドは判断し、注文をし終えたところで声をかけた。
「ご主人、僕はヨマーンからやってきた賢者見習いの者です。見聞を深めるために旅をしています。それでよかったら、この国で5年前に起こったあの事件について教えてくれませんか。僕の国でもこの事件が切っ掛けで、事実上異街道が使用禁止になりました。ですからその経緯を詳しく知りたいんです」
その途端鍋を回す手がぴたりと止まり、店の主人はリムドの方を振り向いた。
「あの事件のことについて教えるのはいいが……。その代わりと言っちゃ何だが、一つあんたに訊きたいことがあるんだ」
「それって何です?」
リムドが尋ねると主人は竈の側から離れ、リムドの目の前まで歩み寄ってきた。
「ログス・アーデンという男を知らないか? 髪も目も茶色、年の頃は俺と同じくらいだ」
「さあ……」
聞き覚えがない名だったので、リムドは首を傾げるばかりだった。主人はその様子を見て落胆したような表情を浮かべたが、約束通り大公暗殺未遂事件について知る限りを語ってくれた。
一通り話を聞き終わった頃、女将が注文した料理を運んできたので、リムドは主人に礼を述べて食べ始めた。しかし気にはなった。何故主人が、自分にログスなる人物の行方を尋ねてきたのかを。その疑問はマルシャも抱いていたようで、椅子からカウンターへ飛び乗ると、主人をしげしげと見詰めた。
「ちょいとご主人。どうして見も知らずのこの子にあんなことを訊いたのさ?」
猫であるマルシャがいきなり喋り出したことに余程驚いたのか、主人は固まった。「わたしゃ元使い魔だよ」とマルシャが説明しても、緊張はなかなか解けない。ミスリダでは猫の使い魔は殆ど見られないので、信じられなかったようだ。高い山々に囲まれたこの地では、寒さに強く峰を飛び越えられるだけの飛翔能力を持つワタリガラスが、使い魔として好まれるという。
ともあれ、どうにかマルシャが元使い魔であると納得した主人は、ふうと息を漏らした。
「いや、このお客さんがヨマーン人って聞いてね。もしかしたらログスのことを知っているんじゃないかと思って……」
「そのログスって人はヨマーンにいるのかい?」
山羊肉の煮込みを堪能しつつマルシャが尋ねると、主人は寂しげに目を伏せた。
「かもしれない。少なくともミスリダにはいないようだ」
「行方不明か。それであんたとログスはどういう関係?」
「幼なじみでね。昔、あいつはここで酒問屋を営んでいた。昔からうちで出す酒は、全てあいつの店から仕入れていたんだ。ところが五年前、あの事件の直後に急に姿をくらましちまって……」
祖父の代から続く酒問屋をログスが継いだのは、二十年前のことだ。当時のログスは真面目で商売熱心。店もそこそこ繁盛もし、取引先の評判も悪くなかった。しかし十年前、ザント・アリムスという男と付き合い出した頃から、様子が少しずつおかしくなっていった。
「ザントは何の前ぶれもなく公都へ戻ってきて、奴の兄貴が経営する居酒屋に住み込みで働き出したんだ。ログスの店とその居酒屋は取引があって、その縁で知り合ったらしい」
ザントーーこの名にリムドとマルシャはぴんときた。ラージを殺そうとしたあのザントかと。しかし二人共ザントの姓までは知らない。竜兵団名簿にはザントの姓の記載はなかった。ヨマーンでは王侯貴族や富豪以外の者が姓を持つことが許されていないからだ。
その様な訳で、主人が捜しているザントなる人物も、同名の他人である可能性が十分ある。二人は黙って主人の話を聞き続けた。
「当初からザントには良くない噂があった。何でも奴はナーザス侯爵に仕える竜兵士だったが、何らかの不祥事を起こして解雇されたらしい。それが原因で妻子と別れる羽目となり、侯爵のことを相当恨んでいたって話だ」
「ナーザス侯爵ってさっき言っていた、例の事件の首謀者だよね? その侯爵を恨んでいたってーー」
突っ込みを入れるマルシャに、主人はむっとした表情を見せた。
「ああ。『俺は悪くはない。いつか仕返ししてやる』って、ことある度にぼやいていたらしい。で、復讐目的かどうかは知らんが、奴は何人かの真っ当ではない連中と付き合い出し、ザントと親しかったログスもそれに巻き込まれたってわけだ」
商売は信用が第一だというのに、ログスはザントの「不出来な友人」達と交流を持つようになった。当然のことながら評判はがた落ち、堅気の顧客はログスの店との取引を絶つようになった。十人近くいた従業員も次々と辞めて行き、七年前にはとうとう全ていなくなって、家族で切り盛りせざるを得なくなってしまったのだ。
ところがログスはそんな状況になっても、何故か困った素振り一つ見せない。店を妻子に押しつけ、昼夜を問わず町中をうろつく有様。何か危ない商売に手を染めているのではないか、目を覚ませーーと主人が忠告しても、ログスは聞く耳持たなかった。
そして五年前の三月、閉店直後の主人の店をログスがふらりと訪ねてきた。久しぶりと言うこともあり、二人は店のカウンターで飲んだ。そしてその時、ログスが信じ難いことを口走ったのだ。
「おい、聞いてくれ。俺、竜騎士になれるかもしれないぜ」
その言葉に主人は耳を疑った。確かに竜騎士になることは、ログスの子供の頃からの憧れであり、夢だった。だがそれを実現させるには、意思疎通が可能な火竜を見つけるという、最大の問題をクリアしなければならない。そのことを主人が指摘すると、酒の勢いもあったのだろう。ログスは笑い飛ばすかのように、こんなことを言い出した。
「『ある方』が俺の騎竜になる火竜を探してくれるって約束して下さったんだ。俺、あの方に着いていくぜ」
「おい、それってまさか、あのダルカンって魔術師じゃ……」
主人も噂には聞いていた。ログスはザントの紹介でダルカンなる物見魔術師と知り合ったと。ダルカンは普通の物見魔術師であれば、拒否するような依頼も金次第で受けると評判の男だった。つまり、裏世界や犯罪がらみの仕事も請け負うということだ。
ところが当のログスは、主人の心配をよそにさも楽しげに笑い出した。
「馬鹿言え。あれも物見魔術師としては良い線いっているが、あいつに火竜が見つけられるかよ。『ある方』はもっともっと凄い術が使えるんだ」
実際、ログスの言う通りだった。遠見魔法には正体が曖昧な相手ーー素性や名が明確ではないものは見つけられないという欠点があるのだ。何処にいるとも知れない火竜など探し出せる筈もない。
では、一体『ある方』とは誰なのか。しかし、いくら尋ねてもログスはその名を明かそうとはしなかった。上機嫌で店から去って行くログスの後ろ姿に向かって主人は叫んだ。
「ログス! もう一度店を建て直してやり直す気はないのか? 頼むから昔のお前に戻ってくれ!」
返事はなかった。そしてこれが主人がログスにかけた最後の言葉となったのだ。
その二ヶ月後、あの事件は起こった。国中が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなる中、ログスは公都から姿を消した。店も妻子も全て置き捨てたまま。更にザントまでも。
突如行方不明となってしまったログスを捜し求め、家族や知人は心当たりのある場所を片っ端から当たった。ダルカンの許へも無論行ったが、ダルカンは知らぬ存ぜぬの一点張り。それでも粘り強く尋ねるうちに鬱陶しく思ったのか、「ログスならザントと一緒に竜に乗ってどっかへ行っちまったよ」と、吐き捨てるように答えたという。
「え、竜って……? 『どの』竜なんです?」
リムドの質問に、主人はしばしの沈黙の後述べた。
「……ログスの竜は黒地に白の縞模様、ザントは緑色だそうだ」
「と、いうことは、少なくともログスの竜は火竜ってことになるねえ……」
マルシャは一人うんうんと頷いた。翼竜や飛竜には柄付きの体色を持つ個体はいないからだ。ログスは念願叶って竜騎士となったのである。鞍無しか否かは不明だが。
そしてザントの騎竜は緑。あのガロディリアスはエメラルドグリーンの火竜だった。ダルカンと知り合いだったことから見て、あのザントに違いないだろう。
ログスが竜騎士となり、ザントと共に行動しているのであれば、同じビスタ竜兵団に所属している可能性は極めて高い。しかもリムドは王立図書館で竜兵団名簿を閲覧した際、ビスタ竜兵団の中に白黒縞模様の火竜がいたことをはっきりと記憶していた。流石に乗り手の名まで覚える余裕はなかったが、柄付きの火竜は珍しいので、印象に残ったのだ。
しかし、リムドはそのことを主人へ伝えるつもりはなかった。賢者見習いとは言え未だ二十歳にも満たぬ若者が、何故こんな重要な情報を握っているのか。情報の出所は何処なのか。突っ込まれては厄介だ。グレンがビスタ竜兵団副団長カイエン・バーンを殺害したことに端を発したあの事件。リムドはもうこれ以上の深入りはしないと誓ったのだから。察しのいいマルシャはリムドの心中を悟ってか、同様に口を噤んだままだ。
「それから暫くして、ダルカンも店を畳んで公都からいなくなった。あいつはヨマーン人で、国に帰ったと聞いた。だからログスもヨマーンにいるんじゃないかって思ったんだ」
「成る程。私達ログスは知らないけど、ダルカンなら知っているよ。アレフトで店出していたからね。相変わらず怪しい商売をしているらしいけど」
マルシャは喋りには一切の躊躇いはなかった。ダルカンが王都で商売をしているということは、住民であれば知っていても何ら不思議ではない。公表しても問題なかろうとマルシャは考えたようだ。
「そうか、ダルカンはアレフト、か……。もしかしたらログスもそこにいるかもしれないな。有り難う、お客さん。俺のグチ紛いの話を聞いてくれて。お代はいらないよ」
礼を述べて主人は笑顔を見せたが、リムドは少なからず良心が痛んだ。ザントもダルカンも既に死亡していること、そしてログスの行方ーーこれらを教えることが出来ないことに。
「……と、僕らが得た情報はこんなところだ。ザントはログスの言う『ある方』の力で、ガロディリアスと出会えた可能性がある。その人物が誰で、どうやって他人の騎竜を見つけられたかは甚だ疑問だけど……」
鞍無しにしてもそうでないにしても、人が「相棒」や「半身」となり得る火竜と出会える機会はそうそう訪れ無い。火竜が発信した名前をキャッチ出来る範囲内にいなければならないからだ。その範囲は火竜を中心に仮初めの乗り手の場合は半径二十ライゼ(十メートル)、真の乗り手の場合は半径四百ライゼ(二百メートル)程度と言われている。
集落で日々平々凡々に暮らしていれば、火竜に遭遇することなどまずない。どこの国でも竜騎士の大半は、王侯貴族が所有する竜兵団に所属しているからだ。よって辺境へ行けば、一度も火竜を目にすることなく一生を終える者もざらにいる。「火竜に接する機会が多い騎士の家系の者ならともかく、庶民が竜騎士になれるのは、富くじの一等に当たるようなもの。余程の幸運と偶然に恵まれないと」と言われるのも当然である。
「それにしてもザントの過去にそんなことがあったとは。あいつは人生を台無しにされ、ナーザス侯爵に恨みを持っていた。異街道を作って暗殺者を城に侵入させたソリって魔術師と繋がっていたかもしれないな。元家臣なら侯爵家の事情にも詳しいだろうし」
リムドがソリの名を出した途端、カグラがぽろりと呟いた。
「もしかしたらその『ある方』がソリなんじゃないの?」
「そうかなあ。だってソリは魔術師なんだろう? 魔術師の物見魔法じゃザントやログスの火竜を探し出すのは無理だ」
「でもソリはボルドークかもしれないよ。ソリは人格移植の魔法を使って、ナーザス侯爵やその友人、さらに大勢の家臣も操っていたみたい。その連中はソリがとんずらした後、ソリに会ってからのことは覚えていないって大公に訴えていたって話だから」
「え? そうなのか? その魔法をかけられて云々って話は、飯屋の親父さんの話には出てこなかったなあ」
リムドもナーザス侯爵と友人である二人の貴族が事件を起こしたことは聞いたが、事件後の彼らの尋問内容までは知り得なかった。飯屋の主人は一般庶民、ラージは事件関係者である貴族の元家臣。情報源に差が出たのである。
「そう……か。確かに人格移植の魔法は誰でも彼でも使えるものじゃない。魔術師にしろ僧にしろ、かなりの高位者じゃないと不可能だ。しかも大勢の者に術をかけ、操っていたなんて……」
人格移植の魔法は、同時に施し可能な人数は通常ならば数人が限度と言われている。事実、以前グレンが傭兵稼業で出会った魔術師も自軍兵にこの術を使用していたが、四人が精一杯だったという。
ところが驚くことに、ソリは数十人単位で人格移植の魔法をかけている。当然のことながら途方もない量の魔力を必要とする筈だ。魔術師は自然に存在する魔力を源に術を行使するが、その引き出せる量には限界がある。だが、その自然すら創造した神の力が源の神官魔法ならば話は別だろう。
「もし仮にお前の言うように『ある方』がソリで、更にソリがボルドークだとしたら、『ある方』は僧ということになる。そうなれば多数の者にも術をかけることは出来るかもしれないな。それに火竜の居所もわかる筈だ」
「え? どうして?」
きょとんとするカグラを見て、リムドは苦笑した。
「お前、完全に勉強不足だな。神官魔法の中に『神の導き』なるものがあるのを知らないのか? レナが言っていたんだろう。ボルドークもこれでベリアライローズの存在を知ったと」
リムド曰く、「神の導き」魔法を使うと、人知ではわかり得ぬことを神ーーベルメールが答えてくれるという。ただこの魔法は、高位神官でなければ使えない術。しかも常に神が答えを出してくれるとは限らない。ベルメールもいちいち人間の頼みごとに応じるほど暇でも無いだろうし、第一全てに答えていたら神の有り難みも薄れるというものだ。
「でも正義の神であるベルメールが、悪事をはたらく下部に荷担するなんて……。セレアナを殺そうとしたことにせよ、唯一神のやることは何だかよくわからないな」
「あー、そのベルメールが悪人に荷担云々って事なんだけどね」
パンの最後の一切れを腹へ詰め込み終え、カグラが立ち上がった。
「そのことについて説明するから、そろそろグレンと替わろうか」
と言うが早いか、カグラの姿がぼやけ始めた。いきなりのことなので窓のカーテンを閉める間すらない。この部屋が覗かれる心配がない三階で本当に良かったと、リムドもマルシャも感じずにはいられなかった。
およそ三十秒後、カグラに替わって舞台へ出てきたグレンはにやりとーーそう、如何にも何か意味ありげに笑った。不吉な予感にかられて顔をしかめるリムドを見据えながら。
「それじゃ坊や、まずは私がラージに会って見聞きした『面白いこと』について話してやろうじゃないさ」
ベッドへ乱暴に腰を下ろすと、グレンは得意げにラージと会ってからの出来事を語り出した。そのあまりに突飛な内容に、リムドもマルシャも耳を疑ったが、グレンは嘘や捏造を好まない。故に二人は愕然とするばかりだった。
「翼竜に呪いがかかっていて、それを解いたら鳥の翼を持つ巨大な竜が現れたって……? それって一体……」
「あんた、鳥翼の竜を知らないのかい? 鱗も羽毛も青くきらきら光って、そりゃ綺麗な竜だったよ」
「いや、全然……」
目を見開き首を横へ振るリムドを見て、グレンは吹き出した。
「何だい、その間の抜けた顔は。やっぱりあんたに訊くのは無駄だったねえ。国に戻ったら祖父ちゃんに訊くわ」
小馬鹿にしたようにベッドの上で笑い転げるグレンを目にしても、リムドは怒る気にもなれなかった。竜は火竜、飛竜、翼竜の三種ーーこれはこの世界の常識だ。グレンが言う鳥翼の竜は、その常識を覆す新発見であり、リムドの修行不足云々で片付けられる話ではなかったのである。
ひとしきり笑うとグレンは笑い涙をぬぐい、一気に表情を引き締めた。
「でもこの話は解呪してお終いじゃないんだよ。未だ続きがあるのさ」
そうしてグレンは話し出した。鳥翼の竜ーーディルが現れてから起こった出来事を。
グレンにせつかれ、ラージはディルに水を飲ませるため、小川へ向かった。その姿が林間へ完全に消えるのを確かめると、グレンは一度楽屋へ戻り、カグラと入れ替わった。エネルギーチャージをするために。解呪に魔力を使い切り、体力も落ちている状態は極めて危険だ。加えて無様な姿をいつまでも晒しているのは、豪腕戦士としてのプライドが許さなかった。
チャージ自体は一瞬で終わるので、入れ替わり時間を含めても1分半もあれば十分だ。ディルが喉を潤してラージと帰ってくる頃には、グレンはすっかりいつもの威勢のいい強戦士に戻っていた。
「あれグレン、具合は……」
「私は傭兵だよ。あの程度のこと何てどうってことない。第一戦場でへばっていたら、こっちの首が飛ぶからね。それより」
肩を揺らしてのしのしとラージの許へ歩み寄ると、グレンは発破をかけた。
「水を飲ませてやったら、次は狩りだって言っただろう? ぐずぐずしないでさっさと行きな! 私だって忙しいんだ。いつまでもあんた達に付き合っていられないんだからね!」
「あ、ああ……。でもその前にーーあんたと別れる前に、一つ頼みがある」
「頼み?」
睨みつけるグレンから目線を外し、ラージはディルの方を見上げた。
「ディルがあんたから名前をもらいたいと言っているんだ。良い名を付けてくれないか」
ああ成る程とグレンは納得した。知能が低い翼竜は親から真の名はおろか、略称さえ贈られることはない。他の家畜同様、飼い主が名を与えるのだ。ディルと言う名もボルドークに買われた時に適当に付けられたもので、それ以前の飼い主からは別の名で呼ばれていたという。
「欲しいのは『真の名』に当たるものだ。これだけ立派な姿になったんだ。真の名が無いのはおかしいだろう?」
「まあ、確かに。火竜より凄そうな竜が名無しっていうのもねえ」
「ただ、付けるに当たって条件が一つある。ディルという略称が連想可能な名にして欲しい」
「え、今の名は略称で残すのかい? あんたに術をかけてこき使ったくそ坊主に付けられた名前なんぞ、捨てちまえばいいのに」
信じられないと言わんばかりのグレンを見据えつつ、ラージは断言した。
「いいんだ。ディルと言う名は、俺の頭にしっかりと刻み込まれている。俺の意識が眠っていた時からずっとこの名で呼んでいたからだろう。誰に付けられたなんてもはや関係はない。そんなわけで頼む」
是非ともとディルも頭を下げた。呪いを解き、つきかけた命を救ってくれたグレンに、名付け親になってもらいたいと。そこまで懇願されると、グレンも満更でもなかった。
ただ、残念なことにグレンにはネーミングのセンスがない。おまけに大の勉強嫌い、知識不足で何かから引用することも難しい。無論、響きの良さだけで付けることも出来ようが、由来を訊かれて「何となく感じで」と答えるのも、無知を晒すだけだ。かと言って今更「やはり自分には無理」と断るのはもっと恥ずかしい。
さてどうしたものか。ラージもディルも期待を込めた眼差しを向けている。考える素振りを見せていたグレンだったが、内心頭を抱え込んでいた。
すると、ここで思わぬところから助け船が出た。楽屋からファシドがある名を提案したのだ。グレンとは正反対に、ファシドは勉強熱心。ラシル村にいる頃、頻繁に祖父の書庫へ籠もっていたので、カグラ団メンバーの中では知識量はずば抜けていた。
『お、悪くないね。それ、もらうよ』
ファシドに礼も言わず、グレンは得意げにラージに告げた。
「『ディーヴランドル』って名前はどうだい? 北氷の大陸南部の古代語で、『蘇りし者』って意味だよ」
「それは良い名前だ。有り難う、グレン。ディルも気に入ってくれたみたいだ。それにしてもグレンは凄いな。他の大陸の言葉まで知っているなんて」
ラージの傍らで嬉しそうに頷くディルーーディーヴランドル。グレンは鼻高々だ。楽屋ではファシドが「あー酷い、僕のアイデアなのに」と抗議していた。が、グレンは念話を遮断することもなく、余裕で完全無視を決め込んだ。
賞賛に満足したグレンは、上機嫌な態度から一変気分を改め、ラージに尋ねた。
「ところでラージ。あんた、ディルの体力が回復したら、あのくそ坊主に仕返しに行くつもりなんだろう?」
当然だという返事を期待していたグレンだったが、ラージの反応は意外なものだった。
「そうしてやりたい気持ちも確かにある。だが、あいつがソリだったとしたら、何を企んで大公を亡き者にしようとしたのか、その理由が知りたい。それには奴を捕らえないと」
故国の現状は大体把握でき、ディーヴランドルも完全復活した。ひとまず不安要素が解消した今、ラージの次なる目標は自分やディーヴランドルを酷使した相手への報復の筈。しかし、大公暗殺未遂事件の「被害者」として、あの事件の真相について自分には追究する義務があるーーそうラージは言いたかったのだ。感情にまかせてボルドークを殺してしまったら、真相は藪の中となってしまう。
「そうかい。それで奴ーーボルドークは、ヨマーン西部サタール地方のビスタ侯爵領にいる。さっきも言った通り、そこの竜兵団団長やっているよ。それで間違いないんだろう、ディル」
『その通り。あの男はビスタ侯爵の許にいる』
「そう言えばディル、お前ボルドークの騎竜だったんだろう? あいつが何者なのか、知らないのかい?」
するとディーヴランドルはゆっくりと長い首を横へ振った。
『私はラージに会う少し前、あの男にミスリダ国内の場末の竜市で買われたのだ。よって私があの男の騎竜であったのは、僅かな間でしかない』
「僅かな間ってどれくらいさ?」
『月の満ち欠けが一周しない位と記憶している』
「一月にも満たないのか。じゃあ、詳しいことは知らないね。しかし場末の竜市とは情けない。腐っても光鱗種だろうが」
『私も年老いていたからな。ボルドークはシャルドラへ急ぎ向かう途中、自分の騎竜が急死したので、選り好みする暇がなかったそうだ』
「ふーん、そうかい。ところで」
グレンはラージの方へ視線を向けた。
「あんたの目の前にあのくそ坊主が現れたのは、事件からどのくらい経った頃だい?」
「二十五日後だった筈だが……」
ラージの返事を聞いてグレンは確信した。ディーヴランドルがボルドークに買われたのは、ミスリダ国内があの事件で擦った揉んだしている頃だと。そんな中、急遽非友好国であるシャルドラへ向かうということはーー
「やっぱりソリはボルドークじゃないかい? 人格移植の魔法といい、慌てて国外へ脱出しようとしたことといい。シャルドラへ逃げ込んじまえば、追っ手も振り切れる。こりゃ怪しいね」
『そう。ボルドークは怪しい奴だ』
不意にディーヴランドルの念話が、グレンとラージの頭の中へ飛び込んできた。
『実はボルドークにはある重要な秘密がある』
「ほー、それは何だい?」
グレンはふんと鼻を鳴らした。翼竜だった頃の記憶など期待は持てないと。ところがディーヴランドルの告発は、その予想を遙かに上回るものだった。
『あいつはベルメールではない別の神を崇めている。ラージにかけた術も、その神から授かった力によるものだ』
「それは本当か! それでその神って何者なんだ!」
グレンが声を荒げ、ラージが唖然とするのも無理は無い。創世神ベルメールは唯一神との二つ名の通り、ヴィルダストリアで唯一の神。他の存在が神を名乗ることは決して許されない。
ただ過去二、三回、神を名乗る存在が現れ、世間を騒がせたことはあった。が、それは知恵と幾分強い魔力を持った魔物が、地域限定で信徒を募ったいわゆる「偽神」。即刻唯一神の信徒によって駆逐されている。
そうした偽神は己の魔力をひけらかすことはしても、信徒に力を授けるような真似はしなかった。早い話、他者に与えるだけの魔力がなかったのだろう。が、今回はどうも事情が違うようだ。
『私はその神の名前までは知らぬ。その者の存在を知ったのは、買われ間もなくのことだ』
ディーヴランドル曰く、ボルドークは数人の家臣と共にシャルドラへ入国後暫くして、妙な儀式を行ったという。
『それは神託を求める儀式のようだった。しかしその時、あいつはベルメールを超越し云々……と言っていた。私も今のように明晰な頭脳を持ち合わせていなかったので、うろ覚えだが』
そしてその儀式終了後、ボルドークは「我が半身となる竜とその竜がいる地が判明した」と言って単身ディーヴランドルに乗り、いったんミスリダへ戻ったという。
「それでボルドークはあの性悪娘に会ってベリアライローズのことを聞き出し、あんたの前に現れたって訳だ。なあ、ラージ」
グレンはラージの方をちらりと見た。ラージは口を真一文字に結んだまま、体を小刻みに震わせている。騎竜を奪われる悲しみと屈辱が蘇ったのだろう。
さらにディーヴランドルの話のよれば、自分が買われた時点で家臣の中にザントを含めた複数の竜騎士がいたらしい。しかしボルドークは騎竜が翼竜の竜兵士、竜兵としては家臣よりも格下。やはり上に立つ者ととして、鞍無しの竜騎士になることを切望していたのだろう。
ただ、ボルドーク自身についても、その謎の神についても、ディーヴランドルはそれ以上のことを知らなかった。人の言葉はかなり理解は出来たが、そこは翼竜の頭脳。あれこれ考えを巡らして探り出そうという思いには欠いていた。当時のディーヴランドルが関心を向けていたもの。それは新しい主となった別人格のラージ、そして「今日は何が食べられるのか、どんな仕事をさせられるのか」といった、日々の暮らしに関することばかりだったのだ。
『鞍無しの竜騎士となったボルドークはラージを連れ、ミスリダから再度シャルドラに入って臣下と合流。その後ヨマーンへ行きビスタ侯爵の竜兵団に入ったわけだ。どうやって侯爵に取り入ったのか、私には知る由もないが』
この直後ディーヴランドルは他の竜と同様、一日の大半を竜兵団の竜舎で過ごすようになった。顔を合わせる人間は、世話をしてくれるラージと竜舎付きの数人の召使いのみ。ボルドークの姿は、訓練や任務で見かける程度だった。
『正直なところ、私もボルドークが異なる神を崇めていることはすっかり忘れていた。ボルドークについてあなたに尋ねられたので、思い出したというわけだ』
「ま、翼竜だったんだからねえ。それにしても唯一神じゃない神さんか。信徒使って悪事はたらくなんて、ろくな神じゃーー」
そこまで言い掛けてグレンははっとなった。楽屋でアギとファシドが叫んでいたのだ。その神こそ自分達が旅に出てまで探し求めていた「もの」ではないかと。




