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カグラの四つの顔  作者: 工藤 湧
17/21

第16話 鎖

「ここに来るのは十五年ぶりか……」

 海を見下ろす断崖の上に降り立ったナグナギールは、感慨深げに呟いた。今いるこの場所はスルーザ王国西部、約十マール(五キロ)に渡り海と陸地を隔てる岩壁が、延々と聳える海岸線だ。

 今から三十年前の春、ナグナギールはこの断崖にある洞窟の一つーー母親のねぐらで生まれた。厳しいながらも自分を慈しんで育ててくれた母親だったが、ナグナギールが十五歳になった途端態度が豹変。食い殺さんばかりの勢いで、「もう独りで飛べて食って生きて行けるだろう!」と怒鳴り散らし、息子を縄張りから追い出してしまった。

 以来、ナグナギールは一度も故郷へは戻ってきていない。自分の縄張りを持ち、もはや戻る必要がなかったこともあるが、何と言っても最大の理由は母親にあった。母親のメジナは凶暴な女傑で、ねぐらへ侵入した雄竜を三度に渡り返り討ちにした武勇伝の持ち主である。うち一度は未だ幼いナグナギールの目の前で起きた。喉笛を食い破られ、白目をむいて痙攣する雄竜。鬼の形相で虫の息の雄竜を引きずり、海へ突き落とす母親……。その身も凍るような光景は、忘れようにも忘れられるものではなかった。

 そんな母親であるから、ナグナギールも会うのは気が進まなかった。しかし、自身に呪いがかけられた記憶がない以上、母親に尋ねる以外方法が思いつかない。覚悟を決め、ナグナギールは岩を蹴ると洞窟の入り口へ舞い降りた。足下には無数の骨や生き物の一部が散乱している。母親が食い散らかした魚や海獣の残骸だった。

 ーーけっ、お袋もずぼらなところは変わっちゃいねえな。

 苦笑しつつ、ナグナギールが洞窟の中を覗き込もうと首を伸ばした時だった。突然奥から飛び出してきた、薄紅(うすくれない)色の子供の飛竜(ゼダーン)と鉢合わせしてしまったのだ。子竜はナグナギールを見るや顔をひきつらせ、

「きゃああああーっ! お母さん、変な男が!」

 と叫び、転げるように洞窟の奥へ逃げ込んだ。どうやら自分を殺しに雄竜が侵入してきたと勘違いしたらしい。

「お、おい、待てよ。そんなことしたらお袋がーー」

 誤解を解こうにも子竜の姿はもう無い。そうこうしているうちに、殺意のオーラを纏った桜色の雌の飛竜が、火を吐きながら姿を現した。

「何処の馬の骨だ、うちの娘を狙っているのは! おや……」

 雌竜は立ち止まり、ナグナギールの顔をまじまじと見詰めた。鱗の艶も落ちて翼にも綻びが見られるところから、年輩の竜のようだ。しかし、牙は一本も欠けておらず至って健在、体のあちこちには幾つもの古傷。母親のメジナだった。

「何だ、お前かい! 脅かすんじゃないよ、この馬鹿息子が!」

 戦闘態勢は解除したものの、まだ気が立っているのか、メジナは鋭い目つきで息子を睨みつけた。感動の再会とは程遠い様に、ナグナギールはびくびくしながら話しかけた。

「よ、よお。お袋、久し振り」

「取り敢えずお前もいっちょ前にはなったようだね。それで何の用でここに来た?」

「いや、お袋にちょっと話が……」

「あ、そう。それじゃ暇潰しに聞いてやろうじゃないさ。ルビナ!」

 メジナは振り返ると、奥へ向かって叫んだ。息子の時とは正反対の撫でるような優しい声で。

「心配ないから出ておいで。こいつはお前の兄貴のナッグだよ」

 すると奥から足音がして、先程の子竜がそろそろとメジナの背後から顔を出した。

「何だお兄ちゃんかー。びっくりしちゃった」

 ルビナと呼ばれたその子竜は、くりくりとしたつぶらな目をナグナギールへ向けた。大きさは成竜の三分の二程度、年齢は十二、三歳と言ったところか。まだ飛竜の強かさも抜け目なさも身に付けていないこの娘は、ナグナギールの直ぐ下の妹だったのだ。ただその赤色系の体色から見て、異父妹であることは明白だった。

 ーーこのガキ、やっぱり俺の妹か。ってことは、こいつが跡取りか? お袋ももう百歳近いからな……。

 飛竜の雌は一生で四、五頭の子供を育てるが、最後は必ず雌の子を産み、その子に自分の縄張りを引き継がせる。つまり末子のルビナは、労せず縄張り得ることが出来るのだ。第三子で雄であるナグナギールは、生きるために必要な技能を一通り会得した途端、放逐されてしまった。その後野生の火竜(ドレイク)や他の飛竜の目をかい潜りながら各地を放浪し、今の縄張りを見つけるまでにどれ程苦労したことか……。

 妹に対し、少なからぬ嫉妬を覚えたナグナギールだったが、その感情を表へ出すことは叶わなかった。大事な跡取り娘に当たることは勿論、不満の一つでも漏らそうものなら、短気な母親に何をされるかわからない。ここは大人しく振る舞うのが得策と、飛竜らしい思考でナグナギールは苛立ちを腹の中へ収めた。

 メジナは親子の寝床ーー最深部の部屋へ行くと、こんもりと敷かれた藁の山に寝そべり、少々面倒臭さそうに尋ねた。

「で、私に話って何だい、どら息子」

「お、俺よう。真の乗り手を見つけたんだぜ」

 母親の機嫌を損ねぬためにも、ナグナギールはいきなり本題へ入るのを避けた。しかし、あまりに唐突な息子の言葉に、メジナは訝しげな表情を浮かべるばかりだった。

「はん? その乗り手とやらは何処にいるんだい?」

「今は訳あって別行動しているんだよ」

「ふーん、そうかい。なら、脳天をこっちによこしな」

 メジナは子供に灸を据える時、こうやって体の一部位を差し出すように命じることが多々あった。その痛い記憶を思い出し、怖々頭を突き出すナグナギール。メジナは暫し瞬きもせず食い入るように息子の頭を見詰めていたが、急にからからと笑い出した。

「私がつけてやった名はもう『発信』していないようだね。でかした!」

 楽しげに笑う母親の姿に、ナグナギールは心底安堵した。竜が自身の名を発信しているか否かは、老練な竜ならわかるという。メジナもこの域へ達しており、息子が嘘をついていないとわかったのだ。

 そもそも飛竜も火竜も最初の二つの名ーー真の名及びその略称は母親にもらう。人間と盟約を結んで真の乗り手を得ると、「真の名は公にされた」ものとされ、竜はもう名を周囲に発信しなくなる。ただ、竜の寿命は飛竜で百五十年、火竜で二百年と人間より長い。よって真の乗り手が先に死亡するケースもままある。その場合、竜は今度は自分で新たに二つの名を名乗り、それを再度発信するという。

「へへっ、凄いだろう。しかも俺の乗り手は魔力持ちだ。南の山岳地からここまで一気に跳んで来たんだぜ」

「ほー、そりゃ大したもんだ。で、お前はそのことを自慢しにわざわざここに来たのかい?」

 母親の冷たい一瞥にナグナギールはぎくりとした。ここで本題へ移らなければ、即刻追い出されてしまう。ナグナギールは正直に語り出した。呪いをかけられていたこと、それが原因で盟約締結による力が得られなかったこと。乗り手に呪いを解いてもらい、ようやく力を手にしたこと……など。

 ところがそんな我が子の災難を、メジナはまるで他人事のように平然とした顔で聞いていた。独立すれば親子と言えどもはや赤の他人。気にかけることでもないのだ。

「へえ、呪いねえ。そんな下らないもの、何処でもらったんだよ」

「それが俺にも憶えがねえんだよ。だからその……」

「だから何だって?」

 メジナの表情が次第に険しくなって行く。「落雷」の気配を察してか、ルビナは母親の傍らから離れ、岩陰に隠れてしまった。ナグナギールも直ぐに逃げ出せるよう、腰を落とす。

「俺がずっと小さな頃にかけられたんじゃないかって……。お袋、知らねえーー」

「ナッグ!」

 ナグナギールの言葉を遮るとメジナは跳ね起き、牙を剥いた。

「物心つく前に呪いをかけられただって! 忘れたのかい! ここへ入り込んだ男を私が八つ裂きにしたことをさ! 男は将来恋のライバルになる雄の子には容赦しない。必ず殺す。だから私は必死になった戦ったんだ。わかっているのか!」

 目を怒りの炎で爛々とさせ、メジナは迫ってくる。もはや蛇に睨まれた蛙同然、ナグナギールは完全に固まってしまった。

「お前はこの私が、幼子に呪いをかけさせるような手抜きの育児をやったとでも言うのか! 久し振りに顔を見せたと思ったら、そんな戯言をぬかしおって! この親不孝者!」

 そう叫ぶやメジナは、ナグナギールの鼻先に思い切り噛みついた。神経が集中している鼻先は痛みに敏感で、竜の急所とされる。たまらずナグナギールは悲鳴を上げた。

「ぎゃーっ! 許して、お袋! いや、母上!」

『母上なんて気持ち悪い呼び方するんじゃないよ、馬鹿息子が!』

 激高したメジナはナグナギールの鼻先を放そうとはしない。妹に助けを求めようにも、ルビナは恐怖のあまり岩陰で震えるばかり。やっぱり来るんじゃなかったーーナグナギールは後悔したが、もはやどうにもならなかった。


 ナグナギールが母親の許を訪れていた時、グレンはラージと共にローラン郊外の森の中にいた。森の中程にある開けた丘の上にディルがいるというのだ。

 丘へ向かう途中、ラージは森を流れる小川へ寄り、革製の水筒に水を汲んだ。次いで柔らかな瑞々しい若草を数本摘んだ後、グレンをディルの許へ案内した。

 丘の上には防水布の天幕が張られていた。野営に用いるテント式の簡易竜舎だ。火竜でも翼を畳み尾を体躯へ寄せれば全体がすっぽり入り、雨風を凌ぐことが出来る。

 中へ入り、うずくまっているディルの姿を一目見た途端、グレンはあっと小さく叫んだ。数日前に見た時とは似ても似つかぬ、その変わり果てた姿に。がりがりに痩せこけ、あばら骨がやたら目立つ。目を閉じたまま弱々しく息をするだけで、生気がまるで感じられない。 

「ディル、グレンが見舞いに来てくれたぞ。覚えているだろう?」

 ラージが頭を撫でながら口元へ若草を持って行っても、ディルは舐めようとすらしない。僅かに瞼を上げたものの、辛いのか直ぐに閉じてしまった。

 ーーこりゃかなり弱っている。可哀想だけど、このまま放っておいたらもってあと二、三日だね。

 ラージの傍らでディルを見詰めながらグレンはため息をついた。これならば自分が体力を回復させたところで、大して生きられない。精々一ヶ月といったところだろう……と。

「見ての通りだ。グレン、頼む」

 振り返り、懇願するかのようにラージはグレンを見上げた。あまり気乗りはしないが、約束した以上仕方がない。グレンは膝を折り、ディルの皮膜を持ち上げて心臓部へ右掌を当てた。魔力を行き渡らせるのには、心臓へ直接注入するのが一番効率がいいのだ。だがーー

 ーー!?

 ものの数秒も経たないうちに、グレンは血相変えて手を離した。まるで焼けた鉄に触れたかのような、凄まじい勢いで。

「ど、どうしたんだ!」

 戸惑うラージが声をかけても、グレンは眉間に皺をよせて右手を押さえるばかり。その頬を一筋の汗が伝う。 

 ーーこ、この感覚はあの時の……! 

 グレンはディルの体内に潜むある異様な存在に気付いたのだ。その存在を感知した途端、全身に電撃のような激しい衝撃が走った。そしてこの時の感覚は、以前カグラの腕を通して感じたものと全く同じだったのである。立ち上がり、グレンは神妙な面持ちでラージに告げた。

「ラージ、心して聞きな。この翼竜(ワイヴァーン)、呪いがかけられているよ」

 グレンの信じ難い台詞に、ラージは呆然とするばかり。しばしの間をおき、ようやく口を開いた。

「呪い……? ディルに呪いが? でもあんた、この前ディルの焼き印を消してくれた時は、何にも言っていなかったじゃないか」

「そりゃそうさ。あの時は患部に少し魔力を入れただけだったからね。だけど今回、心臓から血流に乗せ、魔力を全身に行き渡らせたら、とんでもないものを感知しちまったって訳さ」

 まだ痺れが残る右手をさすりながら、淡々と説明するグレン。しかし本当は、大声で叫びたかったのだ。何だこの呪いは!……と。

 ーーこいつの呪い、あの根性曲がり(ナッグ)にかかっていたみたいな生温いもんじゃない。あいつのは蔦が絡み付いているって感じだったけど、こいつのは鋼鉄の鎖で雁字搦めに縛り付けられているって感じだ!

 ディルの体の奥底からわき上がるどす黒い感情に、グレンは悪寒すら覚えていた。どろどろした底知れぬ憎悪が呪いと化し、この翼竜の体内に封じ込められているのだ。

「それでそれはどんな呪いなんだ? 呪いが解ければディルは元気になるのか?」

「そんなの知ったことかい。呪いの内容何て私にはわからないからね。でも、呪いはかけられてもいいことは何一つ無い。体によろしくない影響を与えているのは間違いないだろうよ」

「そうか……。それなら」

 ラージはグレンの腕を掴んだ。

「あんた、その呪いは解けるのか? ディルを呪いから解放してやることは出来るのか?」

「この呪い、かなり質が悪い。私の魔力で解呪出来るかどうか怪しいね。正直、やってみないとわからないよ。ま……やってもいいけど」

 何の気紛れか、グレンは自分から解呪を承諾した。カグラほどではないにせよ、グレンも面倒事を嫌う。普段ならば「付き合っていられるか!」の一言で終いだ。しかも相手は老死寸前、無駄に魔力を消費するだけとわかっている筈だが……。

「ただし、解呪には苦痛が伴う。しかもこいつは酷く弱っている。解呪の時にかかる負荷に耐えきれず、そのまま逝っちまうかもしれないよ」

 息をのむラージ。だがグレンは少しも容赦せず、腕を振り解くと畳みかけた。

「こいつは口が利けないんだ。どうするかは、飼い主であるあんたが判断しな。呪いを背負ったまま緩慢な死を待つか、それとも死ぬリスクを覚悟のうえで解呪に挑むかをさ!」

 即答出来る筈もなく、ラージは黙り込んだ。するとその時、ディルが微かに呻き声を上げた。まるで何かを訴えるかのように。後悔しないためにも、してやれることは全てやるーーその決意を思い出し、ラージは震えながらも答えを出した。

「呪いを解いてやってくれ……」

「だろうね。私がこいつの立場だったらそっちを選ぶよ。どうせ死ぬんなら、呪いが解けたさっぱりした体で死にたいからね。こいつもさっき、そう言いたかったんじゃないのか?」

 グレンがちらりと見ると、ディルは呼応するかの如くか細い声で鳴いた。

 ーーこいつ、もしや人の言葉が理解出来るのか? 

 グレンの疑問はごく自然なものだった。翼竜の知能は犬と同等、簡単な命令が理解出来る程度。いくら能力が高い光鱗種といえど、そこまで知能は高くない筈である。

 しかし、今はそんなことをあれこれと考えている場合ではない。気を取り直し、グレンはラージの背中をぽんと叩いた。 

「なら、やってやるよ。本当なら体力を回復してから解呪したいけど、今はその魔力が惜しい。可哀想だけど、このままやるよ。覚悟しな」

 ラージは無言でディルの頭をさするだけだった。自分が決断したこととはいえ、不安で押し潰されそうなのだろう。

 とは言え、不安なのはグレンも同じだった。ディルの呪いはカグラが本気を出して解けるレベルのもの。カグラの半分程度の魔力しかない自分が、この図太い鎖を引きちぎれるのかどうか、自信がなかったのだ。

 されどもう後には引けない。腹を決め、グレンはディルの首筋に右掌を当てた。相手は苦痛を感じても暴れる力すら残っていない。解呪を邪魔される心配はなさそうだ。

 グレンは大きく深呼吸をして精神を集中させた後、魔力の注入を開始した。注入するにつれ、ディルの身中に渦巻く憎悪が徐々に声となり、脳裏に響きわたった。血反吐を吐くようなおぞましき男の声だった。

 ーー我が怒りと憎しみを受けるがよい。人に鞭打たれるその惨めな姿でな……。

 戦士であるグレンですらぞっとするような、どす黒い感情。心臓を冷たい手で握り潰されるような感覚に襲われ、グレンは蒼白となった。ナグナギールの時とは訳が違う。桁違いの、それこそ数十倍はありそうな怨念だったのだ。

 まさかここまで凶悪な呪いだったとは。想定外の事態に流石のグレンも怯み、逃げ出したい思いに駆られた。が、自身の魔力は確かに効いているようで、鎖がみしみしきしみを立てている。あともう少しとグレンは踏みとどまった。

 ところが肝心なところで、最後の一踏ん張りがきかない。魔力が尽きかけているのだ。

「グレン! ディルが苦しがっている! もういい。止めてくれ!」

 ラージの泣き叫ぶような声が耳をつき、グレンは視線をそちらへ向けた。ディルがじんわりと涙を流している。だがそれを目にしても、グレンは手を離そうとはしなかった。構わないから続けてくれーーそう解釈したのである。

「今更止められるか! もうちょっとだっていうのにさ!」

 そう強がっても、出せる魔力は殆どない。あとは根性でやるしかーーとグレンが思ったその時、魔力が体の何処から湧いてきた。ほんの僅か、一握りの魔力ではあったが、グレンを奮起させるのには十分だった。

「よっしゃあーっ! いくよーっ!」

 雄叫びと共にグレンはその魔力を勢いよく翼竜の体へ注ぎ込んだ。耳の奥でびきっという鈍い音が響く。それと同時に呪詛の鎖はばらばらになり、黒い塵と化して消滅した。

「やった! 解けーー」

 グレンの歓喜の声は一瞬のうちに目映い光にかき消された。まるで太陽を圧縮し、炸裂させたかのような閃光が竜の体から発せられたのだーー爆風を伴って。完全な不意打ちで、グレンもラージも身構えることも伏すことも叶わず、たちまち二十ライゼほど吹き飛ばされてしまった。天幕に至っては支柱諸共、森の何処かへ消え失せた。

「ててて……。一体何が起こったんだい?」

 吹き飛んだ際に打ち付けたのか、グレンは腰に痛みを感じた。治癒したくても魔力はもう空っぽ。それでもグレンは立ち上がろうとしたが、ふらついて歩けない。解呪にかなりの体力を消耗してしまったようだ。

 とは言え、ディルがどうなったのかグレンは気がかりだった。爆風で木っ端微塵になったのか。ただ確認しようにも、閃光の影響で目がチカチカし、何も見えない。

 二、三分経ってようやく落ち着いてきた頃、グレンは瞼を上げたが、次の瞬間我が目を疑った。閃光のせいで目がおかしくなったのかと思いたくなるような。それもその筈、丘の上に横たわっていたのは年老いた翼竜ではなくーー今まで見たこともないような竜だったのである。

 ーー何だこりゃ! 火竜か?

 グレンは四つん這いになりながらも問題の竜の側まで行き、じっくりと観察した。確かにその竜は火竜に似ていてはいたものの、よく見れば異なる箇所が幾つもあった。

 まず色が違う。その竜の鱗は水色で、金属にも似た光沢があった。まるで陽光を浴びて煌めく湖面のようで、息をのむほどに美しい。火竜には様々な色があり、金や銀の個体も僅かながら存在する。が、それ以外の色で光を反射する鱗を持つ者は聞いたことがない。「青銀色」とも呼べるこの色も。

 更に額から首の付け根にかけ、馬のそれと同じような白いたてがみが生えている。しかも尾の先には、虹色の飾り羽まであった。そしてーー

 ーー何かこいつ、やけにでかくないか? 火竜より優に一回りぐらいは!

 グレンが愕然とするのも当然だった。火竜は最大でも全長四十ライゼ(二十メートル)程度。ところがこの竜は五十ライゼ(二十五メートル)くらいありそうな感じだ。

 何より決定的に違うのが翼だった。竜三種の翼は全てコウモリと同じ形態の皮膜の翼。それに対し、この竜の翼は鱗と同色の羽毛に覆われた鳥の翼だ。形はコウノトリか鶴の翼に似ており、その飛翔する様はさぞや美しかろうーーとグレンは思わずにはいられなかった。

 火竜よりも遙かに巨大な、鳥翼の煌めく竜。その荘厳で神々しい竜の姿に、グレンは圧倒されて声も出なかった。だが一方で疑問は湧く。あの老死寸前だったディルが解呪した途端、このような異形の姿に化したかを。

 ーーこれは一体どういう類の手品なんだい? どこぞのお伽噺に出てくる蛙の王子じゃあるまいし、呪いが解けたらこんな見たこともない竜が出てくるなんて……。

 確かめようにも、解呪に体力魔力とも使い切ったグレンには、その気力がない。そこへラージが飛んできた。爆風によるダメージは大したことが無かったようだが、一時的に失神していたらしい。

「ディル! しっかりしろ!」

 「変わり果てた」その姿を目の当たりにしても、お構いなしにラージはディルの頬を必死になってはたいている。しかしディルは目を閉じ、ぐったりとしたままだ。形振り構わぬラージの姿にグレンは呆れて言った。

「何慌てふためいているのさ! ちゃんと呼吸しているだろうが! 生きているよ!」

 グレンに怒鳴られ、ラージは急ぎディルの鼻孔に手をかざした。息の出入りを確認した途端、ラージは感極まって涙ぐんだ。相変わらず痩せこけているが、解呪前よりもディルはしっかり呼吸しているようだった。

「有り難う、グレン。でもどうしてディルはこんな姿に……」

「そんなこと知るかい。こっちが訊きたいぐらいだよ! それより手を貸してくれ。腰が立たないんだよ!」

 慌てて手を差し出すラージ。どうにかグレンは立ち上がることが出来たが、その時今まで静まり返っていた楽屋からファシドの声がした。

『呪いが解けてその姿になったのなら、それが本当の姿じゃないのかい?』

『この綺麗な竜がディルの本当の姿? 信じられないねえ。ところであんた、この竜を知っているのか?』

『知らないよ。お祖父さんなら知っているかもしれないけど』

『祖父ちゃんねえ。あの坊や(リムド)じゃ訊くだけ無駄か。ところで』

 グレンはファシドだけではなく、楽屋メンバー全員に向かって問いかけた。

『さっき自分の魔力が尽きた時、誰か魔力を出して加勢したか? 何か後押しを受けたような感じがしたんだよ』

 楽屋メンバーが舞台メンバーに対して「出せる」のは口だけ。自分の魔力は自分の体を通してしか使用出来ず、援護は無理だ。当然の如く、

『そんなこと出来ない。出来ても面倒だからしない』

『僕もしていないよ』

『出来るわけがねえだろうが。火事場の馬鹿力ってやつだろうよ』

 などと全員にはっきりと否定され、グレンはこれ以上このことで悩むのは止めた。アギの言うように火事場のうんたらであろうと結論づけたのだ。

 ラージは膝を着き、四ライゼ(二メートル)近いディルの頭を撫でていた。するとそれが功を奏したのか、前足がぴくりと動き、瞼がゆっくりと上がっていった。意識を取り戻したのだ。

「おやまあ、何と……!」

 グレンは驚嘆の息を漏らした。ディルの目のあまりの美しさに。翡翠色の瞳はナグナギールのそれと似ていたが、月とすっぽん。汚れや曇りなど一点もない翠玉そのもので、その輝きたるや最高級の宝玉に匹敵する程だった。

「ディル、気がついたか! 具合はどうだ?」

 安堵したラージがディルの目を覗き込んだ時だった。

『ラージ……』

 突然ラージの頭の中に、聞き覚えのない穏やかな声が届いたのだ。誰に呼びかけられたのか訳がわからず、立ち上がり周囲を見回すラージ。するとディルは首をもたげ、口先をラージの体に当てた。

『すまない、少し分けてくれ……』

 途端にラージは軽度の脱力感と目眩を覚え、へなへなと尻餅を着いてしまった。

『有り難う。これでどうにか動ける……』

 ディルが巨体を揺らめかせ、ゆっくりと立ち上がった。体高ーー肩までの高さも明らかに火竜より大きい。起立したことによりその巨大さが一層はっきりした感じだ。

 ラージはへたり込んだまま呆然としている。何が起こったのか完全に理解不能のようだ。しかし、グレンには全てがお見通しだった。

「おい、お前! こいつから生気を抜き取っただろう!」

 目をつり上げ、ディルをグレンが睨みつけると、今度はグレンの頭の中に声がーー念話の声が聞こえてきた。

『如何にも。解呪で疲れ切ったあなたからもらうわけにはいかなかったから。ラージには申し訳ないと思ったが……』

「背に腹はかえられないってわけか。で、私にはあんたの声がノイズ無しにしっかり聞こえるんだけどさ、ディル!」

 グレンの怒号にラージは飛び起きた。

「それじゃさっきの声はディルの……?」

「おーや、あんたにも聞こえていたのかい。で、あんたはどうだった? ノイズは入っていたのか?」

「いや、全然……。でも火竜でも飛竜でもないディルが、何で念話出来るんだ?」

「さーてねえ。でもこれだけは言える。呪いが解けたら翼竜じゃない全く別の生き物になったってことさ」

 「生まれ変わった」ディルは念話が可能となったばかりか、受け答えも人間と遜色ない。姿形だけではなく、その能力や知能までも一新されたのだ。

 更に驚いたことに、明らかに若返っている。目に宿る光が若竜のようにしっかりしているのだ。確かに衰弱はしているが、それは疲労と体力の低下が原因。死期が近い生き物の弱り方には程遠い。

 一体これはどういうことなのか。疑問は山ほどあったが、グレンがディルに真っ先に訊きたかったのは、それとは別のことだった。 

「ディル。お前、他の生き物の生気が食い物なのかい? 生命力奪取(エナジードレイン)なんて吸血鬼みたいじゃないさ」

『確かに。しかし、それは欲求にかられて行ったまでだ』

「ふーん、喉が渇いたから水が欲しいっていうのと同じことかい?」

『そういうことだ。だが少し分けてもらう程度で、相手が死ぬまで生気を吸ったりはしない。それに生気はエネルギー源にはなっても、血肉にはならない。衰えた体を回復させるには、やはり腹に何か収めないと』

 今度はディルも二人に聞こえるように念話を飛ばしたようで、ラージもへーっと言うような顔をしている。一通り説明を聞いたグレンは、ディルの口の中をしげしげと覗き込んだ。

「でもそのナイフみたいな歯がはえた口は、草は嫌いと見えるね。おら、ラージ!」

 グレンはいきなりラージの頭をすぱんと平手でひっぱたいた。

「何ぼさーっとしているんだい! こいつを小川に連れて行って、まず水を飲ませてやりな! それが済んだら食い物だ。言っておくがこいつは肉しか食わない。体力が落ちて自力で狩りは出来ないから、あんたが狩ってこい! 乗り手ならそれぐらいのことしてやりな!」

「え、乗り手……? でもあんたもディルの声がしっかり聞こえたんだろう? あんただって盟約がーー」

「冗談じゃない。そんな鬱陶しい関係、私は真っ平だね。ボルドークにこき使われた者同士で仲良くやりな」

 ラージははっとなり、ディルの方を振り返った。目を細め、頭をラージへすり寄せてくるディル。思い人を引き寄せるかの如く、ラージはディルの頭をしっかりと抱き抱えた。

『我は汝と共にあり。死が二人を分かつ時まで』

「承知した。もう俺達はずっと一緒だ」

 竜と人が盟約を結ぶ儀式は、常に厳かな雰囲気が漂う。しかもラージとディルは、盟約締結以前からコンビを組んでいた、相思相愛とも呼べる仲。それは幾多の困難に直面しつつもそれを乗り越え、ようやく結ばれた恋人同士といった感じだったがーー

『あれ? 結びの光が出ないよ?』

 ファシドの素っ頓狂な念話の声に水をさされ、グレンはかちんときた。せっかくの心震える感動的なシーンが台無しとなってしまったからだ。

『おい! ディルは普通の竜じゃないんだから、盟約も普通じゃないんだろう! 第一、カグラがあの根性曲がりと盟約を結んだ時だって光らなかったじゃないさ! 下らないこと言うな!』

『でも解呪したら光ったよ。それに自分だって盟約蹴ったくせに何だよ。僕がガロディリアスから逃げた時、盟約蹴るなんて腰抜けのやることだとか、馬鹿とかチョンとか後で散々けなしたじゃないか』

 大人しいファシドがここまで恨みがましく文句を言うことは珍しい。よほど腹立たしかったのだろう。思わぬ反撃にグレンは顔を真っ赤にさせ、

『うるさい!』

 と怒りにまかせ、ファシドの念話を遮断した。ただ、グレンがラージに乗り手に推したのには明白な理由があった。グレンにはディルの心の内がわかっていたのだ。「大好きなラージを乗り手にしたい。しかし、グレンには呪いを解いてもらった恩があり、義理も立てたい」という。

 だからこそグレンは、ディルが本音と義理との板挟みに苦しむ前に、さっさと乗り手になる資格を放棄したのだ。そしてそれ以上に自分以外の戦闘力には頼らないという、戦士としてのプライドが許さなかった。

 ーー竜の力何ぞ私には不要だね。それにしてもまあお似合いのカップルだこと。ディルは雄竜みたいだけど、まあいいか。

 グレンはにんまりと笑った。まだひっしとディルを抱き締めているラージを心中で冷やかしながら。

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