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カグラの四つの顔  作者: 工藤 湧
16/21

第15話 老竜

 カーテンを透過して差し込む朝日に照らされ、リムドは目を覚ました。ベッドから半身を起こすも、直ぐに欠伸が出た。宿の安全な寝床で熟睡した筈だが、昨日の疲れは完全には抜けてはいないようだ。

 ーーああ、もう朝か。今日は確か六月九日だっけ。僕らは今ローランにいるんだな。でも本当に昨日は色んなことがあったなあ……。

 リムド達は昨日、ナグナギールの瞬間移動能力を借り、ミスリダ大公国へ向こうこととなった。だが、ナグナギールのねぐらへ戻る直前、一気に越境することにリムドが難色を示した、ミスリダで調査を行う以上、密入国は避けたい。何かトラブルに巻き込まれた時、厄介なことになるからだ。

 されど目指すミスリダの公都ローランは、北の国境より二百マール(百キロ)程南にある。リムドの意見通りに事を進めるためには一度国境近くまで跳び、関で入国手続きを済また後、ローランの近郊まで再度跳ぶという手順を踏まねばならない。当然ナグナギールは快く思わず、不満を露わにした。

『面倒臭セエ! 一回で済むものを、何デ二回も跳ばなきゃナラネエんだよ!』

 竜奇兵も竜騎士同様、騎竜と乗り手の立場は対等。たとえカグラがリムドの意見に賛同しても、黙って従う理由などないのだ。すると、睨みをきかすナグナギールの前へカグラがすすっと出て、

「ちょっと我慢してよ。ミスリダに入ったら用が済むまで呼ばないから。その間に母親の所へでも行ってきたら?」

 と説得したのだ。ここを我慢すれば、暫く運搬役(アッシー)になることはないとの説得に折れ、ナグナギールは渋々ながら承知した。

 とは言え、あくまで我を貫き通そうとするナグナギールの態度を見て、リムド達は痛感した。乗り手のカグラさえ思いやろうとしないこの飛竜(ゼダーン)は、全く信用ならない。これではとてもカグラの秘密や、旅の真の目的を打ち明けることなど出来はしないと。気兼ねなくこちらの本音を明かせるような関係になるまで、待たねばならないようだ。

 しかし、問題は意見の対立だけにとどまらなかった。真の乗り手であるカグラはいいとしても、リムドとマルシャは鞍未装着の竜の背に身を委ねなければならないのだ。もし異街道を通過中に落ちようものなら、異空間に閉じこめられる恐れもあった。

 そこでマルシャはカグラが背負い袋へ入れ、前に背負うことになった。リムドはというと、またロープで体を固定するつもりだったのだが、ここでカグラが思わぬことを言い出た。

「いちいち体を縛るなんて面倒臭い。それに持っていたロープは二本ともあんたがは切って、使い物にならなくなったんでしょう?」

「ならお前が魔力で新しいロープを作ってくれよ」

「やだ。魔力が勿体ない。私の後ろに乗って、しがみついていなよ。腰に手を回されても、『あんた』なら構わないから」

 あんたなら構わないーーその一言がリムドの耳に妙に残った。兄妹のように育ったリムドだから許すとういことであって、他の異性は御免だと言いたいらしい。ぐうたらな大食らい娘ではあるが、やはり異性を意識する年頃なのだと、リムドはこの時初めて知った。

 こうしてリムド達は昨日夕方ローラン近郊へ到着。ナグナギールと別れて町へ入り、今は庶民向けの宿に滞在しているという次第である。

 ミスリダ大公国はステイア大陸北中央部、標高八千ライゼ(四千メートル)級の山々が連なる山岳地帯の中にある小国だ。だが、その国力は決して貧弱なものではない。国内に数十カ所ある鉱山からは、夥しい量の貴金属や多種多様な宝石が産出される。ミスリダが建国以来、他国の侵略を受けずに済んだのは、無論姉妹国であるスルーザの後ろ盾も無視出来ない。しかし、鉱物資源がもたらす莫大な収益を、惜しみなく国防につぎ込める点も大きかったのだ。

 そのミスリダの都・公都ローランは国の北部、比較的標高の低い二千四百ライゼ(千二百メートル)付近の盆地の中にたてられた町だった。公都と言ってもヨマーンの小都市程度の規模しかなく、人口は一万人程度。同じ都でもアレフトやヴィルモードの華やかさとは程遠い。慎ましく質素な感じが漂う町だ。

 実はこのローラン、初代大公であるエルダーの娘婿、即ちミスリダ姫の夫の名が由来となっている。娘の名を国名に、娘婿の名を公都の名に。若い二人に国の将来を託した、エルダーの思いが伝わる有名な話である。

 ミスリダが建国される以前、大陸北中央部の山岳地帯は、先住民の村落が点在する未開の地だった。そんな不毛の地を開拓するため陣頭に立ったのが、大公と共にこの地へやって来たスルーザの若い貴族達だ。その多くは家督を継げず、うだつが上がらない次男以下の若者だったという。彼らは新天地に己の命運をかけ、家臣や先住民と協力して田畑や牧草地を切り開き、鉱脈を発掘した。エルダーは開墾地を領地として認めてその功に報い、晴れて念願の領主となった若者らも、大公への忠誠を誓ったという。

 大公と貴族が手を取り合い、共に国を盛り立てて行く。揺るぎない信頼関係は、建国以来途切れることなく続いてきた。その絆をずたずたに切り裂いたのが、五年前に起きた大公暗殺未遂事件だった。心許した臣下に裏切られたショックは計り知れず、大公は狂ったように事件の関係者を処罰していったという。

 と……リムドの頭の中にあるミスリダに関する知識は、この程度だ。大公暗殺未遂事件はミスリダにしてみれば国の恥、その詳細が他国へ伝わる筈もない。

 ーーやっぱりミスリダのことはミスリダ国民に訊くべきだろうな。取り敢えず朝食をとるついでにでも……。

 リムドがそんなことを考えつつふと横を見ると、隣のベッドに寝ていたカグラの姿がない。リムドの枕元にいたマルシャも。今、客室にいるのはリムドだけだ。

 マルシャはともかく、寝坊助のカグラがリムドより先に起きることなど滅多にない。何処へ行ったのかとベッドから離れた時、カグラがマルシャと共に客室へ戻ってきた。水を張った金盥(かなだらい)を持って。

「どうしたんだ? 顔を洗うならわざわざここに盥何て持ってこなくても……」

 小首を傾げるリムドの許へ、マルシャが駆け寄ってきた。

「リムド、そうじゃないよ。あの盥はカグラが遠見術を使うために持ってきたのさ。ま、正確には術を使うのはカグラじゃなくて、グレンだけど」

「グレンが遠見術を使う? 一体何故?」

 理由が思い当たらず、ぽかんとするリムド。するとマルシャがじれったそうにリムドの足を軽く叩いた。

「忘れたのかい? グレンにはミスリダ人の『知り合い』がいるじゃないさ。しかもあの事件の当事者……いや被害者が」

 そこまで言われてリムドはようやく思い出した。アレフト近くの森でグレンが出会ったラージ・ゴルバスだ。ラージはあの事件によって主を失った。全貌は無理なまでも、一般庶民より遙かに多くの情報を握っていることは間違いない。

 森での出来事から既に五日が経過している。翼竜ワイヴァーンの飛翔力を以てすれば、ラージはもうミスリダへ戻っている筈だ。国内ならば距離的にも遠見術は十分使えるし、捜すのは難しくはない。ラージはグレンに恩義を感じている。よってグレンがラージを対象に遠見術を使っても、妨害が入る可能性はまずないからだ。 

 などとリムドが一人納得する間にカグラは楽屋へ引っ込み、グレンが舞台へ出てきた。カーテンは閉めたままだったので、その過程を他人に目撃されずに済んだのは幸いだったが。

 久し振りにグレンと目が合い、リムドは肩をすくめた。衝撃の初対面以来、リムドはどうもこの赤毛の娘が苦手だった。常に上から目線でリムドと接し、口調も態度も乱暴。対応にいつも苦慮する、出来れば顔を合わせたくない人物だった。

「坊や、お早うさん。毎度のことながら腑抜けた顔をしているねえ」

 グレンはリムドの頭を鷲掴みにすると、髪をぐしゃぐしゃにかきむしった。昔のようにいきなり癇癪を起こすことはなくなったものの、リムドにとって苦手な相手であることに変わりはない。自分の方が年上なのにと、リムドは溜息をつくばかりだった。

 再従兄弟のぱっとしない反応がつまらなかったのか、グレンは床に置かれた洗面器の前に胡座をかいた。

「それじゃ始めようか。見たきゃあんた達にも見せてやるよ」

 「あんた達」と言われ、リムドは安堵してマルシャと共にグレンの正面へ回った。

「さあ、あいつは今何処にいる? あのへたれ竜兵士、ラージ・ゴルバスは!」

 グレンがそう叫んで指先で水面をつつくと、映し出されたグレンの顔がぐにゃりと歪み、渦を巻き出した。数秒も経つと渦は消え、静かになった水面に一人の男の姿がくっきりと浮かび上がった。左の頬に真新しい刀傷がある若者だ。この顔を知るマルシャはにっと笑った。

「おーやラージだ。相変わらず元気……でもないね」

 マルシャが怪訝な顔をしたのも無理はなかった。ラージは目も虚ろに肩を落とし、とぼとぼと歩いていたからだ。

「何だよラージの奴、しけた顔して。で、(やっこ)さん、今何処にいるって?」

 グレンが映像をズームアウトさせると、ラージは何処かの都市の門を通過し、中へ入ろうとしている最中だった。その門のアーチに施された大鷲のレリーフーー大公家の紋章を見て、リムドはあっと声を上げた。

「あれ、この門は昨日僕らが通ったローランの西門じゃないか。ってことは、ラージは今ここからローランへ入るってことなのか?」

「どうもそのようだねえ。私の魔力もそっちの方にいるって言っているし。ならこれは好都合じゃないさ」

 グレンは術を解くと勢いよく立ち上がった。捜していた相手が間近ににいると知り、すぐに行動へ出るつもりらしい。

「それにしてもラージの奴、何しょぼくれているのか。まあ、土産話もあるしことだし、一杯おごってもらうか!」

 そう叫ぶや、グレンは窓を開けて外へ飛び出した。グレンがこんな荒っぽい外出法をとったのも、この宿の宿泊者名簿に自分の名がなく、玄関から出られないからだったがーー

「ちょいと! ここは三階だよ!」

 驚いたマルシャが慌てて下を覗き込むも、当のグレンは何事もなかったように裏路地へ着地し、猛スピードで走り去って行った。呆気にとられるマルシャ。その傍らに歩み寄ると、リムドが呟いた。

「相変わらず酒が絡むとグレンは凄まじいなあ……。変なトラブル起こさなきゃいいけど」

 一度火が着いたらもう誰にもグレンは止められない。カグラも余程のことがない限り口出しすらしないので、最早どうにもならないのだ。

 されどリムドもここでグレンの帰りを大人しく待っているつもりはなかった。町の住民から五年前の事件について訊くために、近くの飯屋へ行くつもりだったのだ。ラージの話も重要だが、やはり情報は多いに越したことはないのだから。


 高地の都市ローランは平地に比べてずっと涼しく、夏場は極めて過ごしやすい場所だった。ことに朝はひんやりとし、少し肌寒く感じる程だ。

 午前八時過ぎ、ラージはローランの裏通りを一人、力無く歩いていた。住民の足は今、朝市が開かれている目抜き通りへ向けられており、数件の店が並ぶ程度の寂しい裏通りに人影は全くない。

 ラージの顔色は冴えず、目も虚ろで口からは溜息ばかりが漏れていた。元騎士らしからぬ隙だらけの状態だったがーー

「おら! 何ぼーっと歩いているんだよ!」

 不意に背中を強く叩かれ、ラージはよろめいた。我へ返って振り向いた途端、真紅の鎧に身を包んだ赤毛の大女が目の中へ飛び込んできた。

「あんた……グレンか!」

 笑顔を見せたのも束の間、ラージは直ぐに暗い表情へ戻ってしまった。相手が腰を抜かす様を期待していたグレンは拍子抜け、舌を打った。しかし、再会していきなり癇癪を起こすのも何なので、作り笑いを浮かべた。

「ほーっ、ちゃんと私のこと覚えていてくれたんだねえ。なら、借りを返すっていう約束も覚えているだろう? おごってもらうよ!」

「あ、ああ……。でも何であんたが今ここに?」

 たどたどしい口調で尋ねるラージに、グレンは適当に話をでっち上げた。ラージと別れて直ぐにスルーザへ入り、竜兵士に頼んでここまで送らせたと。竜に乗ってきたという部分は、確かに事実だったが。

「そう……か。それでここには傭兵稼業で来たのか?」

「いや、ちょいとあんたに訊きたいことが出来てさ。それでそのことなんだがーー」

 グレンはラージの肩に肘を乗せて顔を寄せた。

「そこの店に入って話さないかい?」

 グレンはラージの腕を掴み、予め目を付けていた早朝から営業している酒場へ引っ張り込んだ。ラージは呆然としてはいたが、朝食を済ませていなかったので、抵抗する様子は見せなかった。

 腰を落ち着けさせると、グレンはいきなりミスリダの銘酒と名高いリュマ酒を注文した。グレンは知っていたのだ。ラージの懐が暖かいことを。実はラージと別れた後、グレンは「このまま光り物まで森に埋もれさせるのは勿体ない」と、ザントの亡骸を探っていた。ところがダルカンにあれ程気前よく金を渡していた割には、何故か殆ど持ち合わせがない。これはもしや……とぴんときたのである。

 間もなく注文した酒と料理が運ばれてきた。料理をちみちみと口へ運ぶラージに対し、グレンはひたすら酒を呷るだけだ。それというのも、副面体(サブ)は食物を味わうことは出来ても、その栄養を自分の物にすることは出来ないからだった。飲食した物の栄養は全て主面体(メイン)のもの。副面体は主面体より与えられるエネルギーのみでしか生られない。例外は害ある物で、副面体も酒を飲めば酔っ払うし、毒の影響も受ける。

 数杯リュマ酒を飲み、少し酔いが回って上機嫌になったところで、グレンは話を切り出した。

「先日の貸しはこの酒でチャラにしてやるよ。で、さっきも言ったけど、こっちはあんたに色々と訊きたいことがあってさ。その代わりと言っちゃ何だが、あんたが知りたい情報をくれてやるけど、どうだい?」

「俺がわかることなら構わないが……。それであんたが俺に訊きたいことって何だ?」

 相変わらず心ここにあらずといった感じのラージに、グレンは多少苛つきを覚えつつも言った。

「五年前に起こった、あんたのところの大公暗殺未遂事件について、知っていること全てを教えな」

 まともな精神状態ならば「他国人が何でそんなことを?」と不信感を抱く筈。しかし、そんな疑問は一切浮かばなかったのか、ラージは事件の経緯を淡々と話し始めた。

 事件の主犯はナーザス侯爵という、ミスリダの中では名門と誉れ高い貴族だった。ナーザス侯爵は事件が起きる前年、つまり今から六年前に父親の病死によって家督を継いだ。ただ、彼は当時まだ二十三歳と若年。経験不足を心配した家臣や親族は、一人の優秀な魔術師を相談役として招いた。誰とも利害関係がない外部の人間であり、実直で経験も豊富だと評判の人物だった。

 ところがこれを境に、ナーザス侯爵の様子がおかしくなったという。お坊ちゃんーーよく言えば控えめで温厚な性格の持ち主であったナーザス侯爵が、人前で今の国政について批判するようになったのだ。今の大公の政策では駄目だ、隣国に攻め込まれる。もっと軍を強化し、その脅威に備えるべきだと。幼い頃から大公に心酔し、敬愛の念を抱いてきたナーザス侯爵が、ここまで過激な発言をするとは。長年仕えてきた召使いや侍従達は皆戸惑ったが、何故か親族も重臣も賛美賛同するだけで、誰一人として咎める者はいなかった。

 やがてナーザス侯爵は親友であるモル伯爵とロルドフ子爵を度々屋敷へ呼び寄せ、三人だけで部屋に籠もって密談するようになった。そんなことが半年ほど続いた五年前の五月深夜、事件は起きた。ローランの郊外から大公の城へ通じた異街道より、腕利きの暗殺者三名が城内へ侵入。大公の命を狙ったのだ。しかし、後一歩で寝所へ辿り着くというところで警邏兵に発見され、交戦。うち二人はその場で殺され、一人が捕縛された。そしてこの生き残った一人の口から、事件の首謀者が明らかにされたのである。

「ふーん、それが事件の経緯ってわけかい。それでその異街道を作った奴は一体誰なんだい?」

 グレンが真っ先にこの質問をしたのには訳があった。通常、異街道を作り維持するのには、膨大な魔力と手間がかかる。一時的とはいえ異街道を、しかも人知れず作れる魔術師は、そう多くはない。かなりの大物魔術師が荷担しているに違いないとグレンは踏んだのだ。

「侯爵の相談役になった魔術師ーーソリ・デランが主導して作ったことはわかっているが、詳しいことはわからず仕舞だ」

「どうしてさ? もしかしてそのソリって奴、捕まらなかったのかい?」

「ああ。ソリは大公軍が侯爵邸へ押し寄せた時には、既に姿を眩ませていたそうだ。だがそれだけじゃない。侯爵をはじめとするこの事件に関わった主要人物は、皆口を揃えて言ったんだ。『自分は何も知らない、わからない。ソリと初めて会って以降のことは、何も覚えていない』と……」

 何も覚えていないーーそのラージの台詞を聞いた途端、グレンは思わず身を乗り出して叫んだ。

「それってこの前のあんたと同じじゃないさ! その連中もあった同様、ソリの魔法で別人になっていたんじゃないかい!」

「俺もそう思う。当時はこいつら何言っているんだ、自分がやったんだろう……って呆れていた。だが、いざ自分にその魔法がかけられ、操られていたとわかって……」

 ラージのフォークを握る手はわなわなと震えていた。魔法で別人格に体を乗っ取られ、術が解ければ全て自分の罪とされる。その無念さが、今になって理解出来るようになったのだ。

「……で、肝心のソリにとんずらされ、首謀者もそんな調子じゃ、事件の全貌なんてわかるはずもないよね。大公もそんな連中の言い分、聞く耳持たなかったんだろう?」

「そうだ。彼らは全員濡れ衣だと無罪を主張したが、聞き入れられる訳がない。首謀者三名は死罪、ナーザス侯爵家、モル伯爵家、ロルドフ子爵家は断絶、領地は没収。しかし、それで終わりではなかった……」

 この一件で疑心暗鬼となった大公は、反乱分子の粛清を断行。事件に直接関与していなくても、首謀三家と縁戚関係にある、親交がある、その他些細な理由から多くの貴族が疑いの目を向けられ、取り潰しの憂き目にあった。結果、ミスリダの四分の一に当たる貴族の家系が消滅したのだ。あまりの凄まじさに「大公は気が触れた」だの、「本物は殺害されて今の大公は影武者だ」などという噂が飛び交う程だった。

「大公もそれだけショックだったってことか。それであんたの所の殿様は、何でそのとばっちりを受けたのさ?」

 グレンが空になったグラスを置く前に、ラージは拳をテーブルに振り下ろした。

「我が君の奥方とロルドフ子爵の奥方が姉妹だったから……それだけだ!」

 ラージは勿論、グレンも感づいていた。これこそが「真」の首謀者の目的だったのではないかと。

 ミスリダ軍の大半を占めるのは貴族の私兵だ。この事件によって生じた浪人騎士や軍人の殆どは、ミスリダから去った。つまり、それだけの兵力を国は失ったのだ。姉妹国のスルーザも国王の後継者問題が長期化して内政が混乱、あてにならない。財力にものを言わせ、外国から傭兵を雇うことも可能だが、士気や国に対する忠誠心は自国兵とは比べものにならないだろう。

 では、その真の首謀者とは誰なのか。最も怪しいのはソリだが、彼だけとは考えづらい。ソリ一人で多くの者に人格移植魔法をかけ、尚且つ異街道の作成と維持まで行うことはまず不可能だからだ。ソリが主犯で、他に複数の協力者がいたに違いないーーとグレンは推測していた。

 こうして大混乱に陥ったミスリダも、事件の翌年太子が父親を半ば強引に隠居させる形で即位、落ち着きを取り戻しつつある。されどこの時受けたダメージは五年経った今も回復しておらず、大公と貴族との絆も不安定なままだ。

 しかも現大公、この事件が起きたのは、魔道人の血が薄れたことにも一因があると考えているらしい。神に選ばれし一族の証を自ら捨ててしまった結果、諸侯に侮られ、命を狙われ羽目となった。再発防止のためにも、魔道人の血を再び大公家へーーと大公が公言しているという。

 ところがその話をラージから聞くや、グレンは眉間に皺をよせて囁いた。

「おかげで『こっち』はスルーザで気を使う羽目になったんだよ。変なこと言いふらしたら承知しないよ」

「わかっている。俺とて恩を仇で返すような真似は御免だ。あんたの力について他言する気は毛頭ない」

「そうかい。それならいいだけどね。ところであんたの欲しがっている情報ってやつなんだけどーー」

 グレンはラージの顔をまじまじと見詰めながら言った。

「あんたに術をかけた奴の正体が判明したんだよ。知りたいだろう?」

「え……」

 目を白黒させるラージを見て、グレンはにっと笑った。ようやく人の話に食らいついてきた、これは面白いリアクションが見られそうだと。

「ボルドーク・ウラノスって言う坊主ーー神官だよ。奴の騎竜はの名はベリアライローズだ。間違いない」

「そ、それは本当なのか……。でもどうしてわかったんだ?」

「あんたの翼竜についていた焼き印を知り合いに調べてもらったのさ。そしたらそれはヨマーンのビスタ侯爵家の紋章でさ。そこの竜兵団団長がボルドークって奴で、白い火竜が騎竜の鞍無しだってわかったんだよ」

 調査方法はかなり事実とは異なっていたが、結果に関しては全て真実だ。グレンは気にもとめず喋り続けた。

「更に私がスルーザにいる時、面白いことがわかってね。そこで山賊団を牛耳っている竜騎士の親子がいてさ。頭である親父の名前はわからなかったけど、娘の方はレナっていうんだ。騎竜はシャロンとか言う黒い雌竜だよ。あんた、知っているだろう?」

「レナ、が……? あの娘がスルーザで父親共々山賊をやっていたのか?」

「そういうこと。で、私の知り合いがレナをちょいと脅したら、白状したんだよ。ボルドークにベリアライローズのことを教えたのは、自分だってね。つまり、あの娘がボルドークを手引きしたんだよ」

「……」

「あんたにふられた腹いせだってさ。でもあの親子、手下に反旗を翻されて這々の体で逃げていったよ。今はどうしているのかねえ」

 グレンはラージを挑発するように、からからとさも楽しげに笑って見せた。が、ラージは目線を落としてぼんやりとするばかりで、全くの無反応。暖簾に腕押し、糠に釘。激高したところをからかって遊んでやろうと目論んでいたのに、面白味の欠片もない。とうとうグレンの怒りが爆発した。

「ちょいと! あんた、悔しくないのかい! あんたをこき使った奴の正体も居場所もわかったんだよ! しかも薄々感づいているとは思うけど、五年前の事件の黒幕ソリはボルドークかもしれない。人格移植なんて、相当な腕がないと使える術じゃないんだからね!」

 グレンは勢いよく腕を伸ばし、ラージの襟首をむんずと掴んだ。だが、ラージは目をそらし、絞り出すように言った。

「わかっている。俺だって奴を追って行きたい。でも今はそれどころじゃないんだ……」

「それどころじゃないって、どういうことだい?」

「……ディルの具合が良くないんだ」

 ラージの目から零れた一筋の涙を見て、グレンははっとなり手を離した。ディルとはラージの騎竜であるあの翼竜だ。そのディルの体調が優れないーーこれこそがラージが落ち込み、報復する意欲すら湧かない原因だったのである。

 ラージの心中をやっと察し、グレンの怒気は急速に萎んでいった。ラージは「敵」ではない。これ以上追い打ちをかけるような真似は流石のグレンも出来ず、自然に口調も柔らかなものとなった。

「成る程、そうとは知らず悪かったね。けど、この前別れた時はあんなに元気だったじゃないさ」

「ああ。だが……」

 涙を指で拭い、ラージは話し出した。グレンと別れたラージはディルを駆って南下、ローランを目指した。途中何度かの休憩を挟み、夜間は完全に羽を休めたとしても、翼竜の巡航速度ならば翌日の午前中には到着する筈。そのつもりでラージもディルを飛ばせるつもりだった。

 しかし、どうしたことか森を抜けるや、ディルは狂ったように速度を上げ始めた。まるで恐ろしい化け物に追われているかの如く、戦きながら。ラージがいくら手綱を引いて減速するように促しても、全く言うことを聞かない。大人しく従順な翼竜が、乗り手の指示を無視するなど滅多にないことだ。ラージはディルを落ち着かせるため、開けた場所へ着地させようと試みるも、これも叶わなかった。

 目を血走らせ、口から泡を吹きながら、ディルは一度も地表へ降りることなく猛スピードで飛び続け、千四百マール(七百キロ)の距離を僅か六時間で飛びきった。だが、無謀な飛行の代償は大きかった。ローラン近郊の森の中へ突っ込んだ後、ディルは立ち上がることすら出来なくなってしまったのだ。全ての力を使い果たしてまったかのように。ラージが口元まで餌を持って行っても、水を僅かに飲むだけで草は食べようともしない。

「やれやれ、何てこったい。ディルはあんたのことが余程好きなんだねえ。あんたを逃がそうとして、死に物狂いで飛んだんじゃないかい?」

 グレンの問いかけにラージは無言で頷いた。ディルの目前でラージはザントに殺害されそうになった。この地に留まるのは危険と察し、新たな刺客が送り込まれる前に、主を安全な所まで送り届けたかったのであろう。

「それで医者には診せたのかい?」

「当たり前だろう! ローランに着いて直ぐに竜医を呼んで診てもらった。ところが……」

 既に夕刻だったが、ラージは町一番の名医と名高い竜医の許へ駆け込み、無理を言って往診してもらった。その竜医が診たところ、ディルの着陸時の怪我は大したことはなく、掠り傷程度とのことだった。だが、ラージにほっと息をつく間も与えず、竜医はこう告げたのだ。

「おいこの翼竜、かなり年をとっているぞ」

「え、まさか……」

 呆気にとられるラージに、竜医はディルの唇をめくって口内を見せた。

「ほれ、見ろよ。こんなに歯が磨耗している。俺の見立てじゃ四十四、五歳ってところだ。間違いないよ」

 四十代半ばと言えば、翼竜にとってはかなりの高齢だ。翼竜の寿命は一般的に五十歳と言われている。ただしそれは栄養状態もよく、酷使されない恵まれた環境下で飼育された場合の話だ。通常はもっと短い。

「翼竜は三十五を過ぎると体力の衰えが目立ち始め、四十に届く前に殆どが使い物にならなくなる。でもこの翼竜がこんな年まで現役でいられたのは、こいつが光鱗種(こうりんしゅ)だからだ。あんたも竜兵士なら、光鱗種くらい聞いたことがあるだろう?」

 勿論だとラージは答えた。光鱗種とはその名の通り、体の数カ所に赤や青等に光る鱗が点在する翼竜のことだ。知能も身体能力も一般種の翼竜を凌駕するが、数が極端に少ない。ことに最近二百年間では、一万頭に一頭生まれるか否かと言う程貴重な存在となっている。

 驚くラージの顔を見て、竜医はやれやれと言わんばかりに苦笑した。

「あんた、こいつが光鱗種だって気付かなかったのかい? まあ無理もないな。ここまで高齢になれば鱗の艶も落ちて、光る鱗も目立たなくなる。能力も一般種と差もなくなるだろうし」

「それでディルは元気になるのか?」

「まず無理だな。餌を食ってくれれば見込みはあるが、恐らく駄目だろう」

 ラージは雷に打たれたような激しいショックに襲われた。ディルが死んでしまう。自分を助けてくれたディルが。また竜を失ってしまうーー突きつけられた非情な現実に、ラージは打ちのめされた。「死んだら教えてくれ。解体屋に連絡してやるよ」と言い残して竜医は去ったが、言い返す気力すら湧かなかった。

 しかし、医者は匙を投げても、ラージは諦めきれなかった。何か良い方法はないかと、藁にも縋る思いでローラン中を駆け巡り、来る日も来る日も探し回ったがーー

「全然見つからない。昨日からは水も飲めなくなった。体力も落ちる一方だ。今日もこうして町へやって来たが……」

 湿っぽい話のせいですっかり酔いが醒めてしまい、グレンはいい加減うんざりしてきた。とは言え、気の毒に思えないこともない。軽く慰めるつもりでこう提案した。

「なら私が見舞いに行ってやろうか? あんたをひっぱたいた私の顔を見れば、驚いて飛び起きるかもね」

「そうか、あんた魔力持ちだったな! あんたの魔力でディルの体力を回復してやってくれないか?」

 ラージは目を輝かせたが、グレンの表情は冴えなかった。

「それは構わないけど、私に出来るのは死期をほんの少し先延ばしにすることだけ。年をとっているんじゃどう仕様もないよ」

 いくら魔力持ちのグレンであっても、時を遡って若返らせることなど到底不可能。一時的にディルの体力を回復させる程度が関の山だ。

「わかっている。せめて餌さえ食べてくれれば……」

 ラージはうなだれたままぽろぽろと涙を零した。危篤の竜に何もしてやれない自分の無力さを嘆いているのだ。グレンはもう見ていられず、一発ラージの頭をはたいた。

「もう泣くな。大の男がみっともない。それより今はやれることは何でもやってやりな。さもなきゃあんたが後悔するよ」

 そう励ましはしたものの、グレンは少し後悔していた。軽い気持ちで見舞いに行くと言ったことを。グレンにしてみればちょっとした気紛れに過ぎなかったのだ。が、この気紛れが、後に予想だにない事態を招くことになるのである。

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