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カグラの四つの顔  作者: 工藤 湧
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第13話 仕置き

『いやはや、何トモ壮絶な姉弟喧嘩だゼ』

 巻き添えを食わぬよう適度に距離を保ち、ナッグは高みの見物を決め込んだ。自分を散々虐げてきた相手が、同士討ちをしているのだ。痛快極まりなかったのだろう。

 一方、リムドは火竜(ドレイク)の死闘に唖然としつつも、あの火竜達の素性が気になった。

「ナッグ、あれは山賊の竜騎士の騎竜か? それに姉弟って一体……」

『おうよ。奴らハ山賊共の竜騎士の竜デ、姉弟よ。黒イ方が姉貴のシャロン、赤い方ガ弟のアルトだ』

 ナッグが笑いながら言うことが、リムドには信じられなかった。火竜が血縁者と殺し合いをするなど、聞いたことがなかったからだ。

 竜は三種全て子育ては母親のみが行い、父親はいっさい関与しない。家畜化されている翼竜(ワイヴァーン)は人間が計画的に交配させるが、火竜と飛竜(ゼダーン)の繁殖行動は乱婚的だ。繁殖期を迎えた雌竜は複数の雄竜と交尾する。よって母親も我が子の実父が、誰なのかわからないことも多いという。

 このような経緯から、彼らが「血縁者」と認識する相手は、母親及び同じ母親から生まれた兄弟姉妹だけ。血縁者の数は多くはないことから、竜はその絆をとても大事にする。

 ただ竜は通常一回の繁殖で一個の卵しか産まず、子供が独立しない限り雌竜は次の繁殖行動を起こさない。そのため兄弟姉妹と幼少期を共に過ごすケースは極めて希である。兄弟姉妹の顔が見たければ、偶然の出会いを待つしかないのだ。

 シャロンとアルトは何処かで運良く巡り会い、乗り手の事情もあって行動を共にしてきたのであろう。その姉弟が本気を出して戦うとは。この二頭の間に一体何が起こったのか。姉弟の絆を引き裂く原因となったものは一体……。リムドは不思議でならなかった。

 が、ナッグは喧嘩の原因などどうでもいいようだった。外野であることをいいことに、「いいぞ! もっとやれ!」と言わんばかりに吠えている。

 二頭の火竜ーーシャロンとアルトは、やかましい見物人など眼中になかった。いや、その存在にすら気付いていなかった。二頭の視線の先にいるのは相手の姿だけ。致命的な一撃を食らわせてやろうと、守りを固めつつも隙を窺っている。

 戦いの序盤二頭は距離をおき、罵声と炎の吐息を吐いて牽制し合っていた。しかし埒が開かないと察したのか、アルトが一気に速度を上げて接近、勝負へ出た。シャロンもこれを迎え撃ち、肉弾戦へ突入。赤と黒の二つの巨体が空中で絡み合った。ナイフのように鋭利な牙が身体へ食い込み、太い鉤爪が鱗を引き裂く。血飛沫が舞い飛び、グアアアーッ、ギャアアーッという絶叫とも悲鳴ともとれる声が辺りにこだました。

 双方の力も体格もほぼ互角で、勝負の行方はわからないように見えたが、決着は一瞬でついた。アルトの爪の一撃が、シャロンの右目にヒットしたのだ。右半分の視界を失ったシャロンはよろめき、身体ががら空きとなった。そこへ好機とばかりアルトが突撃。牙が喉を捉え、頸動脈を食い破った。盛大に血の雨を降らせながらシャロンは落下、木々の間へ姿を消した。

 アルトは暫くシャロンが落ちた地点上空を、ゆっくりと旋回していた。そして姉がもやは戦いの舞台へ戻れないことを確信すると、勝ち鬨を上げた。

『ほー、勝ったノハ弟の方か』

 ことの顛末を見届けたナッグは、こみ上げる笑いをかみ殺した。シャロンは死に、勝ったアルトも今や無惨な姿と化していた。致命傷こそ負ってはいなかったものの、頭から尾まで全身傷だらけ。呼吸も荒々しく、翼の皮膜もあちこち破れ、もう飛んでいるのがやっとの状態だ。炎の吐息を吐く余力もないだろう。

 やがて気力もつきたのか、アルトはゆっくりと降下して行った。それを見てナッグも降下を開始。ところが意外にも、ナッグが降り立ったのは、アルトが降りた地点からはかなり離れた場所だった。森の中で翼を畳むと、ナッグは鬱陶しそうに肩を揺すった。

『おい、リムド。お前が行きたガッテいた所はスグソコだ。とっとと降リロ』

 ナッグは顎をしゃくって前方を指した。木々の間、二百ライゼ(百メートル)程先に二階建ての山小屋のような物が建っている。十数人程度暮らせる規模の物で、近くには厩も見えた。ナッグは約束を守り、山賊のアジトへリムドを連れてきたのだ。目指す場所はあそこだと悟ったリムドは、急いで身体を固定しているロープを切った。

『あの傷ジャ、跳ばなくても思う存分奴をイタブってやれるぜ。じゃあナ!』

 リムドを降ろすや否や、ナッグは疾風の如く飛び去った。行く先は無論、アルトが降りた地点だ。深手を負ったアルトはもはやナッグの敵ではないだろう。

 リムドも報復の結末に興味はあったが、今は山賊に捕らえられたカグラとリタの救出が先だ。それにはまずあそこへ潜入しなければと、リムドは木陰に身を隠しつつアジトの様子を窺った。

 アジトは妙に騒々しかった。建物の中から大音量の怒声や絶叫が聞こえてくる。すると二、三人の男が建物から飛び出し、馬に跨がるや一鞭当てて森の中へと消えた。山賊達も火竜の決闘に気付き、様子を見に行ったようだ。火竜は山賊団の最重要戦力。その火竜に一大事が起こり、大混乱に陥っているに違いない。

 この騒ぎに乗じない手はない。リムドは身を屈め、相手に気付かれぬようじわじわと近付いていった。ところがアジトが目の前に迫った時、不意に背後から誰かに肩を掴まれた。

「よお!」

 聞き覚えのある声にリムドは驚き、振り返った。そこにいたのはアギだったのだ。

「アギ! 無事だったのか! リタはどうした!」

 だがリムドが向き直った途端、アギは眉尻をぴくりと動かして顔を突き出した。

「リタ、あのクソアマか? おいリムド、あいつの本当の名はレナで、しかも山賊の頭の娘だぞ。あいつ泣き真似までして、俺達をたばかりやがったんだ」

「え、リタが……? 本当か、アギ」

 リムドの動きが一瞬止まった。リムドの目にはリターーレナは陽気で健気な娘としてしか映っていなかった。アギの言っていることが信じられず、戸惑うのも当然であろう。しかしリムドも、だてにこの狡っ辛い再従兄弟と長年付き合ってきたわけではない。相手の口振りから嘘ではないと判断し、自分の人を見る目のなさに少し落ち込んだ。

「まーそうがっかりするなって。ほれ、これを見ろよ」

 アギが懐から取り出した物を見て、リムドは呆気にとられた。何と金貨がぎっしり詰まった金袋だったのだ。

「レナをちょいと脅かして頂いてきたのさ。俺達を散々な目に遭わせたんだ。これぐらい安いもんだよなあ」

「お前って奴は……。いくら相手が山賊とは言え……」

「いいじゃねえか。それよりもお前、どうやってここまで来た? マルシャはどうした?」

「マルシャは今別の場所にいるよ。詳しいことは後で話すけど、僕は山中で飛竜と出会って契約を結んだんだ。その彼にここまでつれてきてもらったというわけだ」

 飛竜と契約などというとんでもない発言に、今度はアギが驚く番だった。滅多に見せないような訝しげな目つきで、アギはリムドを見詰めた。

「はあ? お前、いつからそんな冗談を真顔で言うようになった? あの根性曲がりのクソ竜が、契約なんぞ結ぶわけねえだろうが」

「冗談でも何でもなく、本当だよ。交換条件で例外的に彼と短期契約したんだ。契約で得る力が欲しいって言ってきてね」

 リムドの説明に一応は納得したのか、アギは少しふてくされながらもふっと息をついた。

「で、その飛竜はどうしたって?」

「そうか、僕を降ろしたら直ぐに飛んでいったから、アギは彼を見ていなかったんだね。彼は山賊の火竜に酷い目に遭わされていて、仕返しに来たんだ」

「仕返しか。奴ら、蛇みたいにねちっこいからな」

「でも火竜が同士討ちを始めて、負けた方が死んだみたいだから、恐らく勝った方に復讐しに行ったんだろう」

「そうかそうか、お前もあの喧嘩を見ていたのか」

 アギは腹の底からこみ上げてくるような声で笑い出した。さも楽しげに。

「全く、火竜って奴は単純だよな。盟約を餌にちょいと焚きつけりゃあ、直ぐに食らいついて来やがる」

「盟約……? お前まさか……」

 目を丸くするリムドに、アギは得意げに言った。

「そうさ。あいつらの名前が俺には聞こえたのさ。だからそれをネタに仕向けてやった。どちらかが死ぬまで戦うようにな」

 そしてアギは語り出した。リムドがここへ来るまでに山賊のアジトで起きた出来事を。


「うーん、妙だな……」

 アジトの一室で、拘束されたまま椅子に座るカグラをしげしげと見下ろしながら、男は首を傾げた。

「え? 何がおかしいの、お父さん」

 男の隣で長い黒髪の娘ーーレナが尋ねた。リムド達と定期連絡馬車に乗車していた時は、陽気であか抜けた感じがしたレナ。今は変身の魔法を解かれ、本来の姿へ戻っている。見るからに農村部出身者といった風貌の、二十五歳前後の娘に。

 そのレナの父親である山賊の頭は、五十過ぎの恰幅のいい男で、娘共々ミスリダ出身の竜騎士であった。そして同時に彼は、変化(へんげ)術や幻術を得意とする変幻魔術師でもある。頭は専門外の術も幾つか使えたので、その一つの魔力探知魔法で娘達が連れ帰ったカグラを調べてみた。ところが何故か、今まで見たことがないような反応が出たのだ。

 魔力探知魔法をかけると、かけられた者は全身から光を発し、その色によって魔力持ちか否かがわかる。魔力を持たない普通の人間は青。魔道人は赤、魔道人もどきは黄色だ。また魔力持ちであった場合、光の強弱によって対象が持つ魔力の大凡の強さが推測出来る。

 カグラは今回も国境の関の時同様、青い光を発した。関の魔術師は何ら疑念を抱くことなく魔力なしと判断、カグラを解放したが、頭は違った。青い光と言っても、通常は燐光に毛の生えた程度のもの。それがカグラの場合、閃光の如く強い光を放ったのだ。

 午前中諸用で外出していた頭が、アジトへ戻ったのが一時半頃。それから休むことなく、一時間近く延々と術をかけ続けるも、どうにも同じ結果が出る。カグラにどういうことだと詰問しても、知らないと答えるばかり。呪いの首輪を故意に発動させたり、暴力に訴えて白状させようにも、大事な「商品」に傷は付けられない。いい加減嫌気がさした頭は、とうとう白旗を揚げた。

「魔力無しにしては何処となく変だが、俺じゃこれ以上詳しいことはわからん。王都の魔術師に詳しく調べてもらった方が良さそうだな」

 これ以上の体力の消費をは御免だと、頭はカグラの側を離れた。だが父親の態度が不満だったのか、レナは子供のように頬を膨らませた。

「もう、お父さんったら。私の勘は間違っていないって。この子、きっと魔道人よ。探知魔法にひっかからないような術がかけてあるのよ」

「本当にそう思うんですか、嬢さん」

 親子の会話に突然口を挟んだのはイルクだった。イルクはこの山賊団のナンバーツー。何かあった時に備え、部屋の片隅に待機していたのだ。

「嬢さんはいつもそうおっしゃいますが、外ればかりじゃないですか。その度娘を女郎屋に売り飛ばしに行くのは俺達です。もうそんなことは……」

 イルクの表情は渋かった。娘を売りに行くのを心底嫌っていたのだ。ここへ戻る途中、カグラのことをけなしたりさっさと白黒つけようと言ったのも、レナの機嫌を損ねないための発言に過ぎない。さらった娘で金儲けすることに執着する頭とレナに、我慢も限界に来たようだった。

「あら何か不満なの、イルク」

 レナはつかつかとイルクの方へ歩み寄り、睨みつけた。口を噤んだイルクだったが、それでもなお背中からは「不満」のオーラがもうもうと立ち上っている。それがレナの怒りに油を注ぐこととなった。

「文句があるのなら黙っていないで、はっきり言いなさいよ! あ、そうか。言えないか。シャロンとアルトが怖いんだもんね、元お頭さん」

 レナが嫌みを浴びせても、イルクは唇を噛みしめるだけで何も言い返せない。三年前までイルクは、十名程の仲間と共に結成したこの山賊団の頭だった。ところがミスリダから落ち延びてきた竜騎士に、その座を奪われたのだ。以来、火竜を盾に完全に牛耳られ、逆らえなくなってしまった。

「レナ、そうきーきーやかましく騒ぐな。竜騎士にあるまじき行為だぞ。それでも元カーネミー竜兵団の一員か」

 頭に窘められ、レナはイルクから視線を逸らしたが、腹の虫は収まっていないようだった。

「はいはい、わかったわよ。でもこいつの生意気な態度見ていると、『あいつ』のことを思い出してムカつくのよね。私のことふった、白い竜に乗っていたあいつを」

 そう吐き捨て、部屋から出て行くレナをちらりと見やった後、カグラは顔をしかめた。楽屋がうるさかったのだ。特にグレンの騒ぎ方は尋常ではなく、カグラは即刻楽屋メンバー全員の声を遮断した。

 レナの姿が消えると、黙っていたイルクが口を開いた。

「お頭。もういい加減、娘をさらって国王の所に連れて行くのは止めましょう。俺達には昔のやり方の方が性に合っています。のんびり猟師や木こりやりながら、たまに街道を通る金持ちを狙っていっても、十分やっていけーー」

 抗議の声が途切れた。頭が冷たい眼差しをイルクへ向けている。同じ怒りでも娘はヒステリーで片付けられるものだったが、頭は違う。まるで心臓を鷲掴みにされたかのような恐怖を味わい、イルクは震え上がった。

「イルク。貴様、いつから俺に口答えするようになった? この団の方針は俺が決める。立場を弁えろ」

 頭はすっと手を挙げ、指先をイルクへ向けた。自分がその気になれば、お前などいつでも魔法で別の姿に変えられるのだーーという警告だった。山賊団の団員が恐れているのは、何も火竜だけではない。頭の魔法もまた脅威だったのである。

 もうこれ以上逆らうのは危険だと察したイルクは、カグラを連れて部屋から出た。イルクは俯いたまま「すまんな」と一言呟いたが、当のカグラは上の空。ここへ連れ込まれてからパンの一つも口にしていないので、何か食べたいとそればかり考えていたのだ。

 王都で魔術師に調査依頼をしようにも、この雨では無理だ。雨が上がるまでの間、カグラは地下牢で監禁されることとなった。独房へカグラを押し込め、鍵をかけると、見張りもつけずにイルクはさっさと立ち去ってしまった。カグラは手も縛られているうえ、呪いの首輪も着けられたまま。呪いの首輪は装着者であるレナか、魔法具解除の魔法が使える魔術師にしか解除出来ない。しかも地下牢は殆ど日が射し込まず、明かりもなくほぼ真っ暗。自力での脱走は不可能だとイルクは判断したようだ。

 しかし、この人目が消えた状態こそ、カグラが待ち望んだものだった。縛られた両腕を頭上に伸ばして伸びをすると、カグラは床に腰を下ろした。

「やれやれ、やっといなくなった。それじゃ後はよろしく」

 イルクが去ってものの一分も経たないうちに、カグラはアギとの入れ替わりを開始した。輪郭がぼやけ出してまもなく、二つの拘束具ーー縄と呪いの首輪が床へ落ちた。一から魔力で造られた物でなければ、楽屋へは持ち込めない。それ以外の衣類装備品は、入れ替わりの際に自然に抜け落ち、その場に残される。だからカグラは呪いの首輪を着けられても、冷静でいられたのだ。

 入れ替わり開始から凡そ三十秒後、カグラに代わりアギが姿を現した。舞台に立つのはダルカンの店へ忍び込んで以来。準備運動代わりに膝を数回屈伸をしたものの、地下牢のかび臭さにアギは鼻を押さえた。人間より臭覚が優れた多面族には耐え難いものだったのである。

 ーーカグラの奴、よく平気でいられたな。こんなひでえ所、とっとと出ちまわないと。それにしても……。

 臭いに鼻を慣れさせながらアギは考え込んだ。

 ーーあの親子、グレンにひっぱたかれたへたれ野郎の元お仲間だったとは。レナの奴、あいつにふられた云々抜かしやがったけど、もしかして元カノか?

 へたれ野郎ことラージとレナの関係は、アギにとって突っ込みどころ満載だった。だがにやついたのも束の間、アギの心中に怒りが湧いてきた。頭とレナの竜騎士にあるまじき行為に。

 ーーあの野郎と小娘、人をたばかって誘拐なんぞしやがって。もうそんなこと二度と出来ねえようにしてやる。このアギ様が神様(ベルメール)に代わって、あの二人にお仕置きだあ!

 などと鼻息荒く意気込んだものの、仕置きをするにはこの牢から出ねばならない。まずは状況確認が第一だ。夜目が利く多面族にとって、この程度の暗さはさして問題にはならない。

 牢の広さは八ライゼ(四メートル)四方くらい、扉は頑丈な木製で格子付きの覗き窓がついている。その覗き窓からアギが外を見てみると、扉に頑丈な錠前がぶら下がっているのがわかった。

 アギの盗賊技術を以てすれば、あの程度の錠前の一つや二つ、針金一本で難無くーーなのだが、生憎手を伸ばしても届きそうにない。ならばここは手っ取り早く済まそうと、アギは念力で錠前を開けた。解錠すると同時に、錠前を手元へ引き寄せることも忘れない。重い錠前が石の床へ落ちれば、けっこう派手な音が出るからだ。

 カグラが残した忌々しい魔法具を懐へ突っ込むと、きしむ音を立てぬよう、アギは慎重に扉を開けた。脱走の発覚を遅らせるために扉に施錠し、階段を上って地上一階へ通じる扉の前までやってきた。ここにはドアノブ式の鍵がかかっていたが、念力で易々と鍵を外した。

 幸いなことに、扉の周囲に人影はなかった。だが今いる場所は山賊のアジト。直ぐ逃げ出すのであれば問題はないが、中をうろつけば誰かと鉢合わせする危険性がある。さすがのアギもここから先は魔力で姿を消して進むしかなかった。

 足音を忍ばせ、アギはゆっくりアジト内を探索していった。最初に行くべき所は台所だ。そこで仕置きに使うある物を手に入れたかったのである。

 台所は一階の東側にあった。昼時は過ぎ、夕食の支度には未だ間があるので、今は無人だ。食べ物を目にしたカグラが、何か食べたいと訴えてきたが、今はそれどころではない。

 アギは真っ直ぐ調味料棚へ向かい、中から小瓶を一つ盗み出した。小瓶の中身は、肉や魚料理の味付けに用いるラマナの粉末だ。ステイア大陸の国ならば何処の家庭にもある、ポピュラーな香辛料の一つである。このラマナ、適度に料理に振りかければ、ぴりりとした程よい辛さを堪能出来る。ところが過剰に使うと舌が麻痺し、二、三時間は喋ることすらままならなくなってしまうのだ。

 台所での用を済ませたアギは、一旦アジトの外へ出た。最初の標的は頭だ。頭を探し、窓から一つ一つ部屋を覗いて回った。結果、先程カグラを取り調べていた一階北側の部屋に、その姿を発見した。どうやらここが頭の自室らしい。 

 初夏のこの時期、部屋に風を通すため窓は開けっ放しだった。そんな無防備な状態で、頭は一人大粒の干し杏子を摘まみながらワインを飲んでいた。酒と甘味で疲れを癒しているようだ。

 カグラは気付かなかったが、イルクに室外へ連れ出される直前、頭が「干し杏子でも肴に一杯やるか」と呟いたのをアギは聞き逃さなかった。よってこの状況はアギの想定通りだ。作戦を決行すべく、アギは暫し頭の様子を観察した。頭が皿へ殆ど目をやることなく、つまみへ手を伸ばしていることを確認すると、行動に出た。念力で干し杏子を一粒引き寄せ、短剣で種を摘出。代わりにラマナの粉末をたっぷりと詰め込み、魔力で縫合した後、再度念力で皿の上へ戻したのだ。

 仕掛けを済ませると、アギはすぐさまその場を離れた。次なる標的は二階東側の部屋にいた。近くを流れる小川の直ぐ横の、夏でも涼しい最も良い場所の部屋だ。

 アギが浮遊しながら窓から中を窺うと、室内でレナが一人、ベッドに俯せで横たわっているのが見えた。大風が吹いて窓がはためいた拍子にアギは部屋へ侵入、レナへ忍び寄った。されどアギは姿ばかりか、気配すら完全に消している。のんびりくつろぐレナが感づける筈もない。レナが寝返りをうった次の瞬間、アギは後ろから髪を掴んで頭を持ち上げ、一瞬の早技で細い首に呪いの首輪を装着した。

「へっへーっ。首輪がとってもお似合いだぜ、お嬢さん」

 アギが術を解いて突然目の前に現れても、レナは微動だにしなかった。恐怖のあまり頭が真っ白になってしまったのだ。呪いの首輪はそれを装着した者が、思うがままに操作出来る。たとえレナが従順であっても、アギの気紛れな「首輪よ、締まれ」の一言で、いとも容易く殺されてしまう。

「あ……あんた、誰……」

 どうにか声を振り絞りレナが尋ねると、アギはベッドに片足をかけ、レナの耳元で囁いた。

「おっと大声出すなよ。大人しく俺の質問に答えな。さもなきゃどうなるかはわかっているよな?」

 強ばった表情で頷くレナを見詰めながら、アギはにんまりした。

「こっちは色々と物入りでな。先立つ物の在処を教えな。それから火竜のねぐらの場所もだ」

「シャロンの居場所を知ってどうするつもーー」

 首が締まり出し、レナはベッドの上でのた打った。濁音だらけのかすれ声で「話すから助けて」と懇願するレナを見て、アギはようやく首輪を緩めた。

「だから黙って答えろって言っただろう。何処なのかなー?」

 口調こそ優しけれど、アギの目にはぞっとするほど不気味な光が宿っている。もはや選択の余地はないとレナは観念し、金の在処と火竜のねぐらの場所を白状した。

「お願い。もうこれを外して」

 涙目でレナは訴えたが、アギは首輪を外すつもりは毛頭なかった。まだまだ訊きたいことがあったのだ。

「お嬢さん、もうとっくの昔に二十歳は越えているんだろう? その年でまだパパと一緒かよ。彼氏の一人もいないのかい?」

「い……いないわよ。私に相応しい男なんて」

 レナは顔を真っ赤にさせた。「誇り高き」竜騎士である自分が、こんな身も知らずの小男に、己の恋愛事情を明かさねばならないとは。さりとて応じなければ命はない。悔しさと怒りでレナは頭が沸騰しそうだった。しかしアギはそんなレナをからかうように、更なる突っ込みを入れてきた。

「ふーん。でも好きになったり、付き合いたいって思った奴はいたんだろう?」

「む、昔いたけど……。ラージ・ゴルバスって奴」

「そーかそーか。で、そのラージ君とはどうなったんだい?」

「ふられたわ。折角こっちが意を決して告白したのに……」

 かつてレナは同じカーネミー竜兵団に所属していたラージに好意を持った。ラージは希少な白竜を騎竜にする竜騎士であり、建国より伯爵家に仕える騎士の家の嫡男。農村出身のレナにとって憧れの存在だった。

 五年前のある日、レナは勇気を出してラージに思いを伝えた。だが結果は散々なものだった。「お前のような我が儘で思いやりのない娘とは付き合えん」と、けんもほろろにふられてしまったのだ。

 プライドが高いレナは、ラージの言葉を素直に受け取らなかった。本当は自分がしがない農村魔術師の娘だからだろう、と。憧れがそっくり憎しみへ変わり、いつか必ず仕返ししてやろうとレナは心に誓った。だがこの直後大公暗殺未遂事件が起き、仕返しどころではなくなってしまった。

 伯爵家が消滅して暫く経ったある日、見知らぬ竜兵士がレナの前に現れた。訊けば白い火竜を探しているという。その竜兵士は言った。「神の導きにより参った。我が半身となる竜がこの地ーー旧伯爵領にいるのだ」と……。

「だから言ってやったのよ。あんたの捜している火竜は、ラージって男の騎竜だってね。そこまでわかれば十分だって、その竜兵士は去っていった。ざまあみろって思ったわ。竜騎士にとって騎竜を奪われることは、最大の屈辱だから」

 すっかり調子に乗って話すレナを目にし、アギは苛立ちを隠せなかった。騎竜を奪われた結果、ラージはその後五年間ボルドークに隷従を強いられたのだ。ならばもっとこっぴどい目に遭わせてやろうと、アギは言い放った。

「ほー、そうかい。なら今度はそのラージに代わって、俺がお前に仕返ししてやるよ。じゃあな、この性悪娘。その素敵なネックレス、お前にくれてやるぜ!」

 くるりと背中を向けると、アギは風のような速さで窓から外へ飛び出した。レナはあっと声を上げたが、追いすがろものならまた首が締まってしまう。為す術もなくベッドにへたり込んだ。

 アジトを出たアギは、西へと真っ直ぐ延びる林道を進んだ。この先六百ライゼ(三百メートル)程に二頭の火竜、シャロンとアルトがねぐらにしている岩屋があるのだ。山賊が人身売買で得た金品もその中に隠してあるという。早い話、頭は財宝を独り占めするため、火竜に番をさせているのである。

 しかし、アギが火竜のねぐらを目指した本当の理由は、火竜を再起不能にすることだった。山賊の手下達は竜騎士親子の存在と疎ましく思い、そのやり方に不満を抱いていた。頭の魔法を封じ、恐ろしい火竜が使い物にならなくなれば、蜂起してあの親子を追い出すに違いない。もう恩賞目当てで娘をさらうことはなくなる筈だ。

 ただいくら魔力持ちといえど、アギは盗賊気質(かたぎ)。戦馴れはしておらず、火竜二頭に真っ向勝負を挑むのはかなり危険だ。グレンと代わればことは容易に片付くだろうが、乱闘騒ぎを起こし、山賊に気付かれてしまう。ファシドに眠りの歌を歌わせるという手もあるが、魔力抵抗が強い火竜に通じるかどうか。さりとえ洞窟を魔力で崩壊させては、中の財宝が盗み出せない。

 さて、どうしたらいいものか。アギがあれこれと思案していると、全く以て想定外のことが起こった。林道を半分ほど進んだ時、何の前ぶれもなく突然アギの頭の中にふっとある二つの「言葉」が思い浮かんだのだ。

「これは……もしや!」

 狂喜したアギはその場で小躍りした。魔力を使わず、火竜を抹殺する悪魔の如くアイデアが浮かんだのだ。足取りも軽くアギは岩屋へと急いだ。

 岩屋の入り口が視界へ入ると、思った通り赤と黒の二頭の火竜が岩屋の外へ出てきていた。揃って長い首を盛んに動かし、落ち着き無く周囲を見回している。そこへ木立の間からアギが姿を現すと、火竜達の視線はこの小柄な若者に釘付けとなった。

 しめしめと思いつつも、そんなことはおくびにも出さず、アギは火竜の前で足を止めて満面の笑みを見せた。

「こんにちは、アルデブラスト君。シャリナマーロンさん」

 その言葉を聞いた途端、二頭の火竜ーーアルデブラストとシャリナマーロンは、感極まって翼を広げた。アギが口にした名は、間違いなく二頭の誠の名。アギは彼らの真の乗り手となり得る人物だったのである。

 しかし我へ返った二頭は、直ぐに厄介な現実と直面することとなった。火竜は二頭、真の乗り手たる者は一人。盟約を結べるのは、どちらか一頭だけだということに。

 一人の人間が複数の竜の真の名を捉えることなど、通常ではあり得ない。竜も人も精神波の波長には個体差があり、完全に一致した者同士間でしか盟約を結べないためだ。そのような不自然な現象が起こっているにもかかわらず、アルデブラストとシャリナマーロンの脳内は欲求で満たされ、疑問が入る余地すらない。次第に両者の間に険悪なムードが漂い始めた。

『アルト、お前は控えよ。盟約は年長者である私が結ぶ』

 喧嘩を売ってきたのは、黒い雌竜ーーシャリナマーロンだった。自分の方が立場は上なのだ、と言わんばかりの高飛車な物言いで。だがいくら威圧されようが、赤い雄竜ーーアルデブラストは少しも動じない。負けじとばかりに首を伸ばし、言い返してきた。

『何を言うか、姉者。年の差などこの際どうでもよい。この者に相応しき方こそが盟約を結ぶべきであろう』

 両者の言い争いが、アギにもはっきりと聞こえてきた。自分の言い分を乗り手にも知ってもらおうと、互いに意識して念話を飛ばしてきているようだ。もっとも当のアギは「あー、あんたら姉弟だったのかい。こりゃ御丁寧にどうも」程度にしか感じなかったが。

 大人しく引き下がると思いきや、弟の思わぬ反撃にシャリナマーロンは一瞬怯んだ。しかし年長者としてのプライドが許さなかったのだろう。更にきつい口調で問い質した。

『では、我らのうちどちらが相応しいと言うのだ? アルト、答えてみよ!』

『それは我らが決めるべきことではない。決めるのはこの者だ』

 そう言うとアルデブラストはアギの方を振り向いた。続いてシャリナマーロンも。二頭は血走った目でアギを見下ろし、声を揃えて迫ってきた。

『さあ、我が半身よ。我らのどちらを選ぶのだ!』

 アギは冷や汗をかき、おろおろするばかりだった。しかし、それは上辺だけ。困った振りをしていただけで、実際は心の中で舌を出していたのだ。こっちの思惑通りまんまと引っかかりやがった、馬鹿めと。

「そ、そう言われてもなあ。君達はどっちも素晴らしい竜だし、俺には選べないよ。でもーー」

 アギは二頭の目を交互に覗き込みながら、はっきりと告げた。

「俺、強い竜がいいな。強い方と盟約を結ぶよ。どっちが強いか白黒はっきりさせてくれないか。やり方はそっちに任せるからさ」

 アギの言葉を耳にした瞬間、二頭の火竜は彫像の如く固まった。だが二頭は直ぐに理解した。この問題を解決する方法は一つしかないことを。硬直が解けた二頭は向かい合い、牙をむいて唸り声を上げた。しかしそれも長くは続かず、揃って勢いよく空へ飛び出すと、空中戦へと突入したのだ。その真下でアギが手を叩いてはしゃいでいるとも知らずに。

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