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カグラの四つの顔  作者: 工藤 湧
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第12話 飛竜(ゼダーン)のナッグ

「え……? ナッグ……?」

 ぼそりと呟くリムド。するとトカゲの如き生き物の目尻がぴくりと動きーーリムドは頬を叩かれたような衝撃を受けた。何の前触れもなく、頭の中へ怒号が飛び込んできたのだ。

『けっ! 仮初メノ乗り手かヨ! がっかりさせヤガッテ! ま、ソレにしちゃあなかなか良い線行っているミタイダけどよお!』

 声ーー念話の主は、間違いなくこの生き物だった。時折砂嵐のようなザーザーという雑音は混じるが、リムドが会話の内容を解するには支障のないレベルだ。この念話の聞こえ方は、仮初めの乗り手に特有のものに相違なかった。

 しかし、どう見ても相手は火竜(ドレイク)ではない。火竜とは姿も雰囲気も全く異なる。乗り手云々と騒ぎ立てる動物は、火竜を除けばもはや一つしかなかった。

飛竜(ゼダーン)だ!」

 リムドが叫ぶと、その生き物ーー飛竜はくわっと口を開けた。

『それがドウシた、このクソがき! 俺の略称(はショリ名)しかわカラねぇ屑野郎が!』

 ナッグという名の飛竜は、容赦なく罵詈雑言をリムドに浴びせ続けた。かなり不満だったようだ。飛竜も火竜同様、求めているのは正確に己の名を捉えられる相手ーー真の乗り手だけなのである。

 ところが当のリムドは怒鳴られても怯むどころか、ナッグに興味津々。初めて目にする飛竜に心躍り、好奇心で目を輝かせていた。強心臓でもないリムドが、こんな大胆な態度に出られたのも、飛竜が人を襲うことはまずないとわかっていたからだ。人が乗り手になれるということも無論あるが、理由は他にもある。飛竜の知能は人と同等。人間に危害を加えれば、必ずや報復を受けることをよく心得ているのだ。

 ーーうーん、この口汚く罵る様は、まさしく飛竜だなあ。大伯父さんの本に書いてあった通りだ。

 わくわくしながらもリムドは持てる知識をフル動員し、飛竜が如何なる生き物かを一つ一つ確認していった。

 飛竜は全長が三十二から三十六ライゼ(十六から十八メートル)、翼長は三十二から四十ライゼ(十六から二十メートル)程。その姿形は、背に蝙蝠の翼をはやした二本足で立つトカゲといった感じで、角もない。体は全体的にスマートで、火竜のような重量感には欠ける。鱗の色の種類は豊富で、金銀を除く多種多彩な色があるが、柄や模様を持つ個体はいない。

 飛竜も火竜同様「乗り手を求める」竜だ。しかし、両者には外見以外の多くの相違点がある。

 第一に歩行方法だ。火竜は後肢で立ち上がることはしても、その状態で歩くことはまずなく、前肢も用いて四本足で歩行する。これに対して飛竜は常に後肢のみ用い、腹を地上から高く持ち上げて歩行する。歩行に用いない前肢は、後肢に比べると小さいもののかなり器用で、簡単な武器なら扱うことが出来る。

 第二に炎の吐息の威力である。火竜はその名が示す通り、炎の吐息の威力は凄まじい。射程距離も長く、周囲を瞬く間に火の海と化してしまうことも可能で、真の乗り手を得れば爆炎球も吐ける。それに比べて飛竜の炎の吐息はお粗末だ。身を守ったり狩りに使える程度の火力しかなく、射程も精々十ライゼ(五メートル)くらいしかない。

 第三に食性である。火竜は「誇り高き肉食」と呼ばれるように肉、しかも新鮮な物しか口にしない。その肉も魚、鳥、獣限定であり、それ以外の肉は不浄と考えている。食料は己の力で調達するのが彼らの流儀で、乗り手を持つ火竜でも人から与えられた肉は、体調不良時などを除けばまず食べない。ところが飛竜は雑食で、実に様々な物を食べる。植物性の物は果実くらいだが、動物性の物は基本的に何でもこいだ。火竜が嫌うありとあらゆる物ーー爬虫類や両生類、大型の昆虫や軟体生物、腐肉ですら平然と食する。飛竜が悪食と呼ばれる所以だ。また人による給餌も全く抵抗がなく、「楽して飯にありつける」と喜ぶくらいである。

 第四にその性格である。両者とも人間同様に善よりの者、悪よりの者と色々な性格の持ち主がいる。ただいずれにしろ、火竜は約束事を重んじる法的な(ローフル)傾向が強い生き物だ。加えてプライドが高く上昇志向も強く、雅を好み品がある。しかし飛竜はつむじ曲がり、へそ曲がり、天の邪鬼、気紛れ等々、混沌的な(カオティック)要素満載の生き物。品位に著しく欠け、誰に対してもタメ口をたたき、上から目線で接する。己より力の勝る火竜ですら「お高く止まりやがって」と、嘲笑う有様だ。おまけに狡猾で抜け目なく、常に相手を出し抜いて利を得ようとする油断ならぬ者なのである。

 飛竜は火竜に比べて個体数がぐっと少なく、遭遇する機会は滅多にない。この貴重な出会いを無駄にせず、じっくり観察しようとリムドはにこやかにナッグに話しかけた。

「がっかりさせて悪かった。君は本当に飛竜なんだね?」

 近付きの挨拶にリムドが手を差し出すと、ナッグは払い除けるように右前肢を振り回した。

『おら! 馴れ馴れしいことするンジャねえ!』

「ああ、すまない。ところでこの洞窟は君のねぐらかい?」

『そうダ! 何の用デここニ来ヤガッた!』

「急に雨が降り出したから、避難してきたんだ。すまないけど、ここで雨宿りさせてくれないか? 雨が止んだら直ぐに出て行くから」

『ちっ! 勝手にシロ! ただの人間ダッタら叩き出すトコロだが、仮初めの乗り手ナラ我慢してヤル。ん……待てヨ……』

 ナッグの裂けた口の付け根が微かに上がった。明らかに笑っているのだ。にやりと。

『こンナがきでも契約すレバ、ちっとは「跳べる」ヨナア……』

 ナッグの思いもかけない言葉に、リムドはえっと声を漏らした。飛竜は乗り手には妥協せず、仮初めの乗り手を受け入れることは絶対にないと聞いていたからだ。その尊大な性格故に鞍を屈服の証と見なし、着用を拒むからである。

 よって飛竜は盟約は結んでも、契約は結ばない。たとえ目前に仮初めの乗り手が現れても、興味すら示さないのだ。リムドが仮初めの乗り手にすぎないと知った時、ナッグが激怒したのもこのためである。

 このような事情から、飛竜に乗る兵ーー竜奇兵はその全てが鞍無しである。しかし、鞍無しの竜騎士と比べても数は僅かで、全世界でも十騎いるかどうかだ。何故竜奇兵はこれ程までに少ないのか。飛竜の個体数も無論一因ではあるが、その最大の理由はやはり飛竜の性格にある。

 火竜も飛竜も、真の乗り手とはなる者とは「似た者同士」や「気の合う者同士」であることが多い。よってこの曲者と問題なく、しかもどちらかが死亡するまでの長きに渡り付き合える人間は、当然のことながら限られてしまう。早い話、飛竜に負けず劣らずの変わり者でなければ、その乗り手は勤まらないのだ。

 この希有な存在である竜奇兵を、自軍の竜兵団に加えたいと願う者は意外にも多い。竜騎兵が機動力に富んだ、非常に優れた兵だからである。

 飛竜の飛翔速度は、乗り手を持たない個体でも鞍無しの竜騎士と同程度。竜奇兵ともなれば竜の中では最速だ。動きも非常に機敏で小回りが利き、空中ではアクロバットのような動きを見せる。翼竜(ワイヴァーン)にさえ不可能な錐揉みも、難なくこなすのである。陸上での動きも素早く、二本足で軽やかに走行し、その速度も馬より速い。

 そして何より竜奇兵が求められる最大の要因は、その瞬間移動能力にある。信じ難いことに、竜奇兵は即席の異街道を作り出すという、驚異の能力を持っているのだ。一回の移動可能距離は個体差はあるが、短くても百マール(五十キロ)、長ければ千マール(五百キロ)にもなるという。ただし、この即席異街道は竜奇兵専用。通過した端から消滅してしまうので、他者が後に続いて利用することは出来ない。

 竜奇兵は竜騎士に比べ、炎の吐息の威力、騎竜の体力、白兵戦の戦闘力、どれをとっても劣る。しかし優れた特殊能力を持つが故に、奇兵や伝令、斥候にはもってこいだ。竜奇兵が一騎いるだけで戦況が有利となる、一変するなどとも主張する者もいるくらいである。

 ただ竜奇兵は飛竜も乗り手も自由奔放、束縛を極端に嫌がる。一時的に傭兵になることはあっても、長期間一定の人物に仕えることはない。ほぼ全ての竜奇兵は定住せず、全世界を気の向くままに放浪しているという。

 さてーーナッグが言う「跳ぶ」とは、恐らく瞬間移動能力のことを指しているのであろう。「少しは跳べる」という台詞から、仮初めの乗り手との契約によっても、短距離なら可能なようだ。

 しかし「契約」を決して結ばない筈の飛竜が、何故ポリシーを曲げるようなことを言い出すのか。幾ら気紛れな飛竜といえど、これはかなり不可解な行動だ。リムドがその点を指摘しようと、一歩前へ足を踏み出した時ーー

「リムド! 無事かい!」

 洞窟の外から声がしたかと思うと、ずぶ濡れのマルシャがリムドの許まで駆け寄ってきた。洞窟から逃げ出したものの、リムドが一緒について来なかったので、心配になり引き返してきたのだ。

『何だ、コノ小汚いばばあ猫は? おいくそガキ、お前の非常食か何カか?』

 ナッグはマルシャをちらりと見ただけだったが、その念話はかの老猫にもしっかり届いていたようだ。マルシャはきーっと金切り声をあげ、猛然と抗議し始めた。

「小汚いばばあで悪かったね、この性悪トカゲ! こう見えても名のある魔術師の元使い魔だよ!」

『何だとお! 食っちまうぞ!』

 牙を剥き出しにして睨むナッグを見て、マルシャは縮こまった。猫など飛竜にかかればひと飲みにされてしまう。

「止めろ! 僕の連れに手を出すな!」

 リムドはマルシャを庇うように、ナッグの前に立ちはだかった。が、ナッグはふんと鼻を鳴らし、

『へっ! そんな筋張った老いぼれなんぞ、食ってもちっとも美味くねえ! 第一、腹の足しにもなりゃしねえよ!』

 と、口を閉ざした。飛竜は人と生活を共にする動物にも、通常手を出さない。マルシャもリムドもただの脅しだとはわかっていたが、相手はあの気紛れ者。勢いで食べてしまう可能性も無きにしもあらずだ。

 両陣営の緊張が解けたところで、マルシャがリムドに尋ねた。

「リムド。あんた咄嗟に私のこと守ろうとしたけど、あいつの言っていることが、もしやわかるのかい?」

「ああ、わかる。少し雑音が入るけどね。僕は彼の仮初めの乗り手になれるみたいだ。マルシャは雑音無く聞こえるんだろう?」

 マルシャはこくりと頷いた。確かにマルシャにはナッグの念話が、クリアな状態で聞こえていたのだ。火竜と飛竜が念話で他の動物と会話をする際、その声が雑音混じりで聞こえる相手は人間のみ。人間以外の動物との念話は何ら問題がないという。もっとも、相手に会話が成立するだけの知能があればの話だが。

 このため、使い魔のような人の言葉を解する動物が、火竜や飛竜の通訳を勤めることが度々ある。ただ、動物が契約や盟約を結び、竜の乗り手となることは出来ない。竜の名前を感じ取れるのも、乗り手になれるのも、念話による会話に支障が出るのも、人間だけ。人間だけが火竜や飛竜と「特別」な関係にあるのだ。この理由や仕組みは未だ解明されていないが、唯一神の恵みと唱える学者もいる。竜と人が結びつくことにより、両者に神の恩恵が与えられる。竜は能力が上がり、人は竜の力を利用出来るという。

 マルシャから目線を外すと、リムドはナッグと改めて向かい合った。

「もしかして君、僕と契約しようっていうのかい? 真の乗り手しか求めない、飛竜の君が?」

『そウダ。文句あっカ。コノ寛大なる俺様が、特別ニ契約してヤロウッテ言うんだ。有り難く思エヨ』

「そう言われてもなあ。僕らは旅の途中で、さらわれた連れを捜しているんだ。雨が止んだら直ぐにでも捜しに行かなくちゃ」

 困惑するリムドを眺めながら、ナッグはけけけと笑った。

『安心しナ。用が済んだらトットト破棄してやル。ドンナに長くテモ明日までかからネエヨ』

「用……? その用って何だい?」

 リムドの質問はごく自然なものだったが、途端にナッグは不快感を露わにした。

『てめえノ知ったコトか! 黙って俺ト契約すりゃいイインだよ!』

「そういう訳にはいかないな」

 今度はリムドの態度が一転した。眉間に皺をよせ、怒気がこもった声を相手へぶつける。

「こちらの言い分を無視して、一方的に契約しろだなんて、余りにも身勝手じゃないか。そこまで言うんなら僕らは今直ぐここを出る。契約したければ他の人間とすればいい」

 リムドは荷物を背負い、マルシャにここを出ようと促した。相手の毅然とした態度にナッグは面食らい、暫し呆然。だが我へ返ると、去ろうとするリムドに向かい、猫なで声で話しかけてきた。

『おい坊主、待てヨ。それなラ取引しヨウゼ』

「え? 取引だって?」

 意外な言葉にリムドは足を止め、振り返った。

『そうだ。お前、サッキさらわれた連れを捜してイルト言ったよな? その連れッテ、もしかして山賊にサラワレタんじゃネエノか?』

「そうだが……。どうしてそれを?」

『こんな雨の中、山の中ヲうろついてイルカラダよ。山賊(やつら)のアジトを探してイルンダろうってな』

 得意げに口先を突き上げ、ナッグは言った。自分はその山賊のアジトの場所を知っている。契約すれば、リムドをそこまで連れて行ってもいいと。

 リムドにしてみればそれは願ってもない申し出だったが、問題もあった。リムドはあくまでも仮初めの乗り手。鞍もない状態でナッグの背に乗れば、たちまち振り落とされてしまう。もうロープで身体を固定するしかないだろう。

 しかし、降雨により山賊の追跡はもはや不可能だ。リムドは腹を決めた。

「わかった。君と契約しよう。ただ、君の用を知っておきたい。僕だって契約する以上、そっちの事情は知る権利はあるだろう?」

『ちっ、仕方ネエな……』

 ナッグは渋々話し出した。ナッグはもう十年以上、この山ーーアルヴァ山とその周辺の山々を縄張りにしてきた。縄張り内には飛竜の脅威となる魔獣もおらず、獲物は豊富。まさに山はナッグの天下で、日々自由気ままに暮らしていた。山賊は昔から隣山の中腹に住み着いていたが、互いに干渉することもなく、無関心。ナッグにとって空気のような、どうでもいい存在に過ぎなかった。

 ところが三年前、そんな平穏な暮らしが一変した。山賊に二騎の竜騎士が加わり、火竜がナッグの縄張りを跋扈するようになったのだ。火竜相手でも一対一なら何とか張り合えるが、二頭では分が悪い。かくしてナッグは山の生態系のトップの座から転落してしまったのである。

 しかもナッグの災難はこれだけではなかった。火竜は「逃げ足だけは速く、下品で意地汚い」飛竜を目の敵にしている。火竜達はナッグを「卑しい飛竜に目の前をうろつかれては目障り千万」と、二頭がかりで追い回し、容赦なく炎の吐息を吹きかけてきた。おかげでナッグは、日中外を飛び回ることもままならない有様。狩りも日没後、隠れてこそこそ行うしかなかった。

『奴らが来てカラもう俺は散々ダ。だが契約すれば、少シハ「跳べる」。そうすりゃ、こっちにも勝機はアルだろう?』

「それは気の毒だったね。でもそんなに酷い目に遭っているのなら、この山から出て他の所に移住すれば済む話じゃないか」

『馬鹿野郎! 奴らに一発もカマサさず、尻尾を巻いて逃げロッテか! 片翼むしり取ルくらいシナキャ、俺の気が済まネエ!』

 目を血走らせて叫ぶナッグを見て、リムドは思わずにはいられなかった。飛竜は執念深い……と。受けた仕打ちは決して忘れず、報復の好機が訪れるのを待つ。我を殺そうとも屈辱を受けようとも、何年でも待つ。そしてその時が来ればここぞとばかりに、極めて陰湿な方法で仕返しをするのだ。

 こんな話がある。昔、飛竜を翼竜のような騎竜にしようと考えた騎士がいた。つまり盟約による同等な関係ではなく、主従関係を結ぼうというのだ。それにはまだ警戒心の弱い幼い子竜を捕らえ、人に馴らす必要があった。

 そこで騎士は飛竜の巣がある洞窟へ侵入、子を守ろうとする母竜を殺害し、子竜を連れ帰った。精神派の波長が合わないのか、念話は雑音が酷くて殆ど聞き取れなかった。それでも騎士は愛情を込めて子竜を育て、子竜も騎士に良く懐いた。

 十年後。子竜は人を乗せられる程に成長し、飛竜の騎竜化成功を祝う、お披露目飛行の日を迎えた。鞍を装着し、騎士を背に乗せた飛竜が、大勢の見物人の前に颯爽と登場した。歓声に応え、笑顔で手を振る騎士。騎士の合図とともに飛竜は離陸した。だが人々は見たのだ。飛竜が翼を広げる寸前、不気味な笑みを浮かべたのを。

 お披露目飛行は順調だったーー最初のうちは。ところが上空二百ライゼ程へ達した頃、異変が起こった。飛竜が突然宙返りや急旋回など、荒々しい飛行を開始したのだ。曲芸飛行を披露しているのかと皆思ったが、そうではないことは直ぐにわかった。騎士は必死に鞍にしがみくばかりで、指示を出す余裕すら窺えない。見物人の間から悲鳴が上がり、目を背ける者もいたが、どうにもならなかった。

 それでも飛竜の「暴走」は一向に収まらない。ついに力つきて振り落とされた騎士は、為す術もなく降下し、絶命した。飛竜は歓喜の咆哮を上げ、鞍を食いちぎると何処かへ飛び去ってしまった。

 この恐ろしい事件で人々は思い知らされた。飛竜は忘れていなかったのだ。目の前で母親を殺し、自分を隷属させようとした者への恨みを。そして最高の晴れ舞台で報復することにより、騎士に屈辱にまみれた死を与え、その名誉を地へ落としたことを。飛竜は十年もの間、この日がくるまで復讐心はおくびにも出さず、騎士を父のように慕う「振り」をしていたのである。

 本でこの話を読んだ時、リムドも思わず背筋がぞくりと寒くなったものだ。ナッグが火竜から逃げもせず、この山に留まっていたのも、飛竜ならではの執念深さ故だった。火竜に散々追い回され罵倒されながらも、せめて一矢報いてやろうと日々悶々と過ごしていたことだろう。

 そのナッグにしてみれば、思いもかけない形で火竜への仕返しが可能となった。本来ならば真の乗り手が欲しいところだが、仮初めの乗り手とてそう簡単には巡り会えない。今を逃せば、次いつ好機が訪れるかわからないーーそう思ったからこそ、狡猾なるこの竜は態度を軟化させ、取引を持ちかけてきたのだ。

『これで理由はワカッタだろう? ならとっとと契約シロ。俺が今カラお前に契約内容を伝えル。それをお前ガ飲めば契約ハ成立だ』

 先程までの謙虚さは何処へやら、本来の高飛車な飛竜へ戻ったナッグは、食い入るような目つきでリムドを見詰めた。黙って頷くリムドを見て心配したのか、マルシャがリムドの肩へ飛びつき、そっと耳元で囁いた。

「大丈夫なのかい、リムド。一日足らずとはいえ、こんなチンピラ竜と契約を結ぶなんて。相手はあの悪名高い飛竜だよ。約束を守ってくれる保証なんてどこにもないんだよ」

「心配ないよ。契約した以上、僕はナッグの『相棒』になる。その間裏切り行為は許されないから」

 リムドも考えたのだ。ナッグは復讐ついでに自分をアジトへ連れて行くつもりであり、よって確実に案内してくれると。

 竜騎士の騎竜である火竜は、たとえ乗り手の側にいなくても、比較的近くにーー直ぐに駆けつけられる場所に待機していることが多い。このような待機している火竜を呼ぶ際、鞍無しではない普通の竜騎士の乗り手は、指笛を吹く。ナッグの話によれば、山賊の竜騎士は普通の竜騎士。つまり、火竜は乗り手の指笛の音が届く範囲におり、山賊のアジトも火竜のねぐらの近くにあることになるのだ。

 リムドはマルシャを地面に降ろすと、契約の儀式に臨んだ。ナッグに指示された通り、四ライゼ(二メートル)程離れた場所に立ち、向かい合う。ナッグは二、三回深呼吸をして精神を集中させると、飛竜らしからぬ厳かな口調で契約の言葉を述べた。

『我は汝と共にアリ。我がコノ絆を絶つ時まで』

 火竜が契約を結ぶ際は、後半の言葉が「我が前に真の乗り手が現れるまで」となるのだが、今回は一日足らずの契約なのでこのような宣誓となったのだ。これはつまり、ナッグが好きな時に契約を破棄出来るという意味に他なら無い。とても対等な関係とは言い難い内容だったが、リムドに迷いはなかった。

「承知した」

 少しの間をおいてリムドが答えた直後、ナッグの身体が一瞬、鈍い光を放った。契約が無事完了し、竜の能力に変化が生じたことを示す、「結びの光」だった。

『へっへっへ。何ダカ身体が軽クなったみたいダゼ。上手くいったヨウダな、チビガキ』

 ナッグは上機嫌だったが、リムドは相変わらずの高圧的な言動にいい加減嫌気がさしてきた。

「僕はちびがきなんかじゃない。リムドだ。一応相棒になったんだから、名前くらい覚えてくれ。あとこの猫はマルシャ。僕のアドバイザーだ」

『アー、わかった、わかった。それジャ、早速試してミルカア!』

 と叫ぶや否や、ナッグは薄暗い雨空へと飛び上がった。降りしきる雨をものともせず力強く羽ばたき、どんどん上昇して行く。

 すると突然、ナッグの目の前の空間に漆黒の穴が現れ、その中へ姿が消えた。そして二、三秒後、六百ライゼ(三百メートル)程離れた場所に、あの藤色の身体が現れたのだ。瞬間移動能力でどの程度移動出来るのか、試したのである。

 しかし「試験飛行」は、この一度きりでおしまい。ナッグは直ぐに洞窟へ戻ってきたのだ。酷くがっかりしたように。

『けっ! 契約ジャ跳べてもこの程度カヨ! まあ、奴ラニかますにはコレデ十分ダカラ、我慢してヤルか!』

 ナッグはぶつぶつ文句を言いながら、身体を揺すって付着した水滴をふるい落とした。しかもリムドとマルシャの直ぐ側で。ようやく乾いてきた服がまた濡れてしまい、リムドは閉口した。

『おら、リムド。雨が上がっタラ直ぐにでも出ルゾ。ソレマデ休んでおけ』

 それきりナッグは念話を打ち切り、さっさと洞窟の奥へ引っ込んでしまった。休めと言われても、リムドは薄暗い奥へ行く気にはなれない。雨が吹き込まなければ問題ないので、マルシャと共に入口近くに腰を下ろすことにした。

 ナッグの姿が消えてほっとした途端、今度は空腹感が襲ってきた。リムドは自分の背負い袋からサラミを取り出し、マルシャと食べることにした。

 年老いたマルシャでも噛めるよう、リムドはサバイバルナイフでサラミを細かく切り分け始めた。その様子を眺めながら、マルシャが呆れたように言った。

「全く口も柄も性格も、噂に違わぬ酷さだね、飛竜って奴は」

 マルシャは昔、一度だけ野生の飛竜を遠方から見ことがあったという。無論会話を交わした経験はなく、ナッグの横柄で乱暴な態度に相当驚いたようだ。

「僕も正直びっくりしたよ。同じ竜でも火竜とは全然違う生き物なんだろうな。考え方も習慣も」

「まあねえ。何でもあれの真の乗り手になれる人間は、奇人変人しかいないって話じゃないさ。今度はその乗り手にも、是非お目にかかってみたいもんだね」

 マルシャの皮肉たっぷりの言葉通り、飛竜の乗り手には「奇人変人」しかいなかった。希代の奇術師とは表の顔、その正体は金持ちから大金を巻き上げるペテン師。新たな芸術と称し、理解不能な絵ばかりを描く画家。貴族につまらない悪戯を仕掛け、からかって楽しむ道化師……等々、古今東西変わり者のオンパレードだった。そのような一癖も二癖もある人物でなければ、したたかで毒舌極まりない飛竜と付き合えないのだろう。

 腹を満たすと、リムドは外の様子を窺った。定期連絡馬車を飛び出したのが午前十時前後だったので、正午までにはまだ多少時間がある。雨は幾分小降りになったものの、止む気配はない。ナッグと出かけるのは、確実に午後になるだろうーーと、考えたところでリムドはマルシャに告げた。

「マルシャはここで荷物番をして、待っていてくれないか」

「えっ! あんた一人で山賊のアジトに乗り込む気かい!」

「ああ。マルシャを危ない目に遭わせる訳にはいかないからね」

 山賊のアジトへ潜入することには危険が伴う。しかもそこへ行くために、飛竜に掴まって運んでもらわねばならない……それが理由だった。

 驚きはしたものの、マルシャも取りあえず納得はした。自分が行ったところで、大して役に立てないことはわかっていたのだ。さりとてマルシャとて伊達に年はとっていない。リムドの膝に前足をかけ、詰め寄った。

「まあ行きはいいよ。帰りはどうするんだい? 無事にあの二人を救出して、どうやってこの洞窟まで戻ってくるのさ?」

 マルシャが心配するのも当然だった。火竜への報復が済めば、リムドはもはや用無し。ナッグはさっさと契約を破棄し、リムドを置き去りにしてしまうに違いない。土地勘の全くない異国の山中で、この洞窟を捜し当てるのは至難の業だ。リムドが自力で辿り着けるとは到底思えなかった。

 仮にどうにかナッグを説得しても、別の問題がある。飛竜は火竜同様、乗り手以外の人間を受け入れない。カグラとリタを拒絶するのは目に見えている。

「心配ないよ。カグラと合流出来れば、どうにでもなるから」

 リムドはマルシャの頭を撫でながら言った。自分は端からナッグに帰りの足を期待していない。いざとなればカグラに物見術を使ってもらえばいいと。

 カグラの物見術は、遠見魔術師のそれとやり方も効果も些か異なる。遠見魔術師が映像を映し出す媒体として水晶球を用いるのに対し、カグラは水鏡。しかも映像だけではなく、捜している対象が現在いる大まかな方向までわかるのである。ただリタの目の前で術は使えないので、注意が必要だが。

「術の捜索対象はマルシャになる。だからマルシャはここを動かないで、待っていて欲しいんだ」

「わかったよ。でも気を付けるんだよ。山賊にも、あのチンピラ竜にも。どっちも油断なら無い奴らだからね。それにしてもあの子達、何もされていないといいけど」

「大丈夫。彼女らは奴らにとって大事な商品だ。傷つけることは無いよ。それに少なくとも、雨が降っている間はアジトにいる筈だ」

 恐らく、山賊は直ぐにでもカグラ達を国王の許へ届けたいのだろう。手元に置いておけば、その分食い扶持も増えるのだから。しかしこの雨で、向こうも足止めされている筈。雨が上がり次第向かえば、二人の救出には間に合うだろう。

 問題はその方法だった。リムドが携帯する武器はサバイバルナイフ一本のみ。これで戦闘素人のリムドが山賊と戦っても、洒落にならない。当然潜入による救出となるが、監禁場所をどうやって調べるのか。首尾良く発見出来ても、リタがカグラと一緒にいたら厄介だ。カグラに当て身を食らわせるように指示し、リタを失神させてその隙に魔力で……と、色々作戦を練っているうちに、疲れていたのだろう。リムドはいつの間にか眠ってしまった。


『おら起きんか! コノクソがきが!』

 突然の怒鳴り「念話()」に、リムドは飛び起きた。慌てて顔を上げると、ナッグの鼻面が目の前にまで迫っていた。

「ああ、ごめん。雨は上がったのかい?」

『上がったカラこうしているんじゃネエカ!』

 ナッグが顔を引いたタイミングで、リムドは一旦洞窟の外へ出た。雨はすっかり上がっており、雲の隙間から青空も見える。陽の傾き加減から見て、午後三時くらいだと思われた。

『そら、出るゾ! ほらよ!』

 ナッグは四肢を折り、身を伏せて肩を揺すった。乗れと言っているのだろうが、無論このまま跨がる訳にはいかない。リムドはそれぞれの背負い袋の中からロープを取り出し、結んで一本にした。次いでマルシャにも手伝わせ、身体をナッグの首元に固定した。

 意外にもナッグはこの作業を嫌がらず、大人しく寝そべっていた。乗り手が死亡した瞬間契約は解除され、能力も元へ戻ってしまう。復讐が済むまではリムドに死なれては困るので、我慢したようだ。

「ナッグ。アジトの近くに着いたら、そこで降ろしてくれ。ナイフでロープを切るかーー」

 リムドが口を閉ざす前に、ナッグは立ち上がるや洞窟を飛び出し、宙へ身を踊らせた。水平飛行で飛竜に勝るのは燕くらいだと言われるように、その飛翔速度が生み出す風圧は凄まじい。顔が歪まんばかりの強風が、まともにぶつかってくる。おまけに仕返しへ行くのが嬉しくてたまらないのか、リムドに自分の飛行術を見せびらかそうと思ったのか、ナッグは面白半分に旋回を繰り返した。激しい酔いに襲われたリムドは、もはや目も開けていられず、顔をナッグの首筋へ押し当て、懸命に堪えた。

 リムドにとって幸いなことに、そんな粗暴な飛行は長くは続かなかった。突然ナッグが急停止し、ホバリングを開始したのだ。アジトの近くまでやってきたのかと思いきや、地表へ降りる気配もない。どうしたことかとリムドが目をうっすら開けると、ナッグの楽しげな声が聞こえてきた。

『何てこった! アイツら、派手にやってヤガル!』

 ナッグは笑い出した。腹の底からこみ上げてくるような、嘲る声で。その耳障りな声と羽音をかき消すように、突如前方から獣の咆哮が轟いた。しかも複数だ。野獣同士の喧嘩や、縄張りの主張合戦などといった、大人しい類のものではない。「殺してやる!」「死ね!」という呪言が聞こえんばかりの、憎悪剥き出しのおどろおどろしい声なのだ。

 何か恐ろしいことが近くで起きている。気分は優れなかったが、リムドはそっと顔を上げた。刹那にして酔いは跡形もなく吹き飛んだ。リムドの目に信じ難い光景が飛び込んできたのだ。前方数百ライゼ先の空中で、赤と黒の二頭の火竜が火を吐き、猛り狂いながら死闘を繰り広げる様が。

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