第10話 血の秘密
スルーザ王国東端の町・ザレッサ。ヨマーン王国との国境の関から一マール(五百メートル)程西にある町だ。両国を往来する行商や、各地を渡り歩く傭兵などが頻繁に立ち寄ることを除けば、これと言った特徴もない。スルーザの町としては規模も人口も平均的な、極々普通の町だった。
六月四日の午後七時過ぎ。リムド達はこの町の中程に位置する「旅鳥の巣」という居酒屋にいた。ザレッサの中ではなかなか繁盛している店のようで、数十ある席はほぼ満席。客達は皆思い思いに酒を飲み、料理に舌鼓を打っていた。
リムド達は夕食をとるためにこの店を訪れていた。グレンとアギは酒好きだが、他の三人は興味すら抱かない。リムドと人前で行動出来るのはカグラだけなので、食事のみで十分なのだ。もっともカグラの食事量は尋常ではなく、リムドにとって頭の痛いところではあった。
リムド達が国境の関へ到着したのは、これより一時間程前のことだった。現れたスルーザ側の国境警備兵は、当然の如くまず身分証の提示を要求した。
そう言われても、猫であるマルシャは身分証など持ち合わせていない。普通の飼い猫と伝えれば済む話なのだろうが、ここで虚偽申告をすれば後々面倒なことになるかもしれない。根が正直なリムドは、マルシャが元使い魔であることを告げた。しかし、予想に反して警備兵は気にもとめず、あっさりマルシャの入国を許可。リムドもしっかりとした身分証があるため、問題なく許可が下りた。
そんな中、カグラだけ警備兵の対応が異なった。まるで品定めするかのように、じろじろとカグラを眺めた後、警備兵はぶっきらぼうに尋ねた。
「おい、娘。お前、年はいくつだ?」
「十六」
「そうか。ならこっちに来い」
警備兵は指先をくいくい動かし、カグラについてくるよう指示した。別の一人がカグラの背後へ回り、挟むように別室へ誘導して行く。
リムドは激しく動揺した。身分証は少なくともステイア大陸内なら何処の国でも通用する物、問題は無い筈。もしやカグラの秘密が発覚したのでは……と考えると、居ても立っても居られない気分だった。
されどリムドはどうすることも出来ない。仕方なくマルシャと共に関を通過し、カグラが出てくるまで外で待つことにした。幸いなことに十分程後、カグラは何事もなかったかのように出てきた。すぐにリムドはカグラの手を引き、少し離れた場所まで来ると耳打ちした。
「何があったんだ?」
「あいつら、私が魔力持ちかどうか確かめたみたい」
カグラはあっけらかんと答えたが、リムドは口から心臓が飛び出るような思いを味わった。カグラが魔力持ちであることが知られれば、その力を狙う者達を招き寄せる恐れがある。だからこそノーラムは、カグラに魔力を人前で使うのは極力控えよと、口を酸っぱくして注意してきたのだ。
「そ……それでばれたのか?」
「いーや。連れて行かれた部屋に魔術師らしい奴がいてさ。私に魔力探知の魔法をかけた。でも無反応だったんで、何かがっかりしていたよ」
「そう、か……」
ことが面倒にならずに済み、リムドは胸をなで下ろした。だが同時に疑問にも思った。カグラが何故魔力探知の魔法をすり抜けられたのかと。首を捻るリムドにカグラが言った。
「私は人間じゃないから、人間の魔法には引っかからないのかもね」
「ああ、成る程。でも関で入国者に対し、魔力チェックを行うとは知らなかったなあ」
カグラ曰く、魔力チェックをする理由までは警備兵は教えてくれなかったという。魔力無しという結果にがっかりしたということは、何か特別な目的があって魔力持ちを探しているに違いない。加えて調査対象がカグラだけだったという点が、リムドには引っかかった。
理由についてじっくり考えようにも、カグラが腹が減ったとせっついてくる。だが、リムドは関での一件がどうにも気になり、何をするにも上の空となってしまいそうだった。そこで居酒屋のウエイターに、配膳時にこの件について尋ねてみると、思わぬ答えが返って来たのだ。
「それは国王様の命令でやっているんです。お妃候補となる魔道人の娘を探しているんです」
その話を聞いて、リムドはスルーザ王室のルアル家が、魔道家であることを思い出した。スルーザ王国はステイア大陸の中では最も古く、五百年以上もの歴史がある国。建国以来強力な魔力を持つルアル家の者が、代々王として治めてきた。魔力は唯一神より与えられる、選ばれし血族の証。国民は皆由緒正しい「神の寵児」たる王家を誇りに思い、敬っていたのだ。
しかし、王家がその力を維持するのは容易なことではない。魔道家の魔力は血の純度が命。魔道人ではない普通の人間との婚姻を重ねると、代が進むにつれ魔力が落ちてきてしまうのだ。
魔力は王家の権威の象徴であり、源でもある。魔力低下を何よりも恐れた歴代の王達は、血を薄めまいと近親婚を繰り返してきた。だが、父娘婚や兄妹婚は倫理的に問題がある。そこで行われたのが伯父姪婚や従兄妹婚だ。ただし、近親婚は弊害を伴う。奇形、虚弱体質、精神異常といった、非健常者が生まれやすくなるのだ。
実はミスリダ大公国が、二百年程前にスルーザから分離独立した原因も、この近親婚にあった。当時の王弟ーー大公には娘が一人おり、国王は姪に当たるこの娘を妃にする予定だった。が、娘は相思相愛の仲であった別の若者と、結ばれることを強く望んでいたのだ。
娘の思いを知った大公は悩み抜いた末、思い切った行動へ出た。娘やその恋人、自分の臣下を率いて母国を離れ、山岳地帯に自国を創ったのである。そして国名を娘の名を取り、ミスリダとした。以来、ミスリダでは魔道家の血に執着せず、近親婚も禁止。現在大公家の魔力は殆ど失われてしまったが、魔道家の呪縛からは解放された。
一方、魔道家の血にこだわり続けたルアル家は、長年に渡る近親婚の悪影響により、ついにその血の維持が限界に来た。現国王は間もなく四十歳を迎えるというのに、未婚。ここ三十年以上、健全な女児が王家に誕生していないのである。
もはや残された道は一つしかなかった。他家から魔道人の花嫁を迎えるしか。だが、ステイア大陸内での魔道家はルアル家のみ。他大陸の魔道家から迎えたくても、交流が皆無で打診すら難しい。仮に意向を伝えることが出来ても、年頃の娘は何処の魔道家でも貴重だ。相手が大事な娘をおいそれと差し出すとは思えなかった。
そこで昨年、国王は国中に触れを出した。「王家には新しい血が必要。魔道人の娘を妃に迎える。身分は不問」と。魔道家とは縁もゆかりもない庶民から、極希に魔道人が生まれることがある。そのような突然変異を探し出そうとしたのだがーー
「お触れを聞いて、国中から我こそはと多くの娘達が名乗りを上げました。でも全て魔道人もどきか魔力無しの偽者でした」
「だから入国者の中から、魔道人を探そうとしたのか……」
「はい。十五歳から二十歳までの女性が関に来たら、必ず魔力のチェックをするようにと。特にヨマーンとの国境では力を入れているようですね」
「何故だい?」
「何でも噂じゃ、ヨマーンには凄い魔力を持った女戦士がいるとか。名前は忘れましたけど、山賊を一人でほぼ全滅させたとか、湖の魔物を倒したって聞きましたけど、お客さんは知りません?」
ウエイターは軽い気持ちで尋ねたようだったが、リムドはギクリとした。彼女が言っている人物は、間違いなくグレンだったからだ。グレンの噂はヨマーン国内に留まらず、スルーザまで届いていたのである。
「い、いや知らないなあ」
高まる心臓を抑えつつ、リムドは正面に座るカグラの方を見た。聞こえている筈なのに、何食わぬ顔でパンを頬張っている。まるで他人事のように。
ウエイターが去った後、リムドは料理を口へ運びながら考えた。スルーザ国王がグレンを妃に迎えたいと願うのも、納得がいく。魔力という点「だけ」をあげるならば、グレンは申し分ないだろう。カグラの半分程度とは言え、その魔力は並の魔道人など足元にも及ばない。何しろあの火竜の爆炎球を弾き返したのだから。
ただし、グレンには致命的なある「欠陥」が存在する。カグラの話によれば、どうも副面体ーー特に女性は実子を儲ける事が出来ないようなのだ。副面体が子を孕めばその分エネルギーが必要になり、主面体の負担が増すこと。育児にかまけて主面体のサポートが疎かになること……などの理由で。過去現れた四人の忌み子は、全員若死にしているので真偽は不明だが。
されど国王はそんな事情など知らない。グレンが現れれば、それこそ必死になって捕らえようとするだろう。スルーザ国内では、グレンを絶対に舞台に出してはならないのだ。
そしてそれ以上に、カグラが魔力持ちであることを、知られるのは避けねばならなかった。国王は先の触れの中で「魔道人の娘を見つけた者には、莫大な恩賞を与える」とも述べている。多くの偽者が集まってきたのも、この恩賞目当てだったという。つまりことが発覚すれば、間違いなくカグラはあらゆる者からつけ狙われてしまうのだ。
治安が悪いスルーザでは、カグラの魔力に頼らざるを得ない場面も出てくるかもしれない。とにかく、波風立てずにこの国を通過しなければ……と思うリムドだった。
「只今戻りました、導師」
薄暗い室内へ入るや金髪の男は跪き、深く頭を垂れた。
「ご苦労だったな、ログス。面を上げよ」
部屋の奥から別の男の声がした。太くずっしりと重みのあるその声に、ログスと呼ばれた壮年の男はゆっくりと頭を上げ、真正面を見据えた。
ここはヨマーン西部サタール地方の丘の上に建つ、ビスタ侯爵邸に隣接する竜兵団団長の館。主の煌びやかで広大な屋敷に比べれば質素なものではあったが、それでも広さも部屋数も民家の三倍はある。領内における竜兵団団長の力がどれ程のものか、誇示するには十分な代物だった。
ログスの前には執務席に座るビスタ竜兵団団長ボルドーク・ウラノスがいた。年は五十前後、黒髪と白髪が半々に混ざった、背の高い強面の男だ。竜騎士であるログスにとっては直属の上官に当たる人物である。
時刻は間もなく午後十一時になろうとしていた。魔法の燭台の揺らめく炎の向こうから、ボルドークはログスを鋭い目つきで見詰めていた。が、身体を小刻みに震わせる部下の姿に、ふうと肩の力を抜いた。
「その様子では好ましからぬ結果に終わったようだな。まあよい。一通り報告するがよい」
「御意。では……」
意を決したように、ログスは話し出した。この日ーー六月四日、ログスはボルドークの命を受け、ザントとラージの行方を捜しに出ていたのだ。
逃亡したセレアナの件で王都へ調査に向かったザント達は、朝の開門直後に王都を発ち、ここへ帰還するはずだった。ところがまたしてもーー副団長のカイエンの時同様、昼を過ぎても戻らない。不吉な予感に駆られたボルドークが、団の魔術師に遠見魔法で二人を捜させると、想定外の結果が出た。
まずザントは反応が無かった。遠見魔法で無反応ということは、以下の三つのケースが考えられる。対象が魔法が届かない遠方にいる場合。対象に遠見魔法を無効化する魔法がかけられている場合。そして対象が死亡した場合だ。
ザントの場合、前の二つのケースは該当しない。ザントはボルドークの腹心の部下、主の意に反するような行動をとる筈がないからだ。となれば、もはや最後のケースしか考えられなかった。
更に衝撃的だったのは、ラージ捜索の際に抵抗がかかったことだった。これはラージが、ボルドークに発見されたくないと願っていることを意味する。ラージには魔法により、ボルドークに無条件で従う人間と化しており、捜索を拒否する訳が無い。つまりラージは術が解け、離反したのだ。
団の魔術師の実力では、抵抗を強行突破出来ない。ボルドークは続けざまにラージの翼竜を対象に、遠見魔法をかけさせた。ラージが翼竜とまだ行動を共にしていると見たのだが、またしても空振り。無反応だった。
遠見魔法で物や人間以外の生物を捜す場合、依頼者が対象の所有者であることが条件とされる。所有者に認定されるには、対象に所有者の名前もしくは所有を証明する「印」を付けたり、所有魔法をかける必要がある。
家畜の場合、この「印」に該当するのが焼き印だ。翼竜も同様で、竜兵団の翼竜には各団独自の焼き印が押される。つまり、翼竜は乗り手の私物ではなく、団の所有物ということだ。もし翼竜からこの焼き印が消えれば、所有者無しと見なされ、遠見魔法をかけても無反応となるのである。
魔法による捜索が徒労に終わり、ボルドークは苛立ちを隠せなかった。何故こう全てが上手く運ばないのかと。腹心の部下二名を相次いで失ったことも怒りに拍車をかけた。
そこでボルドークは、残った股肱の臣の中からログス・アーデンを指名。セレアナのその後とザント達の行方について、調査するよう命じたのだ。ログスはすぐさま相棒の火竜に乗り、王都へ向かった。
日が地平線へ近付き、間もなく閉門時間を迎えようかという頃、ログスは王都西門の近くへ到着。火竜から降りて西門へ向かうも、門の前が何やら騒がしい。国王軍の竜騎士や町の警備兵が、何かを取り囲むようにして多数集結している。人垣の間から中を覗き込んだログスは、口から飛び出しそうになった叫び声を慌てて飲み込んだ。兵達の輪の中に、見覚えのある火竜が横たわっている。ザントの騎竜であるガロリィだった。
ガロリィは全身傷だらけで、既に事切れていた。乗り手であるザントの姿もなく、何故か鞍もつけていない。だが何があったのか尋ねる間も与えられず、ログスはその場から兵達に追い出されてしまった。
王都へ入ってみると、辺りはまるで戦直後のような異様な恐怖と興奮に包まれていた。何が起こったのかは直ぐに知れた。半時間程前、エメラルドグリーンの火竜ーーガロリィが、乗り手も鞍もない姿で王都上空に出現。吠え猛り狂い、炎の吐息を吐きながら暴れたという。国王竜兵団の竜騎士数騎が緊急出動し、応戦。多勢に無勢、ガロリィはたちまち打ち負かされ、西門の外へ落ちて息絶えた。
対戦した竜騎士が、騎竜を通して聞いたところによると、ガロリィは血眼になりながら、「我が半身は何処だ! 隠しても無駄だぞ!」などと叫んでいたという。この話が正しければ、ガロリィは真の乗り手を見つけたことになる。つまり、ザントは契約を打ち切られたのだ。
同じ竜騎士として、ログスには色々と思うところもあった。が、今は任務の遂行が先決と、物見魔術師のダルカンの店へ向かった。昔ミスリダにいた頃、ログスはザントと共にこの男の力を借りるかわりに、店の経営を援助したことがあったのだ。柄が悪く強欲だが魔術の腕は良い。金さえ積めばラージの行方も突き止めてくれる筈だった。
閉店時間前に到着したにもかかわらず、何故か店の戸は堅く閉ざされていた。ログスが戸を叩いて呼んでも、使い魔の黒犬すら出てこない。妙に感じて裏へ回ってみると、裏口は無施錠。中へ入ったログスは、書斎で驚きの光景を目にした。何とダルカンは死んでいたのだ。血の付いた包丁を握ったまま机にうつ伏して。側には使い魔の死骸もあった。
誰かにこんな場面を目撃されたら面倒だ。ログスは早々にダルカンの店を後にした。ダルカンの死によりラージの追跡はもはや不可能。ザントの行方も手掛かりすら掴めず、ログスは二人の捜索を断念した。
その後、酒場や町中で二時間ほど情報収集をし、ログスは王都を発つことにした。既に閉門時間を過ぎていたが、ログスはボルドーク程の腕前ではないにしろ、精神に影響を及ぼす魔法が使える。西門の警備兵に魅了の魔法をかけて開門させ、戻ってきたのだ。
「そう、か……」
ボルドークの表情は険しかった。腹心の部下の死の真相も不明、しかも騎竜が王都で暴れたという。ガロリィは無装備の裸竜、野生の火竜との判別が難しい。個体識別には時間がかかるだろうが、いずれ追及の手がビスタ竜兵団へ及ぶことは間違いなかった。
「申し訳ございません。我が力が至らぬばかりに……」
ログスは額を擦り付けんばかりに平伏した。ボルドークは責めようとも慰めようともせず、淡々とした口調で言った。
「ザントは真の乗り手を殺そうとし、返り討ちにあったのやもしれぬ。ガロリィが奪われるのを、黙って見ているような奴ではないからな、あやつは」
「ラージは如何なさいましょうか? あやつは導師に遺恨を持つ男。報復に出る可能性も……」
「もうよい、放置しておけ。術が解けたところで、あやつは何も覚えてはおらぬ。実害は無かろう。追うだけ労力の無駄よ」
「しかし翼竜が……」
「ディルか? あんな老いぼれ竜、惜しくもないわ。餞別代わりにくれてやる」
声色は落ち着いていたが、ボルドークの口元は微かに歪んでいた。相変わらず平伏したままのログスは、気付かなかったが。
「それよりも翼竜が、遠見魔法にかからなかったことの方が気になる。対抗魔法がかけられたか、焼き印が消されたか。いずれにせよ、魔術師の仕業に間違いなかろう。ところでーー」
ボルドークは席から立ち上がり、ログスをまじまじと見下ろした。
「セレアナの件はどうした? カイエンがあの女を取り逃がし、その後どうなったかわかったのか?」
「い、いえそれが……。それとなく探っては見たのですが、そのような話は何処にも……」
「セレアナが王都へ駆け込んだのは昨日だったな。まだ噂にすらなっておらぬか」
あの狡猾な女め、とボルドークは忌々しげに呟いた。セレアナの夫であるビスタ侯爵は、現在とある用で国の南部へ出向いており、不在。数日前に侯爵が領内から発つ時、竜兵団団長のボルドークも護衛として帯同した。その僅かな隙をセレアナは見逃さなかったのだ。
詳細は不明だが、何らかの方法でボルドークの「秘密」を知ったセレアナは、これを国王へ報告する機会を窺っていた。そして夫も竜兵団団長もいない今こそが、絶好のチャンスとばかりに、計画を実行へ移したのだ。「実家の母の具合が良くないので、見舞いへ行く」という口実のもと、執事と侍女、護衛の騎士団員二名を連れて。
ボルドークは以前から、セレアナの自分に対する言動を不快に感じていた。反りが合わないと言えばそれまでだが、単なる毛嫌いとは思えないほど、セレアナはボルドークを目の敵にし、避けていたのだ。しかもボルドークやその子飼いの臣下について、裏で色々と探りを入れているという報告まであった。
セレアナがビスタ侯爵家に輿入れ出来たのも、自分の進言があってこそ。恩知らずな女だと思いつつも、ボルドークはその感情を表へ出すことはせず、淡々と仕えた。しかし一方で、油断することなくセレアナを監視し続けた。そんなおり滞在先へ伝書鳥が飛んできたのだ。セレアナの様子がおかしいと。
侯爵の護衛を部下に任せると、ボルドークはカイエンとザントを連れて館へ引き返した。だが時既に遅く、セレアナは屋敷を出た後。そこでセレアナの自室を調べてみると、ボルドークの秘密を掴んだと思われる証拠が、山のように出てきた。まさかここまで知られていたとはボルドークも夢にも思わず、まんまとしてやられた感じだった。
ボルドークは急ぎザントをセレアナの実家へ向かわせた。しかし途中発見出来ず、実家へ帰っていないことが判明。セレアナは王都へ向かったとボルドークは確信し、カイエンを刺客に差し向けたのだ。
「ログス、もうよい。面を上げよ」
ボルドークの命にログスはそろそろと頭を上げた。
「あの女を野放しにしたのは儂の落ち度だ。それにしてもあの二人の男共々、我が術がかからないとは。対抗魔法がかけられている気配は皆無であったのだが」
「あの三人は血縁関係にあります。それが何か関係が……」
「恐らくそうであろう。セレアナの父親がここを訪ねたおり、試しに術をかけたことがあったが、やはりかからなかった」
そこまで言うとボルドークは腰を下ろし、腕を組んだ。
「さて、問題は今後のことだ。国王が糾弾してくるのは必至であろう」
「国王がセレアナの告白を信じましょうか?」
「下級貴族の娘なれど兄の姪だ。自家の竜兵団員が血相変えて追ってきたことまで話されたら、信じるであろうな」
「何と面倒なことに……。導師、こちらも手立てはございましょうか?」
「無論、ある。取って置きのものがな」
ボルドークは不適な笑みを浮かべた。
「あの女、自身の秘密を知らぬとみえる。知っていたらのこのこ国王の前へ出向く真似などするまい」
「御意。虎口へ飛び込むようなものでございますから」
「もし公にすれば、あの女も父親もただでは済むまい。この件は我が計画の仕上げに使う予定であったが、前倒しするとしよう。さすればヨマーンは大混乱に陥る。ミスリダと同様にな」
「侯爵は如何なさいますか?」
ログスの問いかけに、ボルドークははっきりと告げた。もはや用無しだと。当初の計画ではセレアナと共にビスタ侯爵も、「起爆剤」として用いる筈であったが、計画の前倒しによりその必要もなくなったのだ。
もっともセレアナを首尾良く始末出来ていれば、まだ使い道もあった。まず、抹殺の理由をセレアナの浮気ということにし、次いで適当な上位貴族を不倫相手にでっち上げる。さすれば妻を奪われたビスタ侯爵は激怒し、不倫相手の貴族との間で「揉め事」が勃発……という流れで。
「ヨマーンを離れる直前、侯爵邸の者共の術を解く。その後は一旦陛下の御前へ参上し、報告だ」
「ステイアの他国は、このまま放置してよろしゅう御座いましょうか?」
「三国を混乱させればひとまずよい。長居すればセレアナのように我らを怪しむ者も出てくるであろう」
「は……。ところで導師」
ログスは恐る恐るボルドークの目を覗き込んだ。
「セレアナを抹殺なさろうとした時、勿体ないとはお考えにならなかったのですか?」
「うむ。確かにな。我が計画の核となる者なのだから。しかし、我らの行いを知られたからには、生かしてはおけぬ」
「御意……」
そう答えたきり、ログスは黙り込んだ。実のところログスの最後の質問は、もっと単純で野暮な意味合いのものだったのだ。セレアナは絶世の美女であると同時に、優雅さと気品を兼ね備え、聡明で気丈夫な娘だった。男女を問わず誰もが惹かれる、太陽のような魅力の持ち主であり、「勿体ない」とはそういう意味だったのである。
が、ボルドークはセレアナの魅力に心動かされることもなく、目的達成のための道具としてしか見ていなかった。だからこそ冷酷な仕打ちに出ることも可能だったのだろう。
ーー導師は使命の遂行しか頭にない。恐ろしいお方だ……。
ログスの頬には冷や汗が伝っていた。全てを捧げる覚悟で仕えぬ限り、いつか自分も切られてしまうのではないか、と。
ボルドークがログスの報告を受けていた三時間程前のこと。食事を済ませたリムド達はザレッサの宿にいた。ここがもしヨマーンであったら、リムドも路銀節約のため野外で夜を明かすことを検討しただろう。あのガロディリアスがファシドを追ってここまで来れば、町の人々にもとばっちりがくる。通過点に過ぎないスルーザで、厄介事を起こすわけにはいかなかった。
だが今のスルーザは治安が良くない。野宿でもしようものなら、野盗の格好の餌食となってしまう。集落の中ならばその心配もない。それにカグラが疲労を訴え、ゆっくり休める場所を求めていたことも大きかった。
三人が入った宿屋は足長亭に比べれば規模は小さいものの、こざっぱりしていて感じのいい所だった。二階の客室へ入るなりカグラはベッドへ倒れ込んだ。すぐにも眠り出しそうな勢いだったが、リムドはその肩を掴み、揺すった。
「カグラ。悪いけど眠るのはもう少し待ってくれないか。お前に話しておきたいことがあるんだ」
「何だよ、それ。今じゃなきゃ駄目なの?」
「そう言うわけじゃないが、移動中は忙しくて話せなかったからな。出来れば今言っておきたい」
いつもはカグラが「眠い」「億劫」と駄々をこねても、呆れながらも放置することが多いリムド。そのリムドがここまで我を通すことは珍しく、カグラも又従兄弟の話に耳を傾ける気になったようだ。寝転がったままではあったが。
「……でリムド、話って何?」
「お前も聞いたことがあるだろう? 大伯父さんには双子の姉がいたってことを」
「うん、知っている。でも確か養子に出されたって……」
「そう。生後直ぐにトゥーラムの商家に引き取られたそうだ」
もう七十年以上も昔、先代の家長ーーリムドとカグラの曾祖父に、待望の跡取りが生まれた。男女の双子だ。しかし母親の乳の出が芳しくなく、成長すれば確実に足りなくなってしまう。近所に乳もらいをする女性もおらず、乳母を雇う経済的な余裕もない。流石の賢者もお手上げで、どうすればいいのか見当もつかなかった。
その三日後、一組の品の良さそうな中年男女が家長の家を訪れた。地元トゥーラムのとある豪商夫妻だった。商人の夫は言った。もしよければ女の子の方を養子にもらえないかと。この夫妻には子供が四人いたが、全て男子。夫婦は女子が欲しかったのだが、妻は高齢でもはや実子を望めそうにない。そこで養子をもらおうと考えていた矢先、賢者の子供のことを耳にした。賢者の娘ならばきっと賢い子に違いない。是非我が家へ迎え入れたいと願い、やってきたという。
家長夫婦は即答を避け、その日は話を聞くだけに留まった。そして二人は一晩かけて話し合った。散々悩んだ末、家長は決心してこう切り出した。確かに子供を手放すのは辛いが、二人とも幸せに出来る自信もない。あの豪商は実直な人物と評判も良く、商いも順調だと聞く。ならばこのまま手元で育てるより、あの夫妻の養子となった方が娘のためになるのではないかーーと。最終的には妻も説得に折れ、涙ながらに承知した。
かくして娘は豪商夫妻の養子となった。ローザと名付けられたその娘は、養父母の愛情を一心に受け、何一つ不自由なく育てられた。そして十八歳になった時、ある下級貴族に望まれて嫁いでいったという。
「そのローザ大伯母さんの嫁ぎ先が、ナリード準男爵家。ナリード家はビスタ侯爵夫人であるセレアナの実家なんだよ」
「え? じゃあ私達、ナリード家とは親戚関係にあるの?」
「そう。しかもそれだけじゃない。大伯母さんは当主だった夫との間に一男三女を儲けた。その末子で唯一の男子がセレアナの父親。つまりセレアナは、僕達とは又従兄弟同士だってことさ」
「へーっ。でもリムド、どうしてそんなことを知っているの? 祖父ちゃんですら詳しく話してくれなかったのに」
普段であればリムドがいくら熱弁を振るっても、ふーんの一言で終わるカグラ。そのカグラが関心を示したのを見て、手応えを感じたのかリムドは少し得意げに胸を張った。
「王立図書館で調べたんだよ。竜兵団名簿を閲覧するついでに、セレアナのことも調べておこうと思ってね。彼女の生い立ちがわかれば、更に敵の正体に近付けると思ってさ」
リムドもセレアナが、ナリード家出身であることは聞いていた。前国王妃が同家の出だったからだ。そこでナリード家の系譜を当たってみると、セレアナの父方の祖母がダリム・フォーグの娘であることが判明。ダリムはローザの養父であり、娘は彼女一人だけ。「双子の姉は下級貴族の許へ嫁いだらしい」とのノーラムの話とも一致する。
驚くべき事実はこれに留まらない。セレアナの父で現当主のラムソンには三人の姉がいる。うち末の姉ミリアスは前国王モルドア二世の妃だ。残る二人の姉はそれぞれナリード家に仕える騎士と結婚し、男子を一人ずつ儲けている。長姉セザンヌの息子がエステバ、次姉カレアの息子がアットン。セレアナにつき従っていた、あの護衛の二人である。
「つまりエステバとアットンは、セレアナの従兄弟だったんだ。セレアナがビスタ侯爵に嫁いだ時、一緒について行ったんだろうな」
「じゃあ、その護衛もあんた達の又従兄弟ってことじゃないさ」
今まで静かに話を聞いていたマルシャが、突然割り込んできた。マルシャにとってもなかなか興味深い内容だったようで、黙っていられなくなったらしい。
「そういうことになるな。でもまさか貴族や騎士に親戚がいるなんて、僕も驚いたよ」
「あんた達の大伯母さんが大出世したからじゃないさ。でもあちらさん達は、あんた達と親戚だってことは知らないんだろう?」
「それはわからないなあ。大伯母さんが豪商夫妻の実子でないことは、知っていると思うけどーー」
と、言ったところでリムドはカグラへ視線を戻した。カグラは既に寝息を立てている。マルシャと話している僅かな間に寝入ってしまったのだ。
リムドはカグラの体にそっと毛布を掛けた。明日の午前、リムド達はザレッサから一番近い町へ向かう定期連絡馬車に乗る予定だ。そして馬車を乗り継ぎ、ミスリダを目指すこととなる。時間も金もかかるがやむを得まい。この国は野盗が頻出するうえ、魔道人を鵜の目鷹の目で探す輩が何処に潜んでいるのかわからない。カグラの魔力に頼る移動は出来ないのだ。
リムドもマルシャを伴って床へ着いた。だがこの選択が、後に思わぬ災いと出会いをもたらすことになろうとは、この時リムドは知る由もなかった。