出会いいろいろ
「まったくあなたこんなに砂だらけでノーフェ様に抱かれてきたの?」
侍女にあきれたように聞かれたが、そう言われてみると確かに砂だらけだ。道に座り込んだところをそのまま連れてこられたのだからまあ仕方がないだろう。千春は湖に面した客室の一部屋に放り込まれると、
「そのままベッドに入ったりしたら承知しないわよ。湖のほうに出て、砂を落としたら隅っこで休んでなさい!」
と放置されてしまった。その雑な扱いにあっけにとられたが、うん、自分は悪くないと気持ちを持ち直した。悪かったとすれば、眠くてぼんやりしてみかんを追いかけたことだけだ。みかんが転がったら、それは誰でも追いかけるだろう。
「追いかける前に状況を見るよな、普通」
アーロンの声が聞こえたような気がしたが、錯覚だ。その後ノーフェに、いや、これは思い出さないでおこう。千春は侍女の言った通りにバルコニーに通じるドアを外側に開いて、湖のほうへ一歩出た。外には湖まできれいな白い石が敷き詰められていて、そこに砂を落とすことがためらわれるほどだった。
しかし室内に砂を落とすよりはいい。突然外に出てきてパタパタとスカートを叩く庶民の娘を、少し離れたところで警備している二人の兵がいぶかしそうに見ていたが、気にしない。それにしても、あそこに要人でもいるんだろうか。ぼんやりと眺めていたら、早く部屋に戻れと兵に合図されてしまった。
仕方ない。部屋に戻った千春は、布のソファやベッドに座る気がせず、木の椅子にちょこんと腰かけた。
それにしても、異世界に来てからよく運ばれる。鳥人は論外として、まずは人魚。そしてナイラン。ナイランは元気かな、むしろ面倒な私たちがいないからのびのびしてたりして。そう考えてちょっと落ち込んだ。そしてノーフェ。これはまだ落ち着いて考えられないが、どれ一つとしてロマンチックじゃないのはなぜだろう。ため息をつく千春が肩を落としたその時。
とんとん。ドアを叩く音がした。
「はい」
「入るよ」
威勢のいい声と共に侍女が入ってきた。手のお盆にはポットとカップが乗せられている。いや、侍女のお仕着せを着ていない。女性にしては少し背の高い、活発そうな人だ。ただその顔には何となく見覚えがある。おもしろがっているような、思慮深いような。
「ザイナス……」
その人は片眉を上げた。
「おや、庶民の子どもなんだから庶民がお茶を持って行けって言われてきたけど、あなたもしかして、あれなの」
あれなのと言われてもどれのことやら、千春ははっと気づいた。
「ディロンのお姉さん?」
「正解! じゃああなたが聖女様か」
その人はお盆をテーブルの上に置くと、千春の周りをぐるぐると回った。
「なるほどねえ、小さいわねえ、なんだろうこの生き物、だれもいない部屋なのに、お行儀よくちょこんと座っちゃって、これは父さん以上に母さんが気に入りそうだわ」
小さいとか、生き物とか、さんざんな言われようである。
何回か回ると、その人はテーブルを挟んだ椅子にドスンと座り込み、
「私はオーサ。ザイナスの娘だよ。それにしても、決行は今晩だろう。なんでこんな羽目に?」
と聞いた。千春は仕方なくノーフェに運ばれてきた話をすると、
「みかんで? 間抜けにもほどがあるよ。はーっはっは!」
と笑い転げられた。みかんのつけは当分ついて回りそうだ。食べ物を大切にしただけなのに。千春はあきらめてため息をついた。
「今晩の作戦ってどうなっているんですか」
もう千春は開き直って聞いた。多分もうすぐ真紀が迎えに来る。それまでいろいろ聞いておこう。
「この部屋の五つ向こうに人魚がいる。湖側から入って、湖に逃がす。それだけよ」
「でも外には護衛がいましたよ」
「敬語はやめようよ。見た目はおんなじくらいだろ?」
「はい、ああ、うん。だって外には護衛が二人いたよ」
おそらくさっき見た護衛がそれだ。オーサは首元を手で横にひいて見せた。まさか!
「ははは、違うよ。ちょっと騒ぎを起こして護衛が離れた隙に連れ出すか、護衛が離れなければちょっと休んでもらうだけだよ」
オーサは力こぶを作って見せてくれた。千春の目が泳いだ。詳細は聞かないほうがいいだろう。
「でもアミアならさっさと出ていきそうなものなのにね」
千春が首を傾げると、
「ああ、長を知ってるの? 私もそれが不思議なんだけど、さすがにあの部屋には入れてもらえなくてね。護衛が一日中ついているし」
オーサも首をひねる。
「鳥人を見てるとわかると思うけれど、人魚も抑えようとして抑えられるものじゃあないんだよ。父さんの変化を見た?」
「うん、とても大きくて素敵だった」
千春は思い出してうっとりした。
「素敵はどうでもいいんだ。だいたい獣人からすると父さんはのほほんとして迫力に欠ける。私はもっとこう、ギラギラした人のほうがいいと思うんだけど、それはそれとして」
オーサは割と話があちこち飛んで面白い。ギラギラした獣人と言うのも見てみたいような気がした千春だった。
「変化したらその種族としての力も増すし、変化しなくても力は強い。長を知っているんだから、人魚は見たことはあるよね」
「うん。ゲイザーを尾びれで叩き落していたよ」
「そんなところを見たの? 後でその話も聞きたいけど、つまり、武器も持たずにそれだけの力がある人魚、それも長が抜け出せないはずがないと私も思うんだ」
「私もそう思う」
千春もそう思っていたのだ。
「だからと言って事情はわからないし、これ以上長がとどまっていたら人魚がもう黙っていないだろう。無理やりにでも湖に返すしかない」
そう言い切るオーサに、千春はハッとしてこう告げた。
「そう言えばノーフェが言ってた!」
「何を?」
「人魚を王都に連れて行くって。命令だって」
「なんだって!」
オーサは立ち上がった。
「ハイランドは何を考えているんだ。人魚は獣人領じゃないから正式に抗議はできないけれど、確実に各国の心証は悪くなる。それに人魚も黙っていないだろうし。だけど内陸まで攻めては来れないか、どうするんだろう」
その時、ドアを叩く音がした。オーサは振り返って思わずこう言った。
「いけない、時間を使いすぎた」
しかし、返事を待たずにドアを開けて入ってきたのは、
「シュゼ!」
「ノーフェ」
ミカンの箱を抱えて息を切らした真紀と、何人もの侍女たちだった。
「あなた、お兄様が迎えに来るならそう言いなさいよ」
そう千春に文句を言ったのはさっき千春をこの部屋に放り込んだ侍女だった。そんなこと言う暇も無かったと千春は不満に思うのだった。
「街で評判のローランドのみかん売りがお兄様だったのね。この子ったら、砂だらけで来たのよ、あなた」
侍女は真紀にすり寄った。真紀は引きながらも、
「あ、ああ、転んでしまってね。ノーフェ様にも感謝だけど、あなた方にも感謝を。妹の面倒を見てくれてありがとう」
とそつなく礼を言った。侍女たちはキャッキャッと真紀を眺めながら、
「まあ、濃い色のまつげと瞳が素敵ね! 噂通りだわ! 今お茶を持ってくるわね」
「ノーフェ様はどうなっているの?」
「ノーフェ様は先輩たちに独占されて手伝いもできないのよ。それならこっちにいたほうが」
とこんなところでするべきではない話をしている。オーサはその様子を面白そうに眺めながら、真紀を意味ありげに見たが、
「あんたはもういいわ。そのみかんを持って下がりなさい」
と侍女に言われて部屋を追い出された。そして入れ替わりに入ってきたのは。
「お兄様が旅の汚れを落とすまでは待っていろと言って相手をしてくださらないの。旅のみかん売りが来てるってほんとなの?」
本物のシュゼだった。
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