みかんのゆくえ
結構な時間になり、宿の表から帰ると、宿の受付の人はあーあと言う顔をした。
「遅いから心配してたんだぞ。兄さんにつかまってかえってよかったなあ」
情けない顔をしてエドウィとアーロンに連れてこられた真紀を宿の人はからからと笑い飛ばした。
「心配かけてごめん」
そう謝ると、
「いいって」
と言って、真紀をちょっと隅っこに引っ張っていった。
「で、成果は?」
「聞くなよ。待ちぼうけだよ……」
「はっはっは。そりゃあ踏んだり蹴ったりだなあ。でもまあ、行商人なんていなくなっちまうものだからな。相手の娘さんにはそれでよかったかもしれねえ。誰かの妹かもしれなかったんだしな」
宿の人は千春を見ながらそう言った。お前の妹だったら夜に外には出さないだろ? と言っているように聞こえた。
「そうだな。今度は焦らずに、ちゃんと落ち着いてから相手を探すよ」
「それがいい。もっともあの兄さんたちの目をかいくぐるのは大変そうだな?」
「まったくだよ。自分たちばかりもてやがって」
「はっはっは。せいぜいがんばれ」
宿の人はしょぼくれる真紀の肩をドン、と叩いた。
「いろいろありがと。おやすみ!」
「ああ、いい夜をな」
兄たちに怒られながら、それでも言い返して上がっていくにぎやかな四人組を見送り、宿の人はふと思った。
「あれ、なんで妹も一緒なんだ? ナンパに連れて行った? まさかな」
首を傾げると、
「ま、あれだ、あとをつけていったとかそんな感じか? それなら待ちぼうけでほんとによかったなあ」
と納得した。宿の人がいい人でよかったというべきなのだろう。真紀と千春の作戦は行き当たりばったりなので、結構穴だらけなのだった。
エドウィとアーロンは真紀と千春の部屋の前で止まった。
「いやー、びっくりしたよね。まさかあの子たちが一つにまとまるなんてね」
真紀が肝心なところをぼかしてそう言った。
「一つにまとまるどころか、いろいろなところに驚いたけどな、俺は」
アーロンがあきれたようにそう言った。その隣でエドウィはちょっと苦笑すると、
「マキ、手を」
と自分の手のひらを上に向けて差し出した。
「こう?」
とエドウィの手のひらに乗せるように差し出した真紀の手を、エドウィが両手でそっと握りしめた。温かい手だ。
「魔物を魔石に戻す、この優しい手が大好きですよ」
「エドウィ……」
つらいことなら耐えられる。でも優しくされたら駄目なんだ。真紀の瞳に涙が盛り上がった。
「え、おい。チハール、なんとかしろ!」
「ええ? アーロンこそ、いや、エドウィでもいいから、ほら、グイッと!」
「グイッとなんだよ!」
つい真紀を引き寄せようとしたエドウィは、その二人の慌てぶりにふと我に返り、真紀の手をそっと離した。
真紀は急いで袖で顔をぬぐうと、
「千春もしてもらいな」
といい、自分はアーロンに手を伸ばした。あんなに傷ついたのに、人に手を伸ばすことにためらわない、真紀ちゃんはそういう人なんだと千春は心が温かくなる。千春ならもっと臆病になって、きっとお城の一件から心を閉ざしてしまっていただろう。
「公平にね」
「お、おう」
アーロンもそっと真紀の手を握り、その手を表に返した。
「この手がなあ。何でもない普通の手なのにな」
「不思議だよね」
「不思議だな」
その色気のかけらもない二人の会話をエドウィはほっとしたように眺めていた。もっともその間も千春の手は握ったままだ。
千春も、という言葉は真紀の照れ隠しだったに違いないが、エドウィは思わぬ幸せに酔っていた。もちろん、下心があって真紀を慰めたわけではない。千春より真紀のほうがずっと傷ついていたし、真紀だってエドウィにとってはとても大切な人だから、心配ないと、大事にしていると伝えたかったのだ。
だから千春を慰めようとは思いつきもしなかったのだが、エドウィの手に収まる千春の小さな手にはエドウィをふわふわと浮き立たせる何かがあった。ゲイザーもこのような気持ちなのかもしれない、とエドウィは思った。
何となくはにかんでいる千春の周りだけ光り輝いているように見えて、おっと、気が付けば三人がじっとエドウィを見ていた。
「あの、もういいよ?」
「え、はい、すみません」
エドウィは慌てて手を離した。咳ばらいをすると、現実に戻ってきたエドウィは、周りを見て改めて誰もいないことを確認すると小さな声でこう言った。
「では明日は昼は普通にみかんを売って、午後には町を出ます。夜になったら戻ってきて、離宮に潜入、オーサの手引きで人魚長を救出、そのまま裏山から犬人の案内で脱出と言う流れで」
頷く二人に、
「本当は待っていてほしいのですが」
と言うエドウィだったが、二人は首を横に振った。
「ですよね。では今日はゆっくりお休みください」
そうして長い一日は終わった。
次の日、宿を引き払って市場に出た四人だったが、昨日のうちに聞き込みが終わり獣人から情報を得ていたエドウィとアーロンは、真紀と千春に売り子を任せてあちこちに手配に回っていた。
「ソルナみかんー、今日で最後だよー、あと少しで売り切れだよ!」
大きな声で呼び込む真紀の手元にはもうほとんどソルナみかんはなく、順調に売り切れようとしていたし、みかんを欲しかった町の人にも十分に生き渡ったようだった。
「あと半箱。途中でも売れるし、自分たちで食べてもいいし、こんなものか」
客足が途切れて、在庫を覗き込む真紀にぼんやりと頷く千春は、昨日の夜の運動がたたって少々寝不足気味だ。楽しそうに元気そうにしてはいるけれど、ローランドから鳥人に運ばれて以来、体力的にはずいぶん厳しいものがあっただろう。
それでも時折ハッとして、
「いけないいけない、今日こそが本番なんだから」
とぶつぶつつぶやいたりしていて、必要もないのにみかんを並べなおして隣の野菜売りのおじさんから心配されたりもしていた。同じく心配して千春の様子をうかがっていた真紀だったが、なんだか市全体がざわざわしている。しかもちょっと明るい感じだ。
「おじさん、なんだろ」
隣の野菜売りに聞くと、
「ああ、数日前からさ、ノーフェ様がくるって噂だったから、それじゃねえか。ほら、入口のほうから来る集団、あれがそうだよ。ほら、ノーフェ様だ!」
ノーフェだって! あの嫌味な王族だ。 野菜売りも市場の人たちもとてもうれしそうだが、真紀は苦々しい思いでお城での出来事を思い出していた。いや、それどころではない。もう何日か後だと思っていたノーフェの訪れは、人魚の長の救出作戦にどう影響するのか。
真紀は確かに思い出の隅に残る、高慢な顔立ちのハンサムと言えなくもないノーフェの顔を、馬の上に確認した。なるほど、少人数で馬に乗ってやってきたから早かったと、そういうわけだ。
とりあえず市場の人に合わせて、目立たないようにしていれば大丈夫だろう。馬に乗って市場の人ににこやかに頷くノーフェが近づいてきても、真紀は平然とふるまっていた。それにしても、こうやってみるとちゃんと王子様なんだなと真紀はちょっと意外に思う。民にも慕われ、尊大でもない。
後は千春を自分の後ろに隠して、と真紀が振り向こうとしたら、目の端に明るいものが転がっていった。なんでソルナみかんが転がっているんだろう。
「あ、ミカンが落ちた」
ぼんやりしていた千春がみかんを落としたらしい。突然のことに真紀が固まっている隙に、千春がみかんを追いかけた。
「危ない!」
「きゃ!」
ミカンを拾おうと飛び出した千春の前で、馬が驚いて前足を上げた。そこに別の馬が滑り込んできた。
「どうどう! 落ち着け。人のいるところは慣れてるだろ。どうどう」
自分より大きい馬に乗った指揮官の登場に、少し驚いただけの馬はすぐに落ち着いた。しかし千春は体がすくんで、しゃがみこんだままだ。みかんだけはしっかり抱えたまま。
「馬の前に飛び出すとは、危ないことを!」
馬を降りた指揮官は、ノーフェだった。どうする! 真紀は焦った。
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