大きくなればいいじゃない
そのころ、エドウィとアーロンはディロンとコリートに連れられてやはり裏山に来ていた。もっとも、ザイナスが拠点にしているちょっとした空き地だ。
「あれ、父さんがいない」
「鳥人もだ。集合がかけてあるのに」
ディロンとコリートがおかしいなと言うようにあたりを見回した。
「オーサは離宮にうろこをおさめに行って、そのまま気に入られて臨時雇いになってるんだ」
「やっぱりオーサも来ていたんですね」
ディロンの説明にエドウィが納得した。
なるべく目立たないように別々に行動し、裏山のふもとで合流した後で、この空き地までの間に込み入った話を聞かされていたのだ。
「鏡の湖に注意しろとはまた曖昧なことを。アミアらしい」
「人魚の長殿とは親しいのか、エドウィ」
「いえ、小僧扱いですよ。ただ聖女と一緒だったので、やはりかなり曖昧な警告はもらいましたが」
「聖女なあ」
ディロンは頭の後ろに手をやると、複雑な顔をした。
「父さんも鳥人も夢中だし、そんなにいいか?」
エドウィはあきれた顔をしてディロンを見た。
「いいとか悪いとか、かわいらしいとかけなげだとかそういう問題じゃないんですよ!」
「お、おう」
ディロンはその勢いに気圧された。なんだかほめてばかりだったような気もするが。
「はっきり言います。召喚された聖女がいいか悪いか、そんなことを判断する権利は私たちにはないんですよ」
「でもよ」
「でもではありません。家族から引き離されて、無理やり連れてこられたあげく期待外れだったとか、聖女だからっていい気になるなとか言われてどう思うと思うのですか」
「そりゃあ、まあな」
適当な返事をするディロンに適当なところでごまかされるつもりはエドウィにはなかった。
「それがオーサでもですか」
「姉さんが? ありえないことだろ」
「聖女の家族もそう思うはずです。仮に、仮にオーサがたった一人で獣人のいない人間の国に行ったと思ってください」
「……」
「獣人なんて見たことなかった、なんで人間じゃないんだ、もっとおとなしい人がよかった、平凡すぎる、なんでちやほやされるんだ、そんな風に言われたら?」
ディロンはぎゅっとこぶしを握った。自分はただ、周りにいる普通の女友達のように、ちやほやされる聖女が甘えているように見えて、それで。
「内陸の事件は聞いていると思います。でもね、ディロン。本当に傷つけるのは、敵ではなく、身内の考えなしの一言かもしれないんですよ」
ディロンはぐうの音も出なかった。
その時、コリートがふと鼻を空に向けた。
「風が変わった。湖から吹き上げる風に、ザイナス、鳥人二人、そして人間二人のにおい。下だ」
「下? 俺たちが通ってきただろ」
そう問うディロンに、コリートはこう答えた。
「その後に来たんだろうな。風の向きですぐには気づかなかったんだろう。それに」
そう言うと鼻にしわを寄せた。
「なあディロン。瘴気だが」
「ああ、昨日から急激に薄くなったよな。おや」
「ああ」
二人とも空に顔を向けた。
「瘴気が集まってきている?」
エドウィがハッとして下のほうを見た。
「マキとチハールだ! 全くあの人たちときたら」
「何のことだ?」
エドウィはそれに答えず二人に問いただした。
「下とはどこですか!」
「道沿いにまっすぐ。瘴気も同じ方角だ」
「行きますよ!」
「お、おい」
「第二形態の準備を!」
エドウィの声にディロンとコリートは一瞬あっけにとられ、ハッと気を引き締めた。瘴気。第二形態。魔物の可能性だ。
四人は急ぎ足で坂を下った。すぐにザイナスの濃厚な気配がする。
「すぐそこだ! なんだ!」
そこには第三形態のままのザイナスと鳥人二人を背後に従えて、少年と少女が凛と立っている。そしてその向かいの空には、
「数え切れねえ。ゲイザーだ……」
思わずつぶやくほどの魔物が浮かんでいた。魔物は洞窟で冒険者に対峙するときのように、今にも襲いかかろうとしているように見えた。マキとチハールの顔も、国境の町で見た時と違い緊張感に満ちているようにエドウィには思えた。隣でディロンとコリートの姿が変わる。太く強い爪と、細長く伸びた鼻面に鋭い牙。第二形態だ。よく見ると鳥人の手も鋭いかぎづめに変わっている。
「マキ! チハール!」
エドウィのその抑えた声にですら魔物は反応し、大きく膨らんだように見えた。それに飛びかかろうとするディロンとコリートの前に、ザイナスがすっと動いた。
「待て」
「しかし!」
「手を出すなと言われている」
そのザイナスの静かな声にぐっと詰まると、二人は警戒を緩めずに少年と少女とゲイザーを見つめた。
「すごい荒ぶっているね」
「激しい苛立ち。ゆっくり育つはずが早めに解放された。ゲイザーになるのが早すぎた?」
「洞窟が狭くて、大きくなれない。もっと大きくなりたい? 魔石に戻るのはいやなの?」
ゲイザーのいら立ちがぶんぶんと音になって聞こえるようだった。それに少年と少女は緊張しながらも静かに対峙していた。
「ではこのまま少し外を旅するの?」
ゲイザーがぶん、と揺れる。
「何を言っているんだ、あのふたりは?」
「しっ。魔物の声が聞こえるのだそうです」
「何を」
「静かに」
ディロンはエドウィに黙らされた。傍らでコリートもアーロンも信じられないようにそれを見ている。
「旅も嫌なの? もう、わがままだねえ」
少女の声にぶんぶんとゲイザーが怒る。しかしそれは先ほどの緊張感をはらんだものではなく、すねてぶつぶつ言っているかのように思えた。すねる? ばかばかしい。ディロンは頭を小さく振った。
話しているうちに緊張がほぐれたのか、少年と少女の口調は穏やかなものに変わった。
「それならどうしようか」
どうしようかも何もないだろう。魔物は倒す。それだけなのに。少年の声に、ディロンは無性に苛立った。そういえばこの少年、ソルナみかんの。黒い瞳と、握り合った手を思い出す。いや、握り合ってはいないが、とディロンは頭を振る。
「いっそのこと一つにまとまれないの? 小さいなら大きくなればいいじゃない」
少女が無邪気にそう言った。
「やったことない? そりゃそうでしょ。でももともと瘴気からできたんでしょ? 集まればいいだけなんじゃないの?」
無茶なことを言う。ディロンは急に魔物が気の毒になった。空を覆う魔物はざわざわと戸惑い、まるで相談しているかのようだった。
「なあに? やってみる? うん。見てるから」
まるで代表するかのように小ぶりのゲイザーが二つ前に出てきて、向かい合った。少年と少女は胸の前で手を握って、まるで応援しているかのようだ。
二つは静かに近づくと、大きな目を閉じてくっついた。と思うと輪郭があいまいになり、一回り大きくなったかと思うと一つの目を開けた。
「成功だ!」
ゲイザーは、ゆっくりと瞬いた。
「大きくなってどう? 気分はいいんだ」
一回り大きくなっていら立ちは収まったらしい。そのようすを見ていたゲイザーが次々と溶け合い始めた。
「ちょ、ちょっと、いくら何でも三つ一緒にとか、あー、ないわー、大きくなりすぎたでしょ、ほら」
少女のあきれたような声に反応しながらも、やがて空には大きなゲイザーが五体残っただけになった。
「もう落ち着いたから、魔石に戻ってもいいって? どうしてあなたたちはそう生き急ぐんだろうねえ」
少年もあきれたように言った。
「仕方ない、おいで」
そうして伸ばした少年と少女の手に、なでてもらうようにゲイザーは寄り添い、カラン、と魔石に変わった。
「バカな……」
「これが聖女の力なのです」
気がつくとそこにはもう魔物は一体も残ってはいなかった。ディロンとコリート、そしてアーロンは呆然と立ち尽くしたのだった。
1月10日から『聖女二人の異世界ぶらり旅』発売中。コミカライズも進行中です。




